「大正浪漫夢奇譚」~トキメキ朱鷺色戀物語~

大和撫子

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第陸話

其の二

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 森の中は空気が澄んでおり、木々の生い茂る葉の隙間より零れ落ちる木漏れ日が柔らかく大地に降りそそぎます。朱鷺子様は栗毛の愛馬、『春雷』に乗って風を感じておられました。本日はお嬢様方で森の奥にある小さな湖のほとりにて、ピクニックを行うそうですよ。先程も申しましたが乗合人数の都合上、瑠璃子様とそのご友人のお嬢様方を先に馬車で行って頂いた次第でございます。

 朱鷺子様は乗馬の際、頬に、髪に、全身に当たる風の感触が大層お気に入りなのでございました。御自身が、風そのものになったような気ががして。大自然と一体化出来るように感じられるからなのだそうです。

 かくいう私はと言うと、勿論自由に樹木から樹木に飛び移って朱鷺子様をおいかけたり並列したりして気ままに参ります。時と場合に応じて臨機応変に、先回りしたり後からついていったり、はたまたどなたか別の人を追いかけたり致します。あ、そうそう! 私の特技について付け加える事がございました。……実はですね、能力があるのですよ。隠蔽擬態も攻撃擬態も可能です。ね? 珍しいモモンガでしょう? 勿論、こちらも秘密です。バレたら即実験材料にされそうですし、何よりも朱鷺子様を怖がらせてしまうのは絶対に避けたいので。どうかここだけのお話にしてくださいませね?! ……と話が横に反れました、失礼致しました。

 特にこの森林一体は一ノ宮家の領地内ですし、予め許可を得て審査を通った者しか入れませんから安心して自由に走れますね。少々羽目を外して暴れるのも、故に密かに憧れていた『平塚らいてう』女史への熱い思いを日記にしたためたり、こっそりと下町娘に扮して秘密に手に入れた『青鞜社』を読み耽ったりするのも許容範囲内でしょう。

 森の小道をしばらく行くと、突然視界が開けます。そこは小さな草原のようになっており、晴れた日は木々の葉と蒼穹のコントラストが素敵です。蓮華やハルジョオン、宵待草やホオズキなど、野生の草花が目を楽しませてくれます。見上げれば春は柔らかな緑の葉と、夏は鮮やかな緑の葉、秋は紅葉、そして冬は暗緑と枯葉との蒼天が楽しめます。朱鷺子様は、木の切り株に腰をおろし、そこで『青鞜社』をお読みになる事を好んでおいででした。

 そのような訳で朱鷺子様は、予めピクニックには後から参加すると伝えておき新刊を夢中になって御覧になられていました。ここは、誰にも邪魔されず自由時間を過ごせる朱鷺子様の秘密の場所なのでございます。本日も、小一時間ほどこちらで読書を楽しまれてから向かう御予定でした。

 おや? 朱鷺子様は読書をキリの良いところで終えたご様子です、ホーッと感嘆の溜息をつかれました。満足そうに微笑むと、天を仰ぎました。

 「あぁ、平塚らいてう先生って本当に素敵……」

と夢見るように呟かれます。

 『元始、女性は太陽であった。真正の人であった。今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く病人のような青白い顔の月である。私どもは隠されてしまった我が太陽を今や取り戻さねばならぬ』

 有名なこの一文は、朱鷺子様の心を奮い立たせ希望と勇気の道標となっているのでございます。

(もし私が、一ノ宮家の長女ではなくて何処か他所の御家の末っ子とかだったら……)

 朱鷺子様の空想は翼を広げ、しばし夢の世界へと飛び立つのでした。

(バスガールになって色々な場所に行くのも素敵。タイピストも、電話交換手もいいわね。職業婦人になるの。殿方に頼らずに自立した生き方は憧れるわ)

 大きな瞳をキラキラと輝かせていた朱鷺子様の面差しに、突然陰りが。

(……現実には無理だから、せめて瑠璃子には家柄のしがらから解き放たれて、自由に生きて行って欲しいわ。その為には、私が一ノ宮家の長女としての役割をしっかりと務めないと!)

 と、決意を新たにされるのでした。私としては、朱鷺子様にも自由に生きて欲しい、と思ってしまいますけれど。

その時、朱鷺子様の背後より草を踏む音が聞こえ、同時に開いたままの御本のページに影が差し込むではありませんか! 咄嗟に身構える朱鷺子様と、草に擬態したまま戦闘態勢を取る私。朱鷺子様は何があっても私がお守り致します!!

 「お前が、美人な妹に比べて残念なだと有名な姉、朱鷺子とかいう者か?」

凛として艶のある声が響きます。声色はよく通り澄み切っているのに、その台詞は何と不躾でしょうか! それに不法侵入です! 許すまじ!!

 「なっ!」

怒りに身を震わせ、素早く立ち上がり振り返る朱鷺子様。私は飛び掛かる準備をします。とんでもない無礼者です!
どんな奴か顔を見てやりましょう。影になって顔ははっきりと見えませんが、黒のパンツに革靴、白いワイシャツというその姿から、細身の長身である事は伺えます。悔しい事に手足の長いこと。その上、細身に見えますがかなり鍛え上げて無駄な肉を削いだように感じられます。うーん……その手足、折って差し上げましょうか。

 男はゆっくりと近づいて来ます。今のところ、攻撃をしかける気配はしませんが油断なりません。

「いきなり何ですの? 名も名乗らずにお前呼わばりなんて無礼過ぎますわ! ここは私有地ですのよ?!」

 激怒する朱鷺子様、当然です! 男の身に着けている白いワイシャツですが、キチンと首までボタンを留めずに鎖骨が見えるように開けているところからして、わるで不良の匂いがプンプンします。

 「あぁ、大丈夫だ。許可は取った。何せ、お前の『婚約者候補』だからな」

ついに男の顔から影が引き、陽光に照らされます。無造作にカットされたウルフのような髪型の漆黒の髪、鋭い光を放つ漆黒の桃花眼、非常に端正な顔立ち……

 「え?」

驚愕する朱鷺子様。今『婚約者候補』とおっしゃいましたか? 朱鷺子様も私も絶句しました。そして男の顔を一目見るなり、息を呑む朱鷺子様。……悔しい事に、嫉妬の念が芽生える程の美形いい男だったのです。水も滴る……というアレです。腹立たしいので一言で表現すると、野性味を帯びた精悍な美男子ハンサムと言った感じでしょうか?

 しかし、婚約者候補なんて聞き捨てなりません! 私も朱鷺子様も、聞いておりませんよ? もしや詐欺男でしょうか?

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