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水の精霊からの依頼をこなして、翌日は土曜日だった。
円は小田切のところへ、瞳は律たちのマンションへと出かける。ちなみにさすがに鍛えているだけあり、円は風邪をひくこともなく元気だ。
日曜日はのんびり過ごしながら、休み明けの打ち合わせをした。
そして月曜日。この日は円だけが登校する事になっていた。念の為に律の事務所も開けないでもらうことにしてある。今日の瞳は『外出禁止』である。
そのこともさんざん言い含められ、はいはいと頷いて円を送り出す。
「さて、と」
円に昼食まで準備されてしまったので、やることといったら掃除や洗濯と限られる。
それに、両親の部屋のことも考えていた。
いつまでも生前のままにしておくわけにはいかない。
とりあえずいつもの掃除と洗濯を済ませ、両親の部屋で顎に手をやりどこから手をつけるか考え始めた。
いつも両親の部屋には掃除に入るだけだった。律たちが泊まった時や瞳が怪我をした時などイレギュラーはあったが、現在は基本的には使われていない。
両親が亡くなってすぐの頃は資料などを読むためにこの部屋に篭りきりだったこともあるのが懐かしい。
換気のために窓を開けていたりもしたけれど、やはり使われていない部屋は空気が濁る。
洋服の類はもうこの際、全て捨ててしまって大丈夫だろう。問題は、その他だ。
「何か……遺書かエンディングノート的なものがありそうなんだよなぁ」
あの両親である。自分たちに何かあって、瞳を遺して逝くことになる可能性を考えていなかったはずがない。だとしたら、遺されたモノに関することを書きとめたノートか何かを遺していそうなのだ。しかも、すぐには気付かない方法で。
「…………」
しばし思案し、部屋をぐるりと見渡す。
やはり、いちばん古そうなのは、このベッドだった。
父も母も、特にアクセサリーや小物など、物に固執するタイプではなかったし、おそらくはこれがベターな判断だと思われる。
ベッドに上がれば、ギシリとスプリングが軋んだ。
(あまり……これはしたくなかったけど)
気は乗らないけれど、方法がこれしか思い付かない。
瞳はベッドの上に胡座をかくように座り、する、とベッドを撫でる。目を閉じて、願う。
(記憶を……見せて……)
意識を、ただそれだけに集中する。
明らかに意志を持つモノではない、いわゆる無機物に同調するのは初めてだった。しかも、その記憶を教えてもらおうとしている。
もしかすると危険かもしれない。
頭の片隅でそんなことを考えながら、意識を深く潜らせる。
どのくらいの時間がかかったのかは分からない。
やがて、脳裏に両親の姿が見えた気がした。
二人で並んで座り、話している。否、話しかけてくる。
人は死ぬ時、最後まで残っている感覚は聴覚だという。それなのに、忘れるのは声からだなんて矛盾している。
(そういえば、こんな声……だったっけ……)
話しかけてくる彼らは、正しく両親の過去の姿だった。
二人はたぶん、知っていたのだ。自分たちの死期を。迫る殺意を。そして、瞳がこの手段を選ぶことも予想していたに違いない。だからこそ、二人は瞳が得たい情報を話して、瞳の幸せを願う言葉をかけてくる。
できることなら伝えたかった。幸せだと。たった一言。ありがとう、と。
涙が零れた気がしたのは気のせいだっただろうか。
もう決して、巡り会う事すらない両親の姿。
うっすらと、消えていくその姿に縋り付きたくないわけじゃない。
だけど。
「……──瞳っ!!」
瞳を呼ぶ、大切な存在があるから。まだ、瞳は消えることはできない。
意識が完全に浮上するまでにしばらくかかった。相当深く同調していたらしい。
ふ、と目を開ければ、血相を変えた円が瞳の肩を掴んで覗き込んでくる。
「…………まどか」
名前を呼べば、少しホッとした表情になった円が肩を掴む力をゆるめてくれる。
気がつけば、瞳はベッドに倒れ込んで泣いていた。
円に支えられながら起き上がりつつ、涙を手で拭う。
「悪い。……ていうか、円。学校は?」
「なんか嫌な予感がして早退してきたんだよ。そしたら部屋にもいないし倒れてるし泣いてるし呼んでも起きないし、心臓に悪いことしないでっていつも言ってるのに!」
「……そ、か。ごめん、助かった」
「何かやった自覚はあるんだ?」
「ん……」
こくりと頷けば、円はガリガリと頭をかきながらため息をついた。
「とりあえず、ごはん食べよ。お昼だよ」
そしてこうやって受け止めてくれるのだ。
もう、何があっても離せないところまで来ている。彼を遺して消えたくはなかった。
「ごはん少し温めるから座ってて」
さくさくと着替えた円がキッチンでパタパタと忙しなく動いているのを申し訳なく思いながら、瞳は言われた通りにダイニングの椅子に座った。
「その前に、これ」
コトリ、と置かれたマグカップにはホットミルク。
「……そんなに疲れてるように見える?」
「というか、精神的に落ち着いてほしくて」
「……ああ」
円の気遣いに、ありがとう、と言ってカップに口をつける。猫舌である瞳でも飲みやすい温度に調整されたホットミルクは、甘くて美味しかった。ほっとする。
瞳に準備された昼食は、おにぎりとひと皿にまとめて盛り付けられたおかずたち。円は同じ内容の弁当を同じように少し温めてテーブルに置いた。
「学校はどうだった?」
「うん、まあ。大変だったと言えば大変だった」
「質問攻め?」
「まあ、そんなとこ」
食事の合間に、それとなく聞いてみる。
やはり健康優良児である円が旅行当日に欠席とあっては放っておいてはもらえなかったらしい。
「まあ俺はめっちゃ楽しみにしてたからさすがに仮病って思われなかったのは良かった」
「ズル休みのくせに……」
「痛いとこつかないで!」
「ふ、あはは」
「笑い事じゃないから! めちゃくちゃいろいろ聞かれたり、旅行の報告されたり大変だったんだからな!」
「ふ、くく。おつかれ」
その光景を見てもいないのに目に浮かぶようで、瞳は笑いを堪えることが出来ない。
「それとなく病院で瞳に会ったことは匂わせておいたから」
「ああ、うん。わかった」
どちらにしろ、明日は瞳も登校することになっている。もちろん時間はズラすけれど。そして繰り広げられるのは茶番劇であるが、その茶番に今後の二人の関係性がかかっているといっても過言ではない。
食事を終わらせ、二人はいつものようにリビングに移動する。
円が淹れてくれたのは、今度はカフェオレだった。
ひと口飲んで吐息してから、瞳は言葉を紡ぐ。
「あの部屋もきちんと片付けようと思って」
「あの部屋って、ご両親のだろ?」
「そう。さすがにあのままってわけにもいかないだろうからな。で、部屋のモノに同調して、二人の記憶を探ってたんだ」
「待って。瞳の霊力なら本人たちを呼び出せばいいんじゃないの?」
「……それができれば、な」
困ったようにしか微笑めない自分が、瞳はもどかしかった。
「輪廻転生って、信じるか?」
「生まれ変わりとかそういうやつでしょ? まあ、我ながら夢見がちとは思うけど信じてるよ」
「魂は本当に巡るんだよ。同じ魂が別の生を受けて次の世界に生まれる。それは人間であったり動物であったり、その辺は宗教によって考え方は違うけどな」
「うん」
「だけど、オレの両親の魂はその輪から外された。二人の魂は、欠片も残ってないんだ。だから、呼べない」
「……え?」
困惑したような円に、瞳は、ふ、と笑う。今度は上手く笑えただろうか。
「さすがにオレでも手を出さない、『禁忌の術』っていうのは確実に存在するんだ。人の魂を完全に破壊して輪廻の枠から外す、存在の欠片すら残さない。両親に使われた呪詛にも似た術は、そんな『禁忌』のひとつだ」
「でも……」
「呪詛の媒体として刃物が使われた。そして、その呪詛自体は、オレも受けた」
「それ、まさか……」
瞳の背中にある大きな刃物傷。
まさか、と円は思う。否定したいのに、瞳は円の望まない答えを口にする。
「背中のキズ見たろ? アレが呪詛だ。だから、もしオレがお前より先に死んだとしても、円を守護してやることは出来ない。オレという魂は、消える」
「……冗談でも死ぬとか言うなよ」
「覚悟は必要だろ。生まれ変わりも期待するな」
「…………っ」
あまりにも残酷な言葉だった。
聞いた円にとっても、告げた瞳にとっても。
「どうにも……ならないの?」
「……神将たちは解呪……、呪いを解く方法を探すことは諦めてないみたいだけどな」
「万が一があったら、俺は生きていけないから」
「円……」
「瞳が『死ぬな』って言うなら、死なない。でも、心が死ぬことは忘れないで」
かなわないな、と瞳は思う。いつだって円は瞳が欲しい言葉をくれるのだ。
「オレも、そう簡単に消えてやるつもりはないから安心しろ」
運でさえも味方にする最強の瞳である。そう簡単に死んでやるものか。既に2回、死の淵から生還しているのだ。呪詛に立ち向かう気は満々である。
「それより、ちょっと手伝ってもらえるか?」
その笑顔をがらりと穏やかなものに変えた瞳は、円に協力の要請をした。それを、円が断るはずもなかった。
「まぁ、あれだ。木を隠すなら森の中ってこと」
両親の部屋の天井まで届く本棚。その上から2番目の段の本を全て出すべく、瞳と円は格闘中である。なにしろ、高さがあるので背伸びした所でたかが知れているのだ。円は瞳を肩車して瞳が本を取り出し、ポイポイと下に落とすという乱暴な作業をしていた。
「円、キツくなったら言えよ?」
瞳とて決して軽い方ではない。しかも同年代の男を肩車だなんて、円の負担は計り知れない。
脚立がないので諦めようかとも思ったのだ。足場になるような椅子もない。ダイニングの椅子では低すぎる。
だから少し持ち上げて欲しい、と言ったところで肩車に落ち着いた。それまでに二人の間にはそれなりに言い合いがあったことは当然の話だけれど。
最後の1冊を下に落とし、瞳は、よし、と頷く。それから、背面の板を、グッ、と押した。わずかにできた隙間。今度は上下左右に動かして背面を外してしまう。
「外れた!」
外れた板の奥に更に背面があって、そこに1冊のアルバムが隠されるように置かれていた。否、文字通り、隠されていたのだけれど。
そのアルバムを手に、瞳が円に頷けば、円はゆっくりと瞳を肩からおろす。
「卒業アルバム?」
「そうらしい。中学校のやつ」
しっかりとしたケースに入った分厚い表紙のアルバムは、当時のごく一般的な卒業アルバムだ。
瞳は丁寧にケースから出すと、パラリと表紙をめくった。パラパラとページをめくっていくと、中学校の外観の写真、校歌、校長の写真。そんなものに続いて、各クラスの生徒写真。
そして。
「……あった!」
何ページか進んだところで、綺麗にくり抜かれた中に入れられたA5サイズの1冊のノート。
なんの変哲も無いただのノートだが、守護結界が張ってある。これで間違いない。
くり抜かれたページをもう数枚めくり、ノートを取り出す。
それから、ここまで手伝ってもらった円に見せないという選択肢はないので守護結界をパチリと解除させた。とりあえず再びリビングに移動してゆっくりと読むことにする。
まず、空白のページが1枚。それをめくれば、遺書と言うよりは手紙のように綴られた文字たち。
定番の言葉から始まり、今後のこと、荷物の処理、それから、陰陽道に関する書物は瞳の判断に任せるということ、式神たちについて。それから、瞳自身の、瞳も知らなかった事実。
そして最後に。
「は、……えぇぇっ!?」
「え? どうした?」
ノートはまず瞳が読んで、それから円に改めて読んでもらおうと思っていたから、いつものように対面に座っている。
瞳の顔が真っ赤になっているところを見ると、悪いことではなさそうだ、と円は見当をつけるが気になる。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。落ち着くから」
「あ、うん」
ふぅー、と深く息を吐いて気持ちを落ち着けた瞳は、改めてノートに視線を落として最後まで読むと、それを閉じて円の方へと渡す。
「適当に読み飛ばしてもいいから。……ただ、最後の方だけはしっかり読んでほしい」
「え。あ、はい」
妙に改まった円が、それほど大きくもないノートを両手で受け取るから、瞳は少し笑った。
読み進めるうち、真剣だった円の顔は難しいものになり、次いで驚いた表情を見せて、最後に視線を上げた時には信じられないものを見るような顔だった。
「瞳、これ……」
「……行ってみよう」
ノートで示された、両親の部屋の母のドレッサー。右側の上の引き出し。カタリと開ければ、書かれていた通りにリングケースが入っている。そっと取り出して開けてみれば、ペアリングがきちんと収まっている。
デザインは古いけれどシンプルなものなので特に気にならない。ひとつを手に取ってみれば、どうやらプラチナ製である。リングの内側に埋め込まれたサファイアはブルー。そして、刻印は『M to H』だった。
「えっ」
驚いた瞳が慌ててもう片方のリングの刻印を確認すれば、『H to M』。
思わず円を見上げる。瞳の困惑に、円がリングの刻印を確認した。
「瞳のご両親のイニシャルとか……」
「……全然違う」
「ふわぁ……」
「あの人たち、どこまで予見してたんだ……」
ぼう然と、自分の両親の桁外れな予見にさすがの瞳も舌を巻く。
「円。手出して」
ものは試しだ。瞳は、円用のリングを円の左手薬指に、するりと嵌める。
「どう?」
「……ピッタリ。ね、瞳のは俺がやっていい?」
「ん?」
瞳の返事を待つ前に、円はリングを取って瞳の指に嵌めて恭しく口付ける。
「ちょ、円……」
「サイズは?」
「……うん、ちょうどいい」
あまりにも違和感のないサイズに驚かずにはいられない。思わず、リングを嵌めた自分の左手をしげしげと眺める。
「瞳」
「うん?」
呼ばれて、振り向いたら軽いキスをされた。
「なんだか、二人だけの結婚式みたいだなって思って……」
「ふふ、そうだな」
瞳は円の首に腕を絡めて、今度は深い口付けを交わした。
円は小田切のところへ、瞳は律たちのマンションへと出かける。ちなみにさすがに鍛えているだけあり、円は風邪をひくこともなく元気だ。
日曜日はのんびり過ごしながら、休み明けの打ち合わせをした。
そして月曜日。この日は円だけが登校する事になっていた。念の為に律の事務所も開けないでもらうことにしてある。今日の瞳は『外出禁止』である。
そのこともさんざん言い含められ、はいはいと頷いて円を送り出す。
「さて、と」
円に昼食まで準備されてしまったので、やることといったら掃除や洗濯と限られる。
それに、両親の部屋のことも考えていた。
いつまでも生前のままにしておくわけにはいかない。
とりあえずいつもの掃除と洗濯を済ませ、両親の部屋で顎に手をやりどこから手をつけるか考え始めた。
いつも両親の部屋には掃除に入るだけだった。律たちが泊まった時や瞳が怪我をした時などイレギュラーはあったが、現在は基本的には使われていない。
両親が亡くなってすぐの頃は資料などを読むためにこの部屋に篭りきりだったこともあるのが懐かしい。
換気のために窓を開けていたりもしたけれど、やはり使われていない部屋は空気が濁る。
洋服の類はもうこの際、全て捨ててしまって大丈夫だろう。問題は、その他だ。
「何か……遺書かエンディングノート的なものがありそうなんだよなぁ」
あの両親である。自分たちに何かあって、瞳を遺して逝くことになる可能性を考えていなかったはずがない。だとしたら、遺されたモノに関することを書きとめたノートか何かを遺していそうなのだ。しかも、すぐには気付かない方法で。
「…………」
しばし思案し、部屋をぐるりと見渡す。
やはり、いちばん古そうなのは、このベッドだった。
父も母も、特にアクセサリーや小物など、物に固執するタイプではなかったし、おそらくはこれがベターな判断だと思われる。
ベッドに上がれば、ギシリとスプリングが軋んだ。
(あまり……これはしたくなかったけど)
気は乗らないけれど、方法がこれしか思い付かない。
瞳はベッドの上に胡座をかくように座り、する、とベッドを撫でる。目を閉じて、願う。
(記憶を……見せて……)
意識を、ただそれだけに集中する。
明らかに意志を持つモノではない、いわゆる無機物に同調するのは初めてだった。しかも、その記憶を教えてもらおうとしている。
もしかすると危険かもしれない。
頭の片隅でそんなことを考えながら、意識を深く潜らせる。
どのくらいの時間がかかったのかは分からない。
やがて、脳裏に両親の姿が見えた気がした。
二人で並んで座り、話している。否、話しかけてくる。
人は死ぬ時、最後まで残っている感覚は聴覚だという。それなのに、忘れるのは声からだなんて矛盾している。
(そういえば、こんな声……だったっけ……)
話しかけてくる彼らは、正しく両親の過去の姿だった。
二人はたぶん、知っていたのだ。自分たちの死期を。迫る殺意を。そして、瞳がこの手段を選ぶことも予想していたに違いない。だからこそ、二人は瞳が得たい情報を話して、瞳の幸せを願う言葉をかけてくる。
できることなら伝えたかった。幸せだと。たった一言。ありがとう、と。
涙が零れた気がしたのは気のせいだっただろうか。
もう決して、巡り会う事すらない両親の姿。
うっすらと、消えていくその姿に縋り付きたくないわけじゃない。
だけど。
「……──瞳っ!!」
瞳を呼ぶ、大切な存在があるから。まだ、瞳は消えることはできない。
意識が完全に浮上するまでにしばらくかかった。相当深く同調していたらしい。
ふ、と目を開ければ、血相を変えた円が瞳の肩を掴んで覗き込んでくる。
「…………まどか」
名前を呼べば、少しホッとした表情になった円が肩を掴む力をゆるめてくれる。
気がつけば、瞳はベッドに倒れ込んで泣いていた。
円に支えられながら起き上がりつつ、涙を手で拭う。
「悪い。……ていうか、円。学校は?」
「なんか嫌な予感がして早退してきたんだよ。そしたら部屋にもいないし倒れてるし泣いてるし呼んでも起きないし、心臓に悪いことしないでっていつも言ってるのに!」
「……そ、か。ごめん、助かった」
「何かやった自覚はあるんだ?」
「ん……」
こくりと頷けば、円はガリガリと頭をかきながらため息をついた。
「とりあえず、ごはん食べよ。お昼だよ」
そしてこうやって受け止めてくれるのだ。
もう、何があっても離せないところまで来ている。彼を遺して消えたくはなかった。
「ごはん少し温めるから座ってて」
さくさくと着替えた円がキッチンでパタパタと忙しなく動いているのを申し訳なく思いながら、瞳は言われた通りにダイニングの椅子に座った。
「その前に、これ」
コトリ、と置かれたマグカップにはホットミルク。
「……そんなに疲れてるように見える?」
「というか、精神的に落ち着いてほしくて」
「……ああ」
円の気遣いに、ありがとう、と言ってカップに口をつける。猫舌である瞳でも飲みやすい温度に調整されたホットミルクは、甘くて美味しかった。ほっとする。
瞳に準備された昼食は、おにぎりとひと皿にまとめて盛り付けられたおかずたち。円は同じ内容の弁当を同じように少し温めてテーブルに置いた。
「学校はどうだった?」
「うん、まあ。大変だったと言えば大変だった」
「質問攻め?」
「まあ、そんなとこ」
食事の合間に、それとなく聞いてみる。
やはり健康優良児である円が旅行当日に欠席とあっては放っておいてはもらえなかったらしい。
「まあ俺はめっちゃ楽しみにしてたからさすがに仮病って思われなかったのは良かった」
「ズル休みのくせに……」
「痛いとこつかないで!」
「ふ、あはは」
「笑い事じゃないから! めちゃくちゃいろいろ聞かれたり、旅行の報告されたり大変だったんだからな!」
「ふ、くく。おつかれ」
その光景を見てもいないのに目に浮かぶようで、瞳は笑いを堪えることが出来ない。
「それとなく病院で瞳に会ったことは匂わせておいたから」
「ああ、うん。わかった」
どちらにしろ、明日は瞳も登校することになっている。もちろん時間はズラすけれど。そして繰り広げられるのは茶番劇であるが、その茶番に今後の二人の関係性がかかっているといっても過言ではない。
食事を終わらせ、二人はいつものようにリビングに移動する。
円が淹れてくれたのは、今度はカフェオレだった。
ひと口飲んで吐息してから、瞳は言葉を紡ぐ。
「あの部屋もきちんと片付けようと思って」
「あの部屋って、ご両親のだろ?」
「そう。さすがにあのままってわけにもいかないだろうからな。で、部屋のモノに同調して、二人の記憶を探ってたんだ」
「待って。瞳の霊力なら本人たちを呼び出せばいいんじゃないの?」
「……それができれば、な」
困ったようにしか微笑めない自分が、瞳はもどかしかった。
「輪廻転生って、信じるか?」
「生まれ変わりとかそういうやつでしょ? まあ、我ながら夢見がちとは思うけど信じてるよ」
「魂は本当に巡るんだよ。同じ魂が別の生を受けて次の世界に生まれる。それは人間であったり動物であったり、その辺は宗教によって考え方は違うけどな」
「うん」
「だけど、オレの両親の魂はその輪から外された。二人の魂は、欠片も残ってないんだ。だから、呼べない」
「……え?」
困惑したような円に、瞳は、ふ、と笑う。今度は上手く笑えただろうか。
「さすがにオレでも手を出さない、『禁忌の術』っていうのは確実に存在するんだ。人の魂を完全に破壊して輪廻の枠から外す、存在の欠片すら残さない。両親に使われた呪詛にも似た術は、そんな『禁忌』のひとつだ」
「でも……」
「呪詛の媒体として刃物が使われた。そして、その呪詛自体は、オレも受けた」
「それ、まさか……」
瞳の背中にある大きな刃物傷。
まさか、と円は思う。否定したいのに、瞳は円の望まない答えを口にする。
「背中のキズ見たろ? アレが呪詛だ。だから、もしオレがお前より先に死んだとしても、円を守護してやることは出来ない。オレという魂は、消える」
「……冗談でも死ぬとか言うなよ」
「覚悟は必要だろ。生まれ変わりも期待するな」
「…………っ」
あまりにも残酷な言葉だった。
聞いた円にとっても、告げた瞳にとっても。
「どうにも……ならないの?」
「……神将たちは解呪……、呪いを解く方法を探すことは諦めてないみたいだけどな」
「万が一があったら、俺は生きていけないから」
「円……」
「瞳が『死ぬな』って言うなら、死なない。でも、心が死ぬことは忘れないで」
かなわないな、と瞳は思う。いつだって円は瞳が欲しい言葉をくれるのだ。
「オレも、そう簡単に消えてやるつもりはないから安心しろ」
運でさえも味方にする最強の瞳である。そう簡単に死んでやるものか。既に2回、死の淵から生還しているのだ。呪詛に立ち向かう気は満々である。
「それより、ちょっと手伝ってもらえるか?」
その笑顔をがらりと穏やかなものに変えた瞳は、円に協力の要請をした。それを、円が断るはずもなかった。
「まぁ、あれだ。木を隠すなら森の中ってこと」
両親の部屋の天井まで届く本棚。その上から2番目の段の本を全て出すべく、瞳と円は格闘中である。なにしろ、高さがあるので背伸びした所でたかが知れているのだ。円は瞳を肩車して瞳が本を取り出し、ポイポイと下に落とすという乱暴な作業をしていた。
「円、キツくなったら言えよ?」
瞳とて決して軽い方ではない。しかも同年代の男を肩車だなんて、円の負担は計り知れない。
脚立がないので諦めようかとも思ったのだ。足場になるような椅子もない。ダイニングの椅子では低すぎる。
だから少し持ち上げて欲しい、と言ったところで肩車に落ち着いた。それまでに二人の間にはそれなりに言い合いがあったことは当然の話だけれど。
最後の1冊を下に落とし、瞳は、よし、と頷く。それから、背面の板を、グッ、と押した。わずかにできた隙間。今度は上下左右に動かして背面を外してしまう。
「外れた!」
外れた板の奥に更に背面があって、そこに1冊のアルバムが隠されるように置かれていた。否、文字通り、隠されていたのだけれど。
そのアルバムを手に、瞳が円に頷けば、円はゆっくりと瞳を肩からおろす。
「卒業アルバム?」
「そうらしい。中学校のやつ」
しっかりとしたケースに入った分厚い表紙のアルバムは、当時のごく一般的な卒業アルバムだ。
瞳は丁寧にケースから出すと、パラリと表紙をめくった。パラパラとページをめくっていくと、中学校の外観の写真、校歌、校長の写真。そんなものに続いて、各クラスの生徒写真。
そして。
「……あった!」
何ページか進んだところで、綺麗にくり抜かれた中に入れられたA5サイズの1冊のノート。
なんの変哲も無いただのノートだが、守護結界が張ってある。これで間違いない。
くり抜かれたページをもう数枚めくり、ノートを取り出す。
それから、ここまで手伝ってもらった円に見せないという選択肢はないので守護結界をパチリと解除させた。とりあえず再びリビングに移動してゆっくりと読むことにする。
まず、空白のページが1枚。それをめくれば、遺書と言うよりは手紙のように綴られた文字たち。
定番の言葉から始まり、今後のこと、荷物の処理、それから、陰陽道に関する書物は瞳の判断に任せるということ、式神たちについて。それから、瞳自身の、瞳も知らなかった事実。
そして最後に。
「は、……えぇぇっ!?」
「え? どうした?」
ノートはまず瞳が読んで、それから円に改めて読んでもらおうと思っていたから、いつものように対面に座っている。
瞳の顔が真っ赤になっているところを見ると、悪いことではなさそうだ、と円は見当をつけるが気になる。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。落ち着くから」
「あ、うん」
ふぅー、と深く息を吐いて気持ちを落ち着けた瞳は、改めてノートに視線を落として最後まで読むと、それを閉じて円の方へと渡す。
「適当に読み飛ばしてもいいから。……ただ、最後の方だけはしっかり読んでほしい」
「え。あ、はい」
妙に改まった円が、それほど大きくもないノートを両手で受け取るから、瞳は少し笑った。
読み進めるうち、真剣だった円の顔は難しいものになり、次いで驚いた表情を見せて、最後に視線を上げた時には信じられないものを見るような顔だった。
「瞳、これ……」
「……行ってみよう」
ノートで示された、両親の部屋の母のドレッサー。右側の上の引き出し。カタリと開ければ、書かれていた通りにリングケースが入っている。そっと取り出して開けてみれば、ペアリングがきちんと収まっている。
デザインは古いけれどシンプルなものなので特に気にならない。ひとつを手に取ってみれば、どうやらプラチナ製である。リングの内側に埋め込まれたサファイアはブルー。そして、刻印は『M to H』だった。
「えっ」
驚いた瞳が慌ててもう片方のリングの刻印を確認すれば、『H to M』。
思わず円を見上げる。瞳の困惑に、円がリングの刻印を確認した。
「瞳のご両親のイニシャルとか……」
「……全然違う」
「ふわぁ……」
「あの人たち、どこまで予見してたんだ……」
ぼう然と、自分の両親の桁外れな予見にさすがの瞳も舌を巻く。
「円。手出して」
ものは試しだ。瞳は、円用のリングを円の左手薬指に、するりと嵌める。
「どう?」
「……ピッタリ。ね、瞳のは俺がやっていい?」
「ん?」
瞳の返事を待つ前に、円はリングを取って瞳の指に嵌めて恭しく口付ける。
「ちょ、円……」
「サイズは?」
「……うん、ちょうどいい」
あまりにも違和感のないサイズに驚かずにはいられない。思わず、リングを嵌めた自分の左手をしげしげと眺める。
「瞳」
「うん?」
呼ばれて、振り向いたら軽いキスをされた。
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「ふふ、そうだな」
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