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第三十一話

人形師の家・中編

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 案内された場所は、歩いて四半刻ほどの場所にあった。成人の背丈ほどある竹垣に囲まれ、およそ十二坪ほどの庭が広がっていた。白い小石が敷き詰められ、松や楓、椿や梅、桜などが植えられ四季折々のいろどり楽しめそうだ。庭の中央辺りみは小さな池が創られており、紅い鯉が数匹優雅に泳いでいた。代々続く人形師の家は、茅葺屋根のしっかりした造りで、大きく重厚なものだった。

「ようこそいらっしゃいました」

 そう言って出迎えたのは、薄緑色の小袖を身に着けた上品な物腰の初老の女性だった。彼女の案内に従って通された部屋は、十二畳程の広さで畳の清々しい香りが仄かに漂っていた。真ん中に細長い木製の台が置かれており、台の上には細い竹筒に女郎花が飾られていた。隅々まで手入れが行き届いており、古くから客間として使われているようだ。

 入口から左手の壁には滝が描かれた水墨画が飾られており、その下には小さな銀色の屏風を背に、黄金色こがねいろの水干に身を包んだ稚児をかたどったカラクリ人形が置かれていた。人形は両手に木製の器を持ち、器には白い山茶花が盛られている。恐らく四季折々の花が置かれるのだろう。

 女性は氷輪と琥珀に隣って座るよう誘導し、一度退出。再度やって来ると、木製の盆に黒の湯飲みに入れられた麦湯を二人分と、唐菓子を沢山入れた木製の器を二人の近くに丁寧に置いた。そして正座をし

「しばしごゆるりとお寛ぎくださいませ」

 と声をかけ、深々と頭を下げると入り口の襖を閉め、去って行った。琥珀は玄関口から終始恐怖に怯えていた。廊下にもところどころ飾られている武者姿のカラクリ人形が、本当に生きているようで気味が悪いのだ。この部屋に入っても何かに見張られているようで落ち着かない。

「どうした? 怖いか?」

 氷輪は優しく尋ねた。

「え、あ……」

 トクン、その柔らかな声に自動的に鼓動が踊る。意地を張るつもりだった。余計な心配をさせたくなかったから。自分を真っすぐに見つめる優しい眼差しに、自然に頬が熱くなる。堪えられなくて、不意に視線を横に外した。

「う、うん……少しだけ……」

 けれども口から飛び出して言葉は自分でも驚くほどか細く、そしてか細い声だった。もう、随分昔に封印した筈の、蕾になる前に自らが摘み取った花の部分。

(あぁ、やはり隠していても隠し切れない。琥珀は女の子なんだ……)

 いつになく弱々しい様子の琥珀に、氷輪は胸の奥からグッと温かいものが溢れ出た。隣に居る、華奢でか弱に自然に右手が伸びる。さながら満開の桜の枝を手繰り寄せるように丁寧にそして繊細に。

「すまないな。お前の意思を無視してしまったな……」

 右手はやすやすと華奢な存在を己の胸に引き寄せた。

(兄者の鼓動が聞こえる。こうしてると凄く安心する……)

「ううん、大丈夫。何があっても、ついていくって決めてるし。それに、本当に危険を感じたら止めてるもん、あたしが……」

 琥珀はまるで夢の中にいるようにふわふわした気持ちになっていた。氷輪の腕の中でほろ酔いしてしまったように。それは二人に訪れた束の間の夢の時間だった。

(ん? 今あたしって……?)

 ぼんやりと己の言動を振り返る。

(……あぁ、琥珀はまぎれもなく女の子なのだ……。いくら、強がって粗野に振る舞っても。だからこそ私が守らなくては……)

 氷輪は決意を新たにする。そして夢の時間は唐突に終わりを告げた。見つめ合う二人は、同時にボッと火がついたように真っ赤になる。氷輪はパッと腕を放し、同時に琥珀はササッと二人分ほど間を開けて離れた。

「あーーーっ、ていうかほら! この部屋もなーんか落ち着かないんだよなーーー、ずっと見張られてるみたい、つつーかさー」
「そうだな、見事なカラクリ人形だ。それに、天上に能面が沢山かけられている。終始見られている気がするのはそれだろう」

 二人とも膝を抱え、琥珀は右手を、氷輪は左手を見ながら誤魔化すようにして互いに早口でまくしたてた。

「ん? えっ? 天井?」

 琥珀は氷輪の言葉の意味をやや遅れて反芻し、その意味を理解。恐る恐る天井を見上げた。

「ひっ、ひっ、ひぃーーーーーーー!」

 大きな悲鳴をあげそうになるところを、両手で口元をおさてて必死に声を呑みこむ。氷輪の言葉通り、その部屋の天井は能面で埋め尽くされていた。よく見ると一つ一つ表情が異なり、部屋の四隅に置かれた燭台の灯りの揺らめきが創り出す影で、能面が笑っているように泣いているようにも見え、一種異様な雰囲気を醸し出していた。

 スタスタヒタヒタ……廊下より複数の足音が近づく。琥珀は麦湯に右手を伸ばし、ゴクゴクと二口ほど飲こむとホッと一息つき、元の場所に戻って姿勢を正した。そして隣で心配そうに見ていた氷輪に、大丈夫だというように笑って見せた。

 トントントン、と入口の襖を叩く音。

「失礼致します。幸成でございます」

 と声が響いた。
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