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第二話
契約【一】
しおりを挟む「……さん、妃翠さん?」
ン? 名前を呼ばれている?
「あっ! は、はいっ!」
漸く我に返った。どのくらいの時間呆けていたのだろう? さぞ間抜けな面を……いやいや、今更この顔は変えられない。それよりも先ずは謝罪しないと。
「あの、失礼しました。いきなりの事で驚いてしまいまして……」
そうだよ、全く。妻だなんてもう、ファンタジーでもあるまいし。心配そうに私を見つめる透き通るような飴色の瞳が、ほんの少しブだけラウンが濃くなって見える。
「いいえ、当然の事かと思います」
あぁ、本当に良い声。落ち着いて深みのある、それでいて澄んだ……バイオリン、いや……やっぱりヴィオラだな、楽器に例えるなら。
「……秘書業務というならともかく、いきなり『妻』になんて言い出したのですから、さぞや驚いた事でしょう」
ん? え? つ、妻? 空耳ではない?
「あ、あの……つ、妻……とは?」
幻聴ではない……わよね? 驚かれた様子もない、これはしかと聞かないと。
「ええ、『妻』です。……と言いましても、まさか本気で入籍しましょう、という事ではございません、ご安心ください」
ほーらね、やっぱり人違い……て、ん? ご安心?
「それって、どういう……?」
「はい。詳細を申し上げますね」
「はい、宜しくお願いします」
うーん、これは、よく聞き込まないと。デート商法なるものかも知れない。それか、新手の詐欺かも知れない。あれだ、所謂あたしみたいな喪女を厳選してつけこむ詐欺師。残念、あたしには貢げるような金も特技も容姿もないのよ、ふふん。
「ご存じの通り、私は『スピリチュアルカウンセラー』として単独で相談を受けております」
「はい、存じ上げております」
(そうそう、それでその美貌とアドバイスの的確さ、霊験あらたかなる御力とか人気がうなぎ登りだという……。占い系やスピリチュアル系の雑誌に特集組まれているのを見た事はある)
「ご存じでしたら、話が早い。このところ忙し過ぎて、一人で業務をこなすのが厳しくなって参りました」
「はい」(うん、そりゃそうだよね)
「そこで、電話応対やスケジュール管理などをして頂ける事、かつ、霊感や透視等の超次元的な能力ではなく、統計学を始めとした学問の分野に秀でた占い師を探していました」
(ん? ん-?)
あたしはきっと、顔中に(?)マークが吹き出していたのだろう。
「大丈夫ですか? この時点で何か質問などございましたら……」
「はい、あのですね」
(これはしっかりと質問しておかないと。この彼の美貌に見惚れてよく分からないままに詐欺契約なんてされて堪るか! ダテに美人の姉目当てに近づいて来た男どもを、蹴散らして来たあたしをお舐めないでないよ!)
「忙しくなってスケジュール管理が難しくなった事がよく分かります。ですが、学問の分野に秀でた占い師が必要なのは何故でしょうか? それに、私である必要は……」
(これだよこれ。要は受付事務でしょう? それなら経理に特化した子を雇えば良いし。第一あたしは、つい先日電話占いも対面占いもクビにされたばかりだし……)
ほんの少し、喉がキュッとなって目の前が霞んだけれど。その感情を深追いしないように封印した。
「……では、これから何故あなたでなければいけなかったのか、しっかりとご説明致しますね」
よくぞ聞いてくれた、というように彼の唇が穏やかな弧を描いた。
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