華燭の城

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「……シュリ!?」

 どこか遠くでラウの叫ぶ声が聞こえた気がした。

「……ラ……ウ……」

 医学書と薬を抱えて戻ったラウが見たのは、壮絶な光景だった。
 鏡の前で膝立ちになり、ゆっくりとこちらへ振り返ったシュリの胸は、ガラスの破片が無数に突き刺さり、真っ赤な血に染まっている。

「シュリ! ……いったい何を!!」

 駆け寄るラウの目の前で、シュリはゆっくりと血溜まりの中に倒れ込んだ。

 抱き起こされると、シュリはラウを嫌がり、拒否するように抵抗した。
 胸の出血が酷くなり、脇腹を伝った血が床の血溜まりを大きくしていく。
 それでも、何か言葉にならない声をわずかに発しながら、全てを拒否するように激しく首を振り続けた。

「離……せ……。……離……ラ……ウ……。
 悪魔が……。
 …………私の……には…………魔が……」

「シュリ! いけません! シュリ!
 力を抜いて! 血が止まらなくなります!
 大人しくしてください! 死んでしまいます!」

「……いい……。
 もう……私は…………ない……。
 魔に……。
 …………要ら……い……触る……な……ラウ……」

「シュリ! 何を言うのです!!
 死ぬおつもりですか!!
 貴方がそんな事を言って! 
 それではジーナ様はどうなるのです!」

 止まらない血を掌で押さえながら、ラウの悲痛な叫びが響く。

「……ジーナ……」
 
 それだけを呟き、次第にシュリの顔は蒼白になった。
 ラウの体を押し退けようとしていた手からも、力が失われていく。

「……シュリ! しっかりしてください! 
 医者を……! 誰か! 医者を……!  
 ……頼む…………。
 …………誰か…………早……く……」

 だが、叫ぶラウの声も徐々に小さくなった。
 其の実、こんな皇子の姿を、他の者に診せるわけにいかないのだ。


 ラウは唇を噛むと、気を失ったのか動かなくなったシュリを抱きかかえ再びベッドへ運ぶと、部屋から持ってきた数種の薬を取り出し、ベッドの横に医学書と一緒に重ね置いた。
 そして明かりを引き寄せ……思わず眉根を寄せた。
 そこに照らし出されたシュリの体は酷い有様だった。

 ガルシアに刻まれた印の中に、シュリが自ら握ったガラスが無惨に突き刺さり、粉々になった破片は口を開けた傷の中で、血と混交し呑み込まれている。

「クッ……」

 ラウは部屋を見回し立ち上がると、食事の準備をするための棚から、数本のナイフを掴み取った。
 今、ここに専用の器具など何も在りはしない。
 手に入る物でやるしかない……。

 シュリの横に椅子を引き、念入りにナイフを消毒し、そしてそれを……傷の中に刺し入れた。

「ンッ……!! ンッッァッ…………!!」
 
 意識も薄いはずのシュリの体が、痛みに反応しビクンと震え、身を捩り暴れる。
 そんなシュリを押さえつけたまま、大きな破片をえぐり出す。
 細かい物は、ガーゼを切る為の先の細いハサミで探り、摘み取る。

 それを気の遠くなるほど繰り返し、見えるだけのガラス片をやっとの思いで取り出した。
 だが、ラウにできるのはその程度だった。

 薬の知識はあるものの、医師ではないラウにはこの傷を塞ぐ手立てがない。
 自分には、圧倒的に医学の……外科の知識が足りなさすぎる。
 湧くように増えていく出血を見ながらそう思い知らされ、ラウは悔しさに拳が白くなる程握り締めた。

 それでも、シュリの命を諦めるわけにはいかなかった。
 顔を上げると、ベッド横のあの箱が目に入った。

 いつもの薬……。
 あれならば、少しはこの痛みを和らげてやれるかもしれない。
 だが、もうあれは、すでに許容される量を遥かに越えている。

 苛立ち、焦燥感に駆られながら、ラウは持って来た薬瓶から、痛み止めと止血作用のある錠剤を数種、選び出した。
 自分の口内でカリカリと噛み砕いた後、わずかな水を含み、シュリの顎に指を添えて蒼白の唇を小さく開けさせると、そこへ口移しで落とし込む。

「……ッ……ゴホッ……」
 小さく咳き込み、シュリの喉が動く。

「少しでも効いてくれれば……」

 シュリの横で額の汗を拭いながら、ラウは柔らかいガーゼで傷を押さえ続けた。
 全裸のまま、何も纏う事のできないシュリの体温が下がらぬように、暖炉の火を焚き続け、その作業は一晩中繰り返された。
 だがそれは、すぐに鮮血に染まる。

 連日、ガルシアの責めを受けたシュリの体は酷く弱っていた。
 体力が落ちているところでのこの仕打ちは、精神共に深く傷つけたに違いない。


「主よ……どうかシュリを……この神の子を……」

 ラウの祈りと共に空が白む頃、ようやくシュリの呼吸は静かになっていった。
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