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【第弐部】 第一話
隠り世・序章
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「んめぇ! やっぱり出来たては柔らかくて最高だな!」
竹串から餡団子ほ頬張る琥珀。人形師の家を早朝に出て、朝市に寄っている。町衆たちは活気に溢れ、採れたての野菜を始め、饅頭や団子などの手作り菓子、茶碗などを始めとした民芸品、布などが各場所で売られている。しかも安いとくれば、訪れる客にも笑顔が絶えない。
(何かあったのだろうか……)
氷輪には、無理矢理元気そうに振る舞っているように見える琥珀が、見ていて痛々しい。
「あぁ、この柔らかさはつきたてでないと出せないな」
餡団子を右手に持ち、笑顔で琥珀に応じるも、理由は聞いてはいけないような気がして歯がゆい。当の琥珀は、きょろきょろとあたりを見回した後、氷輪の傍に近づき、耳打ちするような小声で話す。
『でも、幸成のおっちゃんも良い人だったな。銭も弾んでくれた上に俺達の服まで新調してくれて。んでもって刀職人まで紹介してくれて、おまけに朝市の小遣いまで別にくれてさ』
『あぁ。有り難い限りだ。陰陽師殿もな』
『おう! あの……えーと……』
『智久殿』
『あぁそうそう、智久のおっちゃんも。俺達二人に、て。邪眼避けだかの霊符くれたりとかさ』
『そうだな、有り難い限りだ』
小声で会話を交わす二人。二人の胸に去来するは、百夜の言葉を伝えた際の照れたような、それでいて嬉しそうに頭を掻く仕草をする幸成。そしてその隣で「そういう事でしたか。これは何ともお恥ずかしい。まだまだ修行が足りませんな」と、全てを察し、困ったように笑う陰陽師の姿だった。
……この先彼は宿世の女に出会う……
会話をしていても、百夜の先読みが脳裏をかすめる。
(恐らく、大和の国かそこへ行く途中のどちらかで出会うんだろうな……。きっと、俺なんかとは比べ物にならないくらいの美人で、上品な……)
ふと、魔が囁く。
(そうだ、先読みならそれを外せば良い。行き先を変えてしまえば……)
「……珀、琥珀?!」
「ん? あ!」
氷輪の名を呼ぶ声で我に返る。
「どうしたのだ? ボーッとして」
「ごめんごめん、あー、えーと……そうだ! うん、ちょいと団子が美味すぎてな。しばらくこの柔らかさのまま日持ちさせる方法はねーかな、なんて考えてたもんだから」
(何馬鹿な事考えてんだ俺。女みてーな事。そんな姑息な事をしたって、宿世にゃ太刀打ちできる筈もねーのに。それ以前に、俺は男だ! 兄者の役に立ちたいから、一緒に旅をしてるんだ。それ以上でもそれ以下でもねーや!!)
一瞬でも邪な考えを持った自分を恥じた。気持ちを切り変えて破顔する。
「ははは、それは無理だろうな。かたくなったっものを焼いても、この柔らかさとは別のものとなるだろうな」
(本当は、別の事を考えていたのだろう? 何を思い悩んでいる?)
「だよなー、あはははは」
「では、そろそろ行こう」
「あぁ、そうだな。先を急がないとな」
氷輪は表面上は滑らかに受けごたえしつつも、本音で話せない事をもどかしく感じた。二人は連れ立って、幸成の紹介してくれた刀剣職人の元へと急いだ。もしかしたら、御宝の一つ八握刀の事で何かの情報を得るかもしれない、そんな淡い期待を胸に抱きながら。
唐傘大ほどの大きさの、色とりどりの蓮の花が一面に咲き乱れる場所。遠くには薄紫色の山々が連なり、空は見事な紺碧だ。白い紗のような薄雲が、羽衣のように広がり、陽光を柔らかく包みこむ。
「おやおや、呑気に物見遊山と言いますか……。炎帝が体を張ってくれて、その彼の体が大変な事になっていると言うのにねぇ。知らぬとは言え、いい気なもんです。さてさて、彼はこの先どのような決断をするのでしょうねぇ」
ほくそ笑みながら、猫撫で声で話す禍津日神。彼の右手は、夕星の肩を包み込むようにして抱く。体の右側面を夕星に預けるようにして左手を彼の左肩に添えている。
微かに眉根を寄せ、禍津日神と共に見つめる先は、目の前の湧き出でる泉の水面に映し出された氷輪と琥珀の姿であった。
「……それで、炎帝の具合は?」
震える声で夕星は尋ねた。
「ふふん、這う這うの体で月黄泉が隠り世(※①)に連れていきましたから、すっかり回復してるでしょう」
禍津日神は小馬鹿にしたように鼻で笑うと、スッと夕星から手を放した。
「その後をどうするかは、私の管轄ではありませんから知りませんけどもね」
夕星はその声にほんの少し棘を感じ取る。
「まぁ、私との取引に応じるかどうかはまだ間があります。じっくりと考えて、色よい返事を。あーぁ、雲がまたあんなに深くなって。心に迷いや雑念がある証拠ですね。サッサと雲を取り払わないと、仙女たちが舞えなくなってしまいますよ。そうなると天界の花々に活気がなくなりますから、いずれは地上にもなんらかの影響が出てしまいます。修行、しっかりと頼みますよ」
禍津日神は芝居がかったようにそう言うと、ニヤリと笑って消えた。夕星は軽く目を閉じ、心を無にする。するとのようにかかっていた空の雲が、みるみる内に晴れていった。同時に、花々の中で休んでいた仙女たちが目を覚まし、天空へと舞い上がっていく。夕星は虚ろな眼差しでそれらを見届けた。
(※①……かくりよ、隠り世、常世の国ともいう。対義語は現世。不滅の神の世界。死後の世界で黄泉の国も含まれる場所。理想郷でもあり不老不死の楽園。※諸説あり※)
竹串から餡団子ほ頬張る琥珀。人形師の家を早朝に出て、朝市に寄っている。町衆たちは活気に溢れ、採れたての野菜を始め、饅頭や団子などの手作り菓子、茶碗などを始めとした民芸品、布などが各場所で売られている。しかも安いとくれば、訪れる客にも笑顔が絶えない。
(何かあったのだろうか……)
氷輪には、無理矢理元気そうに振る舞っているように見える琥珀が、見ていて痛々しい。
「あぁ、この柔らかさはつきたてでないと出せないな」
餡団子を右手に持ち、笑顔で琥珀に応じるも、理由は聞いてはいけないような気がして歯がゆい。当の琥珀は、きょろきょろとあたりを見回した後、氷輪の傍に近づき、耳打ちするような小声で話す。
『でも、幸成のおっちゃんも良い人だったな。銭も弾んでくれた上に俺達の服まで新調してくれて。んでもって刀職人まで紹介してくれて、おまけに朝市の小遣いまで別にくれてさ』
『あぁ。有り難い限りだ。陰陽師殿もな』
『おう! あの……えーと……』
『智久殿』
『あぁそうそう、智久のおっちゃんも。俺達二人に、て。邪眼避けだかの霊符くれたりとかさ』
『そうだな、有り難い限りだ』
小声で会話を交わす二人。二人の胸に去来するは、百夜の言葉を伝えた際の照れたような、それでいて嬉しそうに頭を掻く仕草をする幸成。そしてその隣で「そういう事でしたか。これは何ともお恥ずかしい。まだまだ修行が足りませんな」と、全てを察し、困ったように笑う陰陽師の姿だった。
……この先彼は宿世の女に出会う……
会話をしていても、百夜の先読みが脳裏をかすめる。
(恐らく、大和の国かそこへ行く途中のどちらかで出会うんだろうな……。きっと、俺なんかとは比べ物にならないくらいの美人で、上品な……)
ふと、魔が囁く。
(そうだ、先読みならそれを外せば良い。行き先を変えてしまえば……)
「……珀、琥珀?!」
「ん? あ!」
氷輪の名を呼ぶ声で我に返る。
「どうしたのだ? ボーッとして」
「ごめんごめん、あー、えーと……そうだ! うん、ちょいと団子が美味すぎてな。しばらくこの柔らかさのまま日持ちさせる方法はねーかな、なんて考えてたもんだから」
(何馬鹿な事考えてんだ俺。女みてーな事。そんな姑息な事をしたって、宿世にゃ太刀打ちできる筈もねーのに。それ以前に、俺は男だ! 兄者の役に立ちたいから、一緒に旅をしてるんだ。それ以上でもそれ以下でもねーや!!)
一瞬でも邪な考えを持った自分を恥じた。気持ちを切り変えて破顔する。
「ははは、それは無理だろうな。かたくなったっものを焼いても、この柔らかさとは別のものとなるだろうな」
(本当は、別の事を考えていたのだろう? 何を思い悩んでいる?)
「だよなー、あはははは」
「では、そろそろ行こう」
「あぁ、そうだな。先を急がないとな」
氷輪は表面上は滑らかに受けごたえしつつも、本音で話せない事をもどかしく感じた。二人は連れ立って、幸成の紹介してくれた刀剣職人の元へと急いだ。もしかしたら、御宝の一つ八握刀の事で何かの情報を得るかもしれない、そんな淡い期待を胸に抱きながら。
唐傘大ほどの大きさの、色とりどりの蓮の花が一面に咲き乱れる場所。遠くには薄紫色の山々が連なり、空は見事な紺碧だ。白い紗のような薄雲が、羽衣のように広がり、陽光を柔らかく包みこむ。
「おやおや、呑気に物見遊山と言いますか……。炎帝が体を張ってくれて、その彼の体が大変な事になっていると言うのにねぇ。知らぬとは言え、いい気なもんです。さてさて、彼はこの先どのような決断をするのでしょうねぇ」
ほくそ笑みながら、猫撫で声で話す禍津日神。彼の右手は、夕星の肩を包み込むようにして抱く。体の右側面を夕星に預けるようにして左手を彼の左肩に添えている。
微かに眉根を寄せ、禍津日神と共に見つめる先は、目の前の湧き出でる泉の水面に映し出された氷輪と琥珀の姿であった。
「……それで、炎帝の具合は?」
震える声で夕星は尋ねた。
「ふふん、這う這うの体で月黄泉が隠り世(※①)に連れていきましたから、すっかり回復してるでしょう」
禍津日神は小馬鹿にしたように鼻で笑うと、スッと夕星から手を放した。
「その後をどうするかは、私の管轄ではありませんから知りませんけどもね」
夕星はその声にほんの少し棘を感じ取る。
「まぁ、私との取引に応じるかどうかはまだ間があります。じっくりと考えて、色よい返事を。あーぁ、雲がまたあんなに深くなって。心に迷いや雑念がある証拠ですね。サッサと雲を取り払わないと、仙女たちが舞えなくなってしまいますよ。そうなると天界の花々に活気がなくなりますから、いずれは地上にもなんらかの影響が出てしまいます。修行、しっかりと頼みますよ」
禍津日神は芝居がかったようにそう言うと、ニヤリと笑って消えた。夕星は軽く目を閉じ、心を無にする。するとのようにかかっていた空の雲が、みるみる内に晴れていった。同時に、花々の中で休んでいた仙女たちが目を覚まし、天空へと舞い上がっていく。夕星は虚ろな眼差しでそれらを見届けた。
(※①……かくりよ、隠り世、常世の国ともいう。対義語は現世。不滅の神の世界。死後の世界で黄泉の国も含まれる場所。理想郷でもあり不老不死の楽園。※諸説あり※)
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