華燭の城

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 トントントン――

 自室の扉をノックする音に、執務机で書類に向かっていたシュリが顔をあげる。
 オーバストが向かいの椅子から立ち上がり、扉を開いた。

「シュリ様! 神国からの知らせが届きましたぞ!」

 開けられた扉から満面の笑みで入ってきたジルは、抱えるように持って来た大きなケースを大事そうにテーブルに置いた後、シュリの側まで来ると、一通の封筒を嬉しそうに手渡した。

 その手紙を受け取り、読み終えたシュリの顔にも笑みが広がる。

「ジーナの病はもう心配ないと……峠を越したと医師のお墨付きが出たそうだ。
 完治まではまだかかるだろうが、いずれは神儀を始める体力もつくだろうと書いてある」

「よろしかったですな! シュリ様!」

 そんな二人を見ながらオーバストも嬉しそうに頷いた。

「そうそう!
 こちらも完成致しましたので、受け取って参りました!」

 ジルはテーブルに置いたケースを両手で持ち上げると、腰を折り、下げた頭より高くそれを持ち上げて、うやうやしく、シュリに差し出した。
 
 受け取ったケースを机の上で開き、中から取り出したのは、あの奉剣だった。
 シュリは窓へ向かい、それを鞘からスラリと抜き出す。
 その刃の輝きを窓からの明かりで一度確かめた後、まだ痛々しく包帯の巻かれた右手指で、そっと剣身をなぞった。

 そこには、新しく彫られた王の名が並ぶ。

 第10代王 シヴァ・アシュリー
 第11代王 シュリ・バルド=ランフォード




 あれから一ヶ月。
 この国も神国も大きく変わった。

 神国はナギの計らいにより “神の国は恒久に独立を認め、他国は一切の侵略ならず” という帝国の命で、二度と戦火に巻き込まれない完全な中立の独立国となった。
 
 元々、帝国と神国は何の係わりもなく、同盟国でもない。
 その帝国が、無関係な国の為に、そのような命令を出すことさえ矛盾していたが、他国からは、一切異論は出なかった。
 反対に、今まで “不可侵” が認められていなかった事の方が、驚きの対象となった程だ。

 そして、ラウの身分も回復させ、正式な第10代の王と認めさせたのだ。
 これはガルシアの没後、わずか数分……数十分間でも、国を想うあの姿は確かに一国の王であったと、そう証言したナギとシュリの強い意向に帝国閣下が沿う形で実現した。


 ラウ……。

 あの後、懸命の捜索が行われたが、わかった事と言えば、湖の伝説は本当だった……という事だけだ。
 思い出せば、今でも涙が溢れてくる。
 それを留めようと、シュリは静かに目を閉じた。

「シュリ様……」
 その涙に気付き、また少し細くなってしまった背中を見つめるジルの目頭も熱くなる。

 シュリは、あれからもあまり食事をしない。
 我が身の半身をえぐり取られたかのように、食欲がない。の一言で、その顔はいつも寂しげで孤独だ。
 幼少の頃からずっと一緒にいたジルにだけはわかる。
 シュリ様のお心はまだ彷徨い続け、あのラウムという男を探し求め、そして、酷く憔悴されている……と。
 ご自分のお命さえ、かえりみない程に……。
 
 確かに、今、シュリが生きているのは、ラウとの約束のためだけだった。
 この国を守るためだけに……。



「さて! この国も生まれ変わりますぞ!
 老体も益々頑張りませんと!」
 鎮まり返った空気を一変させようと、ジルが袖口を捲り上げる仕草をしながら大きな声を上げた。

「ジル、余り無理はするな。
 この国は寒い。神国と同じつもりでいたのでは、身体に堪える。
 居てくれるのはありがたいが……」

 留めた涙を見られまいと、クスリと笑いながらシュリが振り返った。

「シュリ様! 
 私はもう二度と御側を離れませんと、言ったはずですぞ!
 帝国閣下が、この国と神国とを、シュリ様とジーナ様……文字通り兄弟国として、国交自由と決めて下さったおかげで、神国の者も、何の制限もなく、自由に行き来できます!
 それによって神国でも、少しでもシュリ様のお力になりたいと、すでに多くの者が声を上げ、この国の調査を手伝っておる状況!
 そんな中、私ひとりが戻るなど有り得ません!」

 ジルは有無を言わさぬ勢いで、一気に話したてた。

「本当に、殿下と閣下には、どれほどの礼を尽くしても足りない程だ。
 ジルもありがとう。くれぐれも無理はしないように」


 これほど多種に渡る帝国令を、異例の速さで発布させる事が出来たのは、後ろで口添えをしてくれたナギの力、あっての事だ。
 ジルもその帝国に対し、うんうん。と頷きながら、改めて執務机の大量の書類に目を丸くした。

 この国の新王に就いたシュリは、城の中だけではなく、国の隅々まで民の暮らしを調べ、細やかに手を尽くすべく、日々奔走している。

 一見豊かではあっても、必ず陰で苦しんでいる者がいる。
 ロジャーのように親を亡くし、飢えている子がいるかもしれない。
 かつての自分のように、理不尽にも声を上げられず、嘆いている者がいるかもしれない。
 その救済のための書類が、山積みになっていた。

「シュリ様!
 これを全部おひとりで処理なさるおつもりですか!
 少しはお休みになってくださいまし!
 シュリ様が王位に就かれてまだ1ヶ月ですぞ!
 最初からその勢いでは疲れてしまいます。
 それに……」

 ジルはシュリの部屋を見回し、あの窓にはめられた鉄格子に眉を顰めた。

「部屋はたくさんあるのに、どうして机を運ばせてまで、ここで御公務をなさるのですか? 私は、ここは……好きになれません」

「ジル、その件はもう何度も話し合っただろう」

「それは……そうなのですが……」

 ここは家具のひとつ、寝具のひとつまで、ラウが選び揃えてくれた部屋だ。
 思い出は全てこの部屋にある。
 シュリは、ここを離れる気にはなれなかった。
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