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後日談
ずっと一緒に生きていく①
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「あー、よかった。無事に受理された……!」
町から戻ってきた私は、執務室に入ってようやく緊張感から開放された。慣れたソファに座ったら、お尻がくっついてもう動けない。
私は腑抜けた感じになってしまったけれど、フィストスはいつも通りだった。長い脚を優雅に組みながら、私の隣で寛いでいる。
「受理されて当然だろ。準備した書類は全て完璧だった」
「そうなんだけど、何かのはずみでどうにかならないかって、どうしても心配だったの」
今日、私たちは役所に婚姻届を提出してきた。
多少の添付書類を揃えた上で必要事項を記入するだけで、そんなに難しいものではない。書類に不備がなければ役所の認可もその場ですぐに下りる。
確かに、魔法で用意した『ファイ・フォン・ライエン』の書類は完璧で、何の問題もなく受理された。
けれど私は、受理印と役所駐在の公証人による署名をこの目で見るまで、ずっと胸がドキドキしていた。フィストスが悪魔で、用意した書類も悪魔の力ででっち上げたものが大半で……なんてバレたらどうしようかと考えていた。バレる気配は全くなくて、本当によかった。
「これでもう夫婦なんだろ?」
「そうだね」
これで私たちは、人間的には正式な夫婦となった。
貴族とかもっとちゃんとしておきたい人は、教会に行って結婚証明書に夫婦で署名し、神様の祝福を受ける。けれど、私たちはそれを省略することに決めていた。
それなりにお金がかかるので平民ではやらないことも多いし、何よりフィストスは悪魔だ。神様の祝福なんて受けられないに違いない。
「妻か……」
じっと見つめながらしみじみ言われて、照れた。そう言うフィストスは私の夫だ。
夫か……。
「次はこっちだな」
「うん」
フィストスがどこからともなく出したのは、悪魔の契約書だ。借金完済を願った時と同じような羊皮紙に、長々と契約内容が綴られている。
「本当にいいんだよな?」
「フィストスこそ……本当にいいの?」
「いいんだってば」
二人で話し合って決めた契約内容は「悪魔フィストスとエルフリーデ・シュヴァルツは、互いを永遠の伴侶とする」「悪魔フィストスは、永遠にエルフリーデ・シュヴァルツの召喚にのみ応じることとする」だ。
結局、前に少し話した時とほとんど変わっていない。
もしフィストスがこれを破れば、おそらく悪魔として存在が消滅する。私が破れば、フィストスが私を殺さなくてはいけない。
実に悪魔らしい、恐ろしい契約である。
それに「永遠」の部分がどうしても引っかかっていた。私は人間なので長生きしたとしてもたかが知れている。対するフィストスには寿命という概念がない。
私が死んだ後もこの契約に縛られるのであれば「永遠」は取った方がいいのではないか。そう伝えたけれど、フィストスはこれでいいと内容を変えようとはしなかった。
――お前以外、もういらないから。
そんなことを言われたら、何も言い返せない。
悪魔であるフィストスが、どう考えても自分の方が不利になりそうな契約を私と結びたがっている。これには大きな愛を感じざるを得なかった。
「ほら」
フィストスは何のためらいもなく契約書に署名した。久しぶりに見る派手な孔雀尾羽根のペンを渡されて、同じように署名する。書き終わると、ペンと契約書をフィストスに返す。
契約書を受け取ったの時のフィストスの表情をあえて言い表すなら、感無量。
私はきっと、今日の選択を後悔することはない。フィストスの顔を見たら、そう思えた。
契約書は最初の時と同じようにふたつに別れて、胸のあたりで霧散するように消える……かと思ったら、そうではなかった。
「他の悪魔からの署名も得られるともっといい。人間で言うところのさっきの公証人みたいなもので、正式な第三者的な意味合いで『第三の目』と呼ぶ」
「契約書に他の悪魔の名前みたいなの、たくさん書かれてるよね? あれが保証人みたいなものかと思ってたけど」
「それとは別」
言いながら契約書を手でくるくると丸めると、フィストスはすっと立ち上がった。
まさか、これから他の悪魔の署名をもらいにいくのだろうか。そもそも悪魔はそんなにいないと言っていたけれど、すぐに署名してもらえるものなのだろうか。
そして、その悪魔はフィストスにとって信用できるひとなのだろうか。大事な契約なのだから、そこら辺の適当な悪魔と言うわけには……。
「ほら、行くぞ」
「私も?」
手を掴んで、すっかりソファに張り付いていたお尻が強引に引き剥がされる。執務室を出てどこへ行くのかと思えば、支配人室の前でフィストスは足を止めた。
「おや。お揃いでどうかされましたか?」
扉を叩いた私たちを出迎えたのは当然、支配人室の主、ユルゲンだ。そんなユルゲンに、フィストスは挨拶もそこそこに直球で告げた。
「俺とエルフリーデの新しい契約について、ユルゲンに第三の目を頼みたい」
「ちょっとフィストス!」
一体何を言っているのかと、フィストスの服を引っ張って止めようとした。けれどそんなことで止まる悪魔ではない。
人間相手に第三の目とか言ったところで何のことだか分かるはずがない。恐る恐る確認してみると、ユルゲンも驚いたような顔をしている。急に意味不明なことを言われて混乱しているのだろう。
ほら、ずれてもない眼鏡を直している。困った時とか驚いた時にする癖だ。
なんでもないのごめんね、と弁明しようとする私より先に、困惑顔のユルゲンが口を開いた。
「大変光栄ですが、私でよろしいのでしょうか」
「お前以上にふさわしい奴はいないだろ」
そう言ってフィストスが差し出した悪魔の契約書を、ユルゲンはあっさりと受け取った。丸められた羊皮紙を開く前に、ユルゲンが私を見る。
申し訳無さそうな、言いづらいことをこれから言おうとしているような、そんな表情をしていた。
「……どうして話が通じてる感じなの?」
「通じている感じというか、正しく通じています。お嬢様がフィストス様とこうなったからには、私のことも伝えるべきだろうと考えてはおりましたが……遅くなって申し訳ありません」
いつも悪魔をライエン男爵と呼ぶユルゲンが、今、フィストスと言った。この時点でもう、どういうことなのか察しは付いてしまう。
それでも背中に嫌な汗が流れた私に、フィストスはあっさりと言った。
「ユルゲンも俺と同じ、悪魔だ」
町から戻ってきた私は、執務室に入ってようやく緊張感から開放された。慣れたソファに座ったら、お尻がくっついてもう動けない。
私は腑抜けた感じになってしまったけれど、フィストスはいつも通りだった。長い脚を優雅に組みながら、私の隣で寛いでいる。
「受理されて当然だろ。準備した書類は全て完璧だった」
「そうなんだけど、何かのはずみでどうにかならないかって、どうしても心配だったの」
今日、私たちは役所に婚姻届を提出してきた。
多少の添付書類を揃えた上で必要事項を記入するだけで、そんなに難しいものではない。書類に不備がなければ役所の認可もその場ですぐに下りる。
確かに、魔法で用意した『ファイ・フォン・ライエン』の書類は完璧で、何の問題もなく受理された。
けれど私は、受理印と役所駐在の公証人による署名をこの目で見るまで、ずっと胸がドキドキしていた。フィストスが悪魔で、用意した書類も悪魔の力ででっち上げたものが大半で……なんてバレたらどうしようかと考えていた。バレる気配は全くなくて、本当によかった。
「これでもう夫婦なんだろ?」
「そうだね」
これで私たちは、人間的には正式な夫婦となった。
貴族とかもっとちゃんとしておきたい人は、教会に行って結婚証明書に夫婦で署名し、神様の祝福を受ける。けれど、私たちはそれを省略することに決めていた。
それなりにお金がかかるので平民ではやらないことも多いし、何よりフィストスは悪魔だ。神様の祝福なんて受けられないに違いない。
「妻か……」
じっと見つめながらしみじみ言われて、照れた。そう言うフィストスは私の夫だ。
夫か……。
「次はこっちだな」
「うん」
フィストスがどこからともなく出したのは、悪魔の契約書だ。借金完済を願った時と同じような羊皮紙に、長々と契約内容が綴られている。
「本当にいいんだよな?」
「フィストスこそ……本当にいいの?」
「いいんだってば」
二人で話し合って決めた契約内容は「悪魔フィストスとエルフリーデ・シュヴァルツは、互いを永遠の伴侶とする」「悪魔フィストスは、永遠にエルフリーデ・シュヴァルツの召喚にのみ応じることとする」だ。
結局、前に少し話した時とほとんど変わっていない。
もしフィストスがこれを破れば、おそらく悪魔として存在が消滅する。私が破れば、フィストスが私を殺さなくてはいけない。
実に悪魔らしい、恐ろしい契約である。
それに「永遠」の部分がどうしても引っかかっていた。私は人間なので長生きしたとしてもたかが知れている。対するフィストスには寿命という概念がない。
私が死んだ後もこの契約に縛られるのであれば「永遠」は取った方がいいのではないか。そう伝えたけれど、フィストスはこれでいいと内容を変えようとはしなかった。
――お前以外、もういらないから。
そんなことを言われたら、何も言い返せない。
悪魔であるフィストスが、どう考えても自分の方が不利になりそうな契約を私と結びたがっている。これには大きな愛を感じざるを得なかった。
「ほら」
フィストスは何のためらいもなく契約書に署名した。久しぶりに見る派手な孔雀尾羽根のペンを渡されて、同じように署名する。書き終わると、ペンと契約書をフィストスに返す。
契約書を受け取ったの時のフィストスの表情をあえて言い表すなら、感無量。
私はきっと、今日の選択を後悔することはない。フィストスの顔を見たら、そう思えた。
契約書は最初の時と同じようにふたつに別れて、胸のあたりで霧散するように消える……かと思ったら、そうではなかった。
「他の悪魔からの署名も得られるともっといい。人間で言うところのさっきの公証人みたいなもので、正式な第三者的な意味合いで『第三の目』と呼ぶ」
「契約書に他の悪魔の名前みたいなの、たくさん書かれてるよね? あれが保証人みたいなものかと思ってたけど」
「それとは別」
言いながら契約書を手でくるくると丸めると、フィストスはすっと立ち上がった。
まさか、これから他の悪魔の署名をもらいにいくのだろうか。そもそも悪魔はそんなにいないと言っていたけれど、すぐに署名してもらえるものなのだろうか。
そして、その悪魔はフィストスにとって信用できるひとなのだろうか。大事な契約なのだから、そこら辺の適当な悪魔と言うわけには……。
「ほら、行くぞ」
「私も?」
手を掴んで、すっかりソファに張り付いていたお尻が強引に引き剥がされる。執務室を出てどこへ行くのかと思えば、支配人室の前でフィストスは足を止めた。
「おや。お揃いでどうかされましたか?」
扉を叩いた私たちを出迎えたのは当然、支配人室の主、ユルゲンだ。そんなユルゲンに、フィストスは挨拶もそこそこに直球で告げた。
「俺とエルフリーデの新しい契約について、ユルゲンに第三の目を頼みたい」
「ちょっとフィストス!」
一体何を言っているのかと、フィストスの服を引っ張って止めようとした。けれどそんなことで止まる悪魔ではない。
人間相手に第三の目とか言ったところで何のことだか分かるはずがない。恐る恐る確認してみると、ユルゲンも驚いたような顔をしている。急に意味不明なことを言われて混乱しているのだろう。
ほら、ずれてもない眼鏡を直している。困った時とか驚いた時にする癖だ。
なんでもないのごめんね、と弁明しようとする私より先に、困惑顔のユルゲンが口を開いた。
「大変光栄ですが、私でよろしいのでしょうか」
「お前以上にふさわしい奴はいないだろ」
そう言ってフィストスが差し出した悪魔の契約書を、ユルゲンはあっさりと受け取った。丸められた羊皮紙を開く前に、ユルゲンが私を見る。
申し訳無さそうな、言いづらいことをこれから言おうとしているような、そんな表情をしていた。
「……どうして話が通じてる感じなの?」
「通じている感じというか、正しく通じています。お嬢様がフィストス様とこうなったからには、私のことも伝えるべきだろうと考えてはおりましたが……遅くなって申し訳ありません」
いつも悪魔をライエン男爵と呼ぶユルゲンが、今、フィストスと言った。この時点でもう、どういうことなのか察しは付いてしまう。
それでも背中に嫌な汗が流れた私に、フィストスはあっさりと言った。
「ユルゲンも俺と同じ、悪魔だ」
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