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000. プロローグ
しおりを挟むああ。私は、なんて愚かだったんだろう。
焼け付くような痛みを感じる暇もなく、正確に私の胸を刺し貫いた硬質な物が引き抜かれる。ごぼり、と口の中いっぱいに鉄の味が広がって、そう感じた時には私は地面に倒れ伏していた。
夕日も完全に落ちた夜の闇の中、郊外の修道院へ向かう馬車を襲われた。人影は数人だったということしか分からない。迷いのない洗練された動きに、所謂ごろつきや賊などではないと判断された。私たちの荷物を荒らすこともなく立ち去ったのだから、もちろん物盗りでもない。
暗殺者───。
(私は、こんなにも疎まれていたのね……)
走り去る人影を視界の端で認めながら、胸にストンと落ちた気がして納得さえしてしまった。
もう涙すら零れない。
否。私には泣く資格などないのだ。
浅慮な私の愚かさに巻き込んでしまった人がたくさん居る。
痛みも苦しさも寒さも感じない。ただ、申し訳なさと悔恨の念で胸が押し潰されそうだった。
どこから間違えたのだろう。私は、どうすれば良かった?
(ビアンカ……。レオンハルト……)
嘆く権利があるのは、巻き添えになって無惨な姿になっている彼らの方だ。
もう視線を動かすこともできないけれど、最後に一瞬だけ見えた血塗れで倒れた2人の姿は脳裏に焼き付いている。
きっと、私にさえ関わらなければこんな風に死なずにすんだ人たちだったはず。
私の専属侍女で、姉のように接してくれたビアンカ。レオンハルトは幼なじみで護衛騎士として護ってくれた人だ。
私にとってかけがえのない、とてもとても大切な2人は、私のせいで殺されてしまった。
私が、婚約者だった第1王子殿下との関係を破綻させてしまったから。
精霊の加護と魔法の発展で成長を続け、平和と繁栄を保つこの国において、魔力というものはとても重要視されていた。
膨大な魔力量と高位貴族という家格を合わせ持つ私が、第1王子殿下の婚約者として王家から打診を受けたのは、8歳の時だった。
貴族の結婚なんて、家同士の繋がりと互いの利益のためのものがほとんどだ。そこに愛だとか恋なんていう甘いものは存在しない、いわば政略結婚。
貴族の娘として生まれたのだから、それは覚悟していたことだった。
もちろん殿下のことは嫌いではなかったし、王族の一員として迎えられるからには国民のために尽くそうと、私なりに努力してきたつもりだった。殿下とは国を共に支える戦友のような関係であったと思っていた。
けれど、貴族の子女や一部の平民が15歳から集う王立魔法学園に入学し、とある男爵令嬢に殿下が出会ったことで、それまで築き上げてきたはずのものは全て崩壊してしまったのだ。
殿下は令嬢に恋情を抱き、彼女はそれに応えた。2人でお互いへの気持ちを育む姿を、私はただ静観していた。だって、私のそういった気持ちは殿下には少しも向いていなかったから。
それが破滅を呼ぶなんて、思ってもみなかったのだ。
正式に婚約を交わしてから、王城で義務的に行われていた殿下との月に1度のお茶会も、幼い頃はそれなりに楽しかったと思えるのだからまだ良かったのだろう。学園へ入学してからは回を重ねる毎に沈黙の時間が増え、やがては、当日になって殿下がお茶会に現れないなどということも珍しくなくなっていった。
けれど私は何も言わなかった。このままでいいのだろうかという疑念はあったけれど、特に何も対策などはしなかった。
学園内で殿下と男爵令嬢の仲が噂されるようになった頃、令嬢にやんわりと注意をした事はある。いちいち呼び出して場を設けるのも面倒だったから、人目がある教室で何度か言ったはずだ。それでも2人の態度が改善される様子はなかったし、私も嫉妬などというものは持ち合わせていなかったから、それ以上は見て見ぬふりを貫いた。
国王陛下に報告はしたけれど。
2人の仲睦まじい様子を見る人の意見は、学園内でも見事なまでに二分していた。それが小さな派閥のようなものとなり、王城でも議論に上がるようになった頃には、3年間の学園生活が終わりを迎えようとしていた。卒業式典を1週間後に控えて、学園の内々で開かれたパーティー。その会場で、私は殿下に婚約破棄を告げられたのだ。
ささやかなパーティーではあったものの、主催したのが有力な伯爵家の令嬢だったとなれば、出席者には貴族子女が多いのは必然だった。これが噂になってしまえば、我が家にとっては明らかに醜聞となる。
その日、国王夫妻と宰相である私の父は隣国へ視察に出ていて不在だった。卒業式典の前日には戻る、その前に起きた凶事。全て仕組まれていたのかもしれない。
国王夫妻の不在により、非常時の一時的な決定権を持った王子殿下によって、私はすぐさま修道院に送られた。そしてその馬車を襲撃されたのだ。
ビアンカとレオンハルトの同行を許されたのは、幸運だったのか不運だったのか分からない。2人にとっては、確実に不運だったことだろう。
(ああ……、そうか……)
ふ、と思う。
最初から、間違っていたのだ。はじめから、全部ぜんぶ。何もかも間違っていた。
気付いてしまったら、だからこそ、悔しくて仕方のないことがある。
霞んでゆく視界に、私の生命もここまでか、と諦めるように思って、けれどどうしても願いたかった。
(神よ……、そして、精霊王よ……)
なぜビアンカとレオンハルトが、愚かな私の巻き添えにならなければならなかったのですか?
殿下に必要以上の関心を示せず、いつか来る時のために関係性を改善することさえも怠った。それは、私の至らなさであり愚かさであったのに、なぜ。どうして彼らまで生命を絶たれなければならなかったのですか。
どうか、どうかお願いです。私のことはどうでもいい。だけど、2人は……、ビアンカとレオンハルトだけは。
(2人には、笑顔で居られる未来を)
やり直すことがもし出来るのならば。ビアンカとレオンハルトには、幸せになれる未来を。
私の命など、いくらでも捧げるから。
祈りのような願いを乗せるように、涙が零れたような気がした。
私が覚えているのは、そこまでだった。
視界は闇に染まり、全ての感覚が少しずつ喪われていく。
そうして私は死んだ。
死んだ、はずだった。
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