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第十九話
相棒
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「え? 琥珀?」
氷輪も男も、驚いて琥珀を見つめる。しっかりと髪をまとめ上げて網代笠を目深に被っており、瞳の色は黒にしか見えない。琥珀は迷わず男の傍にしゃがみ込むと、男児を覗き込んだ。そして何かに納得するように頷くと、
「ごめんよ、坊主」
と声をかけ、だらんと垂れている男児の素足の裏をくすぐり始める。ピクンと足を蹴り上げる男児。乾いた地に、砂埃は舞う。
「ちょっと、何を……」
「これ、琥珀、病の童に……」
慌てる男に、止めようと駆け寄る氷輪。琥珀は構わずに今度は男児の脇腹をくすぐる。男児は小刻みにふるえ、耐え切れずにクス、ククッと笑い声を漏らす。氷輪は琥珀の行動に何か訳があるのだろうと
「ぼ、坊!」
男はやや咎めるように声をかけ、琥珀の手を払いのけようと手を伸ばす。それにもめげず、琥珀は更に男児の脇腹を両手でくすぐり続ける。すると男児は
「ふふっ、くふふふっ、ははは、くすぐったい、辞めてよー」
と身をよじり、男の腕から滑り落ちた。そしてペタンと地べたに座り込むと、ぱっちりと目を開いた。
「ぼ、坊、体は大丈夫かい?」
慌てて取り繕う男に、スッと立ちあがった琥珀は侮蔑の眼差しを向けた。男児はしまった、というように男の背中に這って回り込み、隠れる。
「なーにが坊、体は大丈夫かい? だよ。この大嘘つきめが!」
琥珀は両手を腰にあて男を威圧するように見下ろす。
「う、嘘など、なんと失礼な。見習い僧侶として大目に見てやれば……」
「琥珀? これはどういう事です?」
怒りで顔を真っ赤にする男を、氷輪はやんわりと遮るようにして琥珀に声をかけた。琥珀は盛大に溜息をつくと、
「どういう事も何も、この男はこうやって稼いで来たんだよ」
と、氷輪を振り返り呆れたように答えた。
「こうやって……とは?」
「何だよ兄者、分からないのかよ?!」
(やれやれ、これだから良いとこ育ちの奴は……)
本当に分からない様子の氷輪に内心で毒づきながらも男を指さす。
「つまりな、子供に病のふりをさせて通りすがりの人に同情を誘って、食べ物や布なんかの金目のもの、銭なんかを施させるのさ」
「な、何を失礼な、言いがかりも甚だしい……」
男は図星だったと見えて赤くなったり青くなったりして憤慨している。男児に至っては男の背中に隠れたまま出て来ない。
「何とそれでは、あの子は病ではないと言うのですか?」
氷輪は驚いたように眉を上げる。
「こんな顔色よくてぽてぽてした病人がいるかよ?!」
「……確かに、少しふっくらしてますね。それでは、病では無いのですね?」
「だから、そうだってさっきから言ってるだろ? こうやって奪ったもんで、良いもん食わせてるからガキは肥えてる、て訳さ」
氷輪は嬉しそうに琥珀の隣に並び、男に笑いかけた。
(……おい、何嬉しそうに笑ってんだよ? こいつ、頭大丈夫か?)
琥珀は本気で心配になった。男は諦めたように不貞腐れて氷輪を見上げた。
「良かった。本当に病なら、医術の心得のある者を探さねばと思いました。どこにいるかも分からないですから、探している間に体が弱ってしまう。本当に良かった」
氷輪は安堵の笑みを漏らす。
「おい、兄者! 良いのかよそれで? 騙して銭を取ろう、身ぐるみはがそうとされたんだぞ?」
琥珀は男と氷輪の間に割って入り、食ってかっかった。
「良いではありませんか。こうして私たちは無事ですし、童は元気なのですから。それに、ご自分の事はさておき、子供に満足に食べさせるとは殊勝な事ですよ。さ、先を急ぎましょう」
さ、先を急ぎましょう」
軽やかに応じる氷輪。
(確かに、それは一理あるな、やり方は汚ねーけど、我が身可愛さに子どもを殺したりなんざ、ざらにあるもんな。……仕方ねぇなぁ。やっぱり兄者には俺がついててやんないと、危なくて見てらんねーやな)
立ち去る間際、氷輪は悔しそうに体を震わせる男を振り返る。
「童が病でなくて本当に良かった」
とにこやかに声をかける。そしてスッと真顔になると、声質を一段落として言葉を続けた。
「……ですがあなた、お気をつけなさいませ。言霊と申しまして、そう言っているとしまいには本当に童が重い病に罹ってしまいますから」
と冷たい眼差しで男を見据えた。思わずその眼差しに、男の背筋にゾクリと冷たいものが走る。
「では、お気をつけなさいませ」
氷輪は再び品の良い笑顔を向けた。そして琥珀を伴い、歩き始めた。錫杖の音が遠ざかっていく。
「ほー、びっくらこいたー。なんだあの坊さん」
男はへなへなと腰を抜かしたように尻もちをつく。
「おとう、どうしたの?」
男児は無邪気に問いかけた。男は子の頭を撫でながら、
「そうだな、お前が本当に病になったら大変だ。坊、取りあえず家に帰るか」
と力なく笑った。
「どうした? 琥珀」
隣で自分をまじまじと見つめ、見上げている彼に声をかける。
「いや、さっきのおっちゃんに、しっかり釘さしてたな、て思ってさ」
(つーか、怖かったなーあの眼差し。ゾッとしたぜ)
琥珀は思い返し、背中に冷たい汗が流れるのを感じた。
「あぁ、あのままあんな事続けていたら、言霊の件もそうだけれど。逆に上前をはねようとする者もいるし。命の危険にさらされそうだと感じたからね」
さらりと言ってのける氷輪に琥珀は驚く。
「感じたって、兄者、先読みの力があるのか?!」
「先読み? ははは、まさか。ただの勘だよ。だから当たるも八卦当たらぬも八卦さ。でも、気をつけるに越した事ないだろ?」
「そりゃ、まぁな」
(兄者、何者なんだ? 一体)
穏やかな表情で歩く氷輪を見て、琥珀は畏敬の念を覚えた。
氷輪も男も、驚いて琥珀を見つめる。しっかりと髪をまとめ上げて網代笠を目深に被っており、瞳の色は黒にしか見えない。琥珀は迷わず男の傍にしゃがみ込むと、男児を覗き込んだ。そして何かに納得するように頷くと、
「ごめんよ、坊主」
と声をかけ、だらんと垂れている男児の素足の裏をくすぐり始める。ピクンと足を蹴り上げる男児。乾いた地に、砂埃は舞う。
「ちょっと、何を……」
「これ、琥珀、病の童に……」
慌てる男に、止めようと駆け寄る氷輪。琥珀は構わずに今度は男児の脇腹をくすぐる。男児は小刻みにふるえ、耐え切れずにクス、ククッと笑い声を漏らす。氷輪は琥珀の行動に何か訳があるのだろうと
「ぼ、坊!」
男はやや咎めるように声をかけ、琥珀の手を払いのけようと手を伸ばす。それにもめげず、琥珀は更に男児の脇腹を両手でくすぐり続ける。すると男児は
「ふふっ、くふふふっ、ははは、くすぐったい、辞めてよー」
と身をよじり、男の腕から滑り落ちた。そしてペタンと地べたに座り込むと、ぱっちりと目を開いた。
「ぼ、坊、体は大丈夫かい?」
慌てて取り繕う男に、スッと立ちあがった琥珀は侮蔑の眼差しを向けた。男児はしまった、というように男の背中に這って回り込み、隠れる。
「なーにが坊、体は大丈夫かい? だよ。この大嘘つきめが!」
琥珀は両手を腰にあて男を威圧するように見下ろす。
「う、嘘など、なんと失礼な。見習い僧侶として大目に見てやれば……」
「琥珀? これはどういう事です?」
怒りで顔を真っ赤にする男を、氷輪はやんわりと遮るようにして琥珀に声をかけた。琥珀は盛大に溜息をつくと、
「どういう事も何も、この男はこうやって稼いで来たんだよ」
と、氷輪を振り返り呆れたように答えた。
「こうやって……とは?」
「何だよ兄者、分からないのかよ?!」
(やれやれ、これだから良いとこ育ちの奴は……)
本当に分からない様子の氷輪に内心で毒づきながらも男を指さす。
「つまりな、子供に病のふりをさせて通りすがりの人に同情を誘って、食べ物や布なんかの金目のもの、銭なんかを施させるのさ」
「な、何を失礼な、言いがかりも甚だしい……」
男は図星だったと見えて赤くなったり青くなったりして憤慨している。男児に至っては男の背中に隠れたまま出て来ない。
「何とそれでは、あの子は病ではないと言うのですか?」
氷輪は驚いたように眉を上げる。
「こんな顔色よくてぽてぽてした病人がいるかよ?!」
「……確かに、少しふっくらしてますね。それでは、病では無いのですね?」
「だから、そうだってさっきから言ってるだろ? こうやって奪ったもんで、良いもん食わせてるからガキは肥えてる、て訳さ」
氷輪は嬉しそうに琥珀の隣に並び、男に笑いかけた。
(……おい、何嬉しそうに笑ってんだよ? こいつ、頭大丈夫か?)
琥珀は本気で心配になった。男は諦めたように不貞腐れて氷輪を見上げた。
「良かった。本当に病なら、医術の心得のある者を探さねばと思いました。どこにいるかも分からないですから、探している間に体が弱ってしまう。本当に良かった」
氷輪は安堵の笑みを漏らす。
「おい、兄者! 良いのかよそれで? 騙して銭を取ろう、身ぐるみはがそうとされたんだぞ?」
琥珀は男と氷輪の間に割って入り、食ってかっかった。
「良いではありませんか。こうして私たちは無事ですし、童は元気なのですから。それに、ご自分の事はさておき、子供に満足に食べさせるとは殊勝な事ですよ。さ、先を急ぎましょう」
さ、先を急ぎましょう」
軽やかに応じる氷輪。
(確かに、それは一理あるな、やり方は汚ねーけど、我が身可愛さに子どもを殺したりなんざ、ざらにあるもんな。……仕方ねぇなぁ。やっぱり兄者には俺がついててやんないと、危なくて見てらんねーやな)
立ち去る間際、氷輪は悔しそうに体を震わせる男を振り返る。
「童が病でなくて本当に良かった」
とにこやかに声をかける。そしてスッと真顔になると、声質を一段落として言葉を続けた。
「……ですがあなた、お気をつけなさいませ。言霊と申しまして、そう言っているとしまいには本当に童が重い病に罹ってしまいますから」
と冷たい眼差しで男を見据えた。思わずその眼差しに、男の背筋にゾクリと冷たいものが走る。
「では、お気をつけなさいませ」
氷輪は再び品の良い笑顔を向けた。そして琥珀を伴い、歩き始めた。錫杖の音が遠ざかっていく。
「ほー、びっくらこいたー。なんだあの坊さん」
男はへなへなと腰を抜かしたように尻もちをつく。
「おとう、どうしたの?」
男児は無邪気に問いかけた。男は子の頭を撫でながら、
「そうだな、お前が本当に病になったら大変だ。坊、取りあえず家に帰るか」
と力なく笑った。
「どうした? 琥珀」
隣で自分をまじまじと見つめ、見上げている彼に声をかける。
「いや、さっきのおっちゃんに、しっかり釘さしてたな、て思ってさ」
(つーか、怖かったなーあの眼差し。ゾッとしたぜ)
琥珀は思い返し、背中に冷たい汗が流れるのを感じた。
「あぁ、あのままあんな事続けていたら、言霊の件もそうだけれど。逆に上前をはねようとする者もいるし。命の危険にさらされそうだと感じたからね」
さらりと言ってのける氷輪に琥珀は驚く。
「感じたって、兄者、先読みの力があるのか?!」
「先読み? ははは、まさか。ただの勘だよ。だから当たるも八卦当たらぬも八卦さ。でも、気をつけるに越した事ないだろ?」
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