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第百十二話
国王陛下の傀儡・後編
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高貴で深みのある甘さが、包み込むように香る。深い紫色の直裾からどこはかとなく香ってくるから、薫衣香ってやつだろう。それにすっぽりと包み込まれている訳だから、香らない訳がない……。
「どうした? 体が強張っているようだが……」
左の耳元で、艶のある声が囁く。ゾクリと左耳から首筋、左脇腹から左足首へと鳥肌が駆け抜けた。
「い、いいえ。ただ、このような経験は初めてで……その、どうして良いか分からないのです。申し訳ございません」
しどろもどろに答える。だって本当の事だ。
「気にするな、謝る必要などない。私が、そなたとこうして過ごしたいと希望したのだから」
国王はそう続けて、俺を包み込むようにして抱き締める。同時に俺の体は硬直し、言い知れぬ罪悪感に満たされていく。何故だろう? 何だか酷く後ろめたい。胸の奥から背徳感すら芽生えて来る。それこそムカムカと吐き気を催す程に……。
つい先ほど、朝食を済ませて少しした後に国王がやって来た。およそ一時間ほど時間が取れたそうで、ソファの上で俺を膝の上に乗せ、ただただ背後から抱き締めたいのだそうだ。国王陛下の観賞用傀儡がお役目だと言う俺は、素直にその言葉に従った。だってダニエルが、朝食を下げるついでにわざわざ「観賞用傀儡である事をゆめゆめお忘れにならぬように」と念を押していったのもあって。でも、正直言って、この体勢は恥ずかしい。物凄く。
「ただそれだけだ。それ以上はいたさないから安心するが良い」
と仰せだったので。何となく、国王はそういった嘘はつかない気がした。単なる勘だけれども。だけど、終始この胸の奥から湧き出て来る後ろめたさは何だろう?
……落ち着け、落ち着け。考えろ。この背徳感、抵抗感はどこから来るのか。その理由は、恐らく……他に心に決めた人がいる、とか? 記憶が抜け落ちた部分で。にわかに、こんな俺なんかに? と思っちまうし信じ難いけど。でも、心に決めた人がいる、と推測したらこの罪悪の感情に理由がつく。でも、一体誰と……。だとしたら俺、軽率にこんな事したら良くないんじゃないかなぁ。いや、でも今の俺の立ち場で国王に逆らったら、即打ち首なんじゃないかとも思ったり……
「先日は、すまなかったな」
国王の声に、瞬時に我に返る。
「先日、ですか?」
思い当たる節がなくて、首を傾げる。
「物語の結末の件についてだ。色々とつっかかってしまった」
「あぁ。その事でしたら、全く気にはしておりません。むしろ、お心遣いを恐れ入ります」
人それぞれ価値観も感じ方も違って当たり前だもんな。それよりも……
「あの……」
「何だ?」
この上なく優しく問いかける国王。何だか幼子に話しかけるみたいだ。
「もう三十分以上もこの姿勢で。その……重くないでしょうか? 膝が痺れたりなさっているのでは……」
そう、これは気になって仕方無い。そもそも国王の要求に素直に従ったのも、妖しい雰囲気ではなくて。まるで父親が小さな息子に、或いは年の離れた兄が幼い弟にそうするみたいに感じたからだ。事実、すっぽりと国王に包み込まれて、傍から見たら幼子みたいだと思う。
「そのような事……」
と、国王はくつくつと面白そうに笑いながら「気にするいは及ばない」と続けた。よし、この勢いで去り気なく聞いてみようか。
「それでしたら、良いのですが。ちょっとお伺いしたい事があるのですが。宜しいでしょうか?」
そう言って、左の肩越しに国王を見上げる。銀灰色の瞳は、朧月みたいに優し気だ。
「何なりと、申してみよ」
「有難うございます。こちらの世界に迷い込んだ時とあちらの世界との境目が曖昧で。自分のしているブレスレットとペンダントがどちらの世界のものだったのか今一つ記憶が曖昧でして」
笑みを浮かべて聞いていた国王の口元が、真一文字に変わり、柔らかな光を湛えていた双眸にサッと影が差す。その影は、一瞬月の前を横切った夜鷹のように瞬時のもので。
「……あぁ、その二つなら私がそなたに初めて会った時から身につけていたようだ。あちらの世界で既にしていたものではないかと思う。それに、異世界転移者にはよくある事だ。こちらの世界とあちらの世界での記憶が曖昧になるのは」
人は後ろめたい事があると、聞かれてもいない事にまで言及するほど饒舌になる傾向がる。
「なるほど、そうでしたか」
平静を装ってそう応じながら、ペンダントもブレスレットも、こちらの世界で身につけたものなのだ、と確信した。
「どうした? 体が強張っているようだが……」
左の耳元で、艶のある声が囁く。ゾクリと左耳から首筋、左脇腹から左足首へと鳥肌が駆け抜けた。
「い、いいえ。ただ、このような経験は初めてで……その、どうして良いか分からないのです。申し訳ございません」
しどろもどろに答える。だって本当の事だ。
「気にするな、謝る必要などない。私が、そなたとこうして過ごしたいと希望したのだから」
国王はそう続けて、俺を包み込むようにして抱き締める。同時に俺の体は硬直し、言い知れぬ罪悪感に満たされていく。何故だろう? 何だか酷く後ろめたい。胸の奥から背徳感すら芽生えて来る。それこそムカムカと吐き気を催す程に……。
つい先ほど、朝食を済ませて少しした後に国王がやって来た。およそ一時間ほど時間が取れたそうで、ソファの上で俺を膝の上に乗せ、ただただ背後から抱き締めたいのだそうだ。国王陛下の観賞用傀儡がお役目だと言う俺は、素直にその言葉に従った。だってダニエルが、朝食を下げるついでにわざわざ「観賞用傀儡である事をゆめゆめお忘れにならぬように」と念を押していったのもあって。でも、正直言って、この体勢は恥ずかしい。物凄く。
「ただそれだけだ。それ以上はいたさないから安心するが良い」
と仰せだったので。何となく、国王はそういった嘘はつかない気がした。単なる勘だけれども。だけど、終始この胸の奥から湧き出て来る後ろめたさは何だろう?
……落ち着け、落ち着け。考えろ。この背徳感、抵抗感はどこから来るのか。その理由は、恐らく……他に心に決めた人がいる、とか? 記憶が抜け落ちた部分で。にわかに、こんな俺なんかに? と思っちまうし信じ難いけど。でも、心に決めた人がいる、と推測したらこの罪悪の感情に理由がつく。でも、一体誰と……。だとしたら俺、軽率にこんな事したら良くないんじゃないかなぁ。いや、でも今の俺の立ち場で国王に逆らったら、即打ち首なんじゃないかとも思ったり……
「先日は、すまなかったな」
国王の声に、瞬時に我に返る。
「先日、ですか?」
思い当たる節がなくて、首を傾げる。
「物語の結末の件についてだ。色々とつっかかってしまった」
「あぁ。その事でしたら、全く気にはしておりません。むしろ、お心遣いを恐れ入ります」
人それぞれ価値観も感じ方も違って当たり前だもんな。それよりも……
「あの……」
「何だ?」
この上なく優しく問いかける国王。何だか幼子に話しかけるみたいだ。
「もう三十分以上もこの姿勢で。その……重くないでしょうか? 膝が痺れたりなさっているのでは……」
そう、これは気になって仕方無い。そもそも国王の要求に素直に従ったのも、妖しい雰囲気ではなくて。まるで父親が小さな息子に、或いは年の離れた兄が幼い弟にそうするみたいに感じたからだ。事実、すっぽりと国王に包み込まれて、傍から見たら幼子みたいだと思う。
「そのような事……」
と、国王はくつくつと面白そうに笑いながら「気にするいは及ばない」と続けた。よし、この勢いで去り気なく聞いてみようか。
「それでしたら、良いのですが。ちょっとお伺いしたい事があるのですが。宜しいでしょうか?」
そう言って、左の肩越しに国王を見上げる。銀灰色の瞳は、朧月みたいに優し気だ。
「何なりと、申してみよ」
「有難うございます。こちらの世界に迷い込んだ時とあちらの世界との境目が曖昧で。自分のしているブレスレットとペンダントがどちらの世界のものだったのか今一つ記憶が曖昧でして」
笑みを浮かべて聞いていた国王の口元が、真一文字に変わり、柔らかな光を湛えていた双眸にサッと影が差す。その影は、一瞬月の前を横切った夜鷹のように瞬時のもので。
「……あぁ、その二つなら私がそなたに初めて会った時から身につけていたようだ。あちらの世界で既にしていたものではないかと思う。それに、異世界転移者にはよくある事だ。こちらの世界とあちらの世界での記憶が曖昧になるのは」
人は後ろめたい事があると、聞かれてもいない事にまで言及するほど饒舌になる傾向がる。
「なるほど、そうでしたか」
平静を装ってそう応じながら、ペンダントもブレスレットも、こちらの世界で身につけたものなのだ、と確信した。
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