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第二十帖 斜陽⑤
長徳の変~栄枯盛衰~
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……萩、様か。同じ父親を持つとはとても思えなかったなぁ……
鳳仙花は再び、赤染衛門と向かい合って牛車内に揺られている。来た時と同じ車だ。赤染衛門は鳳仙花が権中納言の邸から出て来るのを待っていてくれたのだ。とても有り難く思い恐縮しながらも、思考は己の意志に反して先程の出来事を思い返してしまう。
「それで、娘様にはお会い出来た?」
赤染衛門は一言、そう問うただけだった。鳳仙花の物思いに耽っている姿を見て、今はそっとしておいた方が良い、と判断した為だ。
「あ、はい。お逢い出来ました。婚礼の儀の前に磨爪術をさせて頂く事に決まりまして。その前に、裳着の儀をするのでその時も施術せさて頂く事になりました」
鳳仙花は泣いて居るとも、笑っているとも取れる複雑な笑みを浮かべた。そして再び先程の出来事が頭の中を去来する。
無邪気な声が聞こえた際、権中納言はまさに「相好を崩した」という表現がピタリと当てはまる笑顔を見せた。そして御簾をかき上げて中に入って来たのは、深い紫の濃淡に鮮やかな空色を重ねた色目『二藍の襲』を身に着けた少女だった。少女……いや、鳳仙花よりも少し年上だろうか。
「これこれ、はしたない。客人の前で」
彼は目に入れても痛く無い、と言うように目を細める。この人が娘なのだとすぐに分かる。『客人』という語句に特に強く発音したように思えたのは気のせいではあるまい。
……客人、ね……
目の前の親子のやり取りが何故か癇に触った。鳳仙花も自分の血を分けた娘、異母兄弟だ、と知られたはないのだろう。
……安心してよ、権中納言様。間違っても、私の父親もあなたと同じです、なんて言うつもりないから……
心の中で皮肉を述べるも、無言でされど表面上は親し気な笑顔で応じる。背筋を伸ばして、堂々と。
「あら、ごめんなさい。でも、お約束の時刻を小反時も過ぎているんですもの」
少女は屈託の無い笑顔で応じると、父親の左隣にやってきて腰をおろした。ふわりと百合の香りが漂う。さながら雛(※①)のように愛らしい。そして鳳仙花に笑いかけた。
……この人、何の苦労も知らないで蝶よ花よ、と大切に育てられたんだ。私とは住む世界が違い過ぎる。無条件に人は自分を気に入って大切にくれるもの、て。そう信じて疑わない貴重品育ちなんだわ……
胸あたりがモヤモヤした。
「あなたが『磨爪師』ね。私の歳はあんまり変わらないみたいだけど、あなた、お歳はいくつ?」
……人に物を尋ねる前に自分から言いなさいな。目下の人しか身近に居ないのね。夫となる人も、そういうところを可愛らしいと感じる感性の持ち主なら良いわね……
自分でも嫌になるくらい、底意地の悪い感情が芽生える。けれどもそのような事はおくびにも出さずに、笑顔のまま応じる。
「初めまして、鳳仙花と申します。あと少しで十一歳になります」
と丁寧に頭を下げた。
「そうなのね! 私は十二歳。萩の君、て呼ばれてるわ。お花の通り名なんて偶然ね。あなたとは仲良くなれそう。宜しくね」
朗らかに笑った。
……御萩にして食べてやろうか?……
鳩尾の奥から込み上げるような不快感が押し寄せる。
……この気持ちは、まさか、まさか嫉妬? この私が? こんな男の愛情を独占しているこの子に焼きもちを焼いているって事? くだらない、冗談じゃない! 羨ましい訳ないじゃないの。どうかしてるわ、私……
嫉妬などという醜い感情に振り回される自分が許せなかったし、それを嫉妬だとは認めたくもなかった。意志の力を振り絞って激しい感情に耐えた。
……笑顔よ、笑顔。ここで自尊心やら誇りやらをむき出しにしたら、母様だけでなく、一族の、ひいては文壇の恥となってしまう。そしたら定子様や御門の顔に泥を塗る事になっちゃうわ……
そして萩の君、腹違いの姉である彼女が婚礼の儀の前に裳着の儀を行う事、その際の磨爪術を施術する事。その日程が事細かに取り決められたのだった。
帰り際、入り口まで見送る権中納言が、すまなそうに声をかける。
「その、すまなかった。そして有難うな。客人で……」
「いいえ。お客様ですから。私は磨爪師として精一杯施術させて頂きます。それだけです」
サッと後ろを振り返る事で遠回しに男の言の葉遮る。そして背筋を伸ばし、真っすぐに彼の目を見つめてこたえた。
「お疲れ様」
その時、赤染衛門が姿を現したのだった。穏やかな笑みを浮かべて。その時彼女が、鳳仙花には観世音菩薩のように思えた。彼女のようにさり気ない気遣いが出来る女性は、知的でなんと魅力に富んでいるのだろう、と感じた。つまらない事で嫉妬してしまった己を恥じ、己の器の小ささ、未熟さを痛感した。
その頃、宮中では道長と伊周が激しく言い争っているという事、伊周を守るように付き添っている隆家の従者と道長の従者の小競り合いが頻発しているという噂が広がっていた。そして文壇では……秘やかに、清少納言が道長と通じているのではないか? 此度の伊周の失脚は、清少納言が一役かっているのではないか? と囁かれはじめていた。
そしてそれらの噂は、すぐに鳳仙花や紅の耳に入る事となる。磨爪術という仕事を通して……。
鳳仙花は父親との再会の件を母親に話す機会を考えていた。あれから互いの仕事ですれ違いが多くなってしまった。文では、権中納言様の娘様の裳着の儀と祝言の儀の際の磨爪術を任される事になった事は知らせた。そして母親から労いと激励の言の葉が書かれた文を受け取った。父親との事はどうしても母親の目を見て直接話したかったのである。
季節は、湿気と不快な暑さが続く梅雨の季節へと移り変わっていった。
(雛※① まさに雛人形の原型。ままごと遊び、着せ替え、見て楽しむ女の子の遊びの道具の一つだった)
鳳仙花は再び、赤染衛門と向かい合って牛車内に揺られている。来た時と同じ車だ。赤染衛門は鳳仙花が権中納言の邸から出て来るのを待っていてくれたのだ。とても有り難く思い恐縮しながらも、思考は己の意志に反して先程の出来事を思い返してしまう。
「それで、娘様にはお会い出来た?」
赤染衛門は一言、そう問うただけだった。鳳仙花の物思いに耽っている姿を見て、今はそっとしておいた方が良い、と判断した為だ。
「あ、はい。お逢い出来ました。婚礼の儀の前に磨爪術をさせて頂く事に決まりまして。その前に、裳着の儀をするのでその時も施術せさて頂く事になりました」
鳳仙花は泣いて居るとも、笑っているとも取れる複雑な笑みを浮かべた。そして再び先程の出来事が頭の中を去来する。
無邪気な声が聞こえた際、権中納言はまさに「相好を崩した」という表現がピタリと当てはまる笑顔を見せた。そして御簾をかき上げて中に入って来たのは、深い紫の濃淡に鮮やかな空色を重ねた色目『二藍の襲』を身に着けた少女だった。少女……いや、鳳仙花よりも少し年上だろうか。
「これこれ、はしたない。客人の前で」
彼は目に入れても痛く無い、と言うように目を細める。この人が娘なのだとすぐに分かる。『客人』という語句に特に強く発音したように思えたのは気のせいではあるまい。
……客人、ね……
目の前の親子のやり取りが何故か癇に触った。鳳仙花も自分の血を分けた娘、異母兄弟だ、と知られたはないのだろう。
……安心してよ、権中納言様。間違っても、私の父親もあなたと同じです、なんて言うつもりないから……
心の中で皮肉を述べるも、無言でされど表面上は親し気な笑顔で応じる。背筋を伸ばして、堂々と。
「あら、ごめんなさい。でも、お約束の時刻を小反時も過ぎているんですもの」
少女は屈託の無い笑顔で応じると、父親の左隣にやってきて腰をおろした。ふわりと百合の香りが漂う。さながら雛(※①)のように愛らしい。そして鳳仙花に笑いかけた。
……この人、何の苦労も知らないで蝶よ花よ、と大切に育てられたんだ。私とは住む世界が違い過ぎる。無条件に人は自分を気に入って大切にくれるもの、て。そう信じて疑わない貴重品育ちなんだわ……
胸あたりがモヤモヤした。
「あなたが『磨爪師』ね。私の歳はあんまり変わらないみたいだけど、あなた、お歳はいくつ?」
……人に物を尋ねる前に自分から言いなさいな。目下の人しか身近に居ないのね。夫となる人も、そういうところを可愛らしいと感じる感性の持ち主なら良いわね……
自分でも嫌になるくらい、底意地の悪い感情が芽生える。けれどもそのような事はおくびにも出さずに、笑顔のまま応じる。
「初めまして、鳳仙花と申します。あと少しで十一歳になります」
と丁寧に頭を下げた。
「そうなのね! 私は十二歳。萩の君、て呼ばれてるわ。お花の通り名なんて偶然ね。あなたとは仲良くなれそう。宜しくね」
朗らかに笑った。
……御萩にして食べてやろうか?……
鳩尾の奥から込み上げるような不快感が押し寄せる。
……この気持ちは、まさか、まさか嫉妬? この私が? こんな男の愛情を独占しているこの子に焼きもちを焼いているって事? くだらない、冗談じゃない! 羨ましい訳ないじゃないの。どうかしてるわ、私……
嫉妬などという醜い感情に振り回される自分が許せなかったし、それを嫉妬だとは認めたくもなかった。意志の力を振り絞って激しい感情に耐えた。
……笑顔よ、笑顔。ここで自尊心やら誇りやらをむき出しにしたら、母様だけでなく、一族の、ひいては文壇の恥となってしまう。そしたら定子様や御門の顔に泥を塗る事になっちゃうわ……
そして萩の君、腹違いの姉である彼女が婚礼の儀の前に裳着の儀を行う事、その際の磨爪術を施術する事。その日程が事細かに取り決められたのだった。
帰り際、入り口まで見送る権中納言が、すまなそうに声をかける。
「その、すまなかった。そして有難うな。客人で……」
「いいえ。お客様ですから。私は磨爪師として精一杯施術させて頂きます。それだけです」
サッと後ろを振り返る事で遠回しに男の言の葉遮る。そして背筋を伸ばし、真っすぐに彼の目を見つめてこたえた。
「お疲れ様」
その時、赤染衛門が姿を現したのだった。穏やかな笑みを浮かべて。その時彼女が、鳳仙花には観世音菩薩のように思えた。彼女のようにさり気ない気遣いが出来る女性は、知的でなんと魅力に富んでいるのだろう、と感じた。つまらない事で嫉妬してしまった己を恥じ、己の器の小ささ、未熟さを痛感した。
その頃、宮中では道長と伊周が激しく言い争っているという事、伊周を守るように付き添っている隆家の従者と道長の従者の小競り合いが頻発しているという噂が広がっていた。そして文壇では……秘やかに、清少納言が道長と通じているのではないか? 此度の伊周の失脚は、清少納言が一役かっているのではないか? と囁かれはじめていた。
そしてそれらの噂は、すぐに鳳仙花や紅の耳に入る事となる。磨爪術という仕事を通して……。
鳳仙花は父親との再会の件を母親に話す機会を考えていた。あれから互いの仕事ですれ違いが多くなってしまった。文では、権中納言様の娘様の裳着の儀と祝言の儀の際の磨爪術を任される事になった事は知らせた。そして母親から労いと激励の言の葉が書かれた文を受け取った。父親との事はどうしても母親の目を見て直接話したかったのである。
季節は、湿気と不快な暑さが続く梅雨の季節へと移り変わっていった。
(雛※① まさに雛人形の原型。ままごと遊び、着せ替え、見て楽しむ女の子の遊びの道具の一つだった)
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