華燭の城

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「……こんな物などと……そんな事を言うな……。
 私がお前と、お前の作ってくれるこの薬で、どれだけ救われたか……。
 ……感謝している」

「……」

 会話が止まり、静まり返った部屋で窓ガラスがカタカタと鳴る。
 外はきっと冷たい風が吹いている。
 それでもこの部屋は、ラウがいればいつも温かく、そんな寒さを感じる事もない。
 どんな薬だろうと、ラウさえいてくれれば……。

「ラウ、顔を上げて……」
 シュリはそっと手を伸ばすと、俯くラウの頬に当てて顔を上げさせる。
 そして、視線を合わせ微笑んだ。

「星が出ているか見てくれないか?」
「星……ですか?」

 唐突なシュリの言葉に、ラウが戸惑いながら少し首を傾げた。
 それが意図せず、添えられたままのシュリの手に、自分の頬を擦り合わせる形になって、ラウも少し照れたようにクスリと微笑み返す。

「さっき、サロンで雲間に星を見た。
 もうすぐ晴れるんじゃないかと思うんだ」

 ラウは包んだシュリの手をそっと寝具の中に戻し立ち上がると、窓辺まで行き、カーテンを少しだけ開けた。
 窓越しに外を見たが、ガラスには室内の灯りが映り込み、外のわずかな輝きを見る事はできない。

 冷気が入り込む事をわずかにためらったが、窓の飾り取手に指を掛け、手前に引いた。
 ガチャという音と共に夜風が室内に流れ込み、暖炉の炎を揺らす。
 格子で身を乗り出す事はできないが、ラウはそれでも、できる限り窓に寄り、格子の間から空を見た。

 暗い空に目が慣れてくると、その目にうっすらとだが、星の瞬きが映る。

「本当ですね、シュリ、星が見えます。
 この風でしたら……明後日には晴れるかもしれません」

「明後日か……」
 ベッドに横になったまま、シュリは視線を再び天井へ移して何かを考えていた。
 
 天蓋ベッドの、薄いブルーグレーの幾何学模様をいくつか目で追った頃、
「明後日、晴れたら……。
 殿下に『約束通り馬乗りに出ましょう』と伝えてくれないか?」

 ラウが驚いて振り返った。

「そんな、いけません。まだお体が……無理です。
 乗馬がどれほど体に負担を掛けるか、シュリなら判るはずです」

 そう言いながらベッドの横へ戻って来ると、シュリの返事も聞かず話し続けた。

「殿下には風邪だと言ってありますから、そのお約束は多少遅れても何も言われないでしょう。
 休暇も余裕があると言われていましたし、そんなに急がれずとも、もう少し良くなってからでもよろしいのでは?」

 ラウの言葉にシュリは目を閉じると、先のバルコニーでの出来事を、ゆっくりと、正確に、思い出すように話し始めた。

「バルコニーで殿下は私に『どうしてこの国に来たのか』と、聞いた。
 ガルシアの何が、そうまでさせたのかと……。
 殿下は、私がここに来た事を不審に思っている。
 公に発表された理由だけでは腑に落ちない、そんな様子だった。
 だからまだ書状も渡さないのだと……。
 オーバストに、わざとあんな挑発的な行動を取ったのも、相手の出方を見たかったのだろう。 
 ……殿下は、ガルシアを探るつもりだ」

「そんな……!
 それは、なりません、絶対に!」
 ラウの語気も自然と強くなった。

 シュリも目を開け、小さく頷きながらラウを見つめる。

「殿下が何をしようとしているのかは判らない。
 だが、このまま滞在を伸ばさない方がいいと思う……。
 殿下が私と馬に乗りたいと言うならその願いを叶え、早々に帰っていただくしかない」

「……」

「明日にでも殿下に伝えてくれないか。
 あと、ガルシアにも……。
 ガルシアの側近も同行するなら、その手配もあるだろう。
 ……今夜の事で、ガルシアはきっと苛立っている。
 そんな時に外に出るのは、益々怒らせるだけだろうが、それでも、これで殿下の気が済んで帰って下さるのなら……反対することは無いと思う」

「わかりました。そのように手配を……」

 ラウが深く腰を折り、恭しく頭を下げる。
 それは、この国の皇太子から使用人に下された命令だと、受け取った証拠だ。

「悪いな、ラウにはいつも面倒な事ばかり押し付けて……」

 それだけ言うとシュリは体から力を抜いた。
 体の痛みに、辛そうに小さく息を吐く。

「いえ、私は大丈夫です。
 それよりもシュリ、お疲れになったでしょう。
 側に居ります。眠れるうちに少しでもお休み下さい」

「ああ、そうさせてもらう……。  
 ……ラウ……来て……」

 上掛けの間からシュリが手を伸ばす。
 ラウはその手を取って静かに微笑むと、上着を脱ぎベッドへと上がった。

 シュリの横に体を置くと、スッと自分の左腕をシュリの頭の下に差し入れ、右手でシュリの手を、指を絡ませるように握る。
 シュリはその優しい腕にゆっくりと体を預け、安堵したように微笑んだ。

「シュリ、おやすみ」

 そう言いながら、自分を見下ろすラウの顔をじっと見て、わずかに顎を上げる。
 そこにラウの唇が降ってくると、シュリはゆっくりと目を閉じた。
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