王子の僕が女体化して英雄の嫁にならないと国が滅ぶ!?

蒼宮ここの

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第4話 ベルのヒーロー

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もうかれこれ数時間は机に齧り付いている。
城内にある図書室は学生も利用可能になっているが、日中は学校があるため、今は僕の貸切も同然だ。外に出ることを許されず、また外部の人間に会うことも禁じられている僕には都合が良かった。

フロストを追い出した後、どうにもモヤモヤが収まらず、僕は数々の文献を読み漁った。おもに魔法や呪いの類について書かれているものを選んで。
【オトメ】という存在もなかなかに謎だが、召喚されたことにより男が子を孕めるようになるという奇怪な事象こそ今僕が取り組まなければならない問題である。
手当たり次第に調べてはいるが、未だ求めているものはない。

「せめて、そういう事例があるのかだけでも知りたいよなあ‪……‬」

スコン!

伏せたところに頭上から落ちてきた分厚い本が脳天を直撃する。僕はぺたりと机に頬をくっつけたまま、恨めしそうに目だけ上方を見つめた。

「トルテ~、痛いだろ?」

クスクスと笑う彼女は良くも悪くも無邪気だ。きっと元気のない僕を慰めようとしているのだろう。そう解釈して気を取り直し、傍らに転がったその書物を手に取った。

「うわ、ずいぶんと埃っぽいね‪……‬どこから取ってきたのこんなの」

軽く手で払ってから目次に目を走らせる。どうやら魔法書だ。
今やオトメの儀式以外に魔法という存在は消え失せてしまった王国だが、だからこそこういう古い書物が必要なのだ。
「性転換」という項目を見つけ、ごくりと唾を飲む。逸る心臓に急かされるようにページをめくった。
あった。「呪いに対抗するメソッド」?

呪いの説明は「男子しか産まれない一族」という言葉から始まっている。
男子しか産まれない‪……‬まさにこの王国のことではないか。
まさか自分たちは国ぐるみで呪われているというのか? 一体、誰に?

悪寒がする。急に心細くなる。
キリリと痛み出した腹の上に、温めるようにトルテが舞い降りた。すました顔をしているが気配りが上手なのは昔からだ。
小さく「ありがとう」と囁いて、本に意識を戻す。
古びた羊皮紙に書かれていたのはこんな内容だ。

「女子が産まれないのであれば男子が女子の役割を担う他ありはしない。
男子を性転換する方法は二つ。
以下が解読できる術士を立てるか、防御魔法で相手方に反転の呪いをかけられるかのどちらかになる。」

以下、が示すのは古代文字だろうか。見たことも聞いたこともない文字列に頭痛がしてくる。
フロストの言ったことが本当なら、確かに僕の今の状況は‬高度な古代魔法が使える何者かに術をかけられたか、反転の呪いにかかってしまったかの二択だ。
反転の意味は分かりきっている。オトメを召喚しようとして、邪魔をする何者かにカウンターを食らったというところだろう。
おおいにあり得そうで、もう、泣きたくなってくる。

オトメの召喚を阻止する者といえばやはりオトメを取られた異界の民しかおらず‪……‬しかし異界は魔法のない世界‪……‬そもそも術士など存在しない筈だ。
いや、わからないぞ‪……‬所詮は机の上で習ったことばかり。今までに召喚されたオトメは実はこの国を滅ぼそうと企んでいて、自国の情報を漏らすまいとこの王国の誰にも喋らず、秘密にしているだけの可能性もある‪……‬。

「ああ、」

絶望の声が知らずと漏れた。断定するには至らなかったが、フロストの発言が現実味を帯びてきたことだけは確かだ。
ただこの本の記述にもあるように、女体化による身体の目に見える変化は「少しずつ」進行していくようだ‪……‬まだ僕が性転換したと決めつけるには早すぎるだろう。
恐る恐る胸に手をやる。何の引っかかりもないストンとしたそこを見て、ひとまず僕は息をついた。
疲れた。もう何も考えたくない‪……‬。





「トルテ、頼んだぞ」

顔を見合わせて力強く頷き合ったのと同時に、部屋の扉がノックされる。
入ってきた衛兵がトルテに鼻を思いきりつままれ、大きくバランスを崩した。

「今だ!!」

トルテの姿が見えない衛兵は自分に何が起こったのかわからない。
開け放した扉から飛び出していく。衛兵は事態を把握するとすぐさま大声を張り上げた。



「ベル様がまた! 逃げたぞおおおおお!!!」







一晩ぐっすり眠った僕は、やはり普通の生活を望んだ。
あの横暴な父の言いなりになる気などさらさらない。普通に学校に行って普通に友人と会う。追手がくるからまともに授業を受けられないのはわかっているが‪……‬いや、そうなると僕ももう、半分意地だったのかもしれない。

そのまま校門を駆け抜けて校舎内に入る。
教室に着いてクラスメイト達の姿を見ると、なんだか心が落ち着いた。

「おはよう!」

大声で皆の注目を集めてみる。
仲の良い面々は曖昧な笑顔を浮かべて目を逸らすだけだが、意外なことに、一部の生徒がニヤニヤしながら歩み寄ってきた。

「おはよ~ベル」
「お前、よく普通の顔して学校来れるよなあ?」

彼らは普段から僕とはあまり折り合いが良くない、素行の悪い生徒だ。今までは互いに避けて生活してきたので、ここで彼らがわざわざ自分に突っかかってくるのはなんか、変だ。

「何が?」
「何が? だと!」
「スパイのクセして堂々と外歩いてんじゃねーよ!」

……スパイ? 一体どうしてそんな話になっているのだろう。

「お前子どもが産めないくせにオトメになったって!? 俺らの国潰す気かよ! ふざけんな!!」
「お前なんか国外追放も時間の問題だからな、反逆者が!!」

謂れのない中傷だが、唐突すぎて怒りすら湧いてこなかった。
だがしかし彼らの立場からするとそうなのか。皆が待ち望んだ二十年ぶりの儀式で召喚されたのは、国を救うオトメではなく、子孫繁栄に何の役にも立たない僕‪……‬おそらく全国民が同じように国の未来を憂い嘆いていることだろう。

「‪……‬失望させてすまない。だけど僕にもわからないんだ。なぜ僕が召喚されたのか」
「わからない? ハッ!」
「口ではなんとでも言えるよなあ~?」
「もしかしてパパと一緒にオトメを独り占めして王族だけ栄えようとしてるんじゃないのか!? あの独裁者のやりそうなことだよな~!」

父上はそんなふうに思われているのか。
悔しさが滲むが、今の僕には反論できない。自分や父の潔白を、証明する手立てがないのだ。

「帰れよ! お前見てるだけでイライラすんだよ!」
「かーえーれ! かーえーれ!」

心無いコールに腹が立たないわけでもなかったが……これ以上彼らと話しても理解してもらうのは難しいだろう。
僕は一切を無視して自分の席に座る。すると弾丸のように飛び込んできた一人が、僕を席から引き剥がして床に叩きつけた。

「帰れって!!」
「った‪……‬」

ここまで理不尽な暴力に晒されたことはない。
周囲を見渡すが誰も僕に加勢する気はないようだ。そのうちに視界を塞がれて、数人に踏んづけられる。

「二度と学校来られないようにしてやるよ!!」

ドカッドカッ。何人分もの重みを全身に受けながら、感じる。
遠くから近づく振動。彼らの暴力ではない。それらの粗暴さとは一線を画する、冷静な足音だ。

歩み寄ってくる。誰かが。

興奮しきった彼らはそれに気付かない。真っ赤な顔でニヤニヤしながら、僕の苦痛に歪む顔に釘付けになっている。
やがて足音が止み、彼らのうちの一人が勢い良く後ろに反り返った。
前髪を掴まれてブリッジの状態で床に頭を打ちつけられたのだ。

「お前‪……‬!!」

一発でダウンしてしまった仲間に彼らの肝が冷えた。
慌てて後退り、僕への道ができたそこに当たり前かのように彼は跪く。美しい赤髪がしゃらりと音を立てて肩から落ちるのを、僕はたしかに聞いた。

「平気か?」
「ジャオ‪……‬?」

助け起こし、背中を支えてくれる。
ジャオだ。まさに英雄の如く現れて僕を救った。
物語のような光景に、他の生徒は口を開けて見惚れている。しかしやられた奴らはそうはいかない。

「英雄様のお出ましかよ。マジでコイツらデキてんじゃねーの!?」
「もうヤったのか? 男同士でヨォ~」

ジャオは黙ってそれを聞いている。しかしおもむろに顔を上げて、

「君」
「は、はい?」
「ベルを頼めるか?」

まだ支えなしではいられない僕を近くの気弱そうな生徒に預けて、ジャオはゆらりと立ち上がった。立ち昇る赤いオーラが……霞んだ視界を覆い尽くす。
俯きがちでどうしたって表情は見えない。だけどおそらく怒っている。ものすごく。僕との仲をやんややんや言われてジャオも屈辱だろう。

ひらり。
ジャオの髪がたなびく。舞い踊るように奴らの腕をとらえ、顎を蹴り上げ、頬を拳で殴り抜いて……バッタバッタと人間が倒れていく。

あっという間に、全滅させてしまった。
あまりの鮮やかな光景に僕も、他の生徒らも、呆気に取られている。
ジャオは倒した奴らを顧みることもなく、ふたたび僕の隣に跪いた。

「ベル、保健室へ行こう」
「いや……僕ならだいじょう」

「ぶ」と発音しながら軽々抱き上げられて、今度こそ顔が燃え上がる思いをした。教室のあちらこちらから「おお‪……‬」などと感嘆の声が漏れている。
ジャオはその誰の反応もさして気にする様子はなく、廊下へと進んでいく。
僕はせめてと他の生徒に顔を見られないように手で覆って、その下でおおいに赤面していた。

こんなヒロインのようなポジションになりたくて学校に来たわけじゃないのに‪……。
‬今は何をやっても裏目に出る時なのか。それはそうか。儀式があったあの日から、何もかもが狂ってしまったのだから。

「‪……‬ベル? 具合が悪いか」
「‪……‬平気」
「ならなぜ顔を隠す?」

なぜそんなにも鈍感なのか‪……‬こちらの方が教えて欲しいくらいだ。
言い返すこともできず、僕は無言を貫くことにした。





「ベル様!!」

大勢の大人の足音が近付いてくる。
ジャオの腕が緊張気味に強張り、それでも力強く、僕を抱え直す。

「ジャオ様、一体何が」
「ただの小競り合いだ。ベルが怪我をしていないか心配なので保健室に連れて行く」
「必要ありません。城に連れ帰り専属医に診ていただきます」
「ベル、帰るか?」

帰りたくない。片手を外し、彼の服の胸元を握る。
それを見るとジャオは、より強い眼差しで衛兵たちに向かった。

「ベルには普通に学校に通う権利がある。このまま校内で対処する」
「そういうわけにはまいりません。すぐに連れ戻すよう王からのご命令です」
「王‪……‬」

さすがのジャオも、国王の名には怯むだろうか。
見上げる僕の前で、しかしジャオは、なんと不敵に微笑んだ。ちらりと見せた英雄一族特有の八重歯の鋭さに、どきりと心臓が跳ね上がる。

「ちょうどいい。王に伝えろ。王族の秘密を守りたければベルの権利を尊重しろとな」
「はあ? 王族の秘密とは‪……‬?」
「聞きたいか?」

ジャオが先頭で話す衛兵に顔を近づける。
目を剥き、口元にだけ笑みを湛えながら、


「お前が王族の秘密を知るか? 今、ここで!」


「ヒエッ‪……‬け、結構だ」

はったりかもしれない。しかし相手は英雄だ、何を掴んでいるか知れない。
もし真実であったとすれば、関わり合いになるべきではないだろう‪……‬一介の衛兵は、懸命な判断をした。

「王に、お伝えします‪……‬ベル様の安全を守るため、ひとまず本日は護衛として数人を校内に配備します」
「必要ない。俺がいる」
「しかし‪……‬」
「腕試しするか?」
「いえ‪……‬!」

完全に衛兵が気圧されている。なんて頼り甲斐のある男なのだろう。
自分を包む体温はごうごうと燃えていて、かつてない安心感に眠気すら覚える。うとうとと目を閉じて待っていると、話がついたのか衛兵たちが遠ざかっていった。

「衛兵たちは門のところに控えているそうだ。何かあったら頼るといい」
「うん‪……‬」

しかし、先程のジャオの「俺がいる」という言葉が頭から離れない。
頼るなら、ジャオに頼りたい。

……いや、どうしてだ?
僕は王子なのだ。城の者に守ってもらえばそれで事足りるのに。

同い年の男にもたれるような己の恥ずべき思考に気付き、僕は力なく首を振った。



保健室に着いたが、先生は不在だ。
ジャオは僕を丁重にベッドに寝かせると、傍らに椅子を持ってきて腰掛ける。

「ベル、痛いところは?」
「ないよ。ありがとな。早めに助けてくれたお前のおかげだ」

笑いかけると、ジャオも心底安心したように顔を緩める。
そういえばジャオはいつもかたく口元を結んでいて、僕は彼の柔らかな表情を見たことがない。今、やさしく微笑みかけてくれるこの優男の顔を知っているのは他に、誰がいるのだろう。

「ベルは‪、‬学校に来たいんだな」
「そりゃあ‪……‬っていうか、あんなことがあったからってサボるの、負けた気がするんだ。どんなふうになったって僕は僕だし。逃げるようなことしたくないから」

少し格好をつけすぎただろうか。しかしジャオは満足そうに「お前らしいな」と微笑んでくれる。
そんなふうに言われるほど仲良くなった覚えはないのだが‪……‬少しジャオの考えも聞いてみたいな。

「そういうお前こそ学校に来てるじゃないか。僕と一緒の気持ちなんじゃないのか? 休んだら負けた気がするっていうかさあ」
「いや‪、‬俺は‪ベルが心配で見に来ただけで‪……‬」

言いかけて、ジャオはハッと口をつぐんだ。
だがもう遅い。
目を見開く僕に、珍しく慌てた様子で両手を振る。

「ち、ちがう‪……‬大切に思っているのは本当だが‪……‬別に、下心とかでは‪……‬」

そこまで追求してはいないが。
まさかジャオがそんなに心配してくれていたとは思わず、僕は一気に胸がいっぱいになる。

「‪……‬や、まあ‪……‬でも今日は本当に助かったよ」
「今日だけじゃない。いつでも頼ってくれていい。俺はこういう時のために鍛えてるんだ」
「へえ‪……‬すごいな」

弱きを助けるためにって?
英雄なんて子孫を残す役割だけだと思っていたけど、どうやらジャオは根っからの英雄らしい。素直に感心する。

「じゃあ頼っちゃおうかな‪……‬と言いたいところだけど、僕もこのままじゃ男として情けないし、できたら稽古をつけてほしいなあ」
「稽古? 俺にできるだろうか‪……‬」
「できるって! すごく強かったもん!」

つい起き上がって熱弁する。
先ほどのジャオの真似をして拳を突き出してみるが、やはりどうにも様にならない。
どうやら一朝一夕で身に着けられるものではなさそうだ。だけど僕にはまだたっぷりと時間がある。挑戦してみても、損はないだろう。
僕の言葉にジャオも嬉しそうに頷いた。

「俺でよければ」
「本当か!? よーし、強くなるぞー!」

実はまだ踏みつけられた傷が痛む。
だが今後のことを考えればそんな弱音は吐いていられない。

この傷はじきに癒えるだろう。
ジャオと話しているうちに、僕は今までにないほど前向きな気持ちになっていた。



だが、そのせいで彼に聞き忘れてしまった。


王族の秘密とは、一体何なのかと。
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