「磨爪師」~爪紅~

大和撫子

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第四十七帖 二つの華

月の光と玉響の風・参

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「……すまなかったな、つい、取り乱してしまって……」

 雅俊は涙を両袖で拭い、罰の悪そうな面持ちで娘を見つめた。

「いいえ、私も敢えてお知らせしませんでしたし。離縁されたとは言え、一時期は夫婦だったのですもの。当然の反応かと」

 鳳仙花は落ち着いた様子で淡々とこたえる。

「言ってくれたら……」
「何も、出来ませんでしょ?」

 すがるように言いかける父親を苦笑とともにやんわりと遮る。そして続けた。

「私が権中納言様の娘の一人である事、お隠しになってらっしゃるのに。何かで繋がりがあるならともかく、何も無いのですもの。仮に内密にお知らせするにしても、長年何の交流もありませんでしたのに。それに、元より何かをして頂こうとも思っておりませんしね」
……先読みの力とか、変に勘が鋭くて要領良く世を渡っていくのに、変なところで情に溺れるなんて変な人……

 心の中では酷く冷めた気もちと、一種の好奇心が混じり合う。正論を言われしゅんと萎れ切った様子の彼を、子供みたいだと感じつつ。

「……ところで、こんな人里離れた山奥の別邸にお呼びになるなんて。人払いもされているようですし。何か内密のお話でも?」

 あまり長居をするつもりも無い為、先を促す。すると、彼は深刻そうな表情で身を乗り出した。

……いやはや。素晴らしい変わりようです事。その切り変えの早さも、世渡りの秘訣、とやらなのかしらね……

 その様子に、内心では皮肉という名の毒をチクリと刺す。

「そうだな、今更色々と後悔して嘆き悲しんでみてもお前の助けにはならない。分かっていた筈なのに、つい取り乱してしまった。率直に言おう。私はお前の今後が心配でならないのだ」
「確かに、独り身で後ろ盾もありませんものねぇ」

 実際に皮肉と。素直に父親の心情に納得する気もちが入り混じった複雑な笑みを浮かべる。

「例えば私が、物質的な援助をして影から支えようとしても断るだろう?」

 雅俊は寂しそうに言う。
 
「それはそうですね。おっしゃる通り」
「だけど、本当に困ったら遠慮せずに助けを求めて欲しいのだ。必ず、何とかするから。約束する。先ずはそれを伝えたかった」

 熱っぽく語る彼に、話を合わせて取りあえず頷く。本音は(社交辞令を本気にする訳ないでしょ)思いながら。

「……私が言った通り、道長様は関白にならぬまま、実権を握っただろう?」

 声を一段と下げ、食い入るように娘を見つめる。ここからが本題だろうと、娘は父親の視線をしっかりと受け止め、耳を傾ける。

「そういう意味では、道兼様が関白となる事で呪詛から伊周様をお守りした、という見方も出来る。ご本人の意思はどうあれな。やはり、関白という役職に呪詛が仕掛けられていると見て良いと思う。もう一つ例をあげよう。中関白家ばかりが注目を浴びたが、異母兄弟で伊周様の兄上がいたな」
「あ、道頼様……」
「そうだ。兼家様の養子となられた為か、中関白家から外れてらっしゃるように世の中では見られているが。道頼様こそ、伊周様以上に美形であり、思いやり深く人に慕われる立派な御性格だったと聞く。残念な事に、道隆様が逝去された数か月後に疫の病でお亡くなりになってしまわれた……」

 何が言いたいのだろうと、父親の真意を図りかねるも話には耳を傾ける。

「道頼様が注目を浴びなかったのは……これはあくまで私の推測だが。奥様との間も互いに愛情はなく義務的なものだったのではないかと思う。本来なら道頼様が関白を引き継がせるところを、その存在を無視して伊周様を推してらっしゃる部分から推測した。道長様は道頼様を可愛がってらっしゃったと聞くし。こうして一般的に言われていたり、自分が思っている視点から外して異なる方向から物事を眺めてみると……道長様が中関白家に恨みを持つ理由も明白だろう? ただでさえ、華やかな一族で様々な人間から嫉妬をかい易いのだ。……宮中は欲望渦巻く恐ろしい場所だ。気を抜けば、あっと言う間に魔物の餌食だ」

 そこで一旦言の葉を切り、娘をいつになく熱を込めて見つめた。父親の推測の真偽はともかく、彼なりに誠意を込めて真剣である事は伝わる。

「私はね、今後……『磨爪師』という特殊な立ち位置に目をつけて、お前を利用しようとする奴らが山のように出て来るのではないかと思うのだよ。いや、もう既に出ているかもしれない」

 鳳仙花の脳裏に、道長と斉信が浮かび上がる。そして……

「……権中納言様のように?」

 そう皮肉を言う事で、父親の反応を見たくなった。どれだけ自分に対して真剣なのか? その度合いを確かめたかった。或いは、そうする事で甘えてみたかったのかもしれない。

「……そう思われていても、仕方無いと思っている」

 酷く寂し気な眼差しで、悲し気に唇が弧を描いた。それを見て、試すなんて悪い事をしてしまった、という微かな罪悪感と。父親が真剣に向きあってくれている、と嬉しいような、くすぐったい気もちがした。

「とにかくね!」

 雅俊はもう一度仕切り直す為に声を張った。

「私はお前の事が心配で仕方ないのだ。お前を利用しようとする奴らは、巧妙に罠を仕掛けるかもしれない」
「罠?」
「あぁ、例えば親しみ易い先輩、または後輩として。または親友のふりをして。或いはお前に惹かれた異性として付き合いや夫婦の契りを迫ってくるかもしれない。だから、もし何か困った事があったら一人で抱え込まずに、私を頼って欲しい。ただ、この事を伝えたかったのだ」

 そう言って、彼は寂しそうに笑った。



 時を同じくして、牛車に揺られて夜を進む龍家の姿があった。

 そしてまた別の場所では両手の平を下にして微笑みながら、自らの爪先を見つめている彰子がいた。
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