「磨爪師」~爪紅~

大和撫子

文字の大きさ
上 下
47 / 65
第四十五帖 二つの華

道長の娘「彰子・後編」

しおりを挟む
 彰子は満足そうに自らの両手を見つめている。右手で左手の甲を触り、嬉しそうな笑みを浮かべた。侍女たちは後方に控えている。

「指先が軽くなって、お肌がしっとり艶々。嬉しわ」

 そう呟くと満足そうに虚空を見上げ、鳳仙花との会話を振り返った。

(私の想い、そのまま素直に伝えたら……)

 鳳仙花は真っすぐに見つめ返し、想いを受け止めた事をその目に含ませこう答えた。

「私は立場上、己自身の意見を述べる事を許されておりません。ですがあらゆるお話をお伺いする事は可能でございます。そして秘密はこの身が土に帰る時までお守り致します。時の世に埋もれていく我が身なればこそ、玉響たまゆらのひとときを素のままで何の気兼ねもなく、ゆったりと過ごして頂けましたら幸いでございます」

 そして深々と頭を下げた。その言の葉は何の美辞麗句もない素朴なもの。気が利いた和歌を詠む訳でもなく媚びもせず。彰子にはそれが逆に好ましく感じた。

「今まで私を褒めそやして気に入られて利用しようとか、嫌われたら大変とばかりに扱われてきたけど、あなたみたいのは初めてよ」

 そう伝えた。その時の鳳仙花の表情が照れてあたふたしていて。自分より少し年上の筈の彼女が幼い少女のように見えて。それがまた微笑ましく、純粋で信頼に値すると思われた。

「姫や?」

 その時、入り口より父親の声が響く。

「どうぞ」
「入らせて貰うよ」

 目の前にやってくる父親。気遣わし気に娘の様子を窺う。

「どうだった? ずっと、会いたがっていたろ? あの磨爪師の娘に」
「ええ。とても気に入りました。お逢い出来て本当に良かったですわ」

 彰子は満足そうな笑みを浮かべた。



 その頃、鳳仙花は牛車に揺られていた。まだ神経を張り詰めるという全身武装を解けずいる。向かい側に、斉信が乗っているからである。鳳仙花を送るという事と、斉信自身にまだ仕事が残っているらしい。

……彰子様自身は、聡明な御方。ただ周りを取り囲む大人たちが己の野心という欲にまみれているって感じね。政敵である筈の定子様の事を気遣うなんて、並大抵の事では出来やしないもの。聡い御方だけに、色々な事を感じ過ぎてさぞやお辛かったのではないかしら。これから益々感じ取ってしまう事も出てくるでしょうし……

 穏やかな笑みで優雅に座っている様子を装いながら、内心では思考が渦巻いていた。彰子への尽きぬ興味と、定子のこれからの身の上が案じられるのと。更には、傍からみて密偵行為と取られても困るし……等々、慎重に考えるべき事が山積みだった。

「彰子様もお喜びになっていたご様子で。道長様も嬉しそうになさっていましたよ。ご紹介できて本当に良かった」

 斉信は心の底から安堵したように言った。

「斉信様には、貴重な機会を頂けて本当に有難うございます」

 鳳仙花は本当にそう思った。

「なんのなんの。道長様に、少し前から頼まれていましてね。漸く実現出来て本当に良かった」

 和やかな空気が、車内を取り巻く。牛車は優雅にゆったりと進んでいった。日は西に少しずつ傾き始める。


 文壇に戻って来ると、ざわざわ、キャッキャッと騒がしい女房たちの声。

「あら、お帰りなさい」

 赤染衛門がすぐに鳳仙花に気付き、声をかける。

「ただ今戻りました。……何かあったのですか?」

 女房たちが、一つの冊子を手に

「どこから読むべきかしら?」
「最初からでしょ?」
「でも入内してきた頃の事が書いてある段が良いんじゃない?」

 と賑やかである。

「あぁ、つい先程ね、定子様から冊子が届いたの。清少納言さんが書いたものらしくて。定子様が書き写されたものをこちら送ってくださったのよ。読んでみなさい、て」
「なるほど。そうだったのですね」
「ええ、あなたも行きましょ、参戦するわよ」

 赤染衛門は悪戯っぽく笑った。鳳仙花もニヤリと不敵な笑みで応じ、頷く。二人は手を取り合うと、冊子に群がっている女房たちに加わった。

 結局、清少納言が初めて宮仕えをした頃の話から読む事になった。一人が声を出してゆっくりと読み進めていく。初めての事萎縮して怖気づき、暗くなる頃に出仕。几帳の影に隠れていた清少納言を定子が優しく呼びよせ、絵などを見せて語りかける場面が手に取るように詳細に書かれていた。それこそ絵に描いたように、ありありと。

「……差し出でさせ給へる御手のはつか見ゆるが、いみじにほひたる薄紅梅なるは、限りなくめでたしと、見知らぬ里人心地さとびとごこちには『かかる人こそは、世におはしましけれ』と、驚かるるまでぞ守り参らする」(※)
([意訳] ……非常に寒い時期なので、差し出された袖からかすかに見える定子様のお指の先が、ほんのりと薄紅梅色に染まっている。なんと美しいのだろう! 「このような人が世の中にいらっしゃったなんて」と、世間知らずで家庭人の感覚では驚いてしまって、その指を見つめたまま私は目が離せなかった)

 鳳仙花の胸にグっと迫った。

……悟られないように時期をずらしてあるけれど、定子様のお爪は私の母が施術した爪紅! 母様が生きていたという証が、お話の中に永遠に生き続ける……

『薄紅梅のお色は、定子様のお好きな色なの。だから液は薄めにして塗るのよ』

 そう言って微笑む紅の笑顔が浮かぶ。

……母様、清少納言さんにお願いした通り、母様が定子様に施術したお爪の事、さり気無く仄かに匂わせてくださったよ……

 心の中で、母親に話しかける。

『まぁ! それは鼻高々だわ! うふふふふふ……』

 紅の楽しそうな笑い声が、響いて来る気がした。鳳仙花は溢れる涙に堪えながら、静かに聞き続ける。



(※ 【枕草子 第一七七段 「宮に初めて参りたるころ】より)
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

帝国夜襲艦隊

ypaaaaaaa
歴史・時代
1921年。すべての始まりはこの会議だった。伏見宮博恭王軍事参議官が将来の日本海軍は夜襲を基本戦術とすべきであるという結論を出したのだ。ここを起点に日本海軍は徐々に変革していく…。 今回もいつものようにこんなことがあれば良いなぁと思いながら書いています。皆さまに楽しくお読みいただければ幸いです!

if 大坂夏の陣 〜勝ってはならぬ闘い〜

かまぼこのもと
歴史・時代
1615年5月。 徳川家康の天下統一は最終局面に入っていた。 堅固な大坂城を無力化させ、内部崩壊を煽り、ほぼ勝利を手中に入れる…… 豊臣家に味方する者はいない。 西国無双と呼ばれた立花宗茂も徳川家康の配下となった。 しかし、ほんの少しの違いにより戦局は全く違うものとなっていくのであった。 全5話……と思ってましたが、終わりそうにないので10話ほどになりそうなので、マルチバース豊臣家と別に連載することにしました。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

江戸時代改装計画 

華研えねこ
歴史・時代
皇紀2603年7月4日、大和甲板にて。皮肉にもアメリカが独立したとされる日にアメリカ史上最も屈辱的である条約は結ばれることになった。 「では大統領、この降伏文書にサインして貰いたい。まさかペリーを派遣した君等が嫌とは言うまいね?」  頭髪を全て刈り取った男が日本代表として流暢なキングズ・イングリッシュで話していた。後に「白人から世界を解放した男」として讃えられる有名人、石原莞爾だ。  ここはトラック、言うまでも無く日本の内南洋であり、停泊しているのは軍艦大和。その後部甲板でルーズベルトは憤死せんがばかりに震えていた。  (何故だ、どうしてこうなった……!!)  自問自答するも答えは出ず、一年以内には火刑に処される彼はその人生最期の一年を巧妙に憤死しないように体調を管理されながら過ごすことになる。  トラック講和条約と称される講和条約の内容は以下の通り。  ・アメリカ合衆国は満州国を承認  ・アメリカ合衆国は、ウェーキ島、グアム島、アリューシャン島、ハワイ諸島、ライン諸島を大日本帝国へ割譲  ・アメリカ合衆国はフィリピンの国際連盟委任独立準備政府設立の承認  ・アメリカ合衆国は大日本帝国に戦費賠償金300億ドルの支払い  ・アメリカ合衆国の軍備縮小  ・アメリカ合衆国の関税自主権の撤廃  ・アメリカ合衆国の移民法の撤廃  ・アメリカ合衆国首脳部及び戦争煽動者は国際裁判の判決に従うこと  確かに、多少は苛酷な内容であったが、「最も屈辱」とは少々大げさであろう。何せ、彼らの我々の世界に於ける悪行三昧に比べたら、この程度で済んだことに感謝するべきなのだから……。

後妻(うわなり)打ち

水無月麻葉
歴史・時代
伊豆から鎌倉に出てきた、頼朝と北条家のホームコメディ?です。 同じ時代、同じ家族の別の人物が主役の「夢占」と合わせて読んでいただけると嬉しいです。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

処理中です...