祓い屋はじめました。

七海さくら/浅海咲也(同一人物)

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132.

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 瞳はいつになく緊張していた。
 それというのも、今日の『依頼』に関して、とても嫌な予感がするからだ。胸騒ぎと言うより不快感に近い。そんな予感こそ当たってしまうが故に、なるべく考えないようにしていた。
 敢えて翌日の正午、と日時を指定してきたところを見ると、おそらくは『対象者』かその周辺の人間と食事をすることになるだろう。出来れば控えたいので、円に頼んで軽く小腹を満たしてしまう。
 円が淹れてくれたカフェオレを飲んで、ひと息つく。少しだけゆっくりした時間を過ごし、改めてみそぎを済ませて身支度を整えた。相変わらず高校生には見えないから不思議だ。
 最後に、ギュ、と黒い皮の手袋をして、式神を呼ぶ。


「玄武」
「ここに」
「先方の様子は?」
「……準備は整っているそうです」
「わかった」


 待ち合わせは時間の5分前に、家を訪問するなら数分後。それがマナーであるけれど、今回は『仕事』である。準備ができているようなら数分くらい早くても問題はないだろう。
 瞳は、先程からはらはらした様子で見守ってくれている円に向けて微笑んだ。


「じゃあ、行ってくる」
「……! うん、いってらっしゃい」


 こくり、と頷いた円を見て、瞳は玄武に視線をやった。


「玄武、先方に連絡を」
「既に」
「では」


 そう言って、瞳は玄武の肩に手を回し、玄武は瞳を抱き上げる。


「玄武、跳べ」
「御意」


 一瞬にしてその場から消え、『対象者』となる人物の家の前に移動する。すと、と玄武の腕から地面に降り立った瞳は、足元からぞわりとした空気を感じて身震いする。


「これは……マズいな」
「ええ……」


 先触れを出したおかげで、すぐに術者が屋敷の前に迎えに現れた。壮年の男性である。
 おそらく瞳の若さに驚いたのだろう、一瞬だけ躊躇ちゅうちょし、ちらりと玄武に視線を送りながら瞳に向かって頭を下げた。


「ご足労をおかけし、申し訳ありません」
「いえ、それが仕事ですから。顔を上げてください」
「状況をご説明する前に、旦那さまが食事を、と……」
「……はぁ」


 やはりそう来たか、と瞳は思ってしまう。


「余計なお世話かもしれませんが、そんな悠長に構えていて大丈夫ですか?」
「今はわたしの札で何とか眠らせています」
「……わかりました」


 今はまだ一刻を争う状態ではない、と言いたいのだろう。


(実際に祓うのはオレなんだけどな……)


 できることなら一刻も早く祓ってしまいたい。一分一秒が惜しいのだ。もし身体を乗っ取られたのならば、『器』としての時間が長ければ長いほど悪魔との融合が進んで祓うための力を要する。
 それに、今朝からの嫌な予感はどんどん強くなる。


(頼むから当たらないでくれよ……)


 祈るような思いで、術者に案内されて当主が待つ部屋へと足を向けた。
 屋敷は純和風で、やはりというか、座敷に膳で食事が用意されていた。
 『対象者』の父親だという当主は、なぜか機嫌が良かった。
 『対象者』はこの家の次男で高校生だという。長男と違って出来が悪い、愛想がない、育て方を間違えた、などなど散々な言われようだった。それから、瞳に対する視線にも嫌なものを覚えた。どうやら噂の『謎の祓い屋』の見目が良いことに興味をそそられたらしい。後ろに控えた玄武の気配があからさまに殺気立つのに、当主は気付かない。
 瞳は当主との話を切り上げるため、食事もそこそこに立ち上がる。


「それで。次男殿はどこです?」


 有無を言わさぬ調子で問えば、術者が案内を買ってでる。そのまま失礼を欠かない程度に挨拶を済ませて座敷から退席する。
 次男の部屋は離れにあった。二間の続き間。寝室に使っているのであろう部屋に布団が敷かれ、そこに次男と思われる人物が眠っていた。
 部屋の四隅に札が張られてはいるが、禍々しい気配は抑えきれない。
 瞳は部屋に入った瞬間にぞわりと全身が総毛立つほどの嫌な感覚を覚えた。


(なんだ、この感じ……)


 嫌な予感。背中を冷たい汗が伝った気がする。瞳の中ではずっと警鐘が鳴り響いている。


「これが、黒魔術に使われた魔法陣です」
「……これは」


 術者が一枚の紙を差し出した。描かれた魔法陣は、瞳でもわかるほどに不完全だった。それなのに、信じられないほど大きな魔力が通った痕跡がある。


(まずい……!)


 瞬時にそう感じた瞳は式神たちを呼びながら指示を出す。


「白虎。人払いを」
「御意!」
「貴人。部屋に結界を張れ」
「かしこまりました」
「空狐。他に悪魔が見当たらないか確認頼む」
「御意」
「朱雀。後ろの守りを頼んだ」
「はい」
「玄武は術者殿を守れ」
「かしこまりました」


 瞳はひとつ深呼吸をして、寝室へと足を踏み入れる。
 術者は札で眠らせたと言っていたが、札はそのままであるのに、『対象者』はバッと目を開ける。瞳が避ける間もなく手首をグイと掴まれて押し倒された。式神たちが反射的に動こうとするのを、瞳が制する。


「全員動くな!」


 『対象者』は、思った通り意識を乗っ取られている。おそらく札もほとんど無意味だったのだろう。器用に瞳の四肢を押さえ込み、悪魔に乗っ取られた『対象者』が瞳を見下ろす。
 ぞく、と嫌な感じに鳥肌が立った。目の中にあるのは、欲情の炎。


「サラ……」
「……え?」
「美しい娘。お前はサラか?」
「何を言っている……」
「いや、サラではないのか?」
「…………」


 何かが分かりそうな気がした。思考を巡らせる。考えろ、考えろ。
 サラという名の美しい娘。悪魔。欲情……色欲。


(色欲……?)


 まさか、と瞳は思う。


「お前……まさか、アスモデウスか?」


 浮かんだ名前を言葉に乗せる。悪魔を宿した次男の顔が、ゆっくりと笑みの形を作った。


「だとしたらどうする?」
「どうもしない。それと、オレはサラではない。お前が愛した女は、もうこの世にはいない」
「…………」
「なぜお前はココにいる?」


 問えば、両手首を掴む手に力が入った。ギリ、と音がするほどに押さえつけられ、瞳の表情に苦悶の色が浮かぶ。


「……っ!」
「バカな奴らが魔界との結界を弱めたのさ。おかげでこちら側に来やすくなった。お前は本当にサラではないのか?」
「結界を、弱めた……?」
「適当な陣でも通れるくらいには、な。サラ……お前に会うために来た」
「……しつこい。オレはサラじゃない」


 アスモデウスは七つの大罪のひとつである『色欲』を象徴する悪魔だ。サラという名の美しい娘に取り憑き、彼女と結婚した夫を初夜に絞め殺したという逸話がある。
 おそらくサラを愛していたと思われるアスモデウスはしかし、サラには手を出していなかったとされている。
 けれど、瞳の向こうにサラを見る目には明らかな劣情が浮かんでおり、瞳は震えを誤魔化すのに精一杯だ。


この男、、、がサラを好きだというから、確かめて、殺そうと思った。これで満足か?」
「……」
「サラ……」


 アスモデウスが瞳の首筋に舌を這わせる。おぞましさのあまり、ひゅ、と喉が鳴った。


「朱雀! 騰蛇っ!」


 叫ぶように呼べば、騰蛇が召喚されてアスモデウスを蹴り飛ばす。後方に待機していた朱雀は宿主の身体ごと腕を捻りあげて押さえつけた。
 騰蛇が瞳を抱きかかえるように支える。


「……アスモデウス。お前と力比ちからくらべはしたくない。魔界へ、戻ってくれないか」
「お前が一緒に来るというなら、喜んでそうしよう」
「それはできない。オレには、唯一と決めた人がいる」
「交渉決裂か」
「…………」
「人なんだな……」
「なに?」
「前も、今も。サラが選ぶのは人間だ」
「何度も言うが、オレはサラではない」
「そういうことにしておこう」
「…………」
「お前と争うのは本意ではない。仕方がない、戻るとしよう。だが、二度と呼び出さないことだな」
「アスモデウス……」
「お前が人ではなかったら、すぐにもこの腕に抱くのに。愛しているよ……」
「…………っ!」


 とんでもない言葉を残し、アスモデウスは戻ったようだった。部屋を満たしていた禍々しい圧迫感が消える。朱雀に押さえ込まれた身体からふっと力が抜けて『対象者』はガクリと気を失ったようだ。
 瞳はふらりと『対象者』に近付いて、呼吸と気配を確かめる。念の為に数日で解ける簡易な結界を施した。


「……玄武」


 呼んで式神を見れば、心得たというように頷くから、瞳は後を任せることにした。すぐそばに寄り添うように支えてくれる騰蛇に腕を回す。


「騰蛇、跳んでくれ」
「御意」


 成すべきことはした。情報も手に入った。瞳に取り入ろうとしている当主がいる屋敷に、長居は無用だった。
 ふわり、と浮遊感がして抱き上げられると同時に、瞳は騰蛇と共に『現場』から自宅のリビングへと跳んでいた。


「マドカ!」
「騰蛇? ……瞳っ!」


 瞳が出てから既に数時間。冬の夕方は短い。あたりは暗くなり始めている時間だ。それでも、円はリビングで瞳の帰りを待っていたらしかった。
 騰蛇に抱き抱えられている瞳の顔色の悪さを、瞬時にとらえて円がソファから立ち上がってすぐさま瞳のそばにくる。そんな円に託すように瞳を渡した騰蛇は、円に言った。


「七つの大罪を知っているか?」
「え?」
「……騰蛇!」
「『傲慢ごうまん』『憤怒ふんぬ』『嫉妬しっと』『怠惰たいだ』『強欲ごうよく』『暴食ぼうしょく』『色欲しきよく』。今回は、色欲の悪魔が絡んでいた。意味は、分かるな?」


 円の腕の中、顔色を無くしてガタガタと震える瞳を強く抱きしめながら、円は騰蛇に頷いた。


「ヒトミを、頼む」


 それだけ言って、騰蛇は消えた。


「瞳。とりあえず、お風呂入ろうか?」


 疑問形でありながら有無を言わさぬ調子で円が言うから、瞳は円に縋りついた。


「めちゃくちゃに甘やかして、愛してあげる」


 円の声は、いっそ心地が良かった。
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