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第29話 怪鳥

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帰る途中で通学路沿いの公園に寄った。
ベンチに座ってひと息つく。ジャオが水筒のお茶を分けてくれて、二人でゆっくりと子どもらの遊ぶ姿を眺めていた。男児ばかりなので少々遊び方がパワフルだ。見ていてハラハラするが、自分たちもこんなものだったのだろう。
ふと隣を見るとジャオは口元に僅かに笑みを浮かべていた。子ども、好きなのかな。

「‪……‬いいな」
「そうだな。元気な子どもの姿というのは」
「俺はきょうだいが女ばかりだから、あんなふうに思いきり遊んだことはなかった」

なるほど。ジャオは男同士で外を駆け回ったことがないのか。女の子でも公園で遊びはするだろうが‪……‬なにせこの国には男しかいない。たとえ幼児といえど女の子は目立ってしまう。
英雄家は娘が嫁に行くまで、できる限り彼女らを外には出さないようにしている。ジャオの家に遊びに行くようになって最近知ったことだ。女に飢えた男だらけの国……そう考えると用心は必要だよな。

「ベルはどうだった?」
「同じだ‪。僕はひとりっ子だから遊び相手はいつも城に仕えている大人だった」
「互いに特殊な家柄だな」
「ならなおのこと、僕たち二人を遊ばせてくれたらよかったのに」
「ベルと幼馴染か‪……‬なりたかったな」

何やら物思いに耽るジャオ。僕も思うよ。王族と対等なのはこの国では英雄一族だけだ。せっかく同じ年に産まれたのならもっと交流を持たせてくれてもよかったんじゃないか。将来は国の繁栄を支えていく、いわば仲間でもあるのだから。

「幼馴染だったら、もうとっくに結婚の約束をしていただろうな」
「ぶはっ。いきなり何を言い出すんだ?」
「毎日ベルに会っていたら、我慢できなかったと思う……‬」

そう言って指を絡めてくるジャオ。公園だって。
そもそもオトメになる前なんか、いくらジャオが求愛してくれたって受け入れたとは思えないし‪……‬うん‪……‬受け入れない、よな‪……‬? アレ、自信なくなってきた。

「ベル‪……‬」

ジャオの熱っぽい視線が絡みつく。

ちょっと待て。これってもしかしてそういう流れ?
僕、プロポーズされちゃう‪……‬!?

「ちょっと待ってジャオ、まだ……」

言いかけたところで僕は、宙に浮いた。心象風景の話ではない。現実でだ。宙ぶらりんになったまま、ぐんぐんジャオが遠ざかっていく。
公園のあちこちで人々の悲鳴が上がり、大人たちは皆一様に子どもを連れて散っていく。そして僕はそれを上空から見下ろしている‪……‬‪……‬一体、何が起きているんだ‪……‬!?

「グッ!!」

ジャオが持っていた通学鞄を渾身の力で投げた。頭上で「ギィ!」と何か生き物の呻き声?  のようなものが響いて、首への圧迫感が消失する。同時に僕は落下した。
ドシン!

地面に尻もちをつく。一瞬の出来事だった。黒く大きな影に覆われる。見上げた先に‪……‬奴はいた。
怪鳥だ。そうとしか形容ができない。猛禽類の鳥なのは確かだが、なにせデカすぎる。僕を容易にクチバシで攫ってしまえるほど、といえばその巨大さが伝わるだろうか。

「ベル!!」

ジャオの呼び声にハッとする。すぐに僕に駆け寄って抱き締めてくれる。だけど。圧倒的な風圧に僕らは追い詰められる。怪鳥が、ジャオの背後から体当たりしてくる‪……‬!

「ジャオ! 後ろっ‪……‬」

遅かった。怪鳥はクチバシを鎌のように持ち上げて、ジャオの二の腕を切り裂いていた。鮮血が舞う。泣き叫ぶ声が遠い。僕を抱き締めるジャオの体温がブワッと上昇して‪……‬途端に、汗ばんでくる。

「ジャオ‪……‬!?」

ジャオは動かない。僕を抱き締めてかばったまま、その場から動こうとしない。早く逃げないと殺されてしまうのに。いやだ。ジャオ、ジャオ。
追撃がくる。僕は視界すらジャオに覆われているけれど‪……‬怪鳥の足の爪がジャオの背中を攻撃したようだ。振動で少し押し出されるけど、依然としてジャオは腕の力を緩めない。
僕は無力だ。ジャオの胸に収まってしまうほどに小さくて、こうしてただ守られるしかできない‪……‬なんて無力なんだ‪……‬。

「ジャオ、いやだ、ジャオっ‪……‬」

三度目の圧倒的な風圧に、ジャオがよろりと僕に体重をかける。もう意識があるのかすら怪しい。
これ以上ジャオを傷つけさせやしない。弱ったジャオの腕から抜け出して立ちはだかった。怪鳥は僕の姿に雄叫びをあげる。意志が‪……‬あるのか? 奴は‪……‬僕とジャオを明確に狙って襲っている‪……‬?

「ベル‪……‬ダメ、だ‪……‬!」

ジャオが強く僕の制服の裾を引く。そのままジャオの上に倒れ込んで、突進してきた怪鳥をすんでのところで回避した。喉がヒクッ、と変な音を立てる。こんな時に考え事なんて‪……‬僕はどこまで間抜けなんだ‪……‬!

「グギャアアアッ!!」

突如、空間を切り裂く異音に僕とジャオは空を見上げた。捻れている。怪鳥の巨体が‪……‬ひとりでに、雑巾のように捻れて、泡を吹いて苦しんでいる‪……‬!?
怪鳥を包む魔力のオーラが僕には見える。ジャオもその青白い光を目に移してぽかんと口を開けている。そこからふわりと飛び出した小さな光の玉に、僕は溢れ出る涙を堪えることができなかった。

「トルテ‪……‬!」

僕が大声で叫んだのを合図のようにして、怪鳥がズシン‪‪……‬と地に落ちる。もう動かない。光の玉は城の方へ飛び去ってしまった。
僕は傍らのジャオを支え起こす。出血がひどい。それに‪……‬顔中を濡らして泣いている。ジャオの涙、はじめて見た。よほど苦しいのだろう。早く手当てをしてやらないと。

「ジャオ、とりあえず止血するぞ。強く縛るから」
「思い出したのか‪……‬?」
「え‪……‬?」

意識が混濁としているのか。今にも眠りに落ちそうな弱々しい眼差しがそれでも僕に縋り付いている。

「トルテの、ことを‪……‬」

トルテの、こと‪……‬?
僕はジャオにトルテのことを話したことはない。今まで誰にだって、トルテの名を明かしたことはないのに、どうして以前からその名を知っていたような口ぶりなんだ?
いや、今は余計なことを考えている猶予はない。持っていたハンカチを切り裂き、繋ぎ合わせて二の腕の止血に使う。背中にも爪で抉られた痕がある。気を失ってしまったジャオを、公園内にいた人たちの手を借りて城に連れて行く。





城の医者は慌てて処置をしてくれた。だけどジャオは荒い息遣いを止められないまま、脂汗を浮かべてなおも苦しんでいる。意識はほとんどないのに‪……‬ジャオの肉体が悲鳴をあげているのがわかる。いつか、学校で殴られた時も大怪我をしたけど、あの時は医者が告げる数倍のスピードで復活を果たしていた。
そんな頑丈なジャオが‪……‬今にも死んでしまいそうな青白い顔をして、時折歯を食いしばり悶えている‪……‬。英雄の命の危機に医者も頭を抱えている。

「必要な処置はしましたが‪……‬呪いが‪……‬」
「呪い?」
「傷痕から呪いの波動を感じます。私はそちら方面の治療はお役に立てません‪……‬誰か高い魔力を持つ者に相談するしか‪……‬」

フロスト。祈祷師は高い魔力を有していないとなれる職業ではない。今や彼が本当の祈祷師かどうかも怪しかったが、僕には彼しか頼れる人を思いつかなかった。

「ジャオを祈祷師の部屋に連れて行く。手伝ってくれ」
「は、はい」

フロストの部屋の扉を開く。彼は傷ついたジャオと医師という意外な訪問客に目を丸くしていた。医師には外してもらい、僕はフロストに事の経緯を説明する。

「怪鳥‪……‬ですか。この国には頻繁に出る?」
「見たことも聞いたこともない。あんな化け物‪……‬その場にいた国民も皆混乱していた」
「傷痕に呪いを塗りつける爪‪……‬魔力で増大させられたのか‪……‬」

フロストがブツブツ言いながら部屋の戸棚を漁る。遮光紙を取り払って姿を現した小瓶は虹色に発光している。

「これは?」
「師匠の家からくすね‪……‬いえいただいたものです。呪いを受けた傷に効くものだと」

何か気になることを言いかけた気がするが、今は見過ごそう。フロストは虹色の小瓶をジャオの背中に傾ける。すると一瞬で蒸発し、白く上品な香りの煙がジャオを包んだ。次に見た小瓶はすっかり空っぽになっている。
ジャオ。先ほどまでの悶えようが嘘のように、すやすやと眠りに落ちた。顔色も血色に満ちているし、穏やかだ。

「ありがとう‪……‬!」
「いえいえ。私としましても、ジャオ様にはまだ生きていていただかないと」

涙目で両手を握る僕に対して、フロストはいつも通りドライな態度だ。だけど今日は構わない。ジャオの命の恩人だ。

「でも、なんだったんだ‪……‬あの化け物、明らかに僕とジャオを狙って襲ってきていた」
「‪……‬悪しき風‪……‬」

フロストがふと漏らしたのはどこかで聞いたことのある言葉だった。だけどそれをいつどこで耳にしたのかは、思い出せない。

「ベル様を攫おうとして、ジャオ様を亡き者にしようとした‪。ベル様狙いなのは明らかです」
「何者なんだ?」
「おそらく‪……‬」

そこでフロストは意味ありげな目くばせをして言葉を止めた。教える気はないのか。それともフロスト自身がこの件に関わっているのか。ジャオを助けてくれたのだから信じたいが、コイツのこういう思わせぶりなところがいまいち信用できないんだよな。

「今はまだ突き止めることも倒すこともできないでしょうね」
「どうすればいいと思う?」
「‪……‬森へ」
「え?」

フロストが窓の外に目をやる。城の敷地内にある、いつも僕とジャオが逢引に使っている森だ。僕は慌てて窓枠にかじりついた。いつもジャオとイチャイチャしている場所ってもしかしてここから丸見え‪……‬!?
では、なかった。敷いてあるシートもこの部屋からはまったく見えない。ホッと息をつく。

「あの森はこの国ができる以前からあるのでしょう?」
「そうだが……?」
「不思議な魔力を感じます‪……‬護られている‪……‬」

それは僕も常々感じていた。魔力なんて持っていない身でも、あの森が何者にも脅かされない安全な地だとわかっていた。トルテと遊んだり、ジャオと愛を育んだり‪……‬僕の憩いの場になっている。やはりそういう場所だったのだな。

「あそこならあなた方の敵は手出しできないでしょう」
「城の中か、もしくは森の中にいろってことか」
「学校内も安全かとは思いますが、くれぐれも通学路にはお気をつけください」
「わかった」

フロストは頼りになる。悔しいけど。僕よりもよっぽど、この国について詳しそうだ。
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