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プロローグ
リスタートは婚約破棄から
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「ジークフリート・アシェル・クライノート様、お誕生日おめでとうございます。あなたに最高のプレゼントを差し上げます。婚約破棄を致しましょう」
弦楽器のヴィオラを思わせる落ち着いて深みのある声が、男の鼓膜を震わせた。
「な、何? こ、婚約……破棄、だと?」
それは男にとって寝耳に水の単語だったようだ。まさに『大驚失色』の様相で、辛うじて絞り出した掠れ声がそれを物語っている。
アリアはゆっくりと口角を上げた。最高に優雅に見える微笑みで、勝ち誇ったように男を見つめる。ほっそりとした両腕が大事そうに抱えているのは、王家の紋章が刻まれたA4サイズの白い封筒だった。
(目の前の……こ、この女は、本当に……あのアリア、なのか?)
男はアリアを今初めて見るかのように息を呑み、瞳が釘付けになった。彼女が差し出すままに、思わずその封筒を受け取ってしまう。
(し、知らない……こんな、こんな女……)
彼女の髪は、腐敗して淀んだ水色だと思っていた。痩せこけて病的な顔色に、目ばかり大きくて気味の悪い、水色とも黄色ともピンクとも……何色とも表現し難い不気味な色合いの虹彩。いつも何かに怯えて人の顔色を窺い、愛に飢えて愛を求めて只管尽くす己の意思を持たない人形……だった筈だ。
だが、今の彼女はどうだ? 髪は、思わず二度見てしまうような勿忘草色ではないか。それはさながら絹糸のように艶やかで垂直に流れる滝のように腰に向かっている。蝋のように青味がかった透き通るような肌に、さくらんぼを思わせるぷっくりとした唇はまるで紅水晶で作られたようだ。鼻は決して高くはないが鼻筋は上品に通っており、形は整っている。むしろ、零れそうなほど大きな双眸と卵型の小さな顔の輪郭とはバランスが取れていると言えよう。髪と同色の睫毛は、丸味を帯びた大きな瞳を繊細に縁取り、その長さに頬に影を落とす。淡い薄紫の地に白いアナベルの花が描かれたAラインのワンピース姿は、彼女のほっそりとしたしなやかな体つきを妖精のように魅せていた。
しかし、取り分け男の目を惹いたのはその瞳の色だった。透き通るようなホリゾンブルーに、黄色、オレンジ、ピンク、緑……移り変わるオーロラを細かく切り取って内包させたような色合いだった。それはまるで……
(ウォーターオパールのようだ……)
そう、ちょうどオパールのように遊色効果のある双眸だった。
「……何を呆けてらっしゃるのです? せっかく、最高のプレゼントを用意して差し上げたのに。今すぐ、魔術ペンでサインをお願いしますね。印鑑は今お持ちで無くても、血判で大丈夫ですので」
別人のようにピンと背筋を伸ばし、凛とした佇まいは女神のように高貴で無意識に平伏したくなる力を秘めていた。
「最……高の、プレ……ゼント?」
「ええ、ですから婚約破棄です」
(う、嘘だ……この女は俺に、首ったけの筈……)
「な、何故『婚約破棄』が……」
男は口の中が乾いてカラカラになっていた。生まれて初めて味わう屈辱に、全く思考が追い付いて来ない。
「今更お惚けにならなくても宜しいのですよ? おぞましく感じるほど毛嫌いされてらっしゃるわたくしから解放して差し上げるのですから。これで、愛してやまないヘレナ様と晴れて堂々と御一緒になれるのです。これほど素晴らしいプレゼントはございませんでしょう?」
(確かに、ヘレナとは愛し合って来た……だが……)
「ば、馬鹿な……今更、婚約を、取り止めるなんて、世間体が……」
(こんな女……知らない、こんな……女神のように神々しく、美しい、神秘的な……)
必死に婚約破棄を阻止しようと思考を巡らせるも、口をついで零れ落ちたのは何とも情けない呟きだった。
「ほほほほ……」
右手に持った白地に藤の花の模様が描かれたの扇子を優雅に開いて口元を覆い、アリアは高笑いする。そして小首を傾げて男を見つめた。サラリと勿忘草色の髪が流れた。キラキラとウォーターオパールの瞳が虹色に輝く。嫌でも視線が絡め囚われてしまう。
「面白いご冗談を。今更も何も、帝国中で有名なラブロマンスではないですか。地位も才能も美貌も全てにおいて完璧なるジークフリート・アシェル・クライノート公爵と、同じく才能も人格も完璧で絶世の美女と言われるヘレナ・ベアトリーチェ・フルール伯爵令嬢との秘めたる禁断の恋。そしてわたくしは、お二人の真実の愛を邪魔する無能で役立たずな醜い悪女アリア・フローレンス・カレンデュラ第三皇女、地位と権力でお二人の仲を切り裂いた……と世間では言われているようですわね。実際は、あなたが皇族に繋がりが欲しくてわたくしに近づいて婚約を申し込んだ。ヘレナ様との運命の出会いはその後なのですけれど」
アリアの言葉に、男はワナワナとその身を震わせる。漸く思考力が戻って来たようだ。
「違う! 世間では好き勝手に言っているだけだ! 彼女とは単なるビジネスパートナーだ。結婚はしない! 結婚はアリア、あなたと……」
「いい加減に空々しい演技は辞めて頂けますかしら?」
アリアは男の言い訳を許さず、ピシャリと遮った。
「わたくし、全て存じ上げてありますのよ? あなたは最初から皇族の繋がりが欲しくてわざわざ冷遇されている私に近づいた。ヘレナ様と運命の出会いを果たし、わたくしと婚約中なのにも関わらず恋に落ちたお二人はスクスクと愛を育まれ、わたくしと形だけの結婚をして皇族になり、頃合いを見計らってわたくしを殺害した後にヘレナ様を迎え入れようとしている事」
「……な、ち、ちが……」
「嘘おっしゃい!」
顔面蒼白で慌てふためく目の前の美丈夫に、アリアは内心では愉悦に浸って俯瞰していた。
「あなたもわたくしを毛嫌いなさっているでしょうけど、わたくしも、浮気男は虫唾が走るほど嫌いですの。更に、あなたは『ドメスティックバイオレンス』に『ネグレスト』、『モラルハラスメント』……証拠と共に法的手段に出ればわたくしの圧勝となるほどの見事な屑っぷり、こちらから願い下げですわ!!」
閉じた扇子でピシリと男を差した。
……やっと言えたわ! 巻き戻り人生四回目。漸くここまで来れた……
感慨もひとしおだった。アリアは過去に思いを馳せる。
弦楽器のヴィオラを思わせる落ち着いて深みのある声が、男の鼓膜を震わせた。
「な、何? こ、婚約……破棄、だと?」
それは男にとって寝耳に水の単語だったようだ。まさに『大驚失色』の様相で、辛うじて絞り出した掠れ声がそれを物語っている。
アリアはゆっくりと口角を上げた。最高に優雅に見える微笑みで、勝ち誇ったように男を見つめる。ほっそりとした両腕が大事そうに抱えているのは、王家の紋章が刻まれたA4サイズの白い封筒だった。
(目の前の……こ、この女は、本当に……あのアリア、なのか?)
男はアリアを今初めて見るかのように息を呑み、瞳が釘付けになった。彼女が差し出すままに、思わずその封筒を受け取ってしまう。
(し、知らない……こんな、こんな女……)
彼女の髪は、腐敗して淀んだ水色だと思っていた。痩せこけて病的な顔色に、目ばかり大きくて気味の悪い、水色とも黄色ともピンクとも……何色とも表現し難い不気味な色合いの虹彩。いつも何かに怯えて人の顔色を窺い、愛に飢えて愛を求めて只管尽くす己の意思を持たない人形……だった筈だ。
だが、今の彼女はどうだ? 髪は、思わず二度見てしまうような勿忘草色ではないか。それはさながら絹糸のように艶やかで垂直に流れる滝のように腰に向かっている。蝋のように青味がかった透き通るような肌に、さくらんぼを思わせるぷっくりとした唇はまるで紅水晶で作られたようだ。鼻は決して高くはないが鼻筋は上品に通っており、形は整っている。むしろ、零れそうなほど大きな双眸と卵型の小さな顔の輪郭とはバランスが取れていると言えよう。髪と同色の睫毛は、丸味を帯びた大きな瞳を繊細に縁取り、その長さに頬に影を落とす。淡い薄紫の地に白いアナベルの花が描かれたAラインのワンピース姿は、彼女のほっそりとしたしなやかな体つきを妖精のように魅せていた。
しかし、取り分け男の目を惹いたのはその瞳の色だった。透き通るようなホリゾンブルーに、黄色、オレンジ、ピンク、緑……移り変わるオーロラを細かく切り取って内包させたような色合いだった。それはまるで……
(ウォーターオパールのようだ……)
そう、ちょうどオパールのように遊色効果のある双眸だった。
「……何を呆けてらっしゃるのです? せっかく、最高のプレゼントを用意して差し上げたのに。今すぐ、魔術ペンでサインをお願いしますね。印鑑は今お持ちで無くても、血判で大丈夫ですので」
別人のようにピンと背筋を伸ばし、凛とした佇まいは女神のように高貴で無意識に平伏したくなる力を秘めていた。
「最……高の、プレ……ゼント?」
「ええ、ですから婚約破棄です」
(う、嘘だ……この女は俺に、首ったけの筈……)
「な、何故『婚約破棄』が……」
男は口の中が乾いてカラカラになっていた。生まれて初めて味わう屈辱に、全く思考が追い付いて来ない。
「今更お惚けにならなくても宜しいのですよ? おぞましく感じるほど毛嫌いされてらっしゃるわたくしから解放して差し上げるのですから。これで、愛してやまないヘレナ様と晴れて堂々と御一緒になれるのです。これほど素晴らしいプレゼントはございませんでしょう?」
(確かに、ヘレナとは愛し合って来た……だが……)
「ば、馬鹿な……今更、婚約を、取り止めるなんて、世間体が……」
(こんな女……知らない、こんな……女神のように神々しく、美しい、神秘的な……)
必死に婚約破棄を阻止しようと思考を巡らせるも、口をついで零れ落ちたのは何とも情けない呟きだった。
「ほほほほ……」
右手に持った白地に藤の花の模様が描かれたの扇子を優雅に開いて口元を覆い、アリアは高笑いする。そして小首を傾げて男を見つめた。サラリと勿忘草色の髪が流れた。キラキラとウォーターオパールの瞳が虹色に輝く。嫌でも視線が絡め囚われてしまう。
「面白いご冗談を。今更も何も、帝国中で有名なラブロマンスではないですか。地位も才能も美貌も全てにおいて完璧なるジークフリート・アシェル・クライノート公爵と、同じく才能も人格も完璧で絶世の美女と言われるヘレナ・ベアトリーチェ・フルール伯爵令嬢との秘めたる禁断の恋。そしてわたくしは、お二人の真実の愛を邪魔する無能で役立たずな醜い悪女アリア・フローレンス・カレンデュラ第三皇女、地位と権力でお二人の仲を切り裂いた……と世間では言われているようですわね。実際は、あなたが皇族に繋がりが欲しくてわたくしに近づいて婚約を申し込んだ。ヘレナ様との運命の出会いはその後なのですけれど」
アリアの言葉に、男はワナワナとその身を震わせる。漸く思考力が戻って来たようだ。
「違う! 世間では好き勝手に言っているだけだ! 彼女とは単なるビジネスパートナーだ。結婚はしない! 結婚はアリア、あなたと……」
「いい加減に空々しい演技は辞めて頂けますかしら?」
アリアは男の言い訳を許さず、ピシャリと遮った。
「わたくし、全て存じ上げてありますのよ? あなたは最初から皇族の繋がりが欲しくてわざわざ冷遇されている私に近づいた。ヘレナ様と運命の出会いを果たし、わたくしと婚約中なのにも関わらず恋に落ちたお二人はスクスクと愛を育まれ、わたくしと形だけの結婚をして皇族になり、頃合いを見計らってわたくしを殺害した後にヘレナ様を迎え入れようとしている事」
「……な、ち、ちが……」
「嘘おっしゃい!」
顔面蒼白で慌てふためく目の前の美丈夫に、アリアは内心では愉悦に浸って俯瞰していた。
「あなたもわたくしを毛嫌いなさっているでしょうけど、わたくしも、浮気男は虫唾が走るほど嫌いですの。更に、あなたは『ドメスティックバイオレンス』に『ネグレスト』、『モラルハラスメント』……証拠と共に法的手段に出ればわたくしの圧勝となるほどの見事な屑っぷり、こちらから願い下げですわ!!」
閉じた扇子でピシリと男を差した。
……やっと言えたわ! 巻き戻り人生四回目。漸くここまで来れた……
感慨もひとしおだった。アリアは過去に思いを馳せる。
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