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第四十七帖 二つの華
月の光と玉響の風・弐
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黄昏時ともなると、一気に気温が下がる。仕事等の特別な用事でもない限り、女は邸にいる時間帯だ。道長は。いずれ自分を主軸とした物語を書かせる為、小噺の一つを思い付き日記に書き記していた。
『……ほっほっほ。伊周は太り過ぎていて。内裏の狭い路地に押しかけた下人たちを避けられず。仕切りの塀に押し付けられてみっともない姿を曝け出した、という小噺を加えさせよう。(※①)これは後の世の者が読んだら笑いが取れるに違いないぞな。もし万が一本人もしくは縁の者に知れたら「創作だ」と言えば良い。知られぬままなら事実として語り継がれるだろう。物語は複数欲しいところだ。事実と創作を交えたものが良いな。誰に書かせるかじっくりと見極めよう。口は堅く、余計な事は言わずそして書かずに、言う通りにかける文才溢れた者が良い』
と一人ほくそ笑むのだった。
リーリーと鈴虫が秋の夜長を謳歌し、芒や女郎花、藤袴などが夕闇に溶け込む。民家もまばらになり、田畑も途絶えて野原が広がる道を網代車が走っている。星がまばらに煌めきはじめ、ほぼ円に近い月がひっそりとその姿を現し始める。
牛飼い童を先頭に、左右に八人ずつの従者。そして車にぴたりと付き添うようにして松明を片手に馬に乗る従者の合わせて十八名ほど。見たところ一般的な車で、無駄な装飾は一切なく、松の文様が車体に施され御簾が二重にぷたりと閉められている。男が乗っているものと思われた。
果たしてその中には……。艶やかな黄色の濃淡を重ねた女郎花の色目を身に着けた鳳仙花が一人。目を閉じて秋の歌声と牛車の走る音に聞き入っている。少し道を急ぐ為、灯りはつけずにいた。
昼間受け取った文は、権中納言の雅俊……父親からのものであった。その内容は
『紅の死を今頃になって伝え聞いた。何といったら良いか、衝撃で何も言い表す事が出来ない。知らなかったとはいえ、何もしてやれなくて申し訳ない。早急に逢って話がしたい。迎いの車を出すので来て貰え無いだろうか? 本日申の刻(※②)あたりはいかがであろう? もし他の日が良いのであれば文で知らせて欲しい。出来る限り日程を合わせたい』
というものだった。父の直筆である事、そして家紋印が押されている事から紛れもなく父親のものであると確信してしまう己に苦笑せざるを得ない。付き合いも思い入もこれっぽちも無い筈なのに。血の繋がりなのか、それとも心のどこかで父親を恋しいと感じているのか……。
……全く、強引なんだから。幸い、午後から明後日まで仕事はお休みとなっていたから良いけれど。一見、思いやり深げで、こちらの都合に合わせるように見せかけてその実自分の都合の良いようにこちらを支配している。自覚しているのか無自覚なのかは知らないけれど、傲慢な人にありがちよね……
不愉快極まりなかったが、断って後を引くのは更に面倒だった。
……それにしても、思いの外遠くまで来てるのね……
鳳仙花は物見(※③)を開け、立ち膝になると物見を軽く開ける。外はもう塗りつぶされたように真っ暗だった。地上と空の境目がないくらいに。星々の煌めきと月の明るさが。柔らかく山々を照らし出している。ひんやりとした空気が車内に流れ込み、それはちょうど睡魔が襲いかけていた鳳仙花をしゃっきりと覚醒させる。そのまま目を閉じ、再び牛車の音と虫の声に耳を澄ませた。
程なくして牛車は速度を緩め始める。馬に乗っていた従者が物見に近づくと「失礼致します、間もなく目的地に着きまする」と声をかけた。「有難う」と鳳仙花はこたえ、物見から離れて座り直した。少し先にちらりと見えた松明、照らし出された竹がきらしき門、その奥の邸が目的地であろう。
「よく来てくれた!」
従者数名を背後に控え、門の前で迎えに出ていた雅俊は鳳仙花が到着するなり破顔し、早速邸に招き入れる。暗くてよく見えなかったが、人里離れた山奥にぽつんと建っている邸はそれこそ物の怪の住処のようだ、と思った。室内に足を踏み入れると、白檀の香りで満たされている。
「紅の事は……なんと言ったら良いか。……もう一年以上とうに過ぎてしまって。本当に、今更なんだが……」
飲み物や菓子を持ってきた侍女、そして傍らに控えていた従者たちを下がらせた後、雅俊は開口一番そう切り出して涙を流す。涙脆いのは情に篤く繊細な証であるとされているが、鳳仙花には男性が人目を憚らずよよと泣く姿は女々しいと感じていた。父親の姿を見て、その思いは更に強まったのは言うまでもない。
けれども、本当に悲しんでいる事は伝わる。交流もなく、母の死をわざわざ母と離縁した父親に知らせるつもりも無かった上、明らかに道長よりの者に磨爪術を行う機会は今のところ殆どない。故に父親の耳に入るのが今頃になったというのも頷ける、一時的とは言え、離縁するまでの間に二人に愛はあったのだろう、その験が自分の存在なのだ。彼にも母の死を嘆き悲しむ理(※④)はあるだろう、そう思った鳳仙花は父親の感情が落ち着くまで待つ事にした。
夜は静かに、そしてゆっくりとその深みを増していく。
(……私を、月読命だと例えてくれたな……)
その頃、釣殿に佇み月を見上げる隆家は、一人静かに物思いに耽っていた。
(※① 大鏡より。当時の一般的な美的感覚は、若い従者は身のこなしの軽い細身のものが。身分の高い者、ふくよかな方が貫録があって雅である、赤子も丸々としている方が可愛いらしいと評されており、この時代特有の美的感覚である。<粗筋に記したように、ここでは現代感覚での美形に変えて表現させて頂ている>)
(※② 午後四時頃。午後三時から五時の間をさし、この時代は現代のようにきっちりとした時間の概念はない)
(※③ 牛車に設けられた窓)
(※④ 理屈、理由、筋道、言い訳)
『……ほっほっほ。伊周は太り過ぎていて。内裏の狭い路地に押しかけた下人たちを避けられず。仕切りの塀に押し付けられてみっともない姿を曝け出した、という小噺を加えさせよう。(※①)これは後の世の者が読んだら笑いが取れるに違いないぞな。もし万が一本人もしくは縁の者に知れたら「創作だ」と言えば良い。知られぬままなら事実として語り継がれるだろう。物語は複数欲しいところだ。事実と創作を交えたものが良いな。誰に書かせるかじっくりと見極めよう。口は堅く、余計な事は言わずそして書かずに、言う通りにかける文才溢れた者が良い』
と一人ほくそ笑むのだった。
リーリーと鈴虫が秋の夜長を謳歌し、芒や女郎花、藤袴などが夕闇に溶け込む。民家もまばらになり、田畑も途絶えて野原が広がる道を網代車が走っている。星がまばらに煌めきはじめ、ほぼ円に近い月がひっそりとその姿を現し始める。
牛飼い童を先頭に、左右に八人ずつの従者。そして車にぴたりと付き添うようにして松明を片手に馬に乗る従者の合わせて十八名ほど。見たところ一般的な車で、無駄な装飾は一切なく、松の文様が車体に施され御簾が二重にぷたりと閉められている。男が乗っているものと思われた。
果たしてその中には……。艶やかな黄色の濃淡を重ねた女郎花の色目を身に着けた鳳仙花が一人。目を閉じて秋の歌声と牛車の走る音に聞き入っている。少し道を急ぐ為、灯りはつけずにいた。
昼間受け取った文は、権中納言の雅俊……父親からのものであった。その内容は
『紅の死を今頃になって伝え聞いた。何といったら良いか、衝撃で何も言い表す事が出来ない。知らなかったとはいえ、何もしてやれなくて申し訳ない。早急に逢って話がしたい。迎いの車を出すので来て貰え無いだろうか? 本日申の刻(※②)あたりはいかがであろう? もし他の日が良いのであれば文で知らせて欲しい。出来る限り日程を合わせたい』
というものだった。父の直筆である事、そして家紋印が押されている事から紛れもなく父親のものであると確信してしまう己に苦笑せざるを得ない。付き合いも思い入もこれっぽちも無い筈なのに。血の繋がりなのか、それとも心のどこかで父親を恋しいと感じているのか……。
……全く、強引なんだから。幸い、午後から明後日まで仕事はお休みとなっていたから良いけれど。一見、思いやり深げで、こちらの都合に合わせるように見せかけてその実自分の都合の良いようにこちらを支配している。自覚しているのか無自覚なのかは知らないけれど、傲慢な人にありがちよね……
不愉快極まりなかったが、断って後を引くのは更に面倒だった。
……それにしても、思いの外遠くまで来てるのね……
鳳仙花は物見(※③)を開け、立ち膝になると物見を軽く開ける。外はもう塗りつぶされたように真っ暗だった。地上と空の境目がないくらいに。星々の煌めきと月の明るさが。柔らかく山々を照らし出している。ひんやりとした空気が車内に流れ込み、それはちょうど睡魔が襲いかけていた鳳仙花をしゃっきりと覚醒させる。そのまま目を閉じ、再び牛車の音と虫の声に耳を澄ませた。
程なくして牛車は速度を緩め始める。馬に乗っていた従者が物見に近づくと「失礼致します、間もなく目的地に着きまする」と声をかけた。「有難う」と鳳仙花はこたえ、物見から離れて座り直した。少し先にちらりと見えた松明、照らし出された竹がきらしき門、その奥の邸が目的地であろう。
「よく来てくれた!」
従者数名を背後に控え、門の前で迎えに出ていた雅俊は鳳仙花が到着するなり破顔し、早速邸に招き入れる。暗くてよく見えなかったが、人里離れた山奥にぽつんと建っている邸はそれこそ物の怪の住処のようだ、と思った。室内に足を踏み入れると、白檀の香りで満たされている。
「紅の事は……なんと言ったら良いか。……もう一年以上とうに過ぎてしまって。本当に、今更なんだが……」
飲み物や菓子を持ってきた侍女、そして傍らに控えていた従者たちを下がらせた後、雅俊は開口一番そう切り出して涙を流す。涙脆いのは情に篤く繊細な証であるとされているが、鳳仙花には男性が人目を憚らずよよと泣く姿は女々しいと感じていた。父親の姿を見て、その思いは更に強まったのは言うまでもない。
けれども、本当に悲しんでいる事は伝わる。交流もなく、母の死をわざわざ母と離縁した父親に知らせるつもりも無かった上、明らかに道長よりの者に磨爪術を行う機会は今のところ殆どない。故に父親の耳に入るのが今頃になったというのも頷ける、一時的とは言え、離縁するまでの間に二人に愛はあったのだろう、その験が自分の存在なのだ。彼にも母の死を嘆き悲しむ理(※④)はあるだろう、そう思った鳳仙花は父親の感情が落ち着くまで待つ事にした。
夜は静かに、そしてゆっくりとその深みを増していく。
(……私を、月読命だと例えてくれたな……)
その頃、釣殿に佇み月を見上げる隆家は、一人静かに物思いに耽っていた。
(※① 大鏡より。当時の一般的な美的感覚は、若い従者は身のこなしの軽い細身のものが。身分の高い者、ふくよかな方が貫録があって雅である、赤子も丸々としている方が可愛いらしいと評されており、この時代特有の美的感覚である。<粗筋に記したように、ここでは現代感覚での美形に変えて表現させて頂ている>)
(※② 午後四時頃。午後三時から五時の間をさし、この時代は現代のようにきっちりとした時間の概念はない)
(※③ 牛車に設けられた窓)
(※④ 理屈、理由、筋道、言い訳)
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