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後日談

あのふたり①

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 フィストスと結婚して半年ほどが過ぎた頃、私の執務室にアナベル様が訪ねてくださった。

 婚約者のマルティンが王都の大学に在学中ということもあり、アナベル様はまだ王都のご実家に住んでいる。いつぞや領主様御一行で宿泊してくださった時は、マルティンが一時的に帰省し、それにアナベル様も同行していた形らしい。
 今回もまた、マルティンの長期休暇に合わせてこちらに来たそうだ。

 ――助言をいただけないのは残念だけれど、わたくしとお友達にはなってくれるかしら。

 その言葉通り、私たちはあれ以降ゆっくりと手紙のやり取りを続けている。だからアナベル様が今日ここに来るということも事前に約束済み、ではあるのだけれど。

 差し出された美しい封筒には、ちょっと覚えがない。金の箔押しで縁取られ、普通の手紙よりひとまわり大きい。しっかりとした厚みもあるようだ。

 受け取ってはいけない予感がひしひしとした。

「これは?」
「結婚披露宴の招待状です」
「結婚披露宴、と申しますと」
「このアナベル・フォン・ラングとマルティン・フォン・グリュンテ様の結婚披露宴よ」

 ですよね、という言葉は飲み込む。

「あの……さすがに私が出席するのは、どうかと思うのですが」
「もう婚約を解消されて1年近く経つのだし、そもそもエルフリーデは既婚者なのだから、何も問題はないでしょう? それに、わたくしの友人として出席をお願いするのよ」
「いやでも、貴族の方々の披露宴ですよ? 私はいち庶民なので、場違いすぎると言いますか」
「他にもお付き合いのある平民の方々はご招待しているの。だから何も気にすることはないわ」

 それは、平民は平民でも限りなく貴族に近いような超裕福層なのでは……。
 あれこれ考える私をよそに、薄紅色の小さな唇が続ける。

「少し遠くて申し訳ないけれど、これは王都で開催されるものなの。いろいろなところからたくさんの方が集まるから、エルフリーデの事業の宣伝にもいい機会ではないかと」
「そ、それは……」
「大丈夫。わたくしが言うのもなんだけれど、ラング家に招待されるのだから、自信を持ってくれたらいいわ」

 招待客同士、披露宴で顔を合わせれば挨拶ついでに事業の話にもなるだろう。その時に温泉と宿に興味を持ってくださる方がいるかもしれない。

 口頭だけではきっとすぐに忘れられてしまうから、何か……例えば名前や住所を書いた小さなカードでも持って行ってみようか。高級感のある厚紙に箔押しや立体印字を組み合わせれば、貴族の方にお渡ししても恥ずかしくはない、はず。

 実際、うちのお客様には貴族の方だっている。宿にはお部屋専用の露天風呂がついているから、家族や恋人と気兼ねなくくつろげると特に好評だ。

「ね? お願いよ、エルフリーデ」

 焼き菓子を食べて、紅茶を一口飲んだアナベル様がにっこりと笑う。
 きっとこの押し問答があると思っていたから、直接招待状を持って来てくださったのだろう。これをありがたい機会だと捉え、必ず参加すると伝えた。

 そんなやり取りからしばらくして。

「アナベルは僕のことが好きな訳ではないんだ。どうしたら好きになってもらえるか、教えてくれないだろうか」

 そんなことを言うマルティンに、私とフィストスは顔を見合わせることになっていた。



 アナベル様が去ってから1時間もしない頃、執務室に困り顔のハイデマリーがやって来た。

「マルティンが?」
「はい……」

 アナベル様が侍女を伴って温泉に入りに行っているこの時に、マルティンまで来たそうだ。しかも、ハイデマリーが来客を伝えにきたということは、マルティンは自宅側から訪問したらしい。止めてほしい。
 せめて温泉側から来てくれたら、ユルゲンや他のひとに対応をお願いできたかもしれないのに。

 いつものことながら、相手が相手だけに追い返すこともできず、客間に通しているとのことだ。

「貴族なのに、先触れというものを出せないのかしら」

 きちんと訪問の約束をしてから来てくれたアナベル様と一緒ではないということは、彼女に隠れてコソコソ行動しているに他ならない。

「無視すればいいだろ」
「そうできたらいいんだけどね……」

 どこからともなく姿を現したフィストスが言うけれど、相手の身分を考えるとそうすることも難しい。
 それに、以前も突然訪問してきて、会えないと伝えても客間に居座ったことがあった。あれをやられると厄介だ。ハイデマリーに多大な迷惑がかかる。

「なら俺が追い返してきてやる」
「ありがとう、助かる……でもお手柔らかにね」
「何であいつの心配をするんだよ」

 だって、マルティンにも正体が知られていることをこれ幸いと遠慮なく力を使って脅かすし。
 そのせいで腰を抜かしてしまったら、帰ってもらうのも大変になるし。

 扉から出ることなく霧になって姿を消したフィストスは今すでに、マルティンの目の前か背後のどちらかにいることだろう。

「頼れる旦那様ですね」
「えへへ……」

 一部始終を見守っていたハイデマリーは私に向かってぱちんとウインクを飛ばして、自分の仕事に戻った。
 けれどその平和は、5分も続かなかったように思う。

「お、お嬢様、あの」
「大丈夫、私にも聞こえてたから」

 扉を閉めた執務室にいても階下からの大声が響いていた。ハイデマリーが部屋の扉を開けた瞬間、それはもっとはっきり耳に届く。

「あのお方は、悪魔が怖くないのですねぇ」
「なんだか耐性ついちゃったみたいで……」

 ここまで聞こえる大声はひとり分、マルティンのものだけだ。
 そういえば以前もフィストスに果敢に立ち向かい、悪魔から『無駄に根性付いてきた』と評されていたのだった。その根性を持ってして、追い払おうとする悪魔に食い下がっているのだろう。

 もはやなかなかの大物だと認めるしかないのでは、と現実逃避に変なことを考えてしまう。

「しかたないから、私も行くね」
「お気をつけて」

 自宅内の部屋を移動するだけには似合わない言葉に送られて、客間へ向かう。一応ノックをしたけれど、返事はない。

 扉を開けた瞬間、冷気が足元を這い上がってきた。昼間なのに真っ暗で、赤と黒が混じったような霧が部屋中を覆っている。

 以前廊下でやりあった時は他のお客様の目もあるからと控えめにしていたようだけれど、この部屋には今、フィストスが悪魔だと知っている人間しかいない。やっぱり容赦なく、とことん脅しているらしかった。
 何も知らなければ普通に怖い。

「エルフリーデ! 遅いぞ!」
『妻の名を呼ぶなと何度言えば理解できる? エルフリーデも何で来たんだよ、俺が追い返すと言っただろ』
「声がすごくて」

 寒さに腕をさすりながら、髪が霧化しているフィストスの側まで行くと、部屋は元通りの明るい日差しに包まれた。冷えも消えたのでホッとする。

 長話するつもりはないので、ソファに座らず立ったまま要件を聞くことにした。

「どういったご用件ですか、グリュンテ卿」
「アナベルから招待状を受け取ったか?」

 私の問いかけに、マルティンは感情の読めない声を出した。何の招待状かは言わなくても分かる。頷けば、その表情は一気に「残念」の色で塗りつぶされた。

「普通、夫になる男の前の婚約者を、自分たちの結婚披露宴に呼ばないよな!?」

 一体、どうしたんだろう。
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