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後日談
ずっと一緒に生きていく②
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「ユルゲンも俺と同じ、悪魔だ」
「!!」
や、やっぱり、そういう……。
ほとんど答えが見えていたようなものなのに、はっきりと告げられた内容はあまりにも衝撃だった。
情けなくもめまいを起こした私をフィストスが支えて、支配人室のソファに座らせてくれる。
「同じとは恐れ多い。フィストス様とは比べものにもならない小者ですよ」
「でも悪魔には違いない。エルフリーデ、お前、少しも気づいてなかったのか?」
「人間に馴染むことにかけて、私の右に出る悪魔はいないでしょう」
「ユルゲンはいろいろとすごいな。俺から見れば結構な革新者だ」
「あなたは大悪魔ですからねぇ。私なんてもうほとんど人間かもしれないのに」
「その話、今度詳しく聞かせてくれ」
「前にもお話しましたよ。さては酔っていましたね?」
「俺が人間の酒で酔うことなんかない」
「ちょっと、ちょっと、まって」
二人だけで会話を進めないでほしい。
「すみません、お嬢様。少しでも気が楽になればと、あえて他愛ない方向に会話を流してみましたが」
この忖度に怒るべきなのか。それとも、あまり冗談を言ったりしない真面目なユルゲンが気を利かせてくれたのだから、ありがたく思うべきなのか。
正解が分からなくて、結局口をつぐんだ。
勝手に進む二人の会話を止めたはいいけれど、何をどこから確認していったらいいのかも分からない。深い飴色のソファーテーブルを見て呼吸するくらいしかできない私を、二人は辛抱強く待ってくれた。
「ええと……ユルゲンも悪魔なの?」
「そうです」
「じゃあハイデマリーも?」
ユルゲンとハイデマリーは全然似ていないけれど、血の繋がった父娘だ。ユルゲンが悪魔だと言うなら、ハイデマリーも悪魔なのかと思えば。
「ハイデマリーは間違いなく私と妻との子ですが、人間のようですね。父親が悪魔で母親が人間だということも、ライエン男爵が大悪魔フィストスだということも知っています」
「そう、なん、だぁ……」
ハイデマリー。いつから、どこまで知っていたんだろう。なんだか猛烈に恥ずかしくなってきた。
だって、リネンの洗濯とか、しれくれてたし……最初に捨てたシーツ以外、そんなに汚れてなかったはずだけど……。
「ええと、そうだ。フランカの時はどうして?」
「あれは私も驚きました」
以前、元使用人のフランカが悪魔除けのまじないを温泉の倉庫に隠した。そのせいでフィストスは屋敷に入れず、私もあらぬ疑いをかけられたのだ。
悪魔ならフィストスと同じように屋敷に入れなくなっていたはず。けれどユルゲンはいつも通りの涼しい顔で出入りしていた。
しかも、まじないの紙を嫌そうに見ていただけのフィストスとは違って、その手で受け取って真っ二つに破っている。
「娘が独り立ちして妻も亡くなって以来、使用人部屋のひとつに住まわせてもらっていますが、それが大きかったように思います」
ユルゲンは深く息を吐いて、懐かしむように窓の外を見た。
「先々代はこの屋敷が出来上がった時、まぁ、半分は冗談のつもりでしょうけど、『こっち側の主ってことで、管理を頼んだぞ』などと私に言いましてね。こっち側というのは、自宅ではなく温泉側のことですね。今や実際に住んでいるわけですし、屋敷に主のひとりと認められていたから、まじないが効かなかったのかもしれません」
主に招かれたら入れるのだと言っていた。実際、フィストスが私と一緒に玄関から屋敷の中に入った時は、何の問題もなさそうだった。
ユルゲンの話を聞くに、主本人が悪魔だった場合も、まじないは効かないのかもしれない。
「あの頃、いくら掃除をしても全体が埃っぽいと感じていたんです。まじないを破ったら気にならなくなりましたので、あれのせいで居心地が悪かっただけでしょうね」
「一応、ユルゲンにも効いてはいたんだな」
フィストスに比べると、ユルゲンはずっと力の弱い悪魔なのだと言っていた。まじないを埃っぽいで済ませているあたり、それは本当なのだろうかと少し疑いたくなっている。
「あ、そうだ、もうひとつ気になってたんだけれど、ユルゲンはお祖父様と親友だったのよね?」
「ええ。私を召喚した契約者が先々代だったんです。いろいろとありまして、最終的には種族を越えた親友ということになりました」
「だからこの屋敷に『王の写本』があったのか」
「もう読める頁もないくせに、執務室に仕舞い込んでいたようですね。お嬢様も散らかって物の多いあの部屋からよく見つけたものだと……本当に、人の血は争えない」
そう言うと、ユルゲンは契約書にサラサラと自分の名前を書いた。
いつの間に取り出したのか、手にしたペンには光の加減で濃い紫にも見える黒い羽飾りが付いている。悪魔には専用の綺麗な羽ペンを持つ決まりでもあるのかもしれない。
「悪魔と人間の幸せは難しいことですが、決して不可能ではないと思っています」
「うん……ありがとう、ユルゲン」
人間の奥様と家族を作り添い遂げたユルゲンの言葉には、強い説得力と安心感がある。
ユルゲンの娘であるハイデマリーは仕事ができて、気立てもいい。いつも両親の教育のたまものだと思っていた。
今度はハイデマリーの話も聞いてみたいものだ。
「あれ?」
受け取ったフィストスの隣で契約書を覗き込むと、第三の目の欄に「ユルゲン」の文字があった。見逃してしまいそうだったけれど、微妙な違和感を覚える。
「ユルゲンは人間用の名前じゃないの?」
フィストスは人前で「ファイ」と名乗っている。てっきり「ユルゲン」も人間としての名前で、本当の名前が別にあるのかと思っていた。
「先ほどもお伝えした通り、悪魔としては力が弱いので。人間への認知度も低かったので名前をそのまま使っても問題なかったんですよ」
「フィストスって言えば皆が知ってる有名な大悪魔だもんね」
「まぁな」
そして、ユルゲンといえばうちの支配人のユルゲンだ。同じ名前の悪魔がいるとは全く知らなかった。
申し訳ないけれど確かに、悪魔としての認知度は低いということなのだろう。
「せっかくの召喚、なるべく大きな契約で手っ取り早く力をつけたいと思っていたんです。それなのに……先々代との契約内容については言えませんが、私にとっては少々不満なものでしてね。その後、この契約者を食い殺してやろうかと思ったことは数知れません」
「そ、そうなのね」
「すみません。孫のあなたに、ついこのようなお話を」
「いいの。お祖父様がユルゲンを怒らせること、たくさんあっただろうなとは思ってた」
悪い人ではなかったのだけれど、少々お調子者というか。ユルゲンとは性格が真逆だったように記憶している。
そんなお祖父様は、悪魔に何を望んだのだろう。
温厚なユルゲンがとんでもない発言をするくらいなので、彼が悪魔であるということを差し引いても、相当な無茶振りをしたに違いない。
「私が悪魔であることは、本当は一生お話しないつもりでした。まさかお嬢様まで悪魔と結婚するとは思わなかったもので」
私まで……ということは、きっと亡くなった奥様のことを思い出しているのだろう。ユルゲンの奥様も私と同じく、悪魔と結婚した人間ということになる。
生前お話したことはあるけれど、もちろん悪魔の話題なんて出なかった。こうなったからには悪魔との結婚について、いろいろと聞いてみたかったと惜しんでしまう。
それからもしばらくフィストスやユルゲンの悪魔歓談を聞いて、そろそろ自分の執務室に戻るかという頃。
ユルゲンは私とフィストスを見送りながら、改めて言ってくれた。
「お二人の永遠の幸せを、心より願っています」
その言葉に、少し目の奥がツンとした。
人間と悪魔であるということまで認めて幸せを願ってくれるユルゲンはやっぱり、誰より頼れる支配人だ。
「ああ」
「本当にありがとう、ユルゲン」
婚姻届を出した。悪魔の契約も結んだ。
私とフィストスはこれからも、ずっと一緒に生きていく。
「!!」
や、やっぱり、そういう……。
ほとんど答えが見えていたようなものなのに、はっきりと告げられた内容はあまりにも衝撃だった。
情けなくもめまいを起こした私をフィストスが支えて、支配人室のソファに座らせてくれる。
「同じとは恐れ多い。フィストス様とは比べものにもならない小者ですよ」
「でも悪魔には違いない。エルフリーデ、お前、少しも気づいてなかったのか?」
「人間に馴染むことにかけて、私の右に出る悪魔はいないでしょう」
「ユルゲンはいろいろとすごいな。俺から見れば結構な革新者だ」
「あなたは大悪魔ですからねぇ。私なんてもうほとんど人間かもしれないのに」
「その話、今度詳しく聞かせてくれ」
「前にもお話しましたよ。さては酔っていましたね?」
「俺が人間の酒で酔うことなんかない」
「ちょっと、ちょっと、まって」
二人だけで会話を進めないでほしい。
「すみません、お嬢様。少しでも気が楽になればと、あえて他愛ない方向に会話を流してみましたが」
この忖度に怒るべきなのか。それとも、あまり冗談を言ったりしない真面目なユルゲンが気を利かせてくれたのだから、ありがたく思うべきなのか。
正解が分からなくて、結局口をつぐんだ。
勝手に進む二人の会話を止めたはいいけれど、何をどこから確認していったらいいのかも分からない。深い飴色のソファーテーブルを見て呼吸するくらいしかできない私を、二人は辛抱強く待ってくれた。
「ええと……ユルゲンも悪魔なの?」
「そうです」
「じゃあハイデマリーも?」
ユルゲンとハイデマリーは全然似ていないけれど、血の繋がった父娘だ。ユルゲンが悪魔だと言うなら、ハイデマリーも悪魔なのかと思えば。
「ハイデマリーは間違いなく私と妻との子ですが、人間のようですね。父親が悪魔で母親が人間だということも、ライエン男爵が大悪魔フィストスだということも知っています」
「そう、なん、だぁ……」
ハイデマリー。いつから、どこまで知っていたんだろう。なんだか猛烈に恥ずかしくなってきた。
だって、リネンの洗濯とか、しれくれてたし……最初に捨てたシーツ以外、そんなに汚れてなかったはずだけど……。
「ええと、そうだ。フランカの時はどうして?」
「あれは私も驚きました」
以前、元使用人のフランカが悪魔除けのまじないを温泉の倉庫に隠した。そのせいでフィストスは屋敷に入れず、私もあらぬ疑いをかけられたのだ。
悪魔ならフィストスと同じように屋敷に入れなくなっていたはず。けれどユルゲンはいつも通りの涼しい顔で出入りしていた。
しかも、まじないの紙を嫌そうに見ていただけのフィストスとは違って、その手で受け取って真っ二つに破っている。
「娘が独り立ちして妻も亡くなって以来、使用人部屋のひとつに住まわせてもらっていますが、それが大きかったように思います」
ユルゲンは深く息を吐いて、懐かしむように窓の外を見た。
「先々代はこの屋敷が出来上がった時、まぁ、半分は冗談のつもりでしょうけど、『こっち側の主ってことで、管理を頼んだぞ』などと私に言いましてね。こっち側というのは、自宅ではなく温泉側のことですね。今や実際に住んでいるわけですし、屋敷に主のひとりと認められていたから、まじないが効かなかったのかもしれません」
主に招かれたら入れるのだと言っていた。実際、フィストスが私と一緒に玄関から屋敷の中に入った時は、何の問題もなさそうだった。
ユルゲンの話を聞くに、主本人が悪魔だった場合も、まじないは効かないのかもしれない。
「あの頃、いくら掃除をしても全体が埃っぽいと感じていたんです。まじないを破ったら気にならなくなりましたので、あれのせいで居心地が悪かっただけでしょうね」
「一応、ユルゲンにも効いてはいたんだな」
フィストスに比べると、ユルゲンはずっと力の弱い悪魔なのだと言っていた。まじないを埃っぽいで済ませているあたり、それは本当なのだろうかと少し疑いたくなっている。
「あ、そうだ、もうひとつ気になってたんだけれど、ユルゲンはお祖父様と親友だったのよね?」
「ええ。私を召喚した契約者が先々代だったんです。いろいろとありまして、最終的には種族を越えた親友ということになりました」
「だからこの屋敷に『王の写本』があったのか」
「もう読める頁もないくせに、執務室に仕舞い込んでいたようですね。お嬢様も散らかって物の多いあの部屋からよく見つけたものだと……本当に、人の血は争えない」
そう言うと、ユルゲンは契約書にサラサラと自分の名前を書いた。
いつの間に取り出したのか、手にしたペンには光の加減で濃い紫にも見える黒い羽飾りが付いている。悪魔には専用の綺麗な羽ペンを持つ決まりでもあるのかもしれない。
「悪魔と人間の幸せは難しいことですが、決して不可能ではないと思っています」
「うん……ありがとう、ユルゲン」
人間の奥様と家族を作り添い遂げたユルゲンの言葉には、強い説得力と安心感がある。
ユルゲンの娘であるハイデマリーは仕事ができて、気立てもいい。いつも両親の教育のたまものだと思っていた。
今度はハイデマリーの話も聞いてみたいものだ。
「あれ?」
受け取ったフィストスの隣で契約書を覗き込むと、第三の目の欄に「ユルゲン」の文字があった。見逃してしまいそうだったけれど、微妙な違和感を覚える。
「ユルゲンは人間用の名前じゃないの?」
フィストスは人前で「ファイ」と名乗っている。てっきり「ユルゲン」も人間としての名前で、本当の名前が別にあるのかと思っていた。
「先ほどもお伝えした通り、悪魔としては力が弱いので。人間への認知度も低かったので名前をそのまま使っても問題なかったんですよ」
「フィストスって言えば皆が知ってる有名な大悪魔だもんね」
「まぁな」
そして、ユルゲンといえばうちの支配人のユルゲンだ。同じ名前の悪魔がいるとは全く知らなかった。
申し訳ないけれど確かに、悪魔としての認知度は低いということなのだろう。
「せっかくの召喚、なるべく大きな契約で手っ取り早く力をつけたいと思っていたんです。それなのに……先々代との契約内容については言えませんが、私にとっては少々不満なものでしてね。その後、この契約者を食い殺してやろうかと思ったことは数知れません」
「そ、そうなのね」
「すみません。孫のあなたに、ついこのようなお話を」
「いいの。お祖父様がユルゲンを怒らせること、たくさんあっただろうなとは思ってた」
悪い人ではなかったのだけれど、少々お調子者というか。ユルゲンとは性格が真逆だったように記憶している。
そんなお祖父様は、悪魔に何を望んだのだろう。
温厚なユルゲンがとんでもない発言をするくらいなので、彼が悪魔であるということを差し引いても、相当な無茶振りをしたに違いない。
「私が悪魔であることは、本当は一生お話しないつもりでした。まさかお嬢様まで悪魔と結婚するとは思わなかったもので」
私まで……ということは、きっと亡くなった奥様のことを思い出しているのだろう。ユルゲンの奥様も私と同じく、悪魔と結婚した人間ということになる。
生前お話したことはあるけれど、もちろん悪魔の話題なんて出なかった。こうなったからには悪魔との結婚について、いろいろと聞いてみたかったと惜しんでしまう。
それからもしばらくフィストスやユルゲンの悪魔歓談を聞いて、そろそろ自分の執務室に戻るかという頃。
ユルゲンは私とフィストスを見送りながら、改めて言ってくれた。
「お二人の永遠の幸せを、心より願っています」
その言葉に、少し目の奥がツンとした。
人間と悪魔であるということまで認めて幸せを願ってくれるユルゲンはやっぱり、誰より頼れる支配人だ。
「ああ」
「本当にありがとう、ユルゲン」
婚姻届を出した。悪魔の契約も結んだ。
私とフィストスはこれからも、ずっと一緒に生きていく。
応援ありがとうございます!
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