上 下
29 / 110
第二十一話

贄の里・その二

しおりを挟む
「はて? どういう事かお尋ねになられましても、私には何の事かさっぱり。私はただ、人間どもと人柱の約定の均衡を図り、監視する役目を任されているだけでございます故」

 月黄泉命はさも困惑したというように眉を潜め、かぶりを横に振った。禍津日神はフン、と小馬鹿にしたように鼻で笑う。そして口を開いた。

「では、質問を変えましょう。何故、贄の代替わりの時期を引き伸ばしたのです?」  

 まさに禍々しいほどに赤黒い瞳が、鋭く月黄泉命を捉える。

(こやつめ、何を考えておる?)

 そう思いながら、月黄泉命の真の心を見透そうと夜空を思わせるの瞳の奥をじっと見据えた。深い藍色の双眸は、夜の海底を思わせるほど静かで、そして不気味なほど何も伝わって来ない。ただ真っすぐに禍津日神を見つめ返しているだけであった。禍津日神自身も己の心を読まれぬよう、防御の術をかける。神々の術は、大抵は思うだけでかけられるようだ。

(……心を読ませぬよう、防御の術を施したか。ふん、生意気な。天照大神あまてらすおおみかみ様の弟である事を良い事に、好き放題しおって)

 禍津日神は忌々し気に月黄泉命一瞥くれると、

「……ふん、相も変わらず食えない奴ですね」

 と吐き捨てるように言った。月黄泉命は、何の事か分から無いというように困惑した表情で禍津日神を見つめる。そして次の瞬間、いつもの冷酷なまでに冷たい表情に戻る。禍津日神は思わず背筋がゾクリとした。そんな己を認めたくなくて、殊更尊大な態度で跪いたまま見上げる月黄泉命を見おろす。

「贄の代替わりの時期を伸ばしたのは、そろそろ人間どもの歴史が変わって来ているからですよ。それに応じて、変えていく段階にきていると判断したからです」

 凍てついたように無表情のまま、月黄泉命は淡々と言葉を紡いだ。

「そのような事、国之常くにのとこ……」
国之常立神くにのとこたちのかみ様はとうにご存じで御座いますよ」
「な、何?」
「三代目の贄は、娘であった事。まさか、お忘れになられた訳ではありますまい?」

 月黄泉命に気圧されそうになるも、必死に威厳を保とうと和の国を守り繁栄を司る神の名を挙げようとする。だが、月黄泉命は冷たく遮った。そして根本を諭すように言った。

「……今が、その時だと言うつもりなのですか?」

 口惜しそうに赤い唇を歪ませる禍津日神。まるで獲物を食らったかのように血が滴り落ちて見える。月黄泉命はそれには直接こたえず意味あり気に微笑むと、「……では、失礼を」と一声かけ丁寧に頭を下げた後、スッと消えた。

「……今に見ておれ!」

 月黄泉命が消えた辺りを睨みつけ、禍津日神は腹ただし気に呟いた。



「ささ、遠慮せずにどうぞどうぞ」

 女はそう言って、かぶらの塩漬けをざっくり切ったものと餅を焼いたものを器に盛って振る舞う。素朴な木製の台の上には、竹筒の湯飲みが置かれ、お湯がたっぷりそ注がれているものが五つ並んでいた。氷輪と琥珀は、村人たちの熱心な誘いを断り切れず、誘われるままに近くだという女の家に上がり込む。狭いながらも小奇麗にされている部屋だ。入口から遠い席に氷輪、その左隣に琥珀、氷輪の向かい側に男が三人腰をおろしていた。女は自分の湯飲みを持って、だいどころ近くの場所に座る。

 氷輪も琥珀も網代笠を脱いでいるが、その異形なる髪色を隠すべく、氷輪は蜂比礼を、琥珀は白い布をすっぽりと頭を覆っている。更に、目元に影が出来眸の色が黒っぽく見えるように工夫して額の部分の布がせり出すようにしていた。

……気をつけよ、マガイモノ……

 氷輪の懐にしまわれた観世音菩薩が、そう伝えてきているような気がした。

『兄者……』

 違和感と得体の知れない恐怖を感じ取った琥珀は、不安そうに小声で囁く。

「では、お言葉に甘えまして……」
『て、兄者、駄目だってば!』

 湯飲みに手をつける氷輪を、琥珀は必死で止めようと両手で氷輪の右腕にしがみついた。氷輪は琥珀に穏やかに微笑んで見せると、湯飲みを口に運んだ。そして一口飲み込む。

「兄者!!!」

 琥珀が叫ぶのと、氷輪が湯飲みを手からはなし、そのまま中の湯がこぼれ落ち膝を濡らす。そして崩れるように台に額をつけるのとが同時であった。

「兄者! 兄者!! しっかりしてくれっ!」

 琥珀はサッと立ち上がり、意識を失った氷輪の背後に回ると両手で氷輪の両肩をゆすった。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

御機嫌ようそしてさようなら  ~王太子妃の選んだ最悪の結末

Hinaki
恋愛
令嬢の名はエリザベス。 生まれた瞬間より両親達が創る公爵邸と言う名の箱庭の中で生きていた。 全てがその箱庭の中でなされ、そして彼女は箱庭より外へは出される事はなかった。 ただ一つ月に一度彼女を訪ねる5歳年上の少年を除いては……。 時は流れエリザベスが15歳の乙女へと成長し未来の王太子妃として半年後の結婚を控えたある日に彼女を包み込んでいた世界は崩壊していく。 ゆるふわ設定の短編です。 完結済みなので予約投稿しています。

あなたの子ですが、内緒で育てます

椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」  突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。  夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。  私は強くなることを決意する。 「この子は私が育てます!」  お腹にいる子供は王の子。  王の子だけが不思議な力を持つ。  私は育った子供を連れて王宮へ戻る。  ――そして、私を追い出したことを後悔してください。 ※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ ※他サイト様でも掲載しております。 ※hotランキング1位&エールありがとうございます!

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

魅了だったら良かったのに

豆狸
ファンタジー
「だったらなにか変わるんですか?」

初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話

ラララキヲ
恋愛
 長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。  初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。  しかし寝室に居た妻は……  希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──  一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……── <【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました> ◇テンプレ浮気クソ男女。 ◇軽い触れ合い表現があるのでR15に ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇ご都合展開。矛盾は察して下さい… ◇なろうにも上げてます。 ※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)

【完】あの、……どなたでしょうか?

桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー  爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」 見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は……… 「あの、……どなたのことでしょうか?」 まさかの意味不明発言!! 今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!! 結末やいかに!! ******************* 執筆終了済みです。

スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活

昼寝部
ファンタジー
 この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。  しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。  そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。  しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。  そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。  これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。

おっさん達のTRPG日記 ~七人の《魔導書使い》が四篇の《聖典》を奪い合いながら迷宮戦争やってみた!~

書記係K君
ファンタジー
剣と魔法の幻想世界・リンガイア大陸―― この世界には、自らの霊魂から《魔導書-デッキ-》を創り出し、神与の秘術《魔法-ゴスペル-》を綴り蒐集し、 神秘を使役する《魔導書使い-ウィザード-》と呼ばれる者達がいた。彼らが探し求めるのは、 あらゆる願望を叶えると云う伝説の魔導書《聖典》――。 この物語は、聖遺物《聖典》が封印された聖域《福音の迷宮》への入境を許された 選ばれし七人の《魔導書使い-ウィザード-》達が、七騎の《英雄譚-アルカナ-》を従えて 七つの陣営となり、四篇に別れた《聖典の断章》を蒐集すべく奪い合い、命を賭して覇を争う決闘劇。 其の戦いは、後世に《迷宮戦争》と謳われた―― ――という設定で、おっさん達がまったりと「TRPG」を遊ぶだけのお話だよ(ノ・∀・)ノ⌒◇

処理中です...