その男、有能につき……

大和撫子

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第八十話

Last chance……・前編

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「うっふっふっふ……夕べはしっかり休んで、元気になったでしょ? 沢山咳き込んで、いーっぱい血を吐いてちょうだいね」

 変態女は、入ってくるなりドレスの裾を左手でたくしあげてしゃがみこんだ。右手を伸ばして俺の顎に触れて引き上げる。目を反らすのは癪だ! 菫色の双眸をキッと見返す。病気を弄ぶなんて、罰当たりめ!!!

「貴様ーっ! クレメンス様に反抗的な……」

 怒り狂って俺に掴みかかろうとするアルフォンスを、変態女は左手を軽くあげて制した。

「……そうよ、この目よ。儚げで弱々しそうな外見なのに、意外と目に力があるの。あぁ、何て素敵なのかしら。そうやって必死の抵抗も虚しく……自らの血に溺れて衰弱して行く姿が、たまらないわぁ」

 異常過ぎる性癖……ゾクリと背筋が凍りついた。

「さぁ、楽しませて頂戴!」

 そう言って、サッと立ち上がり後ろに下がる。ビクビクおどおどと成り行きを見守っている国王陛下の左隣に移動した。アルフォンスは変態女と入れ替わるようにして俺の前にしゃがみ込込み、残忍な笑みを浮かべる。まるでそれは、まだ善悪の判断がつかない幼子が虫や小動物を虐め殺すような……無邪気故に残虐な殺意によく似ていた。

「お二人を心行くまで楽しませろよっと」

 と言いながら、右手で俺の胸をトンと突いた。グッ! 胸が詰まると同時に激痛が走る。カハッ、ゼィッゲボゲボッゴボッゴホゴホゴホッゼィッゴボッ……嵐のように激しい咳の発作が襲いかかる。僅かな呼吸さえも許さない怒涛の咳の発作。ゴボゴボッゲホッゴホゴホゴホッ……グッカハッ! 胸の奥から生温かい鉄臭い塊が込み上げ、最早見慣れちまった鮮血が口からドッと拭き上げる。いつもより勢いよくボタボタと音を立て、床をに血だまりを作り上げていく。ボロボロに壊れた肺は僅かな刺激にも耐えられず、それでもほんの僅かでも酸素を求めて喘ぐ事で生き抜こうと必死に本能がもがく……。

 虚しい抵抗だ。血を吐き切る前に容赦無く咳の発作が襲いかかる。激しい胸痛と、喀血に溺れて窒息する。そのまま意識が飛びそうになる。もう、Last chance……アドレナリンは過剰に分泌されない……のか……もう、楽になりたい……

「それっぽっちの咳き込みで喀血? 興醒めなんだけどぉ」

 不満そうな変態女の声に、沈み掛けた意識が浮上する。

「休んで体力回復したんでしょ? もっと楽しませなさいよ!」

 と、声を荒げている。おのれ狂女め……地獄に落ちやがれ! 生まれて初めて、そこまで思うほどに人を憎んだ。

「……だ、そうだ。もっと盛大に咳き込んで血を吐くんだな。やり直し、と」

 アルフォンスは左手で俺の前髪を掴み、右手で再び胸を突いた。刹那、待ち望んでいた酸素が肺腑に行き渡り、血に淀んで腐敗しかけた二酸化炭素を肺の底から排出する。だが、次の瞬間怒涛のように襲いかかる咳の発作と激しい胸の痛みにもがき苦しむ。まさに、肺が張り裂けるのではないかという程咳き込んだ挙句、肺から口に噴出する鮮血。意識を失いそうになる度に、蘇生。激しい咳の発作と喀血。その繰り返しの生き地獄が続いた……。



「……さすがに、もう気力も底をついただろうて。これ以上はもう、気の毒ではなかろうかのぅ?」

 遠慮がちに声をかける腑抜け王の声。今はぐったりとしたままだ。小休止状態らしい。もう幾度、咳に陵辱され喀血に蹂躙され続けたろう。己の血で床が血の海だ……。もう、死にたい……王子、もう……俺、もう……無理です。もうこれ以上は頑張れない……皆、ごめん。これより先は正気を保つ自信がない。になるよりは、俺自身の最後の尊厳を……許してくれ……

「いいえ、死なせはしないから大丈夫よ。ね、あなた、アル。それより、この子の男の象徴がどんな具合か見てみたくない?」

 何? 何を言っている? 舌を噛み切ろうとしたその時、変態女の信じられない台詞にサバイバル本能に再び火がついた。

「おう! 死に直面した際、種族を残そうと本能が最後の足掻きを見せるという!」

 腑抜け王が声を弾ませる。やはりコイツも異常性癖の持ち主だ。こんな二人から生まれて、王子はよく真っすぐ育ったものだ……

「結構、熱く滾ってるんじゃないですかねぇ? 俺の魔力で辛うじて繋がっているだけの生命線ですし」

 小馬鹿にしたように言うアルフォンス。俺に何をするつもりだ?! まさかっ!

「ちょっと見せなさいよ。ラディウスとあなたはどっちがどうなの?」

 俺の真ん前にしゃがみ込む変態女。目を爛々と輝かせ、卑猥な笑みを浮かべて舌なめずりをしやがる。両手を俺の其処に伸ばす。冗談じゃない! 触るな!! 断固拒否だ!!! キッと女を睨みつけ瞬間、「キャッ!」と女は短く悲鳴を上げ、後ろに弾き飛んだ。

「クレメンスや!?」「クレメンス様っ!」腑抜け王とアルが慌てて女を支える。

「何だ貴様っ!」

 気色ばむアルに、驚愕の眼差しで俺を見る変態夫婦。いや、一番驚いたのは俺自身かもしれない。だって、俺の目の前に太陽の輝きで描かれたみたいなデカい五芒星が描かれていたんだ。まるで、俺の全身を守る盾みたいに!
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