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第二十七話

戸惑い

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 パチパチと火の粉が弾け、空に舞った。二、三人があたるには十分過ぎるほどの炎に、細い枝で頭の先から尻尾まで貫かれた魚が六匹ほど。ほぼ等間隔に地に突き立てられ、こんがりと焼かれていた。香ばしい香りが、食欲を刺激する。少し離れた場所ではサラサラと清流が流れている。幅が狭く流れが速いわりには浅い事から、かなり上流の方であると思われる。

 どうやら山内に流れる川辺に火を焚いているようだ。岩場にせり出すようにして枝を伸ばす樹木。枝には墨染の直綴じきとつや、白脚絆しろきゃはん、風呂敷などかなりの数のものが干されており、その下には控えめに焚火がちょろちょろと燃えている。炎から少しだけ離れたところに、枝を地に突き立て飛ばないように上手く石を重りにして網代笠が二つ立て掛けてあった。

 パシャッパシャッと水を弾く音が響く。象牙色の華奢な腕が伸びる。その手は水面に髪を浸しつつ丁寧に洗っている琥珀の姿である。右手には竹筒を持ち、頭からゆっくりと中の液体注ぎ、全身がその液体で濡れるようにして左手を使っている。少し白濁したそれは米の研ぎ汁である。少し前に滞在した際、親切な村人から米を頂いたのだ。研いだ米は、氷輪が持参していた鉄製の小さな鍋に入れ、魚を焼いている傍で細く切った竹などで火力を調整し、炊く事に奮闘中だ。青みがかった白い肌に薄っすらと汗をにじませ、蜂比礼を体に巻きつけ、布を頭に巻いている姿は滑稽であるのにも関わらず、どこか妙に艶めかしい。

(女、と言ってもちっともおかしくないもんなぁ、兄者。だからやたらめったら色気を巻き散らしてるっつーかさぁ)

 と琥珀は分析する。川辺に置かれていた竹桶を取り、ゆっくりと髪を浸す。一本一本丁寧に。ふわっと柔らかな甘い香りが髪全体を包み込んだ。竹桶の中には、咲き立ての藤袴が水に浸けられてるのだ。これは髪を米の研ぎ汁や米ぬか等で洗髪した後の艶出しと香りづけに使用された。貴族や武将の娘などの高貴な女性は椿油や薫物で髪の香りづけをするが、庶民には高価過ぎて手が出さない。そこで編み出された生活の知恵の一つだ。

「ふぅ、なんつーか、お上品な甘い香り」

 竹桶に藤袴を戻し、川の水を入れてから川辺に戻す。後で氷輪にも使って貰う為だ。そして川辺の岩に腰をおろし、足先だけを水に浸した。竹桶の近くに畳まれている布を取り、胸から膝の上を覆う。そして未明、村を出る際の事を思い返した。

「行ってしまわれるのですか?」
「もう少し居てくださって宜しいのに」

 若い娘たちが、名残惜しそうに氷輪を取り囲む。

「これ、持って行きな」
「これも、これもね」

 既婚女性たちは、野菜や米、塩や餅などをあれもこれもと持たせる。

「何から何までご親切に。本当に有り難い限りです」

 極上の笑みで応じる氷輪。

(出た! 『女殺しの笑み!』 無意識にたぶらかしてるし。ほらぁ、女同士で火花散らしてるかんかよ!? 生娘はともかく、既婚の女どもは何なんだよ? 全く!)

 琥珀はハラハラしながら見守る。そして何故かイライラした。

「坊主、兄貴に迷惑かけんなよ? ほら、こっちが血止めの薬草。これが熱の病ん時に」
「ほれ、草鞋だ。二足あるから持ってけ」
「大和の国にいくなら、美濃と尾張の境目を行くと旅も楽しめるぞ!」

 琥珀は琥珀で、村の男たちに取り囲まれていた。彼らもまた、若い女や妻たちの氷輪への反応に複雑な思いを抱きながらも、琥珀の前では余裕のある大人の男の素振りを見せる。

「兄ちゃんたち! 有難う! すっげー助かる!」

 琥珀は満面の笑みで応じた。



「なんだか大荷物になっちまったな。有り難いけどさ。野武士どもや狼なんかに狙われないようにしないと」

 村を出てしばらくして、琥珀は苦笑した。

「そうだな。あの村はかなり豊かだった。畑も田も肥えていたし。故に、人々には他者を思いやる余裕があるのだろうな」

 氷輪は冷静に状況を分析している。

「あーぁ、やっぱり無自覚なんだなぁ」

 琥珀は呆れたように氷輪を見上げた。

「ん? 何の事だ?」
「兄者の美貌に、女たち夢中になってたじゃんかよ」
「そうか? 元服を迎えたばかりの若造と子供の雲水が珍しかっただけだろ? 現に、琥珀も囲まれていたではないか」

(万一、女の子だと男たちにバレたら……)
 
 氷輪は秘かにハラハラして琥珀を見守っていた。気安く琥珀の肩や頭を叩いたり触れたりする男たちに苛立ちに似た感情を覚えていた。モヤモヤする感情の中に、僅かながらの焦燥感も自覚しそんな己に酷く戸惑いながら、適当に女性たちの会話を受け流していた。

「つーか俺は男同士だし。兄者とは訳が違うだろ、て」

 琥珀は溜息混じりにこたえ、「ま、いっか」と言って苦笑した。少し歩いていくと、ほんのりと甘い香りが風に乗って漂って来る。氷輪はにわかに目を輝かせ、小走りで先を急いだ。「兄者?」不思議に思って後を追う琥珀。氷輪は道端に咲く花の香りを楽しんでいる。

「琥珀、藤袴だ」

 と氷輪は降り返った。瞳がきらきらしている。

「藤袴か。やっと、秋が来たなぁ」

 琥珀は藤袴の香りを胸いっぱい吸い込んだ。

「少し花を頂いていこう」

 氷輪は嬉しそうに言う。

「花摘み? どうするんだ?」
 
 琥珀は不思議そうに問う。

「水に浸して、髪を洗った後の香りづけに使うのだ」

 と唇が穏やかな弧を描いた。

(出た、『花笑み』……)

 琥珀はそう思った瞬間、氷輪の右手が網代笠の中を縫うようにして琥珀の右耳の上に伸びる。その手には藤袴が一枝。

「な、何だよ? 花かんざしなんてお、女みたいな……」
「早速、水浴びしよう。この先の山の中に、川があると聞いた」
「お? お、おう」

 氷輪は琥珀が頬を茜色に染めて抗議しようとするのを柔らかく遮り、藤袴本体に花摘みをする許しを請うようにして両手の平を胸の前で合わせ、静かに目を閉じた。その姿に、妙に胸がドキドキした。藤袴を飾られた場所が熱い……



(もしこれから兄者に好きな女が出来たら、俺の居場所は……どうなるんだろうな……。兄者に惚れられて、断る女がいるとも思えないし。親父みたいに……)

 琥珀は虚ろな眼差しで虚空を見上げた。

(その時はその時だ! 兄者の最終目的は嫁探しなんかじゃない筈だし。今はまだ、二人の時を大事にしよう)

 気を取り直し、すっくと立ちあがった。

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