その男、有能につき……

大和撫子

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第百十八話

心を君に……

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 瞬きを数回、目を開けばそこは……目を開くと薄紅色の山茶花が目に映った。続いて、パンジーが咲き乱れる花壇、水の流れる水瓶を右肩に担いだ乙女像の立つ噴水周りを囲む白水仙。更に、バランス良く配置されている蝋梅や紅椿の花木が立ち並び、それらの周りをシクラメンやクリスマスローズなど、冬の花々が美しく彩っている。

 ……あぁ、本当の季節は冬なのだ……

 そう実感すると同時に感じる冴え冴えとした冷たい空気が、肌を引き締める。蒼天に輝く太陽は、氷を透かして見る光にどこか似ていた。

 初めてこの場所に来た時は、実際の季節は秋だったけれど。体調が今一つだった俺を気遣って春爛漫の庭園にしてくれたっけ……。

 あぁ、俺はここに独りきりなのだ……。

 時が経った現実と、自分が今置かれている状況が改めて感じられる。何だか置いてけぼりを食ったような、焦燥と一抹の寂しさは胸を巣食った。少しだけ、目を閉じる。まずは落ち着こう。

 ここは王子と俺の『秘密の場所』。さすがに、都合よく王子がいるなんて展開にはならなかったけれど、ここに、この場所に来る事が出来たのだ。生霊なのか魂に一部が抜け出て来たのかは分からないけど、今ここに居る俺も実体を伴っているみたいだし。置き手紙くらい置いて行けそうじゃないか。確か、コンサバトリーにメモ用紙やペンがあった筈だ。王子がここに来るかどうかは、分からないけれど。せっかく来れたのだから、何かしらアクションを起こしたい。きっと、その積み重ねが未来を形作っていくのだと思うから。

 そんな事を思いながら、コンサバトリーを目指す。今まで、ぬくぬくと暖かい一定の気温の室内にいる事が多かったせいか、少し肌寒い風が気分を引き締めてくれるように感じる。

 コンサバトリーの内部は、柔らかく陽の光を集め、カトレアや蘭などの南国の花が咲き誇っていた。ふわりと甘い香りが漂う。ノアがしっかり手入れをしてるのだろう。自然に口角が上がる。紙とペンを探そうとしてテーブルの上に目が留まった。白い便箋に、白い羽ペンが置かれている。

 ……まさか! もしや……

 トクン、と期待に鼓動が跳ねた。便箋には何か文字が書かれているようだ。逸る気持ちを抑えつつ、そっと便箋を手に取った。


********

 惟光へ

 もしかして、ここに来ればいつか会えるかもしれない。そう思って、メモを残していきます。惟光、元気? 体調は大丈夫? 会いたいよ……

  思へども 身をしわけねば 目に見えぬ 心を君に たぐへてぞやる

 ラディウスより

********

「……王子……」

 王子の思いが胸に迫る。透明の膜が溢れ、目の前が霞む。瞬きと共に、雫が両頬を使った。俺は、ここに来るかもしれない、とメモを残しておいてくれたのだ。いつ、来たのだろう? 何回ここに? メモはいつ……いや、とにかく返事を書こう。セディによれば、時間が来たら自然に本体に戻るそうだ。いつ戻るか分からないのだから、早めに書かないと。ますは王子に俺がここに来た事、知って貰わねば。
          
 確か、王子の引用したこの和歌は……伊香子淳行いかごのあつゆきだ。古今和歌集の一首だったと思う。

 思へども 身をしわけねば 目に見えぬ 心を君に たぐへてぞやる
(意訳)
 私もあなたと一緒に行きたいとは思うけれども、この身を二つに分ける事は出来ないので、目に見えぬ心をあなたと一緒に付き添わせせるよ。

 温かな想いが、胸を満たす。その和歌で、王子の想いが痛いほど伝わる。それなら俺も、和歌で返そう。そうだな……。羽ペンを手に取り、便箋をめくった。真っ白なページに書き始める。


*********

 ラディウス王子殿下

 メッセージ大変嬉しく拝見致しました。自分は元気です。殿下に、一日も早くお逢いしとうございます。

  瀬を早み 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ

 惟光より

*********

 急いで書き記す。あれもこれも書きたい、だが、完結に。途中で終わるのは何かあったのではないかと心配させてしまう。何となく、戻る時間が迫っているような気がする。返歌は百人一首から、崇徳院の和歌にしよう。

 『川瀬の流れがはやいので、岩にせき止められる滝川の水が一旦はわかれてもまた一つの流れとなるように、今は別れていてても、将来はきっと会おうと思います』

 今の俺の気持ち、そのままだと思ったからだ。ふと、くらりと眩暈がした。もう、戻る時間らしい。そう直感した。
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