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- epilogue -
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「ラウ……ラウ……」
そう呟きながら、シュリはその男の胸に飛び込んでいた。
だが男の表情は、一瞬で狼狽と悲しみに塗り潰される。
天を仰ぎ、腕は何かに迷い、宙に浮き、その指は後悔のように震えているだけだ。
「ラウ……生きて……」
それでもシュリは、涙で溢れる顔をあげ、クシャクシャになった顔を向ける。
「よかった……よかった……本当に……」
そう言いながら、体力を使い果たしたのか、立っていられなくなり、ゆっくりと膝を折っていくシュリの体を、男の腕は、無意識に抱き留めていた。
「シュリ…………」
ようやく小さな声が降ってきて、シュリも微笑み顔を上げた。
「ラウム……お前……生きて…………」
追ってきたオーバストも、思わず呟いていた。
その声にハッとラウが顔を上げる。
袖を掴むシュリの手を解き、森の奥へ後退ろうとした。
だが、シュりの指が離さなかった。
「ラウ……待て……!
私を置いて行くな……。
……もう……独りにするな……!」
その悲痛な魂の叫びにラウの足が止まる。
「シュリ……申し訳ありません……」
動くことができず、退る事も、俯いた顔を上げる事もできないラウに、オーバストが歩み寄った。
「お前、どうして……」
そのオーバストの問いにラウ自身も首を振る。
確かに致死量の毒を飲んだ自分がなぜまだ生きているのか……。
それが自分でもわからなかった。
「……ナギ……殿下……」
「殿下……?」
地に膝をついたまま、小さな呟きを零したシュリに、オーバストがそっと手を添え支えた。
「……あの時……殿下は……。
あれが毒だとラウが告げる前に『やめろ』と声を上げた。
あれが毒薬だと知っていた……」
「それはいったいどういう……。
殿下はすでにあの毒の存在を知っていた……調べていたと……そう仰るのですか?」
「それしか考えられない……」
「そんな……」
二人の会話に、ラウが悄然と項垂れる。
「あの薬は……あの一本を飲み終えた時、ちょうど致死量になるように計算していた……。それを殿下が……持ち出したと……? 私の部屋から……?
だから量が足りずに……クッ……」
確かにあの時の自分は、シュリの手当てをすることで頭がいっぱいで、自室で倒してしまった薬瓶を並べ直す余裕もなかった。
乱雑に捨て置かれていた薬の場所が多少動き、減っていたとしても、気付くはずもない。
「クッ……なんてことを……!
どうしてあのまま逝かせてくれなかった……!」
ようやく自分が死ねなかった理由を悟ったラウの、悔しさに震える肩をオーバストが強く掴んだ。
「ラウム……! 頼む!
どうかこのまま……。もう一度……シュリ様のお側にいてくれないか……!」
「……! オーバスト……いったい何を……!」
「城に……お前以上の薬師が居ない……。
私では包帯さえ満足に巻いて差し上げられないのだ……」
ラウの腕を掴み続けるシュリの右手指。
まだ不自由な手で手綱を握ったせいか、その包帯は今にも解けそうになっている。
ラウは一瞬困ったような表情を浮かべたが、黙ったまま跪き、そっとシュリの手を取ると、包帯を解き、器用に巻きなおしていく。
いつもと同じ……今までと同じ……。
何度、こうして包帯を巻いてもらったことか……。
そうやって私は生きてきた……。
ラウ……。
そのラウの姿を見つめるシュリの頬に、また一筋、涙が零れ落ちる。
包帯を巻きなおしても、シュリの手はラウを離さなかった。
ただ静かに俯いたままのその姿に、
「頼む……。シュリ様のために……。
まだ後悔があると言うのなら……。
その懺悔のために、死ではなく……違う道を選んでくれないか?」
オーバストが深く頭を下げた。
「でも……もう私は……」
ラウが小さく息を吐く。
そんなラウの目の前で、シュリがずっと左手に握っていた奉剣を抜いた。
そこに並んで彫られた二人の名……。
「これは……なぜ……私の名が……」
剣を受け取ったラウがその刃を見つめる。
「殿下の御配慮だ。あの日、相次いで亡くなったのは、9代王ガルシアと、その後を継いだ実子、10代王シヴァ。
“ラウム”の名は……あの日の記録に、何一つ載っていない」
シュリが静かに告げた。
「……それは……どういう……」
シュリの言葉の意味が理解できず、ラウは説明を乞うように首を振る。
口を開いたのはオーバストだった。
「そうだ、ラウム。
あの時、あの場に居たのは、殿下直轄の近衛小隊が少数と、我が国では、シュリ様、お前、ジル殿、私と側近達のみ。
側近達は事の次第を全て知っているが、その後のシュリ様の温情で、罰せられる事もなく生きながらえた。
そして全員が、シュリ様とナギ殿下の御意志に賛同したのだ。
……それがどういう事か、わかるか?
お前は記録上……死んではいないんだ。
あの城で今も生きている。
ロジャーは毎日のように『ラウは、遠くの仕事からまだ帰らないのか』と、私に尋ねてくる。いい加減、言い訳に困っていてな……助けてくれ」
わずかに口角を上げたオーバストが苦笑う。
「今、この国は生まれ変わろうとしている。
私のこの体を知る者達も、多くが城に残ってくれた。
オーバストもジルも居てくれる。
……でも……私には……お前が……。
お前が居ないと……私は……」
自分の手を、シュリが痛むはずの手で、震えながら強く握りしめてくる。
声を詰まらせ、嗚咽するその姿に胸が締め付けられる。
それは、水中に静かに沈み入った時より、遥かに苦しかった。
「シュリ…………。
シュリ……。
ありがとう……ございます……。
……この罪……赦されるのなら…………。
……もう一度だけ……貴方のお側に…………」
ラウはクッと顔を上げ、受け取った奉剣を握り締めると、二人の前で自分の長い髪をバッサリと切っていた。
それはガルシアが愛し執着した黒髪……自分自身との決別。
静かに木々が揺れる。
小鳥が囀り、草が和ぐ。
シュリのまた少し細くなった肩を強く抱き寄せ、ラウの瞳からも大粒の涙が零れ落ちる。
「ラウ……」
その優しい腕に包まれて、シュリも微笑み頷いた。
そのままじっとその瞳を見つめ、シュリはゆっくりと自分の唇を近づける。
それは何も変わらない、温かで、静かで、優しい唇……。
-終-
そう呟きながら、シュリはその男の胸に飛び込んでいた。
だが男の表情は、一瞬で狼狽と悲しみに塗り潰される。
天を仰ぎ、腕は何かに迷い、宙に浮き、その指は後悔のように震えているだけだ。
「ラウ……生きて……」
それでもシュリは、涙で溢れる顔をあげ、クシャクシャになった顔を向ける。
「よかった……よかった……本当に……」
そう言いながら、体力を使い果たしたのか、立っていられなくなり、ゆっくりと膝を折っていくシュリの体を、男の腕は、無意識に抱き留めていた。
「シュリ…………」
ようやく小さな声が降ってきて、シュリも微笑み顔を上げた。
「ラウム……お前……生きて…………」
追ってきたオーバストも、思わず呟いていた。
その声にハッとラウが顔を上げる。
袖を掴むシュリの手を解き、森の奥へ後退ろうとした。
だが、シュりの指が離さなかった。
「ラウ……待て……!
私を置いて行くな……。
……もう……独りにするな……!」
その悲痛な魂の叫びにラウの足が止まる。
「シュリ……申し訳ありません……」
動くことができず、退る事も、俯いた顔を上げる事もできないラウに、オーバストが歩み寄った。
「お前、どうして……」
そのオーバストの問いにラウ自身も首を振る。
確かに致死量の毒を飲んだ自分がなぜまだ生きているのか……。
それが自分でもわからなかった。
「……ナギ……殿下……」
「殿下……?」
地に膝をついたまま、小さな呟きを零したシュリに、オーバストがそっと手を添え支えた。
「……あの時……殿下は……。
あれが毒だとラウが告げる前に『やめろ』と声を上げた。
あれが毒薬だと知っていた……」
「それはいったいどういう……。
殿下はすでにあの毒の存在を知っていた……調べていたと……そう仰るのですか?」
「それしか考えられない……」
「そんな……」
二人の会話に、ラウが悄然と項垂れる。
「あの薬は……あの一本を飲み終えた時、ちょうど致死量になるように計算していた……。それを殿下が……持ち出したと……? 私の部屋から……?
だから量が足りずに……クッ……」
確かにあの時の自分は、シュリの手当てをすることで頭がいっぱいで、自室で倒してしまった薬瓶を並べ直す余裕もなかった。
乱雑に捨て置かれていた薬の場所が多少動き、減っていたとしても、気付くはずもない。
「クッ……なんてことを……!
どうしてあのまま逝かせてくれなかった……!」
ようやく自分が死ねなかった理由を悟ったラウの、悔しさに震える肩をオーバストが強く掴んだ。
「ラウム……! 頼む!
どうかこのまま……。もう一度……シュリ様のお側にいてくれないか……!」
「……! オーバスト……いったい何を……!」
「城に……お前以上の薬師が居ない……。
私では包帯さえ満足に巻いて差し上げられないのだ……」
ラウの腕を掴み続けるシュリの右手指。
まだ不自由な手で手綱を握ったせいか、その包帯は今にも解けそうになっている。
ラウは一瞬困ったような表情を浮かべたが、黙ったまま跪き、そっとシュリの手を取ると、包帯を解き、器用に巻きなおしていく。
いつもと同じ……今までと同じ……。
何度、こうして包帯を巻いてもらったことか……。
そうやって私は生きてきた……。
ラウ……。
そのラウの姿を見つめるシュリの頬に、また一筋、涙が零れ落ちる。
包帯を巻きなおしても、シュリの手はラウを離さなかった。
ただ静かに俯いたままのその姿に、
「頼む……。シュリ様のために……。
まだ後悔があると言うのなら……。
その懺悔のために、死ではなく……違う道を選んでくれないか?」
オーバストが深く頭を下げた。
「でも……もう私は……」
ラウが小さく息を吐く。
そんなラウの目の前で、シュリがずっと左手に握っていた奉剣を抜いた。
そこに並んで彫られた二人の名……。
「これは……なぜ……私の名が……」
剣を受け取ったラウがその刃を見つめる。
「殿下の御配慮だ。あの日、相次いで亡くなったのは、9代王ガルシアと、その後を継いだ実子、10代王シヴァ。
“ラウム”の名は……あの日の記録に、何一つ載っていない」
シュリが静かに告げた。
「……それは……どういう……」
シュリの言葉の意味が理解できず、ラウは説明を乞うように首を振る。
口を開いたのはオーバストだった。
「そうだ、ラウム。
あの時、あの場に居たのは、殿下直轄の近衛小隊が少数と、我が国では、シュリ様、お前、ジル殿、私と側近達のみ。
側近達は事の次第を全て知っているが、その後のシュリ様の温情で、罰せられる事もなく生きながらえた。
そして全員が、シュリ様とナギ殿下の御意志に賛同したのだ。
……それがどういう事か、わかるか?
お前は記録上……死んではいないんだ。
あの城で今も生きている。
ロジャーは毎日のように『ラウは、遠くの仕事からまだ帰らないのか』と、私に尋ねてくる。いい加減、言い訳に困っていてな……助けてくれ」
わずかに口角を上げたオーバストが苦笑う。
「今、この国は生まれ変わろうとしている。
私のこの体を知る者達も、多くが城に残ってくれた。
オーバストもジルも居てくれる。
……でも……私には……お前が……。
お前が居ないと……私は……」
自分の手を、シュリが痛むはずの手で、震えながら強く握りしめてくる。
声を詰まらせ、嗚咽するその姿に胸が締め付けられる。
それは、水中に静かに沈み入った時より、遥かに苦しかった。
「シュリ…………。
シュリ……。
ありがとう……ございます……。
……この罪……赦されるのなら…………。
……もう一度だけ……貴方のお側に…………」
ラウはクッと顔を上げ、受け取った奉剣を握り締めると、二人の前で自分の長い髪をバッサリと切っていた。
それはガルシアが愛し執着した黒髪……自分自身との決別。
静かに木々が揺れる。
小鳥が囀り、草が和ぐ。
シュリのまた少し細くなった肩を強く抱き寄せ、ラウの瞳からも大粒の涙が零れ落ちる。
「ラウ……」
その優しい腕に包まれて、シュリも微笑み頷いた。
そのままじっとその瞳を見つめ、シュリはゆっくりと自分の唇を近づける。
それは何も変わらない、温かで、静かで、優しい唇……。
-終-
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