華燭の城

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 広場を後にし並んで歩きながら、ラウが前を向いたまま口を開いた。

「先ほどの手合せ……本当に楽しまれましたか?」

 その言葉にシュリがふと足を止め、黙ったままラウを見つめる。

「途中から何を考えていらっしゃいました?
 心、ここに在らず……でしたね」

「さすがだな、ラウ……。
 あれだけの剣を振るいながら、それに気が付くなんて……」

「いいえ。考え事をされながらのシュリ様にさえ私は負けたのですから、大した事はありません」

 大きく息をつくシュリの横で、ラウが静かに頭を下げる。
 だがそれは謙遜ではなく、シュリが本気を出せば実力に大差があることは、誰の目にも明らかだ。


「弟を思い出していた……」

「ジーナ様、でしたね」

「ああ、私の宝だ。そして神国の宝でもある。 
 何としてもジーナを元気にしてやりたい。
 ジーナの病を治せる医師さえいれば、これからはジーナが私の代わりに……立派に神儀の責務も果たしてくれるはず……」

「……しかしそれは……」
 何かを言いかけてラウが言葉を止める。

「……しかし……何だ?」

 問われたラウは頭を下げたまま、言い難そうに続けた。

「神国の神儀は、神の子とされる者だけに受け継がれる “一子相伝” と聞いた事があります。
 シュリ様がその一子であるなら、ジーナ様は……」

「ラウは何でも良く知っているな」

 シュリの目が再び遠い空へと向かう。
 そこに青空はなく、暗い雲がどこまでも広がっているだけだ。


「ラウ……。 
 通常、年に一度行われるはずの神儀は、ある年を境に数年間、行われなくなるんだ。それは世代が代わる時。 
 その数年間、神は不在となり疫病や不作、恐慌が続く凶年と呼ばれる……知っているか?」

「いいえ、それは初めて聞きました」

「私の父王も、母……皇后と結婚するまでは “神” として、その責を忠実に務めた。
 王の婚姻は、普通ならば国を挙げての祝事だ。
 だが神国では、皮肉にもその年から凶年に入る。
 皇子……私が生まれ、父の跡を継いで、初めて神儀を行ったのが六歳の時。
 ……ではどうして、その六年もの間、父王は凶年と判っていながら神儀を行なわなかったか……。
 ……わかるか?」

 その問い掛けは、ラウに答えを期待したものではない。

からだけがれてしまっては、神の器になれないからだ。
 神儀とは、人の身体を依代よりしろにされた “神” が、災いをもたらす “百鬼悪魔” と戦い、祈る事。
 神儀を行う……つまり百鬼と戦い、人間を守る事ができるのは、穢れ無き者のみ。
 他者と交わることは、どんな形であっても許されない。
 それが、めでたい婚姻であっても、だ。 
 だから父王は、結婚と同時にその資格を失った。
 そのために、生まれた子は、ものごころついた時から……ようやく歩けるようになったばかりの頃から、厳しい修練を受ける。
 一日も早く神儀を行い、皆を救えるようにと……」

「婚姻さえも穢れ……ですか……。
 それは存じ上げませんでした」

「それほど厳格な掟があるんだ。
 躰を穢がしてはならぬ、という……。
 祖父の代までは、実母である皇后でさえも、産んだ我が子を育てる事はおろか、触れる事さえ赦されなかった。
 さすがに今は、皇后自身の手で育てられるようにはなったが……。
 そういう理由で今でも、神の子と成るべくして生まれた皇子の “身体” の事に関して世話ができるのは、俗世から隔離された聖職者と、父王のみ。
 中でも侍従長と呼ばれる特別な資格を持った者は、一生を一人の皇子のためだけに捧げ、生きるんだ」

「侍従が……生まれた家の、代々の家職として付き添いその一生を捧げるのは判ります。
 王家を護る近衛でも、そういう家柄はありますし。
 ですが……。
 シュリ様ご自身はそれでよろしいのですか?
 たったお一人で世界中の信仰を背負い、生まれた時から、そのように厳しい掟の中に身を置く事……。
 ……もっと自由になりたいと思った事はないのですか?」

「もっと自由に……か……。
 幼い頃は、他の子達と同じように遊びたいと、泣いた事もあったそうだ。
 ……もう忘れてしまったが……。
 でも、それが私の生まれ……運命だ」

「そんな……」

「正確には、運命さだめ……と、言うべきか……。
 私には……。
 ガルシアに穢された私には、もうその資格もない」

 その言葉に一瞬、顔を上げたラウだったが、すぐにまた目を伏せる。
 そんなラウを視界の端に捉えながら、シュリはゆっくりと息をついた。

「お前の言う通り、私のこの思いは一子相伝の教えには背くかもしれない。
 永い神国の掟には沿わないかもしれない。
 だが、このままにはできないんだ……。
 これからはジーナが私の代わりを果たしてくれる……。
 きっと……。
 ……そう信じなければ……」


 シュリの言葉を、ラウはじっと下を向いたまま聞いていた。
 この年頃の青年が、いきなり同じ状況に置かれたならば、暴れ、悪態を付き、呪い叫ぶのが本当だろう。
 吐き出してしまいたい思いは溢れているはずだ。
 
 だが、淡々と静かに話すシュリが、ラウにはかえって痛ましかった。
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