刻印

文字の大きさ
上 下
170 / 232

-169

しおりを挟む
「匠さんが……出て行く……!」
 深月が思わずガラスに額を擦りつける。

「匠……! 一人で行くんじゃない……!」
 浅葱も叫んでいた。

 だが二人の声は届かないまま、匠は両脇を老人とあの秘書にピタリと付けられ、無言で委員長席の方へとゆっくり上っていく。

 その匠の行動に驚いたのは、浅葱と深月の二人だけではなかった。
 傍聴人達だ。
 
 この会場内では何をしても許される。
 相手は完全に無抵抗で、逆らう事はない。
 権力とはそういうものであり、絶対なのだ。
 
 今までそう思い、好き勝手に言い扱った若い男が、上半身裸のまま静かに自分達の方へ向かって歩いて来る。
 しかも、荒々しく牙を剝く蛇と龍を背負って……。

 ……な……何をする気だ……。

 傍聴人達はその時初めて、自分達は何の権力もない、単なる一般市民でしかなかったのだと、気付いた。
 だが、もう遅い。
 この事態に、形容し難い恐怖と焦りで、ただじっとその男の行動を見つめる事しかできなかった。

「な……なんだ……? どうしてこっちへ上がってくるんだ……」
「誰か怒らせたんじゃないのか……」
「何をするつもりなんだ……」
「まさか……報復とか……」

 ヒソヒソと声はするが、自分達が行った事へ罪悪感なのか、それとも今ここで、一人悪目立つ事を恐れてなのか、ハッキリとその顔を上げ、匠の行動の意味を問おうとする者は誰もいない。

 何が起こるんだ……。
 皆がそう思い、黙って俯き、見ぬ振りをしながら事の成り行きに息をひそめた。


 匠が席の下まで来ると、委員長も立ち上がり、大きな机をグルリと迂回して階段を下りてくる。
「行こうか」
 匠の数メートル手前で、傍聴人には聞えない程の声でそう言った。


 これほど近くで声は聞こえるのに、視界が届かない……。
 匠が思わず拳を握り締める。
 途端に、隣に居た秘書の男に上着を持つ右腕を掴み上げられた。

「……ンッ……!」
 小さく呻く匠に、委員長は余裕の笑顔を向けると、軽く手を挙げ、秘書を止めさせる。
「無駄な抵抗はするな。
 そうハルに言われただろう……?
 おとなしく、ついて来い」

 ……ハル……。
 それがあの男の名前……。

「委員長、お前もだ。
 余計な事は喋るな」

 匠の耳の中で、いきなりあの男……ハルの声がした。
 反射的に足が止まり、拒むように首を振って目を閉じた。
 だが、委員長がクルリと背を向け、匠達三人の前を歩き始めると、秘書は「行け」とでも言うように無言のまま無理矢理、匠の腕を引いた。
 
 キッ……と睨むように匠が目を開ける。
 視界ギリギリの所で、前を歩く委員長が、自分達と同じ軍服を着ている事は見てとれたが、闇と漆黒とが混ざり合い、その顔はおろか、映像としてもハッキリとしない。
 ただその闇の中に、肩から下げたキラキラと輝く鎖緒と、五つ並んだ星印の階級章が見えていた。

 五つ星……あれはナンバーツーの階級章……。
 こいつはナンバーツーの内の一人だ……。
 そのナンバーツーを “お前” と呼ぶあの男……ハル……。


 委員長が左の扉前まで来ると、それは音も無くスッと開いた。

 何の説明もなく部屋を出て行く四人の姿を、何が起きているのか全くわからないまま、傍聴人達は半ば呆気にとられ座っているだけだ。


「浅葱さん! 匠さんが……行ってしまう……」
 深月が悲鳴に近い声をあげた。

「お前は最後まで、匠の手を見ていろ! 何ひとつ見落とすな!」
「は……はぃっ……」

 深月は匠が扉を出る最後の瞬間まで、その手を見つめ続けた。
「ホシ……数字の5……」


「オヤジ! ……まだか! まだ連絡は付かないのか!」
 浅葱は後ろのオヤジに叫んでいた。
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

隣の親父

むちむちボディ
BL
隣に住んでいる中年親父との出来事です。

塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。 そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

男子寮のベットの軋む音

なる
BL
ある大学に男子寮が存在した。 そこでは、思春期の男達が住んでおり先輩と後輩からなる相部屋制度。 ある一室からは夜な夜なベットの軋む音が聞こえる。 女子禁制の禁断の場所。

父のチンポが気になって仕方ない息子の夜這い!

ミクリ21
BL
父に夜這いする息子の話。

処理中です...