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白いシャツに黒のジーパン、スニーカーというシンプルすぎる瞳の服装は、もはや『仕事』に近かった。
メガネもいつもの黒縁メガネではなく、薄い銀縁のメガネである。同じく結界が貼ってあるらしい。持ち物は必要最低限だが、最近はスマホが増えたのでボディバッグを活用している。
隣を歩く円は、ネイビー系のジーパン、白のTシャツにオリーブグリーンのシャツを羽織って、こちらもボディバッグ愛用だ。
『貴人、エントランスを出た所から事務所まで例の術を頼む』
『かしこまりました』
こっそりと念話を交わしながらエントランスを出ると、夏の日差しは厳しかった。
まだ『朝』と呼べる時間帯であるのにも関わらず、照りつける光はジリジリと暑い。
「うわ、あっつ……」
「これ熱中症になるやつだろ……。瞳、大丈夫か?」
二人でぼやきながら事務所への道をゆっくりと歩く。
なぜゆっくりなのかといえば、瞳の貧血を心配した円が頑として譲らなかったのである。
本人は大丈夫だと言うけれど、あの出血を間近で見た円としては「輸血もしてないのに信じられない」のひと言に尽きる。
昨日、たしかに少し重だるい、と瞳が言ったら重病人扱いされたので、もう言わないと心に誓っている瞳である。
けれど、貧血気味であることはたしかなのだ。だるくてちょっとした動きでくらりとするし、どうにも眠気が抜けない。
妖精たちだって怪我の方は治せても、貧血ばかりはどうしようもないだろう。
そんな訳で、トレーニングもせずおとなしくしているし、円の食事療法だけが頼みである。
何を話すでもなく、ゆっくりと歩く。歩きながら話せば瞳の息が切れてしまうのだ。別に円だけが話してもいいのだけれど、どうしても相槌を打つことになるし、話の途中で突っ込みを入れたくなる話ばかりなのだ。
それでも、沈黙が苦ではない相手であることがありがたいと思う。
事務所に着いた時、律と美作はまだ到着していないようだった。円が預かっているスペアキーを使って中へ入ると、やはりムッとした暑さが気になった。
すぐにエアコンのスイッチを入れて冷気を待つ間に、円は仕込んでおいた水だしの紅茶をグラスに注いだ。
「瞳」
「サンキュ」
冷蔵庫に入れて置いたそれは、氷がなくてもひんやりと冷たく、少し甘みがあった。
「あ、美味しい……」
「だろ? 冷蔵庫で冷やしながらゆっくり抽出するから茶葉のエグみは出ないけど、自然な甘みが出るんだ」
「へぇー」
円は説明しながら自分の分をグラスに入れて飲んでいる。瞳も少しずつ飲んで喉を潤した。いつもはコーヒーを選びがちだけど、これなら紅茶もいいかもしれない。
瞳がアイスティーを飲み干した頃に、律と美作が入ってきた。
「おはよう。二人とも、早かったのね」
「円さま、瞳さま、おはようございます」
律は朝から元気だ。美作は何やら大きな包みを持っている以外はいつも通りだった。
「おはよう」
「おはようございます」
「水だしアイスティー仕上がってるけど、飲む?」
円がそんなふうに聞けば。
「いただくわ」
「わたしがやりましょう」
相変わらずな二人であった。
美作が円からピッチャーとグラスを受け取ってバトンタッチする。まずは律の分を用意して渡し、それから自分の分を注ぐ。
やはり暑い中を歩きてきたので喉が渇いていたのだろう、律は紅茶好きなこともあって、一気に飲んでしまったようだった。おかわりを求められる前に美作が動く。さすがである。
「二人は今日の予定は?」
律がそう聞いてくるから、予約は無いのだろう。
「俺は宿題」
「オレは読書ですね」
そう言って、それぞれに全く異なる種の本を出して見せる。
なんだか前にもこんなことがあったな、という既視感には気付かなかったことにする。
「瞳はどんな本を読むの?」
律が、ひょいっと瞳の持つ本を覗き込む。
「たまたま見つけた本なんですが、いわゆるラノベというやつですね」
「あら、純文学とかかと思ったわ」
「手広く読みますよ。それこそ、面白ければなんでも」
「意外ですね」
「そうですか? 割と好きですよ、こういうの」
「瞳が苦手なのは、ゴリゴリの少女漫画系だよな」
「あー。苦手だね、ああいうのは」
たはは、と瞳が苦笑すれば、律もそれに同意する。
「私も苦手だわ。もちろん好きな人もいるだろうし否定はしないけれど、ああいうご都合主義の話は、敢えて言うなら私は嫌いだわ」
「そうなんですか?」
それこそ意外だ、と思ったけれど、成長を止めてしまうほどの思いをした人なのだ。いわゆるご都合主義が多いジャンルは、それは嫌いだろう。
「チートなのは面白いけれど、安直なのはつまらないものよ」
「ふは」
律が至極真面目に言うから、思わず笑ってしまった。たしかにその通りだと思う。似たようなものだと言われそうだけれど全然違うのだ。
メガネもいつもの黒縁メガネではなく、薄い銀縁のメガネである。同じく結界が貼ってあるらしい。持ち物は必要最低限だが、最近はスマホが増えたのでボディバッグを活用している。
隣を歩く円は、ネイビー系のジーパン、白のTシャツにオリーブグリーンのシャツを羽織って、こちらもボディバッグ愛用だ。
『貴人、エントランスを出た所から事務所まで例の術を頼む』
『かしこまりました』
こっそりと念話を交わしながらエントランスを出ると、夏の日差しは厳しかった。
まだ『朝』と呼べる時間帯であるのにも関わらず、照りつける光はジリジリと暑い。
「うわ、あっつ……」
「これ熱中症になるやつだろ……。瞳、大丈夫か?」
二人でぼやきながら事務所への道をゆっくりと歩く。
なぜゆっくりなのかといえば、瞳の貧血を心配した円が頑として譲らなかったのである。
本人は大丈夫だと言うけれど、あの出血を間近で見た円としては「輸血もしてないのに信じられない」のひと言に尽きる。
昨日、たしかに少し重だるい、と瞳が言ったら重病人扱いされたので、もう言わないと心に誓っている瞳である。
けれど、貧血気味であることはたしかなのだ。だるくてちょっとした動きでくらりとするし、どうにも眠気が抜けない。
妖精たちだって怪我の方は治せても、貧血ばかりはどうしようもないだろう。
そんな訳で、トレーニングもせずおとなしくしているし、円の食事療法だけが頼みである。
何を話すでもなく、ゆっくりと歩く。歩きながら話せば瞳の息が切れてしまうのだ。別に円だけが話してもいいのだけれど、どうしても相槌を打つことになるし、話の途中で突っ込みを入れたくなる話ばかりなのだ。
それでも、沈黙が苦ではない相手であることがありがたいと思う。
事務所に着いた時、律と美作はまだ到着していないようだった。円が預かっているスペアキーを使って中へ入ると、やはりムッとした暑さが気になった。
すぐにエアコンのスイッチを入れて冷気を待つ間に、円は仕込んでおいた水だしの紅茶をグラスに注いだ。
「瞳」
「サンキュ」
冷蔵庫に入れて置いたそれは、氷がなくてもひんやりと冷たく、少し甘みがあった。
「あ、美味しい……」
「だろ? 冷蔵庫で冷やしながらゆっくり抽出するから茶葉のエグみは出ないけど、自然な甘みが出るんだ」
「へぇー」
円は説明しながら自分の分をグラスに入れて飲んでいる。瞳も少しずつ飲んで喉を潤した。いつもはコーヒーを選びがちだけど、これなら紅茶もいいかもしれない。
瞳がアイスティーを飲み干した頃に、律と美作が入ってきた。
「おはよう。二人とも、早かったのね」
「円さま、瞳さま、おはようございます」
律は朝から元気だ。美作は何やら大きな包みを持っている以外はいつも通りだった。
「おはよう」
「おはようございます」
「水だしアイスティー仕上がってるけど、飲む?」
円がそんなふうに聞けば。
「いただくわ」
「わたしがやりましょう」
相変わらずな二人であった。
美作が円からピッチャーとグラスを受け取ってバトンタッチする。まずは律の分を用意して渡し、それから自分の分を注ぐ。
やはり暑い中を歩きてきたので喉が渇いていたのだろう、律は紅茶好きなこともあって、一気に飲んでしまったようだった。おかわりを求められる前に美作が動く。さすがである。
「二人は今日の予定は?」
律がそう聞いてくるから、予約は無いのだろう。
「俺は宿題」
「オレは読書ですね」
そう言って、それぞれに全く異なる種の本を出して見せる。
なんだか前にもこんなことがあったな、という既視感には気付かなかったことにする。
「瞳はどんな本を読むの?」
律が、ひょいっと瞳の持つ本を覗き込む。
「たまたま見つけた本なんですが、いわゆるラノベというやつですね」
「あら、純文学とかかと思ったわ」
「手広く読みますよ。それこそ、面白ければなんでも」
「意外ですね」
「そうですか? 割と好きですよ、こういうの」
「瞳が苦手なのは、ゴリゴリの少女漫画系だよな」
「あー。苦手だね、ああいうのは」
たはは、と瞳が苦笑すれば、律もそれに同意する。
「私も苦手だわ。もちろん好きな人もいるだろうし否定はしないけれど、ああいうご都合主義の話は、敢えて言うなら私は嫌いだわ」
「そうなんですか?」
それこそ意外だ、と思ったけれど、成長を止めてしまうほどの思いをした人なのだ。いわゆるご都合主義が多いジャンルは、それは嫌いだろう。
「チートなのは面白いけれど、安直なのはつまらないものよ」
「ふは」
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