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第6話 命の尊さ

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学校が終わると、僕は約束通りジャオの家へと訪れていた。
平屋の住宅はこの国で珍しくもなかったが、その中でも一等規模が大きくて圧巻だ。
敷地内には豊かな庭園と、区画を分けて芝生の広場がある。片隅に設置された滑り台やブランコに、ああそういえばこの一族はきょうだいが多いんだっけ、と思い出した。
きっとジャオの母親は日々忙しくしていることだろう。そんな中、手土産はない、しかもジャオの昼食を奪ってしまったことを話さなければならないでは、自分は怒られても仕方ないのではないか‪……‬そう考えると、気が重い。

「やっぱり後日、お詫びの品を持って‪……‬」
「お詫び? 早く入るぞ」

さっさとドアを開けて中に入っていくジャオ。
慌てて後を追うと、ドタドタと幼な子たちが奥から駆けてきた。

「兄ちゃんおかえり~!」
「おかえりなさい!」


五人の、女児だ。


僕は面食らった。
なぜって、この国に基本女子は産まれない。
そこをこの英雄一族が女子を大量に産み育てて国の繁栄を支えていると‪……‬知識では知っていたが、今はじめて実感したような気がする。そういえばジャオの姿はよく公の場で目にしていたが、きょうだい達はなぜだか一度も姿を現したことはなかった。

「女の子、こんなにも‪……‬」

「この人だあれ?」
「お兄ちゃんのお友だち?」

「はじめまして、こんにちは……かわいい」

口々に聞いてくる小さな女の子たちが愛らしすぎて、つい口走ってしまった。きっと今、顔面もだらしなく緩み切っていることだろう。
なるほど人目に触れさせないのも納得だ。女に耐性がないこの国の民たちには、こんな女児たちですら、おそらく刺激が強すぎるぞ。

「ベルだ。この国の王子様だぞ」
「おうじさま!?」
「すごーい!!」
「かっこいい!」

こんなにも純粋な賛美を受けるのは何年ぶりだろうか。ほんとうに子どもって素直だ。しかもこの子たちは不用意に外の世界に触れさせずここまで育てられた……‬。
まるで穢れを知らない、天使だ。

「僕きょうだいいないからさ。賑やかだなあ、いいなあ」
「まだまだこんなもんじゃない」

ジャオに倣って靴を脱ぎ、家に上がる。
付きまとう天使たちに手を引かれながらリビングへと招待された。横に長いワンフロアの空間には、広いキッチンがカウンターで仕切られ、そこには所狭しと‪……‬なんと十数人の女の子たちが寛いでいる。

「ジャオ帰ってきた!」
「お母さーん!? ジャオがベル様連れてきたよ!」

言葉が出ない。
なんなんだこの空間は。甘い香りが鼻孔をくすぐる。これが女人……?
これからジャオのお母さんに挨拶しないといけないのに、こんな大勢の女の子たちの目に晒されて、僕は女性にはまったく免疫がないのに(この国の男子は自分の母親以外の女性とはまったく関わる機会がない)
いろんな意味で、うう。緊張しすぎて吐きそうだ……。

「ベル様!? よくぞお越しいただきました‪……‬!」

奥からエプロン姿で出てきた女性は僕がよく知る黒髪の婦人だった。抜けるような白い肌、控えめに差した紅が印象的で美しい。
そんな彼女に柔和な笑みで迎えられて、僕はつい恥ずかしくて俯いてしまう。そのまま深い会釈に移行した。

「この度は! 突然の訪問をお許しください‪……‬!」
「滅相もない、こんなところでよければいつでも、‪」
「ジャオ、ベル様と付き合ってるの!?」
「ちょっと話聞かせなさいよ~!」
「コラッあなた達! 失礼でしょう!? 静かにしなさい!」

口々に揶揄いだす女子たちに、母親然とした一喝。あまりの迫力に僕までピリリと硬直してしまった。
当の女の子たちはといえば顔を見合わせておどけている。どうやら慣れっこのようだ。
突如訪れた静寂に、また、居た堪れなくなる。

「ベル様、こちらのお部屋へどうぞ。騒がしくてごめんなさいね」
「いえっ‪……‬! そんな……僕がいきなり来たから」
「ベル、こっちだ」

ジャオが僕の手を掴む。
それだけできゃーっと黄色い歓声が上がり、瞬時に顔が熱くなった。
ああ……異様な雰囲気に、押し流されそうだ…………。





カウンターを抜け、キッチンの奥の扉を開けると細い廊下が現れる。無数に並ぶ部屋の一つに招かれ、中に入った。
客間のようだ。三人掛けのソファが向かい合わせに置かれており、部屋の隅には木の棚に小さな植物がたくさん並べられていてなんとも可愛らしい。

「嬉しいです。ベル様がジャオとお友達になってくださって」

僕が立ち尽くしている間にもジャオの母は忙しく動き回り、上品なカップに紅茶を淹れてくれる。僕とジャオは隣に座り、母親も向かい合う形でようやく腰を下ろした。
カップを持ち上げるとなんとも奥深いハーブの香りが鼻腔を通り抜けて、波立った心を落ち着けてくれた。

「改めまして、ジャオの母の【ミヤビ】です。ちゃんとお話するのは初めてですね」
「はい‪……ミヤビさん、‬あの……今日はお詫びに‪‬」
「お詫び?」

どう話を切り出せばいいか分からず、俯き気味でなんとか絞り出す。
そこにジャオの穏やかな口調が割って入った。

「ベルと昼食を交換したんだ。母さんの弁当がすごく美味しかったって褒めてくれた」
「あらまあ。王族の方にあんな粗末なものを‪……‬?」

「粗末じゃないです!!」

ここで突然立ち上がった僕に、ジャオとミヤビさんがびくりと構える。僕はお構いなしに語り出した。

「煮物はホクホクでよく火が通っているのに色味は損ねていなくて綺麗だし味も最高でした! ぱすた? とやらは喉越しが良くてしっかりとトマトの味が絡んでいて‪感動モノでしたし、それからおむれつなるものなど」

この後も延々と、延々と、一品ずつ僕は褒めちぎった。自分でもこんなにつぶさに覚えているなんて気色悪いなと思ったが、聞いているうちにミヤビさんは、なんと目に涙を浮かべ始めたではないか。

「もったいないお言葉ばかりで‪……‬その‪……‬ありがとうございます‪……‬」
「えっいや‪……‬! スミマセン、つい、熱くなってしまって」
「こんなにも褒めてもらえたのはじめてで‪……‬光栄です」

彼女は本当に感動しているようだった。自分を落ち着けるために胸に手を置いて深呼吸を繰り返している。
僕は熱弁を奮った自分が自分ではないようで不思議な心地だったが、余すことなく自分の気持ちを伝えられて、とても満足していた。

「見たこともない料理ばかりで‪……‬その、元居た国の料理なんですよね‪……‬?」
「ええ。この王国よりも人口が多いから日々様々な料理が生み出されているの。私はそれを真似ただけ」
「それでも素晴らしいです。是非この王国でも広めていただきたい!」

また熱が入ってしまう。……誰か僕を止めてくれ……。

思っているとちょうど、ジャオが意味深な咳払いをした。
そして宣言したのだ。

「なら俺、母さんに料理を教えてもらう。それでベルに作ってやる」

「え‪‬!?」
「ジャオ、あなた‪……‬」

ミヤビさんは喜色満面だ。同時にとても驚いてもいる。ジャオは普段、料理の感想すら口にしないと言っていたものな。興味がないようだったのに、僕の話を聞いているうちにその尊さに気付いてしまったのだろうか?
ジャオが作って僕に振る舞ってくれるのなら僕としても大歓迎だ。ジャオってなんでもできそうだし、きっとこの母親みたいにうまくこなせるに違いない。ご相伴に預れそうな状況に僕も思わずニコニコしてしまう。

……しかし、現実とは厳しいもので。

「ダメね」
「なぜ」
「あなたものすごく不器用なんだから。包丁持たせたら死人が出るわ」

まあ確かに‪……‬あのダイナミックな闘いぶりからしても、ジャオって包丁でちまちま作業をするより、大振りの剣で敵をバッタバッタと薙ぎ倒していく方が似合うよな。
まさかこんなにもバッサリと切り捨てられると思っていなかったようだ。ジャオはムッとしながら応戦する。

「やってみないとわからない」
「わかる。十歳の時にやらせたら天井に包丁が突き刺さったわ」

一体何をどうしたらそんなことになるんだ。
ジャオにもその記憶があるらしく一瞬考え込むが、すぐに「教えてくれ」「ダメ」「教えろ」「いやです」の押し問答が始まってしまった。
二人とも止まらないんですけど。あの、ちょっと、え? まさかの親子喧嘩勃発ですか……?
だんだん険悪になっていく雰囲気に耐えきれず、僕は立ち上がった。

「あの!」

あわよくば、ミヤビさんから城のコックに料理を教えてもらって(もしくはジャオが料理を覚えてくれて)自分も彼女の料理を毎日食べられるかもしれないと期待していた。だけど、そんな他力本願な自分の愚かさを、思い知らされた。

ジャオを見てみろ。自分がものすごく不器用だって、わかっているのに。
料理を覚えて、しかも僕に振る舞おうとしてくれた。
反省すべきだ。
王族の驕りを、今完全に、自覚した。

「だったら僕に料理を教えてください! その、よかったら、ですけど……」

僕を見上げて呆気に取られる母子。
次に、ミヤビさんの笑顔がぱあっと花開く。

「ベル様が!? あらまあ、なんて素敵なお申し出でしょう!」
「……母さん。俺の時とはえらく態度が違うな」
「私もベル様と仲良くなりたいもの。こちらこそ、ベル様のご都合が良ければいつでもいらしてくださいな」
「あ! ありがとう、ございます……!」

突拍子もないことを言ってしまったとドキドキする。それでも、ミヤビさんがしっかりと受け止めてくれたからなんだか嬉しかった。なんという充足感。両親に与えられたことのないこの感情は、なんだ?

そこでふと、どこかの部屋から猫の鳴き声のようなものが聴こえてくる。

「あらら、起きちゃったわ……ベル様、少しだけ失礼しますね」

ミヤビさんが席を立つ。
飼い猫がいるのか。僕は妙に気になって廊下に身を乗り出す。

「見に行くか?」
「いいの?」
「まだ授乳の時間ではないはずだから」

その言葉がまたとっさに漢字変換できず、僕はさっと流してしまった。
ジャオに案内された真隣りの扉をそっと開けると……可愛らしいピンクに装飾された部屋に、ベビーベッドが三台。ミヤビさんがその一つを覗き込んで抱き上げようとしている。


人間の、赤ちゃんだ。しかも三人も?


「あらベル様。この子たちの顔、見てやってくれます?」

気付いたミヤビさんが抱えた赤子の手を取って手招きするように動かす。僕は吸い寄せられるように歩み寄り、やがてミルクの甘い匂いが立ち込める空間の中心まで、たどり着いた。
赤ん坊を見るのは……もしかしたら、これが人生ではじめてかもしれないな。

「ちっちゃい……かわいい」

生まれたてと見えるその赤子は、まだ顔に白い汚れが張り付いており、肌は赤らんで、目も開ききっていない。とても可愛らしいといった様相ではなかった。だが、僕の口からは自然とその言葉が漏れる。

「かわいいです……はじめて見ました」

恐る恐る手を出すと、赤子が素早く僕の人差し指を掴む。手の平いっぱいで僕の指一本を掴むのが精いっぱいの小ささ。温かい命の感触に、胸がギュッと締め付けられる。

「抱っこしてあげてください」
「ええ!? そんな、こわいです……!」
「こわくありませんよ。私が支えていますから」

ミヤビさんに肩を抱かれて、僕はおずおずと両腕を差し出した。後ろから僕ごと抱えるようにして彼女がセッティングしてくれる。
かくして僕の腕に、小さな生命が収まった。

「わあ……」

ふわふわの感触。まるで重くない。羽が付いているかのようだ。やはり女の子って天使なんじゃなかろうか。
赤子は僕を認めると、ジッとこちらを見つめて手を伸ばしてくる。その愛らしい動きにつられて微笑みかけ、自然と、あやすように腕ごと揺らす。

誰しも、こうやって生まれてきたんだ。僕も、ジャオも……。
母の腕に抱かれて、大切に育てられてきたんだ……。


「――――あれ?」


頬を伝う感触に思わず声が出た。
母子がハッと僕を見る。その瞬間、時が止まったようだった。

「なんで……僕……」
「ベル様」

ミヤビさんが後ろからギュッと僕を抱きしめる。
何物にも代えがたい、母の温もりだ。多くの子を育ててきたであろう柔らかな体と優しい体温に、僕はいよいよ涙が止まらくなる。

「お優しい人ですね……ベル様は」
「わ、わからないんです……僕、自分でも……だけど…………」
「ベル」

ジャオがミヤビさんの肩に手をかけてどかす。
何をするのかと思えば、今度はミヤビさんに代わってジャオが、僕を、赤子ごと抱き締めた。

「なっ……なに……!」
「よしよし」
「ふふ、仲良しね」

身長差があるので僕はジャオの胸の中に顔をうずめる形になる。
さすがに不本意だったが、赤子を抱いている手前、力ずくで押しのけるわけにもいかない。それにしっかりと頭を抱き留められて大きな手で撫でられるのが心地よくて……なので甘んじて、仕方なく、そこに留まった。
ドアの外から無数の気配がする。きゃあきゃあと騒いでいるのが聴こえるのでおそらくジャオの妹たちだろう。


ほんとうに、僕とジャオって世間からどんなふうに見られているんだろう……?


邪な目が向けられていると思うと恥ずかしくて、少し身じろいだ。
赤子をミヤビさんに返して、腹いせにジャオに肘鉄を食らわせる。奴はそれをやすやすと受け止めてなおも頭を撫でてくるので、僕は一生、コイツには敵わない気がした。
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