「磨爪師」~爪紅~

大和撫子

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第五十話 二后並立

契り・前編

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(……しかし道長め、姉上の出産を見計らって祝言の儀と床入りを決行するとは。これでは帝も姉上の元に駆け付けられぬだろうに。まぁ、それを狙っての事だろうが嫌がらせにも程があろう)

 隆家は、一条天皇と女御彰子の祝言の儀の警護という仕事を形上だけこなし、後は下の者に任せて早々と退いた。仕事柄、祝言の儀が行われている場所の外側からの警護でホッとしていた。立場上仕方が無いとは理解しているものの、帝と女御を表面上だけでも祝うように見せる自信はさすがに無かった。

(……早急かつ強引に決行した事から見て、腕の良い陰陽師にでも卜わせたか。……もう完全に、兄上と私は恐るるに足らず、そう判断した訳か。まぁ実際そうなのだが。さて、急いで帰って身を清めて、姉上の元へ行かねば!)

 歩みを速める。積もるかと思われた雪は薄化粧をした程度に留まり、小降りとなったようだ。ほのおに完全に触れる寸前に、儚く溶けて消えて行く雪花を見て、自嘲の笑みを漏らした。

(まるで私と鳳仙花殿のようだな。熱すぎる想いは彼女を壊してしまう……)

 牛車が迎えに出ている場所に着く。「お帰りなさいまませ」いつものように敦也が頭を下げる。だが、どこかいつもとは異なる様子に足を止める。敦也の後ろには、すぐに出発出来るよう整えられた牛車と牛飼い童、従者たちが待機している……。違和感に気付いた隆家は、驚きの声をあげた。

「なんと! この雪の中ずっと待っておったのか?」

 敦也の烏帽子と脇差の刀の束の部分に、一部払い損ねた雪を見つけたのだ。その他の部分は不自然なほど雪が残されていない事から、恐らくつい先ほど、急いで体に積もった雪をはらったのだと思われる。

「いささか早く出て来てしまいまして。お待ちしている間、雪を眺めておりました」

 そう言って敦也は射るようにして隆家を見つめる。何か言いたい事があるのだろうと推測し、その視線を柔らかく、だがしっかりと受け止めた。

「そうか。それは寒かったろうに」
「いいえ、ちっとも。火照った体を冷ますにはちょうど良い冷たさでございました」

 敦也に取り繕う様子がない事が見て取れる。一刻も早く定子の元へと駆けつけたい隆家は、婉曲的に表現する事を辞めた。

「……何があった?」

 鋭い視線で敦也を見据える。

「折り入ってお話がございます」

 敦也は一歩も引かずにあるじの視線を真っすぐに受け止めた。


……無事に御生まれになって、本当に良かった。それにしても、道長様の嫌がらせは露骨過ぎですこと。もう、様なんかつけたくないわ。今や誰も道長様に面と向かって逆らえない、まつりごとを絶対的な権力で支配し始めている。次なる目論見は、御門と彰子様の間に世継ぎを残す事。となると、機知に富んだ会話、知的好奇心旺盛で新しい物を取り入れる柔軟な思考の御門の気を惹きつける為に、彰子様率いる華やかな文壇を作り上げようとするに違いないわ。私たちは、気もちで負けないようにしていかないと……

 鳳仙花は溜息をついて虚空を見上げた。鳳仙花は今、牛車内に揺られている。定子に無事に皇子が生まれた喜びを皆で分かち合い、その場を後にしたのだ。午後は仕事が入っているのと、定子をゆっくり休ませたい事、そして文壇を空にする訳にいかないからである。伊周と清少納言だけを残し、時間を置いて他の女房達も文壇に戻って来る手筈となっていた。何より、御門が忙しい合い間を塗って定子のところにやってくるに違いないのだ。その時は、親子水入らずで過ごして欲しい。そんな想いもあった。

……隆家様もお仕事が終わり次第駆けつけるとおっしゃっていた。お逢い出来なかったけれど、あの場ではさり気なく平静で接するべきところだったし、お逢い出来なくて良かったのかも。だって、照れたりして赤くなるの、止める事出来ないもの……

 寂しそうな、照れくさそうな、何とも言い難い複雑な表情を浮べる。未だにはっきりしない自らと隆家の仲に戸惑い始めていた。

『……そろそろ、お二人の仲をはっきりさせないといけないと思うのですよ』

 先日、御簾越しの逢瀬をした際に保子に言われた言の葉が甦る。いずれ、はっきりさせねば……と思っている内に二年ほど経ってしまった。

……隆家様の事と私の特殊な家柄の事を考えたら、どの道……公には出来ないのよね。隆家様にとって、私を妻の一人にしても出世が絡む訳でもなく、いいえむしろ知られたくない案件かも……

 突き詰めて考えると、出て来る結論は一つ。だからこそ先延ばしびして避けて来た、気付かないふりをして。

……でも、そろそろ夢見る時間は終わりにしないと、よね? 母様。十五歳と言ったら、もう子供の一人くらいは居てもおかしくないのだもの……

『……どのような結論を出されても、私たちはそれに従ってついて参りますから。ご自身の幸せだけを考えてくださいませ』

 保子の深い思いやりと愛情に満ちた言の葉が脳裏をこだまする。次の逢瀬の時にはっきりさせねば、そう決意をかためるのであった。



 帰宅してすぐに水で全身を拭き、身を清めた隆家に、定子に男の子が生まれたと知らせが入った。朝食の際、家人と喜びを分かち合い、祝いの品々を用意させ松色の狩衣姿に着替える。

「馬で向かう。ついて参れ」
「はい」

 そう敦也に声をかけるまで、あれから二人は終始無言だった。隆家の後を追うようにして馬を走らせる敦也。二人の間の緊張感が伝わるのか、かなり敏感に音に反応している。山道が徐々に狭くなり、木々の茂みが深くなる場所に差しかかると、隆家はゆっくりと馬を走らせる。そして完全に止まった。ひらりと馬から降りると、背後の敦也に振り向いた。そして正面に立ち、真っすぐに彼を見つめる。

「……話を聞こうか。恐らく、鳳仙花殿の事であろう?」

 しょうの音色を思わせる、独特の深みのある声が敦也の耳に響いた。憂いを秘めたあるじの笑みは、同性でもハッとするほど透明感に満ち、神秘的だった。

 

 灰色がかった白い空に一筋の強い光が差し込み、その部分のみ澄んだ青空が覗く。
 
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