52 / 65
第四十七帖 二つの華
月の光と玉響の風・四
しおりを挟む
黒炭を思わせる暗闇の中を、二十体近くの松明が道を作るように照らし出す。山道を下る牛車がゆっくりと慎重に進んでいく。ほぼ満月に近い月は白く輝き木々や繁みなど微かに浮かび上がらせ、闇に奥行きを与える。
物見が開け放たれた牛車内。月明りで物憂げに虚空を見上げる鳳仙花が仄かに浮かび上がる。
『せめて今宵くらいは泊まって行きなさい。夜道は危ないし。こんな山奥だ、盗賊が出るかも知れぬ。それに、ご馳走も用意させているのに』
そう言って引き留める父親を半ば強引に振り切って引き上げてきた。それならば自らが送る、と共に牛車に乗ろうとまでした。
『お気持ちはとても有り難いし嬉しいのですが、今や母の形見となってしまった邸をあまり空ける事はしたくありません。それに、権中納言様からお貸し頂いた牛車は男車ですし。お借りした従者たちは実戦経験豊富だと伺っております。ですから何の心配もございません。それに、こうして心配してくださっている事はよく伝わりました。此度は、互いに良い余韻を残したままお別れする方が今後に繋がり易い、そう思うのです』
正直に思いを告げたところ父親は寂しそうな笑みを浮かべるとこう言った。
『そうだな、お前からしてみたら……今までずっと放置していて今更親子のようにさせて貰おうなんて虫が良すぎるな。こうして少しずつ会話が出来るようになっただけでも嬉しいのだ。これから少しずつ、お前の信頼を得ていく為にも、そうすべきなのかもしれないな』
その後の雅俊は、「あれも持っていきなさい。あ、そうだ、これも! これも……」布や唐菓子、乾燥果物に酒などを牛車内に運ばせたのだった。
……車内が物で溢れ返ってる。これでは二人分、人を乗せてるのと変わらないわね……
物見から差し込む月明りに照らされた品々は、とても優しく柔らかな物に見えた。
……強飯まで持たせて。これでは父様のお夕飯が無くなってしまったのではないかしら……
ふふふ、と可笑しそうに小声で笑う。そんな自分に戸惑いながらも、父親への悪感情が薄れて来ている事を自覚していた。
……ねぇ、母様。もしも、もしもだけれどね。今後、そうならないように気をつけるけれど。もしも、もしも本当に困った時。父様を頼ってみても良いかしら? でも、こう言うのって言霊になっても困るから、声に出さずとも思う事自体も気をつけないといけないのだけれど……
月が出ているであろう場所に向かって、母親に心の中で話しかける。
ーーーーあなたはあなた、私は私。あなたが思うように生きなさい。その代わり、自分で決めた事ならその結果がどうであろうと、人や周りのせいにしない事!ーーーー
生前、母親がそう諭していた声が甦る。
ーーーーあなたが生きたいように生きなさいーーーーー
母親が、そう言って笑う母の幻が、夜空に浮かんだ気がした。
同じ時、牛車内の物見から夜空を見上げる隆家は、自らを振り返り苦笑していた。
(……情熱が赴くままに、牛車を用意させてしまったが。単身で馬にでも乗ってきた方が良かったのではないか? 訪問すると正式に文を出した訳でもないのだ。行ってみても本人は不在かも知れぬのに。仮に、居たとしてもまさに垣間見るのみ。まるで、恋初め(※)の君に会いに行く初心な少年、という感じではないか……)
自邸で月を眺めていたら、「月読命」と例えてくれた鳳仙花の事が思い出され、今すぐ会いたい! 突き動かされるような強い衝動に任せて、気づいたら牛車を走らせていたのだった。時間を経て、夜風の冷たさを感じると同時に次第に冷静さを取り戻していく。そうなると、己の浅慮な行動に自嘲せざるを得なかった。
(隆家様は、鳳仙花様を訪ねるとおっしゃった。垣間見るだけだと……。もしや妻のお一人になさるおつもりだろうか? それなら良いが……)
松明を片手に、牛車の隣に寄り添うようにして馬を走らせる敦也もまた、複雑な想いに囚われていた。
(付き添う従者達は、お忍び精鋭部隊。元服を迎えられて恋に目覚められた時から、恋人、奥様達の元に通う際に組まれる面子だ。……だとすれば、新たな恋のお相手とみるべきか? しかし、隆家様は女性にいい加減なお気持ちで浮名を流す御方ではない。そう考えると、やはり妻のお一人と考えておられるのだろうか。だが……)
敦也は徐に月を見上げた。彫りの深い顔立ちが、より一層際立つ。きりりと整えられた濃い眉根を潜め、限りなく黒に近い鳶色の瞳に憂いの影が揺らめく。思慮深く引き結ばれた唇がわずかに歪み、この男が悲痛な決意を固めた事を物語る。
(……もし、お戯れのおつもりであるなら……。この私が、お止めせねばなるまい)
敦也は、月に誓いを立てるようにして大きく頷いた。
(あのように純真で穢れなき、白い蓮の化身のような御方を無体に傷つけるような真似は、絶対にさせてはならぬ。それが例え、生涯忠誠を誓った我が主だったとしても)
そして彼は、迷いを振り切るようにして馬の手綱を大きくふり、牛車を引く従者たちの先頭へと走り出た。
(……鳳仙花さんに、定期的に磨爪術をして頂きたいわ。でも、定子様の文壇との兼ね合いもあるでしょうし。困らせるような立場にはしたくないわ。何か良い方法はないかしら……)
その頃、彰子は寝所で横になりながら色々と思考を巡らせていた。
月は冴え冴えと白く輝き、地上のあらゆるものをほの白く照らし出す。夜は音もなく、ただその翼を広げていく。
(※ 初恋)
物見が開け放たれた牛車内。月明りで物憂げに虚空を見上げる鳳仙花が仄かに浮かび上がる。
『せめて今宵くらいは泊まって行きなさい。夜道は危ないし。こんな山奥だ、盗賊が出るかも知れぬ。それに、ご馳走も用意させているのに』
そう言って引き留める父親を半ば強引に振り切って引き上げてきた。それならば自らが送る、と共に牛車に乗ろうとまでした。
『お気持ちはとても有り難いし嬉しいのですが、今や母の形見となってしまった邸をあまり空ける事はしたくありません。それに、権中納言様からお貸し頂いた牛車は男車ですし。お借りした従者たちは実戦経験豊富だと伺っております。ですから何の心配もございません。それに、こうして心配してくださっている事はよく伝わりました。此度は、互いに良い余韻を残したままお別れする方が今後に繋がり易い、そう思うのです』
正直に思いを告げたところ父親は寂しそうな笑みを浮かべるとこう言った。
『そうだな、お前からしてみたら……今までずっと放置していて今更親子のようにさせて貰おうなんて虫が良すぎるな。こうして少しずつ会話が出来るようになっただけでも嬉しいのだ。これから少しずつ、お前の信頼を得ていく為にも、そうすべきなのかもしれないな』
その後の雅俊は、「あれも持っていきなさい。あ、そうだ、これも! これも……」布や唐菓子、乾燥果物に酒などを牛車内に運ばせたのだった。
……車内が物で溢れ返ってる。これでは二人分、人を乗せてるのと変わらないわね……
物見から差し込む月明りに照らされた品々は、とても優しく柔らかな物に見えた。
……強飯まで持たせて。これでは父様のお夕飯が無くなってしまったのではないかしら……
ふふふ、と可笑しそうに小声で笑う。そんな自分に戸惑いながらも、父親への悪感情が薄れて来ている事を自覚していた。
……ねぇ、母様。もしも、もしもだけれどね。今後、そうならないように気をつけるけれど。もしも、もしも本当に困った時。父様を頼ってみても良いかしら? でも、こう言うのって言霊になっても困るから、声に出さずとも思う事自体も気をつけないといけないのだけれど……
月が出ているであろう場所に向かって、母親に心の中で話しかける。
ーーーーあなたはあなた、私は私。あなたが思うように生きなさい。その代わり、自分で決めた事ならその結果がどうであろうと、人や周りのせいにしない事!ーーーー
生前、母親がそう諭していた声が甦る。
ーーーーあなたが生きたいように生きなさいーーーーー
母親が、そう言って笑う母の幻が、夜空に浮かんだ気がした。
同じ時、牛車内の物見から夜空を見上げる隆家は、自らを振り返り苦笑していた。
(……情熱が赴くままに、牛車を用意させてしまったが。単身で馬にでも乗ってきた方が良かったのではないか? 訪問すると正式に文を出した訳でもないのだ。行ってみても本人は不在かも知れぬのに。仮に、居たとしてもまさに垣間見るのみ。まるで、恋初め(※)の君に会いに行く初心な少年、という感じではないか……)
自邸で月を眺めていたら、「月読命」と例えてくれた鳳仙花の事が思い出され、今すぐ会いたい! 突き動かされるような強い衝動に任せて、気づいたら牛車を走らせていたのだった。時間を経て、夜風の冷たさを感じると同時に次第に冷静さを取り戻していく。そうなると、己の浅慮な行動に自嘲せざるを得なかった。
(隆家様は、鳳仙花様を訪ねるとおっしゃった。垣間見るだけだと……。もしや妻のお一人になさるおつもりだろうか? それなら良いが……)
松明を片手に、牛車の隣に寄り添うようにして馬を走らせる敦也もまた、複雑な想いに囚われていた。
(付き添う従者達は、お忍び精鋭部隊。元服を迎えられて恋に目覚められた時から、恋人、奥様達の元に通う際に組まれる面子だ。……だとすれば、新たな恋のお相手とみるべきか? しかし、隆家様は女性にいい加減なお気持ちで浮名を流す御方ではない。そう考えると、やはり妻のお一人と考えておられるのだろうか。だが……)
敦也は徐に月を見上げた。彫りの深い顔立ちが、より一層際立つ。きりりと整えられた濃い眉根を潜め、限りなく黒に近い鳶色の瞳に憂いの影が揺らめく。思慮深く引き結ばれた唇がわずかに歪み、この男が悲痛な決意を固めた事を物語る。
(……もし、お戯れのおつもりであるなら……。この私が、お止めせねばなるまい)
敦也は、月に誓いを立てるようにして大きく頷いた。
(あのように純真で穢れなき、白い蓮の化身のような御方を無体に傷つけるような真似は、絶対にさせてはならぬ。それが例え、生涯忠誠を誓った我が主だったとしても)
そして彼は、迷いを振り切るようにして馬の手綱を大きくふり、牛車を引く従者たちの先頭へと走り出た。
(……鳳仙花さんに、定期的に磨爪術をして頂きたいわ。でも、定子様の文壇との兼ね合いもあるでしょうし。困らせるような立場にはしたくないわ。何か良い方法はないかしら……)
その頃、彰子は寝所で横になりながら色々と思考を巡らせていた。
月は冴え冴えと白く輝き、地上のあらゆるものをほの白く照らし出す。夜は音もなく、ただその翼を広げていく。
(※ 初恋)
0
お気に入りに追加
21
あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

帝国夜襲艦隊
ypaaaaaaa
歴史・時代
1921年。すべての始まりはこの会議だった。伏見宮博恭王軍事参議官が将来の日本海軍は夜襲を基本戦術とすべきであるという結論を出したのだ。ここを起点に日本海軍は徐々に変革していく…。
今回もいつものようにこんなことがあれば良いなぁと思いながら書いています。皆さまに楽しくお読みいただければ幸いです!

if 大坂夏の陣 〜勝ってはならぬ闘い〜
かまぼこのもと
歴史・時代
1615年5月。
徳川家康の天下統一は最終局面に入っていた。
堅固な大坂城を無力化させ、内部崩壊を煽り、ほぼ勝利を手中に入れる……
豊臣家に味方する者はいない。
西国無双と呼ばれた立花宗茂も徳川家康の配下となった。
しかし、ほんの少しの違いにより戦局は全く違うものとなっていくのであった。
全5話……と思ってましたが、終わりそうにないので10話ほどになりそうなので、マルチバース豊臣家と別に連載することにしました。

江戸時代改装計画
華研えねこ
歴史・時代
皇紀2603年7月4日、大和甲板にて。皮肉にもアメリカが独立したとされる日にアメリカ史上最も屈辱的である条約は結ばれることになった。
「では大統領、この降伏文書にサインして貰いたい。まさかペリーを派遣した君等が嫌とは言うまいね?」
頭髪を全て刈り取った男が日本代表として流暢なキングズ・イングリッシュで話していた。後に「白人から世界を解放した男」として讃えられる有名人、石原莞爾だ。
ここはトラック、言うまでも無く日本の内南洋であり、停泊しているのは軍艦大和。その後部甲板でルーズベルトは憤死せんがばかりに震えていた。
(何故だ、どうしてこうなった……!!)
自問自答するも答えは出ず、一年以内には火刑に処される彼はその人生最期の一年を巧妙に憤死しないように体調を管理されながら過ごすことになる。
トラック講和条約と称される講和条約の内容は以下の通り。
・アメリカ合衆国は満州国を承認
・アメリカ合衆国は、ウェーキ島、グアム島、アリューシャン島、ハワイ諸島、ライン諸島を大日本帝国へ割譲
・アメリカ合衆国はフィリピンの国際連盟委任独立準備政府設立の承認
・アメリカ合衆国は大日本帝国に戦費賠償金300億ドルの支払い
・アメリカ合衆国の軍備縮小
・アメリカ合衆国の関税自主権の撤廃
・アメリカ合衆国の移民法の撤廃
・アメリカ合衆国首脳部及び戦争煽動者は国際裁判の判決に従うこと
確かに、多少は苛酷な内容であったが、「最も屈辱」とは少々大げさであろう。何せ、彼らの我々の世界に於ける悪行三昧に比べたら、この程度で済んだことに感謝するべきなのだから……。


ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる