107 / 186
104.
しおりを挟む
そうして順調に迎えた日曜日。
無事に復活した朝のトレーニングを終わらせて戻り、今日は律宅での朝食を辞退して自宅に戻った。瞳がシャワーを浴びて出かける支度を整えれば円は唐突に言うのだ。
「日光に行こう!」
「……は?」
ちょっとそこまで、くらいの軽さで言われた地名に瞳は驚いた。
行き先は任せると、確かに言ったけれど。高校生が日光なんて、ちょっとした小旅行のようなものではないか。
幸いにして、瞳たちが住む地域からは直通の電車がある。行けないことはない。
「電車の本数あんまりないからさ、早めに出よう」
円の中では完全に決定事項だ。
別に異論はないけれど、もう少し心の準備をさせて欲しかった。
瞳はひとつ吐息して、わかった、と答える。
マンションから駅までバスで出て、そこからは電車に揺られることになる。
日光線の電車はレトロな塗装になっていて、ちょっと気分が上がった。いよいよ旅行気分というやつであるが、瞳にはそんな自覚なんか出来るはずもない。なにしろ、旅行自体に行ったことがないのだから。
「で? 日光で何がしたいって?」
「東照宮に行こう! 眠り猫が見たいんだよね」
「あぁー」
日光東照宮では有名な彫刻である。
左甚五郎の作と言われている、国宝にも指定されているアレだ。瞳も俄然興味が湧いてきた。なにしろ、どこへ行っても観光など縁のない生活をしてきた瞳だ。そういったものに触れる機会はほぼ皆無だった。
「聞いたことはある」
「見たことないだろ? 先延ばしになった奈良の代わりにはならないけどさ。近場で観光もいいもんだよ」
「そうだな」
円の方はかなり楽しそうにしていて、瞳にもそれが伝染するようだ。
電車の中では、普段しないような話もしたし、学校の話もした。話題には困らなかった。
やがて降り立った日光駅は、いい意味でレトロな駅だった。
観光案内で聞けば、東照宮までは少し歩くようだ。バスも出ているようだが、道路が混雑するので徒歩推奨だとか。
駅前こそ土産物屋が多かったが、歩いていく道筋は普通の一般道路である。商店や一般の家、銀行などもあって、なにやら面白かった。
15分ほどで目的地に到達する手前に、川があった。渡された橋と並行するように、朱塗りの橋が見える。
「あー、あれ神橋だ! おおー! 川の水もキレイ! めっちゃ深そうなのに底が見える!」
「あんまり乗り出すと落ちるぞ。助けてやらないからな」
流れる川は大谷川だ。利根川水系の鬼怒川の支流で、中禅寺湖を起点としている。日本三大名瀑として有名な華厳の滝として流れ落ち、この大谷川となるのである。
「なぁ、神橋って渡れるのかな?」
「んー、渡れるみたいだぞ」
「えっ! じゃあ渡ってみよう!」
橋の袂近くに人影を見つけた瞳が答えると、円は瞳の手を引いてサクサクと歩き出す。まるで知っている場所かのように、迷いなく。
瞳があれこれいう間もなく神橋の上に立てば、なにやら不思議な感じがした。古くはこの橋を渡って二荒山神社へ参拝したのだという。もっとも、橋は当時のままではなく、改修されてはいるけれど。
神橋の上からまた川を見下ろしてみたり、写真を撮ってみたりして円が満足した頃に、本命の東照宮へと移動する。
兎にも角にも拝観受付である。
神橋でもそうだったが、こちらでも二人分の拝観料をササッと円が支払ってしまうから、瞳はちょっと困惑気味だ。
どうやら渡してある生活費が余っているらしく、今日はそこから支払いを済ませるという円の主張なのだ。加えて、今日の目的地は円が選んで瞳には付き合ってもらう状態だからと言われてしまって困り果てる。
そもそも、今日の外出を提案したのは瞳の方である。それがすっかりエスコートされる立場だ。
さすが御曹司、とひっそり思ったのは内緒だ。
まず表門から入って左手に、神厩舎がある。神馬を繋ぐ厩である。昔は猿が馬を守るとされていたようで、猿の彫刻があるのだ。中でも有名なのが三猿である。
「見ざる、言わざる、聞かざる、だったか?」
「そうそう。それがアレ」
厩舎の彫刻の中からそれを円が教えてくれる。意外と小さい、というのが瞳の感想だ。
「へぇ……。というか、円詳しいな?」
「だって俺、遠足で来たことあるもん」
「はぁ? なのになんで?」
「瞳と来たかったんだって」
聞けば、地元小学校では定番の遠足コースらしい。陽明門の前で記念撮影をするのだとか。
それでもやはり遠足という縛りがあるので、ゆっくりは見られなかったらしく、少し心残りではあったという。
遠足というのはそういうものなのか、と。参加すらしたことのない瞳は考えてしまう。
修学旅行の件といい、どうやら行程は強行軍のようだ。それなら律が前に言っていたことも頷ける。
せめて記念にと、瞳も円にならって三猿をスマホで写真に収め、次の順路へと足を進める。
無事に復活した朝のトレーニングを終わらせて戻り、今日は律宅での朝食を辞退して自宅に戻った。瞳がシャワーを浴びて出かける支度を整えれば円は唐突に言うのだ。
「日光に行こう!」
「……は?」
ちょっとそこまで、くらいの軽さで言われた地名に瞳は驚いた。
行き先は任せると、確かに言ったけれど。高校生が日光なんて、ちょっとした小旅行のようなものではないか。
幸いにして、瞳たちが住む地域からは直通の電車がある。行けないことはない。
「電車の本数あんまりないからさ、早めに出よう」
円の中では完全に決定事項だ。
別に異論はないけれど、もう少し心の準備をさせて欲しかった。
瞳はひとつ吐息して、わかった、と答える。
マンションから駅までバスで出て、そこからは電車に揺られることになる。
日光線の電車はレトロな塗装になっていて、ちょっと気分が上がった。いよいよ旅行気分というやつであるが、瞳にはそんな自覚なんか出来るはずもない。なにしろ、旅行自体に行ったことがないのだから。
「で? 日光で何がしたいって?」
「東照宮に行こう! 眠り猫が見たいんだよね」
「あぁー」
日光東照宮では有名な彫刻である。
左甚五郎の作と言われている、国宝にも指定されているアレだ。瞳も俄然興味が湧いてきた。なにしろ、どこへ行っても観光など縁のない生活をしてきた瞳だ。そういったものに触れる機会はほぼ皆無だった。
「聞いたことはある」
「見たことないだろ? 先延ばしになった奈良の代わりにはならないけどさ。近場で観光もいいもんだよ」
「そうだな」
円の方はかなり楽しそうにしていて、瞳にもそれが伝染するようだ。
電車の中では、普段しないような話もしたし、学校の話もした。話題には困らなかった。
やがて降り立った日光駅は、いい意味でレトロな駅だった。
観光案内で聞けば、東照宮までは少し歩くようだ。バスも出ているようだが、道路が混雑するので徒歩推奨だとか。
駅前こそ土産物屋が多かったが、歩いていく道筋は普通の一般道路である。商店や一般の家、銀行などもあって、なにやら面白かった。
15分ほどで目的地に到達する手前に、川があった。渡された橋と並行するように、朱塗りの橋が見える。
「あー、あれ神橋だ! おおー! 川の水もキレイ! めっちゃ深そうなのに底が見える!」
「あんまり乗り出すと落ちるぞ。助けてやらないからな」
流れる川は大谷川だ。利根川水系の鬼怒川の支流で、中禅寺湖を起点としている。日本三大名瀑として有名な華厳の滝として流れ落ち、この大谷川となるのである。
「なぁ、神橋って渡れるのかな?」
「んー、渡れるみたいだぞ」
「えっ! じゃあ渡ってみよう!」
橋の袂近くに人影を見つけた瞳が答えると、円は瞳の手を引いてサクサクと歩き出す。まるで知っている場所かのように、迷いなく。
瞳があれこれいう間もなく神橋の上に立てば、なにやら不思議な感じがした。古くはこの橋を渡って二荒山神社へ参拝したのだという。もっとも、橋は当時のままではなく、改修されてはいるけれど。
神橋の上からまた川を見下ろしてみたり、写真を撮ってみたりして円が満足した頃に、本命の東照宮へと移動する。
兎にも角にも拝観受付である。
神橋でもそうだったが、こちらでも二人分の拝観料をササッと円が支払ってしまうから、瞳はちょっと困惑気味だ。
どうやら渡してある生活費が余っているらしく、今日はそこから支払いを済ませるという円の主張なのだ。加えて、今日の目的地は円が選んで瞳には付き合ってもらう状態だからと言われてしまって困り果てる。
そもそも、今日の外出を提案したのは瞳の方である。それがすっかりエスコートされる立場だ。
さすが御曹司、とひっそり思ったのは内緒だ。
まず表門から入って左手に、神厩舎がある。神馬を繋ぐ厩である。昔は猿が馬を守るとされていたようで、猿の彫刻があるのだ。中でも有名なのが三猿である。
「見ざる、言わざる、聞かざる、だったか?」
「そうそう。それがアレ」
厩舎の彫刻の中からそれを円が教えてくれる。意外と小さい、というのが瞳の感想だ。
「へぇ……。というか、円詳しいな?」
「だって俺、遠足で来たことあるもん」
「はぁ? なのになんで?」
「瞳と来たかったんだって」
聞けば、地元小学校では定番の遠足コースらしい。陽明門の前で記念撮影をするのだとか。
それでもやはり遠足という縛りがあるので、ゆっくりは見られなかったらしく、少し心残りではあったという。
遠足というのはそういうものなのか、と。参加すらしたことのない瞳は考えてしまう。
修学旅行の件といい、どうやら行程は強行軍のようだ。それなら律が前に言っていたことも頷ける。
せめて記念にと、瞳も円にならって三猿をスマホで写真に収め、次の順路へと足を進める。
0
お気に入りに追加
56
あなたにおすすめの小説


百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話
桜井正宗
青春
――結婚しています!
それは二人だけの秘密。
高校二年の遙と遥は結婚した。
近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。
キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。
ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。
*結婚要素あり
*ヤンデレ要素あり

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる