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本編

9 忘れていた上に詰めが甘い①

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 家族の葬式や借金問題なんかで自転車操業状態だった温泉事業は、ようやく落ち着きを見せてきた。
 お父様たちの頃のように元通りとは言わないけれど、売り上げもあの頃にだいぶ近づいている。借金がなくなった上に支出が安定してきた安心感からか……私はうっかりしていた。

「期初集会……」
「はい。先代は毎年開催しておられましたよ」

 期初集会は使用人とその家族を全員招待して行う、ちょっとしたパーティーのことだ。
 壇上に上がったお父様が今後の事業計画なんかを可能な範囲で話す。経営とは関係のない使用人にも未来を共有することで団結力や士気の向上に繋がる、とか。点の仕事であっても線を繋げてほしいって、お父様がよく言っていたっけ。

 パーティーはもちろん飲食無料。楽団を手配して、ホールでなんとなく踊ったりして。まるで貴族になったみたい、なんて使用人の奥様や娘さんなんかには特に好評だった。

 家業に一切関与していなかった私もこれだけは毎年参加していた。お父様の娘として顔を出して、邪魔にならないよう適度に楽しんでいた――のに、すっかり忘れていた。

「まぁ、今年はね……事情が事情ですから、無開催でも問題ないかとは思いますがね」

 ユルゲンが眼鏡を直しながら、直近三年分の期初集会の資料を手渡してくれた。去年のものを見てみると、経費の内訳や準備にかかる日程、業者とのやり取りの記録なんかが丁寧にまとめられている。

 これ、お兄様の字だ。あの兄はかなり几帳面な性格だったから、こうして綺麗にまとめることは得意だったんだろう。ちなみに、お父様はどちらかと言えば大雑把だったなぁ……。

「ありがとう、ユルゲン」
「いえ。では今年は見送りと言うことで」
「いいえ、開催しましょう」

 ユルゲンは少し目を見張って、ずれてもいない眼鏡を直した。

「こんな時だからこそ、やるべきかなって。私も改めて皆さんにご挨拶しなければいけないと思うし、とてもいい機会だわ」
「……さようで」
「ユルゲンは反対?」

 すっかり白髪の方が多くなってきた初老のユルゲンは、先々代であるお祖父様の友人だった。私やお兄様のことを小さい頃からかわいがってくれて、三人目のお祖父様のような存在でもある。

 今まで家業には関わっていなかったのに家族が死んだ途端しゃしゃり出てきた――そう思われることもある私を誰より支えてくれているのが彼だ。たまに、いや結構、お小言はいただくけれど。彼が残ると言ったから、斜陽気味だった我が家に残ってくれた使用人も多い。
 ちなみに、私が会社を継いだ折に辞めた使用人には、ユルゲンが紹介状を書いてくれた。

 そのユルゲンが反対と言うのなら考え直す必要がある。そう思って身構えていたけれど、ユルゲンは苦笑いしながら言った。

「いえ。ただ少し、意外でした」
「そう?」
「準備を進めましょうか。私も手助けしますから、無理だけはなさらぬよう」
「分かった。過去の資料もありがとう。見ながらやってみるね」

 使用人をねぎらう面が大きい期初集会なので、その準備は経営者がやるのだそうだ。去年までなら、お父様とお兄様、それにお母様も手伝っていたとか。ユルゲンも手伝うと言ってくれたけれど、最終手段にしておきたいと思った。



 そんなことでいろいろと準備していたら、私自身の準備を忘れていた……というわけだ。
 会場はもちろん、料理や楽団、花のほか、希望者への礼服やドレス、小物その他の貸出まで、できる限りの準備を整えていたというのに……!

 期初集会が明日に迫った夜、我が家の家政の全てを取り仕切るメイドのハイデマリーとともに、鏡台の前に並べたドレスと化粧品を見て唸った。
 ちなみに、会社側の使用人は多いけれど、自宅側の使用人はハイデマリーしかいない。

「なんとかなる、かな……」
「そうですわねぇ……ううん……」

 ハイデマリーはもう一度唸ったっきり、言葉を発しなくなってしまった。
 目の前には型落ちのドレスに、使用期限切れの化粧品。当日着るドレスはあるのかと聞かれ、今までのやつがあるから大丈夫、なんて生返事をしていたらこの有様だ。

 流行から外れていてもちょっと手直しすれば問題ないと思っていた。けれど久々に見たドレスや小物は、流行遅れはもちろんのこと、少し子供っぽく見えた。
 化粧だってめったにしないものだから、そもそも使用期限があるなんて知らなかった。どれもこれもお母様のお下がりで古いし、ハイデマリーに言わせれば色も今どきでない上に、私の肌色には似合わないものだったらしい。

 今年の私は経営者の家族ではない。私自身が経営者であり、皆を引っ張っていくと宣言する場でもあるのだ。ふさわしい装いと言うものがある。

 そして目の前のこれらは、正直なところふさわしくない。

「希望者への貸出の中で、お嬢様が使えそうなものはないんですか?」
「事前に希望を集めて、ぴったりその通りに発注したの。だから私の分なんてなくて……」
「そうでございますか……」

 ハイデマリーが肩を落とす様子を鏡越しに見て、私も落ち込んだ。どうしてこう詰めが甘いのか。忙しいからと確認を後回しにしないで、せめて昼間のうちに気がついていればこうはならなかったかもしれないのに……。

「大丈夫、なんとかしてみる」
「なんとかって、お嬢様」
「お母様の含めてあるもの全部引っ張り出せば、使えそうなものが出てくると思うから。お母様と私、同じような体型で良かった」
「ですがそれは逆に、大人っぽすぎるのでは?」
「お花とかで誤魔化せるよ。ハイデマリーは心配しないで、今日はもうゆっくり休んでね」

 でも、でも、というハイデマリーの背中を押して部屋から追い出した。ああは言ってみたけれど、本当に大事な形見以外、良さそうなものは売ってしまったから探したとして何か見つかるかどうか……。

 鏡台の椅子に座って、鏡に映る自分を見つめた。化粧なんてしなくても何でも似合うような美人だったらよかった。この顔ときたら化粧なんてしたところで何も面白くないし、ドレスだって可愛らしいものは似合わず、しかし地味なものを着たら地味過ぎて落ち込むという、面倒くさい外見なのだ。

 鏡に向かってうんうんと考えていると、鏡越しの視界に突如、逆さ吊りの人面が現れた。

「百面相して、どうした?」
「ひえええっ!」

 突然響いた声と鏡に映った人ならざるものに、私の心臓は縮み上がったのだった。
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