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第十九帖 斜陽④
長徳の変~奇縁血縁・弐~
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(これはまた、何と魅惑的な……)
権中納言は、目の前の娘に目を見張った。
「お言葉ですが。幼い時以来対面もしていない上に文の一つも交わしていないような間柄で、いきなり縁談の話は失礼ではございませんか?」
柔らかい緑色から黄緑、白の濃淡を重ねた『卯の花の襲』が、くっきりとした目鼻立ちをよく引き立てている。たっぷりとした漆黒の髪は大分伸びて膝あたりまで流れ、まるで清流のようだ。だが、取り分け彼の目を惹いたのは強く輝く双方の瞳であった。それは弓なりに弧を描き、黒々とした瞳は深い夜空のようだ。怒りでギラギラと輝いている様は星合の空を思わせた。それはいわゆる今様(※①)の持て囃される美人ではない。だが、何か人を惹き付ける不思議な魅力があった。
「……御答え頂けないようですので、これで失礼させて頂きます」
ボーッと見惚れていた彼は、漸く我に返る。そして慌てて娘を制した。
「待っておくれ! 気持ちはよく分かる。長年音沙汰無しだった癖に、己の出世の為に利用しようとしている。そう思われて当然だ。だけど少しだけ話を聞いて欲しい!」
これまでのらりくらりとお気楽貴族のように見えた父親が、今漸く本音を見せたように必死の様子である。きっちりと烏帽子の中にしまい込まれている髪が幾筋か解れ、こうして改めて見ると美男子の部類に入るのだろうな、と鳳仙花は感じた。
……隆家様や伊周様と比較したら断然普通の人、て感じだけど。でも、比べたらお二人に失礼よね……
内心でチクリと棘を刺す。話くらいは聞いてあげようと、浮かせた腰をおろした。静かに男を見つめる。
「有難う。そんなに手間は取らせないから。それと人払いをしてあるから、込み入った話も安心して出来る」
ホッとしたように彼は笑みを浮かべると、ゆっくりとやや低めの声で話し始めた。
「何を言っても白々しくしか聞こえないだろうけど……紅とは話し合いの末に離縁したんだ。あ、誤解しないで欲しいのだが、紅を悪く言うつもりはないからね。だけどお前の事は気になったし、対面は何度もお願いしたが文はことごとく付き返された。だけど、紅が一人で子供を養って行くには厳しい世界だ。というのも、紅は代々磨爪師の家系として静かに積み重ねて来た特殊な家系だ。家柄が物を言う宮中、貴族社会で生き抜くのは困難極まりない。やっぱり後ろ盾が必要だと思うんだ。特に鳳仙花にはね」
「どうして……」
「最後まで話しを聞いて欲しい!」
抗議を申し立てようとする娘を素早く制した。そして一段と声を下げて話しを続ける。
「大きな声では言えないが、伊周様が失脚なされたろ? その前に道兼様が関白となられたがすぐにお亡くなりになられた。これはね、私の推測だが、関白というものに呪術が発動するよう仕掛けられているのではないかと思うのだ」
「まさか、そんな……」
いくらなんでも馬鹿げた妄想だ、と鳳仙花は思う。しかし、男は真剣そのものだ。
「見ててご覧? 道長様は関白にはなられないよ。内覧のまま政権を奮うおつもりさ」
「そんな回りくどい……」
「よく考えてご覧? 中関白家の方々は揃いも揃って容姿、知性、教養、人柄と全てにおいて特化され、それぞれが華やかに活躍されている。嫉妬の的になるのは想像に難くない筈だ。つまり妬んでいる者は数多いる。では、何故道兼様まで? となる訳だが……」
鳳仙花はいつの間にか彼の話に惹き込まれていた。
「それはね、呪詛を分かりにくくする為さ。呪詛の疑いなんかかけられたら大変だからね。無実を証明するのも難しいし。だから『関白』と言う立ち場に立った者に呪詛が発動するよう仕掛けているのさ。だから、ある意味伊周様は守られているという事になるよね。もし関白になっていたら……」
「でも、一体誰が? 何の為に? 嫉妬というか私怨にしては無差別にやり過ぎというか……」
「そう。だからさっき言ったみたいに、世間の目を欺く為なのさ。誰がって? それはね、中関白家の失脚、道兼様の死、一番得をするのは誰かな?」
「ま、まさか……」
「そう、道長様だよ。だから関白にならないままいくのだと予想している。これから道長様がお亡くなりになるまでの間、彼の天下となるだろうね。最近のあの方は、横暴に振る舞っているようだが、これは本質だろうね。今までは猫を被って大人しくしていただけで。道長様のこれまでは穏やかでおっとりした印象だけど、七年前の事件、思い出しご覧?」
「あ……」
それは988年の事。官人の採用試験で自らの友人を合格させようと従者に式部省のお役に拉致を命じ、友人を合格させろ、と脅したのだ。あの穏やかな道長様が? 鳳仙花を始め人々が驚いた事件だった事を思い出す。
「だからね、もう今までみたいな頑張り方じゃ、通用しなくなって来るんだ。だから今の内に、道長様側の人間と懇意にしていた方が良い。綺麗ごとじゃもう生き残れないんだよ。一条天皇は定子様を寵愛されているし、守り抜くおつもりだろう。でも、そうも言ってはられないほど道長様は権力を行使し始める」
「それは無礼ですよ! 御門は……」
「愛だけじゃ、どうしようもない程に道長様の勢いが押し寄せる。これはもう、生きる残るか、死ぬか。二つに一つなんだ。私は、お前には元気で笑顔で長生きして欲しい」
帝と定子の事を言われてカッとなったが、不思議と彼の言の葉には説得力があった。全てこの男の推測なのにも関わらず、信じさせる何かがあった。
「この話は、紅には何度か文で伝えた。だからその事も踏まえて、縁談の事は彼女とよく話しあって決めて欲しい」
と締め括った。その時、軽やかな足音が響く。そして
「父上様、そろそろお話は終わりまして?」
と甘えた声が室内の後方より響いた。途端に相好を崩す彼。
……そう言えば、随分と広くて清潔感に溢れたお部屋ですこと……
その時鳳仙花は、初めて部屋の様子に気付いたのだった。そして仄かに白檀と檜の香りが漂う事も。
(今様※① 流行の)
権中納言は、目の前の娘に目を見張った。
「お言葉ですが。幼い時以来対面もしていない上に文の一つも交わしていないような間柄で、いきなり縁談の話は失礼ではございませんか?」
柔らかい緑色から黄緑、白の濃淡を重ねた『卯の花の襲』が、くっきりとした目鼻立ちをよく引き立てている。たっぷりとした漆黒の髪は大分伸びて膝あたりまで流れ、まるで清流のようだ。だが、取り分け彼の目を惹いたのは強く輝く双方の瞳であった。それは弓なりに弧を描き、黒々とした瞳は深い夜空のようだ。怒りでギラギラと輝いている様は星合の空を思わせた。それはいわゆる今様(※①)の持て囃される美人ではない。だが、何か人を惹き付ける不思議な魅力があった。
「……御答え頂けないようですので、これで失礼させて頂きます」
ボーッと見惚れていた彼は、漸く我に返る。そして慌てて娘を制した。
「待っておくれ! 気持ちはよく分かる。長年音沙汰無しだった癖に、己の出世の為に利用しようとしている。そう思われて当然だ。だけど少しだけ話を聞いて欲しい!」
これまでのらりくらりとお気楽貴族のように見えた父親が、今漸く本音を見せたように必死の様子である。きっちりと烏帽子の中にしまい込まれている髪が幾筋か解れ、こうして改めて見ると美男子の部類に入るのだろうな、と鳳仙花は感じた。
……隆家様や伊周様と比較したら断然普通の人、て感じだけど。でも、比べたらお二人に失礼よね……
内心でチクリと棘を刺す。話くらいは聞いてあげようと、浮かせた腰をおろした。静かに男を見つめる。
「有難う。そんなに手間は取らせないから。それと人払いをしてあるから、込み入った話も安心して出来る」
ホッとしたように彼は笑みを浮かべると、ゆっくりとやや低めの声で話し始めた。
「何を言っても白々しくしか聞こえないだろうけど……紅とは話し合いの末に離縁したんだ。あ、誤解しないで欲しいのだが、紅を悪く言うつもりはないからね。だけどお前の事は気になったし、対面は何度もお願いしたが文はことごとく付き返された。だけど、紅が一人で子供を養って行くには厳しい世界だ。というのも、紅は代々磨爪師の家系として静かに積み重ねて来た特殊な家系だ。家柄が物を言う宮中、貴族社会で生き抜くのは困難極まりない。やっぱり後ろ盾が必要だと思うんだ。特に鳳仙花にはね」
「どうして……」
「最後まで話しを聞いて欲しい!」
抗議を申し立てようとする娘を素早く制した。そして一段と声を下げて話しを続ける。
「大きな声では言えないが、伊周様が失脚なされたろ? その前に道兼様が関白となられたがすぐにお亡くなりになられた。これはね、私の推測だが、関白というものに呪術が発動するよう仕掛けられているのではないかと思うのだ」
「まさか、そんな……」
いくらなんでも馬鹿げた妄想だ、と鳳仙花は思う。しかし、男は真剣そのものだ。
「見ててご覧? 道長様は関白にはなられないよ。内覧のまま政権を奮うおつもりさ」
「そんな回りくどい……」
「よく考えてご覧? 中関白家の方々は揃いも揃って容姿、知性、教養、人柄と全てにおいて特化され、それぞれが華やかに活躍されている。嫉妬の的になるのは想像に難くない筈だ。つまり妬んでいる者は数多いる。では、何故道兼様まで? となる訳だが……」
鳳仙花はいつの間にか彼の話に惹き込まれていた。
「それはね、呪詛を分かりにくくする為さ。呪詛の疑いなんかかけられたら大変だからね。無実を証明するのも難しいし。だから『関白』と言う立ち場に立った者に呪詛が発動するよう仕掛けているのさ。だから、ある意味伊周様は守られているという事になるよね。もし関白になっていたら……」
「でも、一体誰が? 何の為に? 嫉妬というか私怨にしては無差別にやり過ぎというか……」
「そう。だからさっき言ったみたいに、世間の目を欺く為なのさ。誰がって? それはね、中関白家の失脚、道兼様の死、一番得をするのは誰かな?」
「ま、まさか……」
「そう、道長様だよ。だから関白にならないままいくのだと予想している。これから道長様がお亡くなりになるまでの間、彼の天下となるだろうね。最近のあの方は、横暴に振る舞っているようだが、これは本質だろうね。今までは猫を被って大人しくしていただけで。道長様のこれまでは穏やかでおっとりした印象だけど、七年前の事件、思い出しご覧?」
「あ……」
それは988年の事。官人の採用試験で自らの友人を合格させようと従者に式部省のお役に拉致を命じ、友人を合格させろ、と脅したのだ。あの穏やかな道長様が? 鳳仙花を始め人々が驚いた事件だった事を思い出す。
「だからね、もう今までみたいな頑張り方じゃ、通用しなくなって来るんだ。だから今の内に、道長様側の人間と懇意にしていた方が良い。綺麗ごとじゃもう生き残れないんだよ。一条天皇は定子様を寵愛されているし、守り抜くおつもりだろう。でも、そうも言ってはられないほど道長様は権力を行使し始める」
「それは無礼ですよ! 御門は……」
「愛だけじゃ、どうしようもない程に道長様の勢いが押し寄せる。これはもう、生きる残るか、死ぬか。二つに一つなんだ。私は、お前には元気で笑顔で長生きして欲しい」
帝と定子の事を言われてカッとなったが、不思議と彼の言の葉には説得力があった。全てこの男の推測なのにも関わらず、信じさせる何かがあった。
「この話は、紅には何度か文で伝えた。だからその事も踏まえて、縁談の事は彼女とよく話しあって決めて欲しい」
と締め括った。その時、軽やかな足音が響く。そして
「父上様、そろそろお話は終わりまして?」
と甘えた声が室内の後方より響いた。途端に相好を崩す彼。
……そう言えば、随分と広くて清潔感に溢れたお部屋ですこと……
その時鳳仙花は、初めて部屋の様子に気付いたのだった。そして仄かに白檀と檜の香りが漂う事も。
(今様※① 流行の)
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