上 下
8 / 110
第六話 

闇に蠢くモノ

しおりを挟む
 ズズ、ズズズ、ズズ……静まり返った闇のしじまに、地を這うような音が響く。聞いていると全身に鳥肌が立ちそうなほど不快な音だ。消し墨色の叢雲に覆われた夜空には、月も星も見えない。虚ろな闇を映し出すのみだ。

 蛙が田を無邪気に散歩していた。ピョコピョコと上機嫌で。突如、ビクッと身を震わせる。そして右斜め前を凝視した。瞬時に弾かれたように左横に飛び上がると、物凄い速さでそのまま一目散に逃げ去っていった。蛙は何を見たのだろう? 或いは何かを感じ取ったのか。

 ズズズ、ズズ……再び何かが地を這う音が響く。先程蛙が凝視していた方向だ。黒く塗り潰したような闇の中、蠢くモノの正体は見えない。

 ズズ、ズズズ、ズズズズ……耳を澄ませば、引きずり這いずるような音に混じってフゥーフゥーと喘ぐような吐息が聞こえて来る。更に、何かブツブツと呟くような声が。

 ズズズ、フゥ……ズズズズ、我二……贄ノ……ズズズ、ズズ……フゥ……力ヲ……ズズ、ズズ

 その何かはそう呟きながら目的地に進む。


 その頃、陰陽師である有恒が護摩焚きの炎を前にして立ち、目を閉じて両手で印を結びながら一心不乱に唱えていた。

……ノウマク サンマンダ ボダナン エンマ ヤソワカ…… 

 額に汗の玉が光る。首筋にも汗が滝の如く流れ、白い狩衣を濡らしていた。少し離れた背後に、姿勢を正して目を閉じ、静かに祈りを捧げる佳月と椿。そして二人に守られるようにして間に正座し、目を閉じて小さな両手を胸の前に合わせ祈りを捧げる羅睺の姿があった。

……ノウマク サンマンダ ボダナン エンマ ヤソワカ…… 

 有恒は唱えながら静かに目を開いた。同時に口をつむぐ。そして右手を高く掲げ、そのまま印を結ぶ。それから手を元の膝の上に戻し、丁寧に頭を下げた。座ったまま、両腕をつかってゆっくりと後ろ向く。

「そろそろ、闇のモノが動き出したようですな」

 厳かに口を開いた。その声に、佳月と椿、羅睺は祈りを中断し、静かに目を開ける。

「……そうか、ついに……」

 佳月は悲し気に答えた。椿もまた、その瞳に憂いを宿す。羅睺は無邪気に、有恒と両親を交互に見て、不思議そうに小首をかしげた。

「闇のモノが動き始めたという事は、光のモノも察知し始めると見て良いかしら?」

 微かに震える声で、椿は尋ねた。

「ええ、そう見て間違い無いでしょう。すぐに、蜂比礼はちのひれを使えるように儀式を致しましょう! 最早一刻の猶予もなりません!」

 有恒は急き込んで答えた。

「では、急ごう」

 佳月は息子の頭を撫でながら応じた。羅睺は嬉しそうに父親を見上げる。椿はそっと袖で目元を拭った。

 人柱である羅睺が成長していくにつれ、人外のモノが彼を我が物にしようと動き出すのだ。その穢れなき魂と未知なる力に惹かれるのか、或いは彼を守る御宝が目当てなのかは定かではないが。人柱として捧げるまで、何としても羅睺を守り切らねばならない。その為にこうして定期的に陰陽師にうらないと祈祷をさせてたいた。

 これもまた、代々受け継いで来た事なのであった。

 
「きれいだな……」

 羅喉は呟いた。その両手には内側から光を放つように輝いた、青みがかった純白の布を手にしている。菖蒲と蓬と白檀の入り混じったような、魔除けと清め薫物たきものの香りが清々しい。

『これはね、蜂比礼はちのひれと呼ばれる魔除けの布なんだよ。天空からの邪霊、魔物、妖魔、悪霊から身を守る御宝でね。霊、魔物、妖魔、悪霊などの不浄なモノの上に被せる事で、魔を封じ込める事も可能だと言われてるんだ』

 父親に連れられ、父親の声と共に秘密の部屋に祀られていた布を初めて見た時の感動が甦る。

 昨夜、陰陽師の有恒の儀式の元、羅喉にこの蜂比礼はちのひれが手渡されたのだ。眠る時も食事の際も、湯浴みの時も、肌見離さず持っているように、と両親から言い聞かせられている。外出する際は母親が心を込めて作った卯の花色の麻袋に入れて持ち運ぶのだ。合わせて、地より這い出る魔物や妖の類からも身を守れるよう、有恒より霊符を受け取っていた。それは常に懐へ入れている。布は七つである羅喉がしとねとして身に着けるにはまだ大き過ぎた。

「ふしぎだな、何代も前から使用されているのに、ちっとも汚れないなんて」

 無邪気に呟く羅喉は心なしか嬉しそうだ。どうやら本能的に、その布を見ると守られているような気がして気もちが落ち着くようだ。


…ズズズ……ズズズズ……ズズ

 再び、夜の闇に地を這うモノ。今宵は上弦の月が僅かにそのモノを照らす。畦道を行くそれは、鉛色のテラテラした鱗、大人の胴体ほどあろうかと思われる太さ、そして長い。まるで大蛇のようだ。顔は苦悶の表情を浮べた落ち武者のようだ。土気色の肌に赤黒い舌がチロチロと覗く。それは無数の人間の嫉妬や逆恨み、執着などの負の感情より生まれた魔物であった。二階堂の城に向かって這い出てきた。

我二……贄ノ……ズズズ、ズズ……フゥ……力ヲ……ズズ、ズズ

 目指す先は羅喉。七才から元服前の人柱を食らえば、不老不死の上に富と地位と名声が得られると信じられていた。その為、人柱となる子供は七つの時から元服を迎えるまでは家宝である蜂比礼はちのひれを身に着けるようになっていた。

……ズズズ、フゥ……ズズズズ、何故……ズズズ……気配ガ消エタ? 術ヲ使ッタカ……

 魔物は口惜しそうな表情を浮べる。そしてゆっくりと踵を返した。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

御機嫌ようそしてさようなら  ~王太子妃の選んだ最悪の結末

Hinaki
恋愛
令嬢の名はエリザベス。 生まれた瞬間より両親達が創る公爵邸と言う名の箱庭の中で生きていた。 全てがその箱庭の中でなされ、そして彼女は箱庭より外へは出される事はなかった。 ただ一つ月に一度彼女を訪ねる5歳年上の少年を除いては……。 時は流れエリザベスが15歳の乙女へと成長し未来の王太子妃として半年後の結婚を控えたある日に彼女を包み込んでいた世界は崩壊していく。 ゆるふわ設定の短編です。 完結済みなので予約投稿しています。

初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話

ラララキヲ
恋愛
 長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。  初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。  しかし寝室に居た妻は……  希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──  一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……── <【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました> ◇テンプレ浮気クソ男女。 ◇軽い触れ合い表現があるのでR15に ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇ご都合展開。矛盾は察して下さい… ◇なろうにも上げてます。 ※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

【完】あの、……どなたでしょうか?

桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー  爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」 見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は……… 「あの、……どなたのことでしょうか?」 まさかの意味不明発言!! 今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!! 結末やいかに!! ******************* 執筆終了済みです。

【完結】義妹とやらが現れましたが認めません。〜断罪劇の次世代たち〜

福田 杜季
ファンタジー
侯爵令嬢のセシリアのもとに、ある日突然、義妹だという少女が現れた。 彼女はメリル。父親の友人であった彼女の父が不幸に見舞われ、親族に虐げられていたところを父が引き取ったらしい。 だがこの女、セシリアの父に欲しいものを買わせまくったり、人の婚約者に媚を打ったり、夜会で非常識な言動をくり返して顰蹙を買ったりと、どうしようもない。 「お義姉さま!」           . . 「姉などと呼ばないでください、メリルさん」 しかし、今はまだ辛抱のとき。 セシリアは来たるべき時へ向け、画策する。 ──これは、20年前の断罪劇の続き。 喜劇がくり返されたとき、いま一度鉄槌は振り下ろされるのだ。 ※ご指摘を受けて題名を変更しました。作者の見通しが甘くてご迷惑をおかけいたします。 旧題『義妹ができましたが大嫌いです。〜断罪劇の次世代たち〜』 ※初投稿です。話に粗やご都合主義的な部分があるかもしれません。生あたたかい目で見守ってください。 ※本編完結済みで、毎日1話ずつ投稿していきます。

魅了だったら良かったのに

豆狸
ファンタジー
「だったらなにか変わるんですか?」

あなたの子ですが、内緒で育てます

椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」  突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。  夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。  私は強くなることを決意する。 「この子は私が育てます!」  お腹にいる子供は王の子。  王の子だけが不思議な力を持つ。  私は育った子供を連れて王宮へ戻る。  ――そして、私を追い出したことを後悔してください。 ※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ ※他サイト様でも掲載しております。 ※hotランキング1位&エールありがとうございます!

私はいけにえ

七辻ゆゆ
ファンタジー
「ねえ姉さん、どうせ生贄になって死ぬのに、どうしてご飯なんて食べるの? そんな良いものを食べたってどうせ無駄じゃない。ねえ、どうして食べてるの?」  ねっとりと息苦しくなるような声で妹が言う。  私はそうして、一緒に泣いてくれた妹がもう存在しないことを知ったのだ。 ****リハビリに書いたのですがダークすぎる感じになってしまって、暗いのが好きな方いらっしゃったらどうぞ。

処理中です...