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第54話 王の不倫相手

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朝起きると、すでに美味しそうな朝食が用意されていた。ジャオとジャオのたくさんの妹たちと一緒にテーブルについて、ありがたくそれを頂く。
山盛りのロールパン、目玉焼きにベーコン、それに色とりどりのサラダ。城のものほど凝ってはいないが‪……‬一人きりで食べるそれよりも、大勢で囲む食卓で食べられるこの料理のほうがよほど美味しく感じられた。

「昨日よりだいぶ顔色が良くなったわ」

上機嫌でそう言うミヤビさんに曖昧な笑みで返す。……気まずい。
バレていないとは思うが、いくら傷心中だったとはいえ、ジャオの自室でジャオと致してしまうなんて‪……‬僕はなんて倫理に背く行為をしてしまったんだ。こんな幼子たちがたくさんいる家の中で、どうかしてる。
隣のジャオを盗み見る。一切の気まずさや葛藤も感じられない冷静な横顔だ。焼いたパンをガリガリと噛み砕く様は豪傑で、ともすると見惚れてしまう。重症だ。ジャオの家族に囲まれていてなお、ジャオから目が離せなくなってしまうなんて‪……‬。

「ベル、食べたら散歩にでも行くか」

僕の視線に気付いたジャオがそう声をかけてくれる。
まだ風が冷たく新鮮な中で、緑豊かなジャオの家の周辺で朝の散歩、いいかもしれない。けれど、僕は力なく首を横に振っていた。

「僕、城に帰るよ」
「えっ!?」

ジャオよりも先にミヤビさんが声を上げた。持っていたお皿を慌てて手元に置き、僕のもとにすっ飛んでくる。

「どうして!? いつまでいても良いのよ、必要ならお部屋も用意するわ」
「ミヤビさん、ありがとうございます‪……‬けど、母上のことが心配なんです。僕を助けに来てくれた後どうなったのか」

そうだ。あの時、城から逃げ出す直前、母上が僕の部屋の外まで駆けつけてくれていた。そうして父上に隙を作ってくれたからこそ僕はうまく逃げおおせたのだ。
目的を果たせなかった父上は憤慨しただろう。母上に八つ当たりで、ひどいことをしていないとも言い切れない。いやむしろ、その確率の方が高い‪……‬僕だってわざわざ敵の陣地に飛び込みたくはないけれど、母上はあの時僕を助けようと来てくれたんだ。そんな人を見捨てるなんて、道理に反するだろう。

「そんな、ベルくん、わかるけど‪……‬」
「ミヤビ、大丈夫だ。私とジャオがお供しよう」

ジャオの父が会話に割って入ってきた。ジャオがムッとした表情をする。どこか幼い、意地を張ったような彼のこんな顔は、父親に対してだけだと僕は知っている。

「実は昨晩、私が城を訪ねた時は王妃様が対応してくださったんだ。だからそう心配することもないと思う」
「母上が‪……‬? そうなんだ、よかった‪……‬」
「なら俺がベルを城まで送ってくる。父さんは来なくていい」

またそういう反抗的な態度をとる。咎めようかと思ったが、ジャオの父は怒りとは真逆の穏やかな笑みを浮かべて息子を見つめている。信頼‪……‬のようなものだろうか。温かな感情に満たされた瞳を見て僕は言葉を押し込めた。
ミヤビさんは単純に僕と過ごしたいと思ってくれていたようで、最後までゴネていたけれど……最終的には夫婦で並んで、僕とジャオのことを送り出してくれた。






城に帰ると門番が血相を変えて駆け寄ってくる。ちなみにこの男も僕に味方すると宣言してくれた勇気ある者だ。

「ベル様! ご無事で何よりです‪……‬!」
「‪……‬もう何が起こったのか皆知っているのか?」
「‪……‬はい。ベル様も大変でいらっしゃいましたね。御父上が不倫をなさっていたとは‪……‬それで深く傷ついて、家出をしていらっしゃったのでしょう?」
「は?」

なんだそれは。父上が不倫? 僕の知らない情報だ。
不倫相手って僕のことだろうか‪……‬いや、あれは昨晩だけの出来事だし、父上は情愛を持って僕を襲ったわけではない‪……‬薄汚い策略のために事を起こしたにすぎないのだ。
となると、きっと母上が僕の名誉のために嘘の情報を流したのだろう。そうだよな‪……‬城に誠心誠意仕えてくれている者たちにとっても、あの真実はあまりにも惨すぎる。

「コホン。まあ‪……‬もう気にしていない。母上にすぐ会いに行く」
「今は来客中ですが、ベル様のご帰還ともなればきっとお喜びになるでしょう。ささ、お帰りなさいませ」

うやうやしくお辞儀をする門番。「ジャオ様もごゆっくりどうぞ」と付け足して、城の中へと誘導するように腕を向けた。母上に来客、近頃となっては珍しくもないが‪……‬あの騒動の後となると、何か複雑な事態になっていそうだ。逸る胸を抑えてジャオと城内に入る。

「ベル様、お帰りなさいませ」
「御父上があんなことになって、ああ、おいたわしや‪……‬」
「ジャオ様がいてくださって本当に良かった……!」

城の者は僕に挨拶をする傍らで口々に同情の言葉を交わす。どうやら門番が聞いた噂は完全に信じられているらしい。父上に襲われたなんて僕も知られたくないから都合が良かった。
神妙な顔つきを保ちつつ、ジャオと母の部屋へと向かう。しかしそこに彼女はいなかった。掃除をしていた母上付きの執事がにこやかに教えてくれる。

「王妃様は裏庭でお客様方とパーティーを催しておいでです」
「パーティー?‪ ……‬祝い事か?」
「それはもちろん。お二人も早く行って差し上げてください」

昨日あんな事があったのに祝い事だなんて。母上が元気なのは安心したけれど‪……‬なんだか元気すぎて、違う意味で心配になってきたぞ。

裏庭に足を踏み入れると甘い香りが漂ってきた。‪……‬女人の群れだ。失礼なのは承知でそう表現させてもらおう。
あまりに大勢が集まっていて、僕とジャオは遠目で見ている時点で萎縮してしまう。しかし群れの端っこにいる女人がこちらに気付いて奇声をあげ、すぐに母上にも気付かれてしまった。

「ベル! 英雄殿も! こちらへいらっしゃい!」

羨望の眼差しが僕らを包む。彼女らの大半は女としての真の幸せを掴むことができなかった者達だ。だから僕とジャオの姿を自分らに投影して、仮初めの幸福感に浸っているのだろう。
理解はできるのだが‪……‬感情が昂って、目眩を起こす者や泣き出す者までいる始末。いかに彼女らが抑圧されていたか、今になってひしひしと感じる。

「皆様! 我がルアサンテ王国の新しい王と女王ですわ!」

高らかに宣言する母上を中心に、拍手の輪が盛大に広がっていく。いくつものテーブルには贅沢なパーティー料理が並べられているが、皆が食事を止めてこちらに注目している。

「……あの、母上‪……‬こんな事をして、父上に叱られないのですか?」
「父上? 先代の王はとっくに追い出しましてよ」
「えっ」

なんでもないことのように言ってのける母上だが、僕としては聞き過ごせない。ジャオも隣で珍しく、驚きのあまり固まっている。母上は僕の耳元で声を潜めた。

「昨日のあなたを襲いかけた件で、トドメを刺すことができました。怖い思いをさせてごめんなさいね‪」
「トドメって‪……‬」
「さあベル! 不倫男のことなど忘れて、この国の新しい門出をお祝いしましょう! ちょっとあなた達、二人にグラスを」
「母上、あの、もう少し詳しく」
「ルアサンテ王国のますますの発展を誓って! 乾杯!」

晴天の空のもと、あちこちで虹色に輝くグラスがかち合う。見渡せば、庭を埋め尽くすのは満面の笑みを浮かべる人達。希望のシャボンが弾けたような音と光景に、しばし呆けてしまった。
何が何だかわからない、けど‪……‬父上が国を追い出された? 母上の手によって? それって何よりめでたいことじゃないか。
しかしあまりに突然で心がついていかない。僕は母上の袖を引く。

「不倫というのは……嘘なんですよね?」
「本当よ。愛人を城に連れ込んで住まわせるなんて、まったくいい度胸をしているわ」
「は‪……‬?」
「まあそのおかげで、城の者達も王を軽蔑して皆が私に味方してくれたのだから、あの子にも感謝してるわ。今後も城に住まわせて手厚く保護するつもりよ」
「あの、さっきから一体誰の事を‪……‬」
「ベル」

ジャオが咎めるように僕を呼んで肩に手を置く。気持ち良く喋る母上を邪魔するなということだろうか。しかしこれでは埒があかない。

「丸く収まったのだしいいじゃないか」
「だけど‪……‬」
「一つ、訪ねたい場所がある」

母上がユーリやルシウスの母親と話し込んでいるうちに、僕らはパーティーを抜け出した。城内もどこか慌ただしく、衛兵らは色めき立っているように思う。
本当にもう、父上はこの城にいないのか‪……‬。王の間を確認して実感したい気もしたが、今はジャオに手を引かれている。長い廊下を渡り、最奥の部屋に僕らはたどり着いた。

「ベルが声をかけてくれ」
「うん‪……‬わかった」

フロストの部屋だ。そういえばここ最近訪れていなかったな。
父上が追い出されたという大ニュース、奴はもう知っているのだろうか。部屋の結界が父上に張られたものだとしたら、術者が城を去った今それも無効になっている。ここを出られると早く教えてやらなければ。
少し浮かれた気分でノックして「僕だ。入るぞ」と断った。扉を開けると、フロストはベッドに腰掛けたまま、ゆっくりと顔を上げる。

「あ‪……‬?」
「フロスト。良い報せがたくさんあるんだ‬」
「ああ‪……‬ええ」

なんだかぼんやりとして返答にキレがない。まだ体調が悪いのか。
近寄ると、いつも以上にむせ返るような花の香りがした。陶器のような白い肌はいっそう輝いているし、髪もサラサラでまるで絹だ。あまりの整いっぷりに僕は言葉を詰まらせた。
しかし当の本人はどこか上の空で、僕とは視線を合わせてくれない。というか、目の焦点が合っていないような‪……‬。

「‪……‬お前、大丈夫か?」
「‪……‬‪……‬ええ」
「この城で一夜にして起こった事を知っているか?」
「もちろん‪……‬王は王妃によって追放され、国には平和がもたらされました‪……‬めでたし、めでたしです」

最後の投げやりな言い方はどこか皮肉めいている。知っているならどうして一緒に喜んでくれないんだ。不満に思う僕の前に出て、ジャオがごく小さな声でフロストに告げた。

「大丈夫だ。王妃はベルのこともお前のことも大っぴらにはしていない‪」
「‪……‬‪……‬」
「お前の今後も保証すると言っていた。お前さえよければ今後もベルに仕えてやってほしい」
「‪……‬‪……‬同情ですか」
「そうではない。皆がお前を高く買っているんだ」

一体何の話をしているのだろう。ジャオとはずっと一緒にいたはずなのに、今どうしてフロストを慰めているのか僕には見当もつかない。怪訝そうな僕の表情に気付き、ジャオはポンとなだめるように頭に手を置く。

「‪……‬一人にしてやろう。どうやらまだ時間が必要みたいだ」
「フロスト‪……‬もしかして拗ねているのか? 活躍できなかったから? うまくいったんだしいいじゃないか」

僕の言葉にフロストは答えない。なんでだよ。ジャオの言葉には反応したのに。あまりの対応の差に僕自身が拗ねてしまいそうになる。
フロストのことは僕が一番理解していると思ったのだが‪……‬どうやら今は、ジャオに従った方が良さそうだな。

「また来るよ。あ、でももうお前もこの部屋から出られると思うぞ。後で試してみるといい」
「‪……‬あまり思いつめるなよ」

扉を閉める。あんなに部屋から出たがっていたのに、あんなに闘志を燃やしていたのに‪……‬どうしたのだろう。部屋から離れがたくて扉を見つめているが、ジャオに強く手を引かれた。

「行くぞ」
「なあジャオ。フロストは‪……‬」
「あまり詮索してやるな。……おそらく、お前に一番知られたくないはずだ」

‪……‬何か、僕に対して秘密があるのか。ジャオはそれをいつ知ったのだろう。不思議な事だらけだったが、フロストを傷つけるのはいやなのでそれ以上考えるのはやめにした。
父上もいなくなったのだ。きっとこの先の物事はすべて、いい方向に向かうはずだ。
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