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第百九話
花嵐・後編
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吹きすさぶ花嵐。塗りつぶしたかのような暗闇の中、無数の桜の花びらは内側から光を放つようにしてほの白く輝く。
俺はただポツンと暗闇の中に佇んでいた。ぼんやりと花嵐を眺めている。
……あぁ、これは夢だ……
おもむろにそんな事を思いながら天を仰いだ。
……また、国王の母君の夢の中なんだろうか……
けれども、この桜の花びらはこの前の枝垂れ桜の色と異なるような気がする。この花びらの方が薄紅色が濃いのだ。全身にまといつくような風も叩きつけるような花びらも、どちらも感触は生々しいのに、現実ではあり得ない風景。どこかアンバランスな世界だ。不思議と恐怖はない。
『……惟光……』
どこからともなく、俺の名を呼ぶ声が風に乗って届いた気がした。いや、気のせいだろうか? 風の音のようにも思える。
『惟光……』
今度はもっとはっきりと聞こえた。どうやら前方から聞こえるようだ。何だろう……笛の音を思わせる声色。どこか懐かしさを覚えた。誰か来るのか……? 目をよく凝らして前方を見つめる。暗闇に桜吹雪が舞い散る中、そお遠くない場所で仄かに灯りが見えた気がした。篝火? いや、炎の明るさとは異なる。蛍光灯の光でもない。部屋のシャンデリアを思い浮かべる。それとも違う……蛍の光でもない。
そんな事を思って凝視している内に、その光は次第にこちらに近づいてきている。人……等身大の大きさの光を、無数の桜の花びらが覆っている……そんなイメージだろうか。花びらの隙間から漏れる光は、月の光……いや、それとも異なる、温かそうで柔らかな……そうだ、お日様だ、日溜まりみたいに優しい光。
安心して、それが近づいて来るのを待つ。口角が自然に上がる。心なしか、鼓動が早まる。何故か待ち人来る、そんな思いすらしていた。何だかおかしな夢だ……。
花びらをまとった陽だまりが、手を伸ばせば触れられるくらいの位置まで近付いて静止した。懐かしさとときめきと……
『惟光』
はっきりと俺の名を呼ぶその声は、フルートみたいに澄み切って。何だかドキドキした。俺、その声を知っている……。
『はい』
当然のように返事をする。刹那、一際強い風が俺を目がけたように吹き抜けた。向かい風だ。花びらが顔に、全身に当たって呼吸が困難になる。一瞬、目を閉じた。すぐに突風は止み、目を開ける。目の前の花びらをまとった光は、目を開けるのを待ち構えたように花びらが舞い始めた。光がむき出しになっていく。陽だまりのような光は、ほんの少し眩しく感じるだけで目に優しい。光りの中には、中世ヨーロッパに出てきそうな淡い空色の衣装に身を包んだ王子様がいた。いや、光の中に居るのではない、王子自身が光輝いているんだ……。
思わず息を呑んだ。
金色に髪、真珠色の肌、研磨された最高級品質の宝石を思わせるロイヤルブルー瞳に、ピンクサファイアの唇。宝石で出来たような美しさに。ドクン、トクン、と鼓動が弾む。初めて会った筈なのに、胸の奥から痛いくらいに溢れ出る懐かしさ。逢いたくて逢いたくて……。
『やっと、会えた。面会も許されないし、強硬手段に出ようにも、お部屋全体が結界みたいで魔術も使えないから。唯一結界が薄かった夢の中で、会いに来たよ』
その人は微笑んだ。あぁ、全てを包み混むような温かな笑顔。俺だけに向けてくれる優しい眼差しは、感情や光の加減で色が変化するんだ。ほら、ロイヤルブルーから優しい菫色に。そう、ベキリーブルーガーネットの宝石みたいに……。
『……ラディ……ウス……王子殿下!』
透明の膜が張って、目の前がかすむ。口をついて出る愛しい人の名前。どうして、今まで忘れていたんだろう?
『おいで、惟光』
王子両手を広げた。涙が頬を伝う前に、風がさらっていく。吹き荒れる花嵐。一歩前に踏み出すと、懐かしい薔薇とバニラの香りがした。
『殿下……』
迷わずその腕に飛び込んだ。
俺はただポツンと暗闇の中に佇んでいた。ぼんやりと花嵐を眺めている。
……あぁ、これは夢だ……
おもむろにそんな事を思いながら天を仰いだ。
……また、国王の母君の夢の中なんだろうか……
けれども、この桜の花びらはこの前の枝垂れ桜の色と異なるような気がする。この花びらの方が薄紅色が濃いのだ。全身にまといつくような風も叩きつけるような花びらも、どちらも感触は生々しいのに、現実ではあり得ない風景。どこかアンバランスな世界だ。不思議と恐怖はない。
『……惟光……』
どこからともなく、俺の名を呼ぶ声が風に乗って届いた気がした。いや、気のせいだろうか? 風の音のようにも思える。
『惟光……』
今度はもっとはっきりと聞こえた。どうやら前方から聞こえるようだ。何だろう……笛の音を思わせる声色。どこか懐かしさを覚えた。誰か来るのか……? 目をよく凝らして前方を見つめる。暗闇に桜吹雪が舞い散る中、そお遠くない場所で仄かに灯りが見えた気がした。篝火? いや、炎の明るさとは異なる。蛍光灯の光でもない。部屋のシャンデリアを思い浮かべる。それとも違う……蛍の光でもない。
そんな事を思って凝視している内に、その光は次第にこちらに近づいてきている。人……等身大の大きさの光を、無数の桜の花びらが覆っている……そんなイメージだろうか。花びらの隙間から漏れる光は、月の光……いや、それとも異なる、温かそうで柔らかな……そうだ、お日様だ、日溜まりみたいに優しい光。
安心して、それが近づいて来るのを待つ。口角が自然に上がる。心なしか、鼓動が早まる。何故か待ち人来る、そんな思いすらしていた。何だかおかしな夢だ……。
花びらをまとった陽だまりが、手を伸ばせば触れられるくらいの位置まで近付いて静止した。懐かしさとときめきと……
『惟光』
はっきりと俺の名を呼ぶその声は、フルートみたいに澄み切って。何だかドキドキした。俺、その声を知っている……。
『はい』
当然のように返事をする。刹那、一際強い風が俺を目がけたように吹き抜けた。向かい風だ。花びらが顔に、全身に当たって呼吸が困難になる。一瞬、目を閉じた。すぐに突風は止み、目を開ける。目の前の花びらをまとった光は、目を開けるのを待ち構えたように花びらが舞い始めた。光がむき出しになっていく。陽だまりのような光は、ほんの少し眩しく感じるだけで目に優しい。光りの中には、中世ヨーロッパに出てきそうな淡い空色の衣装に身を包んだ王子様がいた。いや、光の中に居るのではない、王子自身が光輝いているんだ……。
思わず息を呑んだ。
金色に髪、真珠色の肌、研磨された最高級品質の宝石を思わせるロイヤルブルー瞳に、ピンクサファイアの唇。宝石で出来たような美しさに。ドクン、トクン、と鼓動が弾む。初めて会った筈なのに、胸の奥から痛いくらいに溢れ出る懐かしさ。逢いたくて逢いたくて……。
『やっと、会えた。面会も許されないし、強硬手段に出ようにも、お部屋全体が結界みたいで魔術も使えないから。唯一結界が薄かった夢の中で、会いに来たよ』
その人は微笑んだ。あぁ、全てを包み混むような温かな笑顔。俺だけに向けてくれる優しい眼差しは、感情や光の加減で色が変化するんだ。ほら、ロイヤルブルーから優しい菫色に。そう、ベキリーブルーガーネットの宝石みたいに……。
『……ラディ……ウス……王子殿下!』
透明の膜が張って、目の前がかすむ。口をついて出る愛しい人の名前。どうして、今まで忘れていたんだろう?
『おいで、惟光』
王子両手を広げた。涙が頬を伝う前に、風がさらっていく。吹き荒れる花嵐。一歩前に踏み出すと、懐かしい薔薇とバニラの香りがした。
『殿下……』
迷わずその腕に飛び込んだ。
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