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「・・・・・・どこか遠くに行きたい。」

「寝言とは起きている時でも口にできるものなのですね。」

「ひっ」

「新しい発見です。」


誰もいないと思っていたのに、背後から落ち着いた男の声が聞こえてきて、ぎ、ぎ、ぎ、とゆっくり振り返る。
思った通り、焦茶色の髪をオールバックにした眼鏡の男が微笑みながら立っていた。
そしてその男の背後の扉が開くと示し合わせたようにして三人のメイドさん達まで部屋に入ってきた。

・・・ああ、嫌な予感がする。





「・・・アードラーさん・・・いつから居たんですか・・・」

「つい先程からです。」

「気配なく近寄ってくるのやめてくださいって言ってるじゃないですか・・・」

「申し訳ございません。癖なもので。」

「ど、・・・・・・・・・やっぱり何でもないです。」

「左様でございますか。」

「・・・・・・・・・」

どんな癖ですか、と言いかけたけど三倍ぐらいの文量で返されそうだったから敢えて言わないでおいた。

僕が今座っているのは、色味が統一された品のある部屋の一角の出窓。
初めてここに連れてこられた時に「どうやって掃除するんだろう」とまず疑問に思ったのがこの大きな窓だった。
その出窓の枠のところに座って、ぼーっと庭を眺めるのが最近の日課。
村では見たことない綺麗な蝶が毎日のように飛んできては、部屋の花の蜜を吸って出ていく。
今のところその蝶に会えることがここでの楽しみ。・・・あ、あとご飯もかな。めちゃくちゃ美味しい。


先ほどついうっかり溢してしまった独り言に、ここでは誰も共感はしてくれない。
そんなこと分かっていたのに、今日は天気が良すぎて気が緩んでしまったらしい。

気をつけようっと。




「・・・あの、何度も言ってるんですけど、絶対人違いです。僕が、」「いいえ。ルカ様で間違っておりません。」

「えぇ・・・?(めっちゃ被せてくるじゃん・・・)」

「今の暮らしに何かご不満でも?失礼ですが、あの村での生活がルカ様に合っているとはとても思えませんでしたが。」

「・・・そりゃ、そ、うですけど・・・」

「殿下がお呼びです。御支度を。」

「・・・今日は遠慮し」「お前達、急いでルカ様の支度を。」

「「「はい!」」」

「・・・・・・・・・ぬぅ。」


僕は今日もまた口を尖らせるという小さな小さな反抗しかできず、メイドさん達にされるがまま、なすがまま、ピカピカに磨かれて。
花が咲き誇った広~い庭の一角にあるガゼボである人物とのお茶会に連れて行かれた。




「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」




ただし、会話はちっとも弾まない。
未だにお茶会の作法だって分からないし、僕はちびちびお茶を啜るだけ。
目の前にはきらきら輝く色とりどりのお菓子?が並べられてるんだけど、食べて良いのかも分からないし、もしかしてテーブルの飾りなのかもしれないし、僕ずっと見られてるし・・・下手に動けない。

は~・・・何が楽しくて毎日のように僕をここに呼ぶのか全く意味がわからない。
「これは新手の訓練なのか」とも思ったりする。

・・・誰の為の?



ちらりとティーカップから視線を上げると、色素の薄い茶髪を耳下あたりまで伸ばした男のヒトが目に入る。
前髪は真ん中から左右に分けてあって、印象的な切長の目元がはっきりと見えた。
背は高くて180cm以上はあるし、足が長いし、何より顔が綺麗すぎてキラキラしてる。

ねえ、分かる?
キラキラだよ?キッラキラ。
今日も一段と輝いておいでです。



それにその顔の割に体は鍛え上げられた筋肉質。
これは以前慣れない馬車から降りようとして転がり落ちていく僕を、何の躊躇もなく抱き止めてくれたから分かったことだ。
今は高そうな金糸刺繍のシャツの上に黒いジャケットを羽織ってるからその筋肉の凄さはあまり分からない。
『脱いだらすごいぞ!』のタイプだなぁ。
僕が見ることはないけど。



出会った時から『にこりと微笑む』なんてことは一切ないし、僕の前じゃほとんど喋りもしない。
アードラーさんみたいなフサフサ尻尾でもあれば、感情がそこから読み取れそうなものだけど(今のところアードラーさんでそれが成功した試しはない)、この目の前の男、丸い小さめの耳と、モコっとした可愛い尻尾しかない。


何せこの格好良い男、熊の獣人なもので。




「・・・・・・また呼ぶ。」

「は、はい・・・、ご馳走様でした・・・」




僕の返事に無表情のまま頷き、片手を上げてアードラーさんを呼ぶ男。

正真正銘、この国の第二王子であるテオフィル様である。










母さんが、二年前に病気で死んだ。
父さんは僕の記憶にないくらい前に戦で死んだらしい。
そして残ったのは小さな家と、母さん譲りのこの黒髪と華奢な体の僕だった。

生まれ育った村は目立った産物もない、田舎の村。
かと言って僕には他の村や街に頼る人もいなかった。
だから引っ越すっていう考えも浮かばず、そのまま生まれ育った村で暮らしてた。
仕事も限られていて、まあ、村長の小間使いというか、雑用係というか。
それなりに雑に扱われてたわけで。

「あー、このまま僕死ぬまで働かされるのかなー」なんて考えるくらいには生活に余裕がなかった。



そんなある日・・・、そう、今から約二週間ほど前。
普段と変わりなく畑仕事をしていたら、村の人が朝から何故か騒いでる。
村近くの森を抜けて、王族を乗せた馬車が隣街の水路視察に行くんだとか。
こんな辺鄙な所を王族の馬車が通るなんて、数年に一度あるかないかだ。
少なくとも僕は見たことがない。

でも別に興味もないし、畑に膨大な量の芋の苗を植えないといけない。
それが今日の僕の仕事だから。



畑作業に夢中で土まみれになっていた僕が、ふと気がつくと何故か大きな影にすっぽり覆われていて。
顔を上げたら、見たこともない豪華な服を着た綺麗な男の獣人ヒトがいた。
「ひゃっ」と思わず声を上げた僕にも表情を変えなかったのが目の前にいたテオフィル様で、その全てを見透かしそうな灰色の瞳で僕を見下ろしていた。

今思い出しても、息が止まりそう。
だってあんな綺麗なヒトも、服も初めて見たし、テオフィル様が履いていたピカピカに磨かれた靴が畑のせいで泥だらけになっていて、僕は咄嗟にお叱りを受けるんじゃないかと思ったから。

でもお叱りを受けるどころか、なぜか客人用の村一番の大きな屋敷に連れて行かれ、僕がやっていた畑仕事は、護衛?の人たちが代わりに全部終わらせてくれて、農具の片付けまでやってくれた。
訳も分からず連れて来られた立派な一人部屋に落ち着かなくて、結局ほとんど寝れなかったけど。


そして、翌朝には僕のなけなしの荷物一式が村人によりまとめられ(カバン一つ分)、その荷物ごと僕は豪華な馬車に乗せられていた。

馬車の中でガチガチに緊張しながら、勇気を出して目の前の座席で腕組みをしているテオフィル様にこの状況について尋ねると「君は私の番だから王都へ連れて行く」だって。



・・・ええええええーー!?待って待って!僕獣人じゃなくて人間ですけど!?
そんなことある?!
しかも僕の許可は取らないんですかーーーー!??
まあそもそも断れないでしょうけどねぇーーーーー!!


そんな風に声は出せなかったけど、更に体が固まっていく僕を、まるで何かを見定めるようにテオフィル様はじぃっと見ていた。

僕はそのテオフィル様からの熱い?視線と、自分が置かれた状況と、初めて乗る馬車に、緊張で手が汗でびしょびしょになりながら、隣街の水路の視察について行き、そのまま立派な宮殿(その後ここが王宮敷地内の離宮だと知る)に連れて来られ、ここでの生活が始まったのである。





「・・・君は今日も綺麗だね・・・」




お茶会の後部屋に戻り、最早定位置になりつつある出窓に座っているとまたあの蝶がやってきた。
また独り言を呟いてしまったけど、今度はアードラーさんが居ないことを事前に確認したから大丈夫。
驚いてびっくぅ、と体を揺らすこともない。



「・・・あの人喋んないから何考えてるか分かんないし怖いんだよなぁ・・・」

《あら、じゃあ私が力を貸して差し上げるわ。》

「えー、どうやって?あの人僕が何しても喋んないと思うけ・・・・・・は?だ、だ、誰?!」


突然聞こえた女の人の声。
ビックリして思わず立ち上がったけど、この出窓は僕より大きい。
お陰で頭をぶつけずに済んだ。
だだっ広い部屋をキョロキョロしつこく見渡したけど、やっぱり誰もいなかった。




「気、のせい・・・・・・?」

《ここよ、ここ。良い加減、気付きなさい》

「・・・・・・・・・?!!」




声がした先は、何と僕の足元だった。
そこにはあの蝶が居た。
むしろ蝶しか居ない。




《貴方本当に良い匂いがするわね。流石あの子の番だわ》

「しゃ、しゃ、しゃべっ、え、ええ?!!」

《明日からしばらくあの子の心の声が聞こえるようにして差し上げます。そうすればあの子のことも少しは分かるでしょう?》

「なっ、は、えっ、はぁぁあ?!」

《・・・そのように大きな声をあげるから、気付かれてしまったじゃないの》

「だれ、に、な、な、な、なにを、」

《ではね。あの子と仲良くするのよ》

「はっ?!え、ええええええええええーーーー?!!」





あの子って誰?気付かれたって誰に?と言葉にできなかった僕を無視して、スゥーっと光の粒を放ちながら蝶は消えていった。



僕が出窓で立ったまま動揺していると、バァーンと扉が開き、アードラーさんと大勢の騎士が入ってきて、部屋の中は一気に大騒ぎになった。
不審者の侵入を心配され、体を心配され、医者を呼ばれ。もう大変。

その騒ぎに益々動揺してしまった僕はその日の夜、子どもの頃以来の熱を出し、結局医者を呼び戻し(断ったけど聞いてもらえなかった)診てもらう羽目になった。
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