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第三十五帖 雲居の花
枕草子の夢⑥ ~壮途・壱~
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……もしかしたら、経房様がおっしゃっていた警護の者、て彼かも。なんて一瞬思ってしまったけど。そんな訳ないか……
すぐに夢見てしまう己を戒めつつ、沈黙を破るべく鳳仙花は口を開く。
「どうして、こちらに……?」
隆家の瞳に、微かに憂いの影が走る。
「……そう、急かないでおくれ。せっかくこうして相まみえたというのに」
「そ、そういう訳ではっ!」
鳳仙花は慌てた。途端ににやりと笑う彼。
「そうした無邪気な反応は、童みたいで見ていて飽きぬな」
何の事か分からず、小首を傾げる鳳仙花。だが、すぐに悟る。
「な! 揶揄ってらっしゃいますのね!」
頬が茜色に染まり、瞳がキラキラと輝き出す鳳仙花を隆家は生き生きとしていて魅力的だと感じる。だが、その本音とは裏腹にはっはっはっ……と豪快に笑った。そしてすぐに真顔になる。
「そういう素直なところは面白い。仕事中は感情を表に出さずに黙々とこなすのであろう? 元気そうで安心した。……さて、本題に入ろう。あまり、時間は取れぬのでな」
「隆家様、では、やはり出雲の国から……わざわざ」
「経房殿より知らせがあってな。清少納言殿のところまで行ってくれるのだろう? 同中、護衛が必要だろう、と」
……あぁ、経房様は本当に定子様はじめ中関白家の方々を信頼なさっているのだ。だから、こんな風に隆家様にお知らせして。そしてまた、その一連の全てを。私が決して誰にも話さないであろう事も、全てお見通しでらっしゃるのだ……
源経房という人となりは、信頼して大丈夫だろうと確信した。
「お心遣い、本当に有り難い事です。隆家様も、わざわざいらして頂いて……」
「いや。本来なら私が同行して警護につきたいのだが、これでも流刑の身でな。代わりに、我が従者を遣わす。敦也と申す者だ。出発の少し前にここに直接やってくる。それを伝えに参った。共に連れて来れれば良かったのだが、あれには留守を任せてあるのでな」
「そんな、とんでもないです! いらして頂けただけで十分幸せでございます。それに、留守を任せるほどの方を、私などお借りしてしまって宜しいのでしょうか?」
有り難くも、そしてまた恐れ多い気がした。
「そう言って貰えたら、私も嬉しい。だからそのまま素直に受け取って欲しいと思う……」
「勿体のうございまする。でしたら……」
何かで報いたい、と思った。留守を任せられるほどの侍従と聞いて保子が思い浮かぶ。そして何故か、伊周が女のなりをして文壇に忍び込んできた事を思い出す。そして閃いた。
「道中は万が一の事を考え、男のなりをして行こうと思っております!」
鳳仙花はほんの少し冗談めかして答える。
「なんと! これはしたり! それは思い付かなかった! しかし、そう気負わずとも敦也は相当腕が立つぞ!? 場合によってはあやつの誇りに傷がつこう……」
「はい、勿論です。でも、なるべくでしたらそのお力、はずっと温存しておいて頂きたいですから」
「何故だ?」
本当に分からないという様子の彼を、可愛らしく感じながら。
「いざと言うとき、主の為に最大限の力を発揮して頂きたいからです。道中、何もない事に越した事はございませんしね。無益にお手を煩わす事もありませんしね」
「なるほど。このような奇抜で大胆な発想をする女は見た事がない。これは頼もしい」
本当に面白そうにクスクスと笑う彼に、チクリと胸が痛む。
……そりゃ、隆家様の奥様方や恋人みたいに高貴なお姫様じゃないもの。いざと言う時は自分の身は自分で。時には家を守らないといけない身だもの。それにしても、思わず咄嗟に言の葉に出してしまったけれど、隆家様は「奇抜で大胆」と良い意味に受け取って頂けて良かったわ。でも、これからは気をつけないと……
(また、ほんの一瞬、悲し気な瞳をする。何がそんな風にお前の笑顔を曇らせるのだ?)
そう言って、己の腕に抱き締めたくなる衝動を理性の力で押さえつける。目の前の女は、すぐに快活な笑みを見せる。その移り変わる様が、まるで夜明けから日の出、または夕日が西に傾き沈む頃の空のようで。たまらなく魅惑的だった。己の気持ちを切り変えるように、話題をがらりと変える。
「そう言えば、以前兄上が鳳仙花殿に会ったと言っていた」
「ええ、あの時はびっくり致しましたけれど。お逢い出来て嬉しゅうございました」
鳳仙花の脳裏に、青空を纏った花精がありありと蘇る。
そう言って当時を思い出すかのように夢見がちな彼女の瞳は、完全に自分の姿を通り越している事に隆家の胸は何故かざわつく。そんな己に戸惑いながらも会話を続ける。
「何か伝えたい事があれば伝えておくが……」
鳳仙花はパッと顔を輝かせた。まるで陽の光のように眩しい。
「そうですわ! 隆家様、伊周様に御言付けをお願いしても宜しいでしょうか?」
「あ、あぁ。従者に頼んで検閲に見つからぬようにせねばならぬが……」
「もし差し支えなければ、お渡しして頂きたいものが……」
と肌身離さず持ち歩いていた返歌を、右手の袂より取り出す。そして両手で捧げるようにして差し出した。それは上品な甘さを秘めた爽やかな香りを微かにまとっていた。白玉(※①)のような和紙が月に青白く浮かび上がる。
(※① 真珠)
すぐに夢見てしまう己を戒めつつ、沈黙を破るべく鳳仙花は口を開く。
「どうして、こちらに……?」
隆家の瞳に、微かに憂いの影が走る。
「……そう、急かないでおくれ。せっかくこうして相まみえたというのに」
「そ、そういう訳ではっ!」
鳳仙花は慌てた。途端ににやりと笑う彼。
「そうした無邪気な反応は、童みたいで見ていて飽きぬな」
何の事か分からず、小首を傾げる鳳仙花。だが、すぐに悟る。
「な! 揶揄ってらっしゃいますのね!」
頬が茜色に染まり、瞳がキラキラと輝き出す鳳仙花を隆家は生き生きとしていて魅力的だと感じる。だが、その本音とは裏腹にはっはっはっ……と豪快に笑った。そしてすぐに真顔になる。
「そういう素直なところは面白い。仕事中は感情を表に出さずに黙々とこなすのであろう? 元気そうで安心した。……さて、本題に入ろう。あまり、時間は取れぬのでな」
「隆家様、では、やはり出雲の国から……わざわざ」
「経房殿より知らせがあってな。清少納言殿のところまで行ってくれるのだろう? 同中、護衛が必要だろう、と」
……あぁ、経房様は本当に定子様はじめ中関白家の方々を信頼なさっているのだ。だから、こんな風に隆家様にお知らせして。そしてまた、その一連の全てを。私が決して誰にも話さないであろう事も、全てお見通しでらっしゃるのだ……
源経房という人となりは、信頼して大丈夫だろうと確信した。
「お心遣い、本当に有り難い事です。隆家様も、わざわざいらして頂いて……」
「いや。本来なら私が同行して警護につきたいのだが、これでも流刑の身でな。代わりに、我が従者を遣わす。敦也と申す者だ。出発の少し前にここに直接やってくる。それを伝えに参った。共に連れて来れれば良かったのだが、あれには留守を任せてあるのでな」
「そんな、とんでもないです! いらして頂けただけで十分幸せでございます。それに、留守を任せるほどの方を、私などお借りしてしまって宜しいのでしょうか?」
有り難くも、そしてまた恐れ多い気がした。
「そう言って貰えたら、私も嬉しい。だからそのまま素直に受け取って欲しいと思う……」
「勿体のうございまする。でしたら……」
何かで報いたい、と思った。留守を任せられるほどの侍従と聞いて保子が思い浮かぶ。そして何故か、伊周が女のなりをして文壇に忍び込んできた事を思い出す。そして閃いた。
「道中は万が一の事を考え、男のなりをして行こうと思っております!」
鳳仙花はほんの少し冗談めかして答える。
「なんと! これはしたり! それは思い付かなかった! しかし、そう気負わずとも敦也は相当腕が立つぞ!? 場合によってはあやつの誇りに傷がつこう……」
「はい、勿論です。でも、なるべくでしたらそのお力、はずっと温存しておいて頂きたいですから」
「何故だ?」
本当に分からないという様子の彼を、可愛らしく感じながら。
「いざと言うとき、主の為に最大限の力を発揮して頂きたいからです。道中、何もない事に越した事はございませんしね。無益にお手を煩わす事もありませんしね」
「なるほど。このような奇抜で大胆な発想をする女は見た事がない。これは頼もしい」
本当に面白そうにクスクスと笑う彼に、チクリと胸が痛む。
……そりゃ、隆家様の奥様方や恋人みたいに高貴なお姫様じゃないもの。いざと言う時は自分の身は自分で。時には家を守らないといけない身だもの。それにしても、思わず咄嗟に言の葉に出してしまったけれど、隆家様は「奇抜で大胆」と良い意味に受け取って頂けて良かったわ。でも、これからは気をつけないと……
(また、ほんの一瞬、悲し気な瞳をする。何がそんな風にお前の笑顔を曇らせるのだ?)
そう言って、己の腕に抱き締めたくなる衝動を理性の力で押さえつける。目の前の女は、すぐに快活な笑みを見せる。その移り変わる様が、まるで夜明けから日の出、または夕日が西に傾き沈む頃の空のようで。たまらなく魅惑的だった。己の気持ちを切り変えるように、話題をがらりと変える。
「そう言えば、以前兄上が鳳仙花殿に会ったと言っていた」
「ええ、あの時はびっくり致しましたけれど。お逢い出来て嬉しゅうございました」
鳳仙花の脳裏に、青空を纏った花精がありありと蘇る。
そう言って当時を思い出すかのように夢見がちな彼女の瞳は、完全に自分の姿を通り越している事に隆家の胸は何故かざわつく。そんな己に戸惑いながらも会話を続ける。
「何か伝えたい事があれば伝えておくが……」
鳳仙花はパッと顔を輝かせた。まるで陽の光のように眩しい。
「そうですわ! 隆家様、伊周様に御言付けをお願いしても宜しいでしょうか?」
「あ、あぁ。従者に頼んで検閲に見つからぬようにせねばならぬが……」
「もし差し支えなければ、お渡しして頂きたいものが……」
と肌身離さず持ち歩いていた返歌を、右手の袂より取り出す。そして両手で捧げるようにして差し出した。それは上品な甘さを秘めた爽やかな香りを微かにまとっていた。白玉(※①)のような和紙が月に青白く浮かび上がる。
(※① 真珠)
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