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髪と同じ赤茶色の瞳は業火の如く。
朝早く訪れた小さな家には穏やかな顔をした初老の男と、肩を振るわせ必死に怒りを抑えるエイデがいた。
初対面の俺の突然の申し出に、初老の男はしばらく何も言わなかったが、小さな声で「茶を飲もうか」と扉を開けたまま家の奥へと進んで行った。
エイデは心底納得のいかない顔をしていたが、男には逆らえないのだろう。
唇に血を滲ませながら俺を睨みつけた後、男に続く。
初老の男が淹れた茶には、砂糖漬けされた花が一つ入っていた。
湯気が立つティーカップを見ていると、猫舌な彼のことを思い出し、俺は必死に頭を振った。
「対価は、何かな。」
茶から湯気が消えた頃、初老の男は俺に問いかける。
茶には、一度も口をつけられなかった。
「た、いか・・・」
「ルシャナ・・・そこにいる私の弟子から大体の話は聞いた。かなり偏った私情も含んでいることも分かった上だ。君に聞くが、そもそも何故魔法を解きたい?」
ティーカップから目線を上げ、目の前の男を見る。
凛とした灰色の瞳は、怒るでもなく恐れるでも無く、ただこちらに向いているだけ。
問いの真意が、俺にはわからない。
「な、なぜって・・・彼が、苦しんでいるからだ・・・。それ以外、理由なんて無いだろう・・・」
「今まで解かなかったというのに?」
「・・・俺はこの通り今世魔力が・・・ない。情けないが今の俺にはあれが解けないし、あの魔法が、彼の・・・枷になっていたことすら気づかな、」
「嘘をつけ!!よくもそんなっ、無責任なことを、」
「・・・ルシャナ、黙りなさい。それが出来ないのならここから出ていくといい。」
「し、師匠!?だってこいつは・・・っ、クソっ!」
男の横に立っていたルシャナは一度ドンッと床を蹴り、大きく、大きく息を吸って吐く。
俺と男が座った後もずっと立っていたが、男の横の椅子に座ると、真っ直ぐ俺と向かい合う。
そんなルシャナの行動を確認した男は『それでよろしい』と小さく頷いて、俺に視線を戻した。
時間をかけて培われた師弟関係があるのだろう。
先ほどまでのルシャナとは違い、瞳の炎が静かに揺らめいている。
「解かなかったのは、その彼の判断だろう?」
「・・・強力で解けなかったから・・・だろう?」
「フィオを舐めんな。あいつなら余裕で解けるぞ。」
「・・・は?」
『馬鹿じゃねーの』と吐き捨てるルシャナの頭を初老の男は豪快に叩く。
ぷるぷると震えながら頭を押さえたルシャナを見ながら、俺の思考はぐちゃぐちゃにかき混ぜられていった。
解けたのに、解かなかった?
魔法のせいで、左目が見えず、眼帯までしていたというのに・・・?
「ルシャナから"あの"魔王の生まれ変わりがいたと聞いた時、私は信じなかったんだ。」
「それは・・・そうだろう。前世の記憶があるなんて突拍子もない話だ。誰も信じない。」
「ルシャナが勇者の生まれ変わりだと言うことはすぐに信じたぞ。」
「・・・?」
ことごとく、この男の真意がわからない。
困惑する俺の顔を見て、男は小さく微笑むと茶を一口啜る。
そして俺にも茶を飲むように何度も勧めるものだから、血の気の引いた冷たい指をティーカップにかけ、茶に口をつけた。
すっかり冷めてしまった茶でも、きっと彼にとっては好ましい温度なのだろう。
こんな時にまで彼のことを考えてしまう俺は、何と身勝手で、未練がましい。
「君は今世人であって、これまで人として生きてきたんだろう?」
「そ、れは・・・そうだが・・・」
「君の相貌からするに今世では騎士だ。人を守り、魔物を滅する。前世の行いの対価はもう払ったはずだ。そもそも生まれ変わった時点で記憶があろうとなかろうと、違う人生が始まっている。」
「・・・・・」
自分の手を開き、潰れた豆の跡を見た。
孤児として生きた幼少期、何度も年上の子どもから喧嘩をふっかけられた。
力の弱さを知り、嘆く日もあった。
返り討ちにした日は何故か俺がシスターに怒られて、もし俺に魔力があったら孤児院ごと燃やしていただろう。
手の次は、再び初老の男を見た。
さっきまでとは違い、鋭く、射抜くような目をしているが不思議と恐ろしくはなかった。
敵意がないことがわかるからだ。
男は、ゆっくりとティーカップを置くと俺に手を伸ばした。
男の手もまた俺と同じように豆の跡だらけで、かつ、刻まれた皺が苦労の数を語っているようだった。
「君は、人の目をしている。彼ともう一度よく話すといい。」
強引に握手をされた。
喉の奥が熱くなる。
こんなことは初めてで、自分でもどうしていいのかわからない。
声が詰まる。鳥肌が止まらない。
「魔王が魔王のまま生まれているなら、その瞬間きっとわかるだろう。君は魔王の生まれ変わりではなく、魔王が人として新しく生を受けた、と理解した。」
「・・・師匠、それ屁理屈です・・・」
「お前だって前世は勇者だろうが何だろうが、今世は私の大事な弟子だ。分かったか?」
「・・・はい。」
「では、そのフィオという者とこの彼を引き合わせる手伝いをしなさい。」
「・・・は?」
「・・・は?」
詰まっていた声が自然と出た。
何を言い出したんだ、この男。
見ろ、ルシャナの顔を。衝撃で歪みすぎて、見てられないじゃないか。
「なっ、なんでっ、俺が・・・こいつに手を貸さなきゃ」
「二人を引っ掻き回したのはお前だろう。責任を持ちなさい。」
「・・・ぐぅっ・・・!!!」
「お、俺は・・・!その、彼とはもう、」
「この忙しい私が、話を聞いてやった対価はそれだ。従え。」
「・・・で、でも、」
「くどい。それでも騎士か?自分の不出来は自分で処理しろ。わかったか?ルシャナもだぞ。」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
黙り込む男二人を見てにこりと笑った初老の男の名は、サヴィトリ。
遠方の国では、太陽神を意味する。
しばらくしてから返事をした俺たちの『はい』が見事重なっていて、サヴィトリはまた笑い、温かい茶をもう一度淹れ直してくれた。
朝早く訪れた小さな家には穏やかな顔をした初老の男と、肩を振るわせ必死に怒りを抑えるエイデがいた。
初対面の俺の突然の申し出に、初老の男はしばらく何も言わなかったが、小さな声で「茶を飲もうか」と扉を開けたまま家の奥へと進んで行った。
エイデは心底納得のいかない顔をしていたが、男には逆らえないのだろう。
唇に血を滲ませながら俺を睨みつけた後、男に続く。
初老の男が淹れた茶には、砂糖漬けされた花が一つ入っていた。
湯気が立つティーカップを見ていると、猫舌な彼のことを思い出し、俺は必死に頭を振った。
「対価は、何かな。」
茶から湯気が消えた頃、初老の男は俺に問いかける。
茶には、一度も口をつけられなかった。
「た、いか・・・」
「ルシャナ・・・そこにいる私の弟子から大体の話は聞いた。かなり偏った私情も含んでいることも分かった上だ。君に聞くが、そもそも何故魔法を解きたい?」
ティーカップから目線を上げ、目の前の男を見る。
凛とした灰色の瞳は、怒るでもなく恐れるでも無く、ただこちらに向いているだけ。
問いの真意が、俺にはわからない。
「な、なぜって・・・彼が、苦しんでいるからだ・・・。それ以外、理由なんて無いだろう・・・」
「今まで解かなかったというのに?」
「・・・俺はこの通り今世魔力が・・・ない。情けないが今の俺にはあれが解けないし、あの魔法が、彼の・・・枷になっていたことすら気づかな、」
「嘘をつけ!!よくもそんなっ、無責任なことを、」
「・・・ルシャナ、黙りなさい。それが出来ないのならここから出ていくといい。」
「し、師匠!?だってこいつは・・・っ、クソっ!」
男の横に立っていたルシャナは一度ドンッと床を蹴り、大きく、大きく息を吸って吐く。
俺と男が座った後もずっと立っていたが、男の横の椅子に座ると、真っ直ぐ俺と向かい合う。
そんなルシャナの行動を確認した男は『それでよろしい』と小さく頷いて、俺に視線を戻した。
時間をかけて培われた師弟関係があるのだろう。
先ほどまでのルシャナとは違い、瞳の炎が静かに揺らめいている。
「解かなかったのは、その彼の判断だろう?」
「・・・強力で解けなかったから・・・だろう?」
「フィオを舐めんな。あいつなら余裕で解けるぞ。」
「・・・は?」
『馬鹿じゃねーの』と吐き捨てるルシャナの頭を初老の男は豪快に叩く。
ぷるぷると震えながら頭を押さえたルシャナを見ながら、俺の思考はぐちゃぐちゃにかき混ぜられていった。
解けたのに、解かなかった?
魔法のせいで、左目が見えず、眼帯までしていたというのに・・・?
「ルシャナから"あの"魔王の生まれ変わりがいたと聞いた時、私は信じなかったんだ。」
「それは・・・そうだろう。前世の記憶があるなんて突拍子もない話だ。誰も信じない。」
「ルシャナが勇者の生まれ変わりだと言うことはすぐに信じたぞ。」
「・・・?」
ことごとく、この男の真意がわからない。
困惑する俺の顔を見て、男は小さく微笑むと茶を一口啜る。
そして俺にも茶を飲むように何度も勧めるものだから、血の気の引いた冷たい指をティーカップにかけ、茶に口をつけた。
すっかり冷めてしまった茶でも、きっと彼にとっては好ましい温度なのだろう。
こんな時にまで彼のことを考えてしまう俺は、何と身勝手で、未練がましい。
「君は今世人であって、これまで人として生きてきたんだろう?」
「そ、れは・・・そうだが・・・」
「君の相貌からするに今世では騎士だ。人を守り、魔物を滅する。前世の行いの対価はもう払ったはずだ。そもそも生まれ変わった時点で記憶があろうとなかろうと、違う人生が始まっている。」
「・・・・・」
自分の手を開き、潰れた豆の跡を見た。
孤児として生きた幼少期、何度も年上の子どもから喧嘩をふっかけられた。
力の弱さを知り、嘆く日もあった。
返り討ちにした日は何故か俺がシスターに怒られて、もし俺に魔力があったら孤児院ごと燃やしていただろう。
手の次は、再び初老の男を見た。
さっきまでとは違い、鋭く、射抜くような目をしているが不思議と恐ろしくはなかった。
敵意がないことがわかるからだ。
男は、ゆっくりとティーカップを置くと俺に手を伸ばした。
男の手もまた俺と同じように豆の跡だらけで、かつ、刻まれた皺が苦労の数を語っているようだった。
「君は、人の目をしている。彼ともう一度よく話すといい。」
強引に握手をされた。
喉の奥が熱くなる。
こんなことは初めてで、自分でもどうしていいのかわからない。
声が詰まる。鳥肌が止まらない。
「魔王が魔王のまま生まれているなら、その瞬間きっとわかるだろう。君は魔王の生まれ変わりではなく、魔王が人として新しく生を受けた、と理解した。」
「・・・師匠、それ屁理屈です・・・」
「お前だって前世は勇者だろうが何だろうが、今世は私の大事な弟子だ。分かったか?」
「・・・はい。」
「では、そのフィオという者とこの彼を引き合わせる手伝いをしなさい。」
「・・・は?」
「・・・は?」
詰まっていた声が自然と出た。
何を言い出したんだ、この男。
見ろ、ルシャナの顔を。衝撃で歪みすぎて、見てられないじゃないか。
「なっ、なんでっ、俺が・・・こいつに手を貸さなきゃ」
「二人を引っ掻き回したのはお前だろう。責任を持ちなさい。」
「・・・ぐぅっ・・・!!!」
「お、俺は・・・!その、彼とはもう、」
「この忙しい私が、話を聞いてやった対価はそれだ。従え。」
「・・・で、でも、」
「くどい。それでも騎士か?自分の不出来は自分で処理しろ。わかったか?ルシャナもだぞ。」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
黙り込む男二人を見てにこりと笑った初老の男の名は、サヴィトリ。
遠方の国では、太陽神を意味する。
しばらくしてから返事をした俺たちの『はい』が見事重なっていて、サヴィトリはまた笑い、温かい茶をもう一度淹れ直してくれた。
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