「磨爪師」~爪紅~

大和撫子

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第二十八帖 雲居の花

枕草子の夢・序章

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 花山院と伊周・道隆の事件から、東三条の邸での一連の出来事は瞬く間にみやこ中に広まった。東三条邸での出来事は、貴族から庶民まで人だかりが出来るほど野次馬が群がっていたというから、通常以上に噂には尾ひれがついて飛び交う事は用意に想像がつく。それは鳳仙花の耳にもその日の内に届いた。

『……そんな! じゃぁ、定子様は……』
『出家なされた、という事は漏れなく離縁……よねぇ』
『どうなさるおつもりかしら、御門は……』
『決まってるわよ! 道長様の娘様を入内させるって』
『あら、でもまだ裳着の儀を終えてらっしゃらない女童らしいじゃない?』
『強引に進めるんじゃないかしらね』
『まさか! ……でもそうしたら、うちの鳳仙花様は益々居場所を追われ……て、あっ! ひっ! 鳳仙花様っ』

 侍女たちは鳳仙花の突然の出現に口から心臓が飛び出る程驚いた様子だ。慌てて床に額をこすりつけるばかりに頭を下げている。
 このようにして、邸内の侍従たちから自然に入る噂と。文壇より式部のおもとと赤染衛門の二人が、連名という形で書かれたふみが、事件から八日ほど過ぎて届いた事で詳細を知った。だが、事件の本当の真相は間近で見た訳ではないので分からない、そう鳳仙花は思う。ただ一つ確信しているのは、隆家は全てを承知して伊周に加担したであろう事、それだけだった。

 鳳仙花は、足元で頭を下げて慌てている六名の侍女を見下ろして大きく溜息をついた。母親の収骨、僧侶の読経の元土に返され、卒塔婆が建てられてから十日程過ぎた頃だ。このように、侍従たちが仕事を疎かにして噂話に花を咲かせる姿がよく目につく。如何に自分が頼りなく、また侮られているのかを思い知った。乳母の保子は変わらずよく尽くしてくれているし、侍従たちを束ねる役目も担う彼女は、部下を叱責して諭すよう努めてくれている。けれども、それでは駄目なのだ。そもそも、紅が亡くなってすぐに好き勝手言い合うような低俗な場にしてしまったのは、これまでの積み重ねで鳳仙花と侍従たちの有り方の拙さが露呈された証拠でもある。
 紅の事や、一連の事件について色々と考えたい事は沢山あった。だが、今は思念に囚われている暇はなかった。まずはこの邸の状況を立て直す事、そして自分自身がしっかりと立つ事。この事こそが、紅の、そして定子や隆家、伊周への最大の恩儀に報いる事になる、そう判断したのである。

「あなた達。噂話をするな、とは言いません。ですが今のあなた達を見ていると、まさに低俗極まりない。人の不幸を喜んで貪り喰う餓鬼のように醜いですよ。そういう話をしている時の自分を鏡でとくと見てみるがいい」

 と冷たく言い放った。

「も、申し訳ございません!」
「これは大変に失礼を致しました!」

 侍女たちは焦ってペコペコしている。それだけ鳳仙花の声色は、冷たく、ある種の迫力があった。鳳仙花の元に、白い布の束と使い古した布を大量に抱えた保子がやってくる。鳳仙花は無言でその布の束を受け取ると、未だ頭を下げ続けてい彼女たちのそばにトン、とおいた。

「頭を上げなさい」

 恐る恐る顔をあげる侍女たちに、冷たい視線を向けながら淡々と告げた。布の束から手の平サイズに切られた一枚の布を見せながら、

「あなたたち、こちらの新しい布はこの大きさに切り揃える事。古い布は、一応は洗ってあるけれど染みが取れません。保子が今染み抜きを持って来ますから、その道具で染み抜きをしなさい。それでも染みが取れない物は、再度洗って月のモノの際に使用するから、分けておいておくように。それぞれ効率良くこなせるように手分けをして、今から一辰刻(※①)で終わらせる事!」
「こ、これだけの量をたった一辰刻でなんて……」
「ほらほら、そうやって話している間に出来ますよ。あなた達、炊事や裁縫は得意だから大丈夫。あなた達だからこそ出来ると判断しての仕事ですから」

 鳳仙花はにっこりとした。侍女たちは気を良くして口々に「頑張ります」と仕事に取り組んだのは言うまでもない。鳳仙花はその場を後にすると、他の侍従たちの様子を見て回った。

(お見事です、鳳仙花様。紅様が生前教え込んでいた『言う事を聞かない侍従たちには、厳しく叱ってその後褒めてから仕事を与えるようにしてみなさい』という事、早速実行されているのですね)

 保子は満足そうに笑みを浮かべて、鳳仙花の後ろ姿を見守る。

 鳳仙花は、喪に服す四十九日が終わり次第、文壇に顔を出すつもりでいた。式部のおもとと赤染衛門のふみには、気になる事が書かれていたからである。自分が行ったところで何か出来る訳ではないが、この目で確かめたい。手首から爪先を優しく揉みほぐしながら、彼女たちの話を聞いてあげられたら、そう思うのだった。



「……それにしても、伊周様にはがっかりよね。あの方、顔が良いのと漢文が得意だけで他はちょっと……」
「わかる、良く言えば風流、悪く言えば……」
「隆家様もどうして兄上様の味方でいるのかしら?」
「あら、でも隆家様って前から野蛮なところがおありだったし」
「そう言えばそうねぇ。血の気が多いというか……」

……ここもか。これは予想以上に酷い状態だわ……

 四十九日を過ぎてすぐに文壇にやってきた鳳仙花は、定子不在の為、場が荒れ放題な事に衝撃を受けた。皆、鳳仙花を優しい言葉と共に温かく迎えてくれたが……。部屋の掃除もいい加減で角には埃が溜まり、庭は雑草が伸び放題だ。定子が出家してしまった、つまり離縁してしまった事が余程堪えたようで御門も御寝所に籠ったままだそうだ。そして何よりも気になったのは、


「でも、伊周様がここまで落ちてしまったのは誰かの陰謀があると思うの」
「それ、私も思う。おかしいわよね」
「誰かさんは定子様の一番のお気に入りだったのにねぇ」
「そうそう、それを良い事にあちこちに媚売って色んな人に取り入ろうとしてる卑怯者がいたりして」
「誰とは言わないけど……」

 皆、ちらちらと一人でぼんやりと座っている清少納言を見ながら言っている。皮肉、当て擦り、妬み、そしてやり場のない怒りや不安を全て清少納言に向けて捌け口にしているようだった。文に書かれていた通りだった。式部のおもとや赤染衛門は、その事にも心を痛めていた。下手に間に入っては余計に話が拗れ、ややこしくはりがちだ。二人とも見守る事しか出来ず、もどかしい思いを抱えていたようだ。

 鳳仙花は、とりあえず女房たちひとりひとりに、手首から爪先まで揉みほぐす施術をしようと決めた。荏胡麻油を持ち物から取り出す。

 清少納言は居心地悪そうに俯いている。明朗快活で機知に溢れた彼女からはとても想像がつかなかった。





(※① 現代の約二時間ほど)
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