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本編

20 ただ喜ぶだけでいいなんてことは②

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 ユルゲンは丁寧に頭を下げた。

「当館支配人のユルゲンでございます。ライエン男爵と申しますと、かのライエン財閥の」
「財閥とは大げさだがまぁ、そのライエンだ。偶然こちらのエルフリーデ嬢と知り合い、出資させてもらうことにした」
「なんと……そういうことでございましたか。ではあの求職者たちも?」
「人手不足と聞いて伝を当たってきたんだ」

 ファイ・フォン・ライエン? 男爵? 財閥? 出資?
 よく分からない話に目が回る。どうしてユルゲンは「心得ました」みたいな顔で話をしているんだろう。

 和やかな雰囲気でユルゲンと握手を交わした悪魔は、私に耳を寄せて小さな声で言った。

「……そういう設定」

 悪魔の力とはなんと便利なものか……。この調子で好き勝手されるから、私は魔女だと思われる羽目になったんだろうに。

 ユルゲンだって突然の借金完済に納得はしていなかったけれど、あえて私から聞き出そうとはしなかった。それがこうして、悪魔が資産家の男爵として堂々と出てきたことでユルゲンの中ではいろいろと解決してしまったらしい。
 ユルゲンは借金の完済もライエン男爵の出資によるものだと思っている。間違いではないので否定しないでおくけれど。

 土建関係の7人は地元の大工親方の元へユルゲンが案内する。残った11人は、うちの使用人用の住み込み部屋に連れて行った。人によっては自分で部屋を借りて通いたいこともあるだろうけれど、しばらくの宿代わりだ。

 ハイデマリーと手分けして部屋に案内して、細かいことは明日にでも、としたところで部屋に戻る。廊下に誰もいないことを確認してから、部屋の扉をしっかり閉めた。
 そして、悪魔を振り返る。

「皆いい奴らだっただろ?」

 私の視線を受けて得意げに笑っている悪魔を睨んだ。

「私、何も頼んでない」
「でも困ってたじゃないか。これで宿泊事業も進められる」
「そうかもしれないけど、でも……もう……」

 ――もう、悪魔に抱かれたくない。

 困っていたことは確か。悪魔のおかげで助かっているのも間違いではない。けれどこの後のことを思えば、素直に喜んでなんていられない。
 対価だと言って身体を重ねて。名前を呼ばれたら、指の先すら私の自由にはならないのに。

 悪魔除けのまじないなんかそのままにしておけばよかった。悪魔との契約なんてするべきじゃなかった。残っているだけのお金を使用人に支払って、頭を下げて辞めてもらって。私は借金のかたとしてマルティンと結婚するのが本来の運命だった。

 寿命もないような悪魔にとって人間は束の間の暇つぶしでしかない。私は大悪魔フィストスのお気に入りの玩具だ。私の役に立とうとするのも、優しいように振る舞うのも、契約を結ばせたいだけ。

「エルフリーデ」
「……っ」
「呼んだだけ。なに難しい顔してるんだよ」

 誰のせいで……。でも頭の中が絡まっていて、私自身もどうしてこんなに悶々としているのか分からなかった。願いを叶える便利な悪魔だと割り切れたらいいのに。

「ほら」

 うつむいた私の視界に一輪の花が差し出される。悪魔の胸ポケットを飾っていた薄紫の花だ。

「この花をやるから、少しは喜べよ」
「……なにそれ」

 どこに咲いていたのか、名前も分からない花を受け取った。もしかしたら悪魔の住む魔界の花だったりして。眺めていると、私は何をごちゃごちゃ考えていたんだろうと思ってくる。不思議だ。

「ありがとう」

 たった一輪の小さな花ならお礼を言える。今までは……そう、少し規模が大きすぎた。大きすぎて感覚が麻痺していたんだ。

「誰かから花をもらうのって初めてかも」
「本当に?」
「覚えてる限りはね」
「……嬉しいか?」
「うん、嬉しい」

 もう一度ありがとうと言うと、悪魔の顔が近づいて。頬にちゅ、と柔らかいものが触れると、ゆっくりと離れていった。

「……また、これが対価?」

 悪魔除けのまじないの時も、まじないを壊して屋敷に入れるようにした礼だと言って、悪魔は私の額にキスをした。

 あれ? でも今回は私が悪魔にお礼しなきゃいけない立場だから、私から悪魔にキスするべきなの……? 無理、絶対に無理。私のキスなんて刑罰になってもお礼にはならないよ。でも対価に身体をと言われるよりは……あぁまた混乱してきた……。

 再び悶々とし始めた私を見る悪魔の赤い目が宝石のようにきらめいた。

「違う。これはそういうことじゃなくて……」

 少し苦しそうに眉を寄せて何かを続けようとしていたけれど、言葉にならないようで口を閉じてしまう。しばらく無言でいたけれど、悪魔は「じゃあな」と言って、唐突に霧になって消えた。

「……」

 手元に残ったのは花。それと、ほしいと思っていた働き手たち。
 私は何の対価も払っていない。最初の時みたいに契約不履行だとか言って、後から要求されるのだろうか。

 ――けれど、後日また現れた悪魔は、何も求めてこなかった。



 それからも当然の顔で私の元に現れていた悪魔は、今や毎日のように執務室のソファでくつろぐようになっていた。今日も執務室にある経済学や薬効に関する小難しい本を黙々と読んでいる。
 仕事を邪魔することがないので好きにさせているけれど、悪魔というものは相当暇らしい。

「おや男爵様、おいででしたか」
「あぁ、ユルゲン。眼鏡を変えたか?」
「よくお気づきで。同じ型の最新版というだけで、ほとんど違いはないのですがね」
「分かるさ」

 私も気付かなかったような微妙な変化すら見逃さないこの悪魔は資産家のファイ・フォン・ライエン男爵として、もはや私のビジネスパートナーに認定されている。
 今日だって玄関から入ってハイデマリーに案内されるという正規ルートで執務室まで来たし、二人きりで部屋にいたのにユルゲンは驚いてもいない。この悪魔、しっかり人間生活に馴染んでいる。

 私の決済が必要な書類を置いて早々に退出したユルゲンを横目に、悪魔は言う。

「あいつは話が早いよな」
「話って、どの?」
「いや、俺たちの仲を分かってるって意味」
「えっ……え?」

 私たちの仲って……え?

 えっ?
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