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「匠さんが……出て行く……!」
深月が思わずガラスに額を擦りつける。
「匠……! 一人で行くんじゃない……!」
浅葱も叫んでいた。
だが二人の声は届かないまま、匠は両脇を老人とあの秘書にピタリと付けられ、無言で委員長席の方へとゆっくり上っていく。
その匠の行動に驚いたのは、浅葱と深月の二人だけではなかった。
傍聴人達だ。
この会場内では何をしても許される。
相手は完全に無抵抗で、逆らう事はない。
権力とはそういうものであり、絶対なのだ。
今までそう思い、好き勝手に言い扱った若い男が、上半身裸のまま静かに自分達の方へ向かって歩いて来る。
しかも、荒々しく牙を剝く蛇と龍を背負って……。
……な……何をする気だ……。
傍聴人達はその時初めて、自分達は何の権力もない、単なる一般市民でしかなかったのだと、気付いた。
だが、もう遅い。
この事態に、形容し難い恐怖と焦りで、ただじっとその男の行動を見つめる事しかできなかった。
「な……なんだ……? どうしてこっちへ上がってくるんだ……」
「誰か怒らせたんじゃないのか……」
「何をするつもりなんだ……」
「まさか……報復とか……」
ヒソヒソと声はするが、自分達が行った事へ罪悪感なのか、それとも今ここで、一人悪目立つ事を恐れてなのか、ハッキリとその顔を上げ、匠の行動の意味を問おうとする者は誰もいない。
何が起こるんだ……。
皆がそう思い、黙って俯き、見ぬ振りをしながら事の成り行きに息をひそめた。
匠が席の下まで来ると、委員長も立ち上がり、大きな机をグルリと迂回して階段を下りてくる。
「行こうか」
匠の数メートル手前で、傍聴人には聞えない程の声でそう言った。
これほど近くで声は聞こえるのに、視界が届かない……。
匠が思わず拳を握り締める。
途端に、隣に居た秘書の男に上着を持つ右腕を掴み上げられた。
「……ンッ……!」
小さく呻く匠に、委員長は余裕の笑顔を向けると、軽く手を挙げ、秘書を止めさせる。
「無駄な抵抗はするな。
そうハルに言われただろう……?
おとなしく、ついて来い」
……ハル……。
それがあの男の名前……。
「委員長、お前もだ。
余計な事は喋るな」
匠の耳の中で、いきなりあの男……ハルの声がした。
反射的に足が止まり、拒むように首を振って目を閉じた。
だが、委員長がクルリと背を向け、匠達三人の前を歩き始めると、秘書は「行け」とでも言うように無言のまま無理矢理、匠の腕を引いた。
キッ……と睨むように匠が目を開ける。
視界ギリギリの所で、前を歩く委員長が、自分達と同じ軍服を着ている事は見てとれたが、闇と漆黒とが混ざり合い、その顔はおろか、映像としてもハッキリとしない。
ただその闇の中に、肩から下げたキラキラと輝く鎖緒と、五つ並んだ星印の階級章が見えていた。
五つ星……あれはナンバーツーの階級章……。
こいつはナンバーツーの内の一人だ……。
そのナンバーツーを “お前” と呼ぶあの男……ハル……。
委員長が左の扉前まで来ると、それは音も無くスッと開いた。
何の説明もなく部屋を出て行く四人の姿を、何が起きているのか全くわからないまま、傍聴人達は半ば呆気にとられ座っているだけだ。
「浅葱さん! 匠さんが……行ってしまう……」
深月が悲鳴に近い声をあげた。
「お前は最後まで、匠の手を見ていろ! 何ひとつ見落とすな!」
「は……はぃっ……」
深月は匠が扉を出る最後の瞬間まで、その手を見つめ続けた。
「ホシ……数字の5……」
「オヤジ! ……まだか! まだ連絡は付かないのか!」
浅葱は後ろのオヤジに叫んでいた。
深月が思わずガラスに額を擦りつける。
「匠……! 一人で行くんじゃない……!」
浅葱も叫んでいた。
だが二人の声は届かないまま、匠は両脇を老人とあの秘書にピタリと付けられ、無言で委員長席の方へとゆっくり上っていく。
その匠の行動に驚いたのは、浅葱と深月の二人だけではなかった。
傍聴人達だ。
この会場内では何をしても許される。
相手は完全に無抵抗で、逆らう事はない。
権力とはそういうものであり、絶対なのだ。
今までそう思い、好き勝手に言い扱った若い男が、上半身裸のまま静かに自分達の方へ向かって歩いて来る。
しかも、荒々しく牙を剝く蛇と龍を背負って……。
……な……何をする気だ……。
傍聴人達はその時初めて、自分達は何の権力もない、単なる一般市民でしかなかったのだと、気付いた。
だが、もう遅い。
この事態に、形容し難い恐怖と焦りで、ただじっとその男の行動を見つめる事しかできなかった。
「な……なんだ……? どうしてこっちへ上がってくるんだ……」
「誰か怒らせたんじゃないのか……」
「何をするつもりなんだ……」
「まさか……報復とか……」
ヒソヒソと声はするが、自分達が行った事へ罪悪感なのか、それとも今ここで、一人悪目立つ事を恐れてなのか、ハッキリとその顔を上げ、匠の行動の意味を問おうとする者は誰もいない。
何が起こるんだ……。
皆がそう思い、黙って俯き、見ぬ振りをしながら事の成り行きに息をひそめた。
匠が席の下まで来ると、委員長も立ち上がり、大きな机をグルリと迂回して階段を下りてくる。
「行こうか」
匠の数メートル手前で、傍聴人には聞えない程の声でそう言った。
これほど近くで声は聞こえるのに、視界が届かない……。
匠が思わず拳を握り締める。
途端に、隣に居た秘書の男に上着を持つ右腕を掴み上げられた。
「……ンッ……!」
小さく呻く匠に、委員長は余裕の笑顔を向けると、軽く手を挙げ、秘書を止めさせる。
「無駄な抵抗はするな。
そうハルに言われただろう……?
おとなしく、ついて来い」
……ハル……。
それがあの男の名前……。
「委員長、お前もだ。
余計な事は喋るな」
匠の耳の中で、いきなりあの男……ハルの声がした。
反射的に足が止まり、拒むように首を振って目を閉じた。
だが、委員長がクルリと背を向け、匠達三人の前を歩き始めると、秘書は「行け」とでも言うように無言のまま無理矢理、匠の腕を引いた。
キッ……と睨むように匠が目を開ける。
視界ギリギリの所で、前を歩く委員長が、自分達と同じ軍服を着ている事は見てとれたが、闇と漆黒とが混ざり合い、その顔はおろか、映像としてもハッキリとしない。
ただその闇の中に、肩から下げたキラキラと輝く鎖緒と、五つ並んだ星印の階級章が見えていた。
五つ星……あれはナンバーツーの階級章……。
こいつはナンバーツーの内の一人だ……。
そのナンバーツーを “お前” と呼ぶあの男……ハル……。
委員長が左の扉前まで来ると、それは音も無くスッと開いた。
何の説明もなく部屋を出て行く四人の姿を、何が起きているのか全くわからないまま、傍聴人達は半ば呆気にとられ座っているだけだ。
「浅葱さん! 匠さんが……行ってしまう……」
深月が悲鳴に近い声をあげた。
「お前は最後まで、匠の手を見ていろ! 何ひとつ見落とすな!」
「は……はぃっ……」
深月は匠が扉を出る最後の瞬間まで、その手を見つめ続けた。
「ホシ……数字の5……」
「オヤジ! ……まだか! まだ連絡は付かないのか!」
浅葱は後ろのオヤジに叫んでいた。
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