「磨爪師」~爪紅~

大和撫子

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第二十七帖 零落④

長徳の政変・五~中編~

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 996年の年が明け、誰もが皆一つ歳を重ねる。(※①)宮中では連日行事ごとでお大忙しである。特に女房たちは、一日の中で何度も別の行事に参加せねばならない事もある為、その度に化粧や着替えをするのに苦労する。

 そして定子はというと、何とも目出度い事に一条天皇との初めての子を身ごもり実家に帰っていた。


 そんな中、子の刻行事の合間をぬって鳳仙花の邸では……。

 上品な桔梗に似た香りが漂う中、腰結役こしゆいやくである清少納言は鳳仙花の後ろに立ち、腰にの引き紐を結んでいる。鳳仙花の前側では、裳がしっかりと腰の位置に来るように補助している保子がいた。裳は得も言われぬ美しい桜色だ。
 鳳仙花は単衣ひとえに緋の袴、紅の地に金色こんじきの花菱模様が刺繍された豪華な唐衣からきぬまとい正式な女房装束を身に着けていた。
 丁寧に手入れのなされた垂れ髪はしっかりと髪上かみあげ(※②)がなされており、金色こんじきの平額が「かぐや姫」を彷彿とさせる。周りには侍女たちが控えており、祝いに訪れた文壇の女房たちの対応をしている。

  の刻(※③)、十二歳となった鳳仙花の「裳着もぎの儀」が行われていた。部屋の東側には、届けられたお祝いの品々が誇らし気に飾り置かれている。しっかりと木製の衝立に掛けられている唐衣からきぬは、菖蒲紫色の高貴で上品な色合いで、白と銀色の鶴模様が非常に豪華である。これは定子からのまさかの贈り物で、届いた際は鳳仙花と紅、そして保子は手を取り合って狂喜し、邸中で喜びを分かち合ったものだ。
 そして裳着の贈り物の中でも重要な位置を示すと言われている薫物は、伊周や赤染衛門を始め文壇の女房、施術でよく訪れる貴族女性達から届けられている。それぞれが鳳仙花の印象から特別に創られたもので、中でも特に伊周からの薫物を焚くのを鳳仙花が秘かに楽しみにしているのは言うまでもない。

 隆家からは檜扇ひおうぎが届けられた。それはまたとない豪華なもので、黄金色こがねいろの地に鮮やかな紅の芍薬、藤の花木に銀色の朱雀が大胆に描かれたそれは大層見事なものであった。それは数々の贈り物の中で一際輝くような存在感を放ち、彼の豪胆な性質をよく表している。

……このような豪華で立派な檜扇が釣り合うような魅惑的な大人の女性になりたい……

 儀式が滞りなく終わり、酒が振る舞われ賑やかにうたげが行われる中、檜扇を見ながら鳳仙花は秘かに心に誓うのであった。

 定子、伊周、隆家と予想もしていなかった御方からの贈り物を、紅は涙を流して喜び、家宝にしなさい、と繰り返し言っていた。鳳仙花は頬を紅潮させ、瞳を輝かせて嬉しそうにしているものの、保子に注がれた酒を手にしながら、紅がこの場に来れない事を寂しく不安に感じる。あれほど娘の裳着の儀を楽しみにしていた紅は、三日ほど前に体調を崩し臥せっていた。初めて呑む酒は辛くて苦く、少しも美味しいと感じない。何となく、不吉な予感がした。それを打ち消すように、尚更明るく振る舞う。離れで病の床に臥せている母親に楽しい話を届けようと殊更朗らかに振る舞った。


 時を同じくして、一際高い床を囲むようにして垂れ下がる黒い御簾。その内部には後方に錆色さびいろの重厚な屏風が置かれ、左右には濃い紫色の布が垂れ下がる几帳が置かれている。その中心には後方に二人の侍女を従え、右近色に近い黄色の檜扇で顔を隠し檜皮ひわだかさねに身を包む女がいた。御簾越しに対面し、平伏すと言っても過言ではないほどに深く頭を下げた束帯装束の男がいる。藤原道長である。

「……いよいよ、近づいて来たのぅ。あやつらが自滅する日が。準備はぬかりないな?」

 ゾッとするほど冷たい声が、檜扇の奥より響く。

「はい、既に噂は流してございます。元々色好みの花山院の事、不思議には思いますまい」

 道長は堂々と応じた。

「加えてあの生意気な伊周の奴も部類の女好きじゃ。面白いように釣れるであろう。いけすかない隆家も共に来る事は間違い無い事よのぅ。後は日時じゃが、晴明とやらが卜ったのなら間違いないであろう。楽しみじゃなぁ、道長よ」

 女はほっほっほっほと楽しそうに笑った。女は皇太后詮子。そう、一条天皇の母である。額を床につけたまま、道長はニヤリと笑った。



 それから十日ほど過ぎた。雪が降り積もり、地上を穢れなき白に染める。厳しい寒さは、まるでみそぎの時を迎えるかのように身が引き締まる。だが、それは健康な場合のみ有効な感覚だ。病の身には非常に堪え難い苦痛となる。

 紅は良くなるどころか、日増しに衰弱していった。時折激しく咳き込む為、余計に弱った体の力を奪う。血痰は徐々に椿の花びらのように濃くなっていく。事情を伝え聞いた定子により、その名を使って往診して貰った医師《くすし》(※④)によると、胸の病であろうとの事であった。移してしまう事を恐れ、娘を始め他者を遠ざけようとしたが、それで引き下がるような鳳仙花ではない。紅が病の床についてからというもの、自邸から仕事に通うようにしていた。不在の間は保子が看た。
 裳着の儀の際、紅が回復するまで延期しようと鳳仙花や保子を始め周りは説得したが、頑として首を縦には振らなかった。鳳仙花はそれが不安の大元となっていた。まるで母が、己の死期が近いように感じているようで……。

 
 一月も終わりに近づく頃、伊周はかつてない程に苛立っていた。

「…おのれ花山院め。わしの三の君に手を出しよるとは!」

 伊周はその時、三年ほど前に亡くなった藤原為光ふじわらのやめみつの遺した三人の姫の内の一人、三の君を愛人にしていた。この姫君は、父親である為光自身が自慢する程に美貌の持ち主で、通称『高司殿の上』と呼ばれている。

「その噂はまことなのでございましょうか?」

 怒りに打ち震える兄に、隆家は冷静に問いかけた。

 月の無い、凍えるような寒さの夜であった。
 




(※①)この時代は誕生日に歳を重ねるという概念はなく、皆が新年を迎えると一斉に一つ歳を取った。
(※②)裳着と同時に、額の部分の前髪を上げる。正面に平額というお雛様でお馴染みの飾りをつける。
(※③)裳着の儀は大体午後9時から午前1時の間の深夜に行われる行事である。
(※④)往診は通常、官位五位以上でないとして貰えない。
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