その男、有能につき……

大和撫子

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第百二十話

ミオツクシ

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「光と闇の精霊達よ、ラディウスの名の元、我をの地へ導きたまえ」

 『返事は急がない』そう言って掻き消えてしまった国王を呆然と見つめながら、気付けば無意識に呪文を唱えていた。瞬きする事数回……。先日と変わらない庭園。ただ、寒椿が勢いを増したように鮮やかだ。そんな中、ハ-ブの清々しい香りに包まれコンサバトリーの前に佇んでいた。

 ……もしや、王子に会えるのでは……

 浮き足立つ己を戒めつつ、静かに硝子の扉を開ける。室内は相変わらず、柔らかな陽光が降り注いでおり、カトレアや欄が華やかに咲き誇っていた。甘く濃厚な香りが溢れている。

 ……やっぱり、会えないか……
 
 そうだよな、そう簡単にいく訳ないよな。自分に言い聞かせつつも、自嘲する。

 ……俺は、ただ逃げているだけだ……

 何とかして誰も傷かぬ方法を、などとさも思いやり溢れたように装い、その実自分が傷つくのを恐れ、逃げて甘ったるい自己陶酔に浸っているだけの愚か者だ。

 テ-ブルの上を見る。何か書かれた淡いブルーの便箋の傍らに、鮮やかな孔雀の羽で作られた羽ペンがあった。

 ……王子……

 愛しい人の筆跡を目にし、喜びが込み上げる。便箋を手に取ると、ふわりと甘やかな香りがした。バニラに薔薇を溶かしたような上品な甘さを胸に吸い込む。何が書かれているのか……


*********

 愛する惟光へ

 有難う。返歌、嬉しかった。早く逢いたいよ。一日も早く。

 君が行く 海辺の宿に 霧立てば が立ち嘆く 息と知りませ
 
 惟光の強い意志の力が、僕たちを再び結びつけてくれるから! どうか、どうか諦めないで。

 ラディウスより

 
*********

 王子! そうだ、弱気になっても自嘲しても始まらない。しっかりしろ、俺! さて、え-と……今回は万葉集からか。

 君が行く 海辺の宿に 霧立てば が立ち嘆く 息と知りませ
 <意訳>
 あなたが行く海辺の宿で、もし霧が立ちこめたなら……。私が都で立ち嘆いている呼吸だと思って、私の事を思い出して下さい。

 忘れる筈がない。忘れてしまえる筈がない! だけど、俺がいつまでも決断しなかったら……。

 もう、本当に腹を括らなければ! いくら異世界と言っても、時間は有限なんだ。真っ直ぐに想いをぶつけてくださった国王にも、誠意を見せないと駄目じゃないか。

 便箋を一枚切り取り、丁寧に折って懐にしまう。羽ペンを取り、便箋に返事を書き始めた。ここに長居は出来ない。俺の今の気持ちをそのまま現した和歌、百人一首からお借りしよう。


 
*********

 ラディウス様、お慕い申し上げております。お手紙、大変嬉しく拝見させて頂きました。私の気持ちはただ一つ。

 侘ぬれば 今はた同じ 難波なる 身をつくしても 逢わむとぞ思ふ

 必ず、必ずや!

 惟光より

 
*********

 元良親王の和歌だ。あの陽成院の第一皇子。この和歌は、宇多院の后との不倫が発覚した際に詠んだと言われている。つまり、開き直って大胆発言……て事なんだけど。元良親王はプレイボーイだったらしいし、何だか全てを知っている人から見たら、国王と俺に対して皮肉でこの和歌を選んだみたいに見えそうだが……決してそうじゃない!
 
 侘ぬれば 今はた同じ 難波なる 身をつくしても 逢わむとぞ思ふ
<意訳>
 これほどあなたとの恋に悩み苦しんでいるので、事が露呈してしまった今となっては、もうどうなっても同じです。それならばいっその事、「澪標みおつくし」のようにこの身を滅ぼしてでも愛を貫き、恋しいあなたとの逢瀬を果たそうと思います!

 ペンを置き、静かに目を閉じた。
 
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