流刑王ジルベールは新聞を焼いた 〜マスコミの偏向報道に耐え続けた王。加熱する報道が越えてはならない一線を越えた日、史上最悪の弾圧が始まる〜

五月雨きょうすけ

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第十二話 ジルベールの呪い

ダールトン編

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 我が世の春とはこの事だ。

 後に生まれたというだけで、虚弱な兄に王位を奪われ、アルゴスター公爵家などという役不足な家に押し込められて二〇年以上。
 耐えた甲斐があったと思えるほどの栄華を吾輩は堪能している。
 兄やジルベールは軟弱であったが故に王でありながら常に悩み苦しんでいたようだが、吾輩からすれば馬鹿げている。
 強い力と心を持って好き勝手していればあとは周りが盛り立ててくれる。
 それが国王という立場なのだ。



 新調したシャンデリアが王宮内のダンスホールをオレンジ色の灯りで照らす。
 外は夜の闇に包まれているというのにここは晴天の下のように明るく、色とりどりの花畑のようにカラフルなドレスに身を包んだ娘たちが咲き誇るように舞っている。
 国王になって以来、吾輩は毎夜、舞踏会を開くことを命じた。
 国中の貴族が入れ替わり立ち替わり、自らの妻や娘を連れ立って吾輩に忠誠を示しにやってくる。
 ようやく取り戻した権力を実感できる素晴らしい時間だ。

「今宵はこのような華々しい催しにお招きいただき光栄にございます。
 陛下のご活躍は辺境たる我が領にも伝わっております。
 御世が続く限り、この国は安泰だと確信しておりまする」

 今、目の前で頭を下げておるのはゴルディア伯爵。
 恭しい態度を取っているが、吾輩が公爵だった頃は一度しか挨拶に来なかった。
 王位を継げなかった事を見下していたに違いない。
 そのくせ即位した途端、挨拶に来たがった。
 当然、無視をし続けた。
 都合がいい時だけすり寄ってくる男は信用できんからだ。
 しかし今日、呼んでやった事で奴は吾輩の懐の広さに感謝している事だろう。

「余が過去のことを引き摺らないさっぱりとした性格で良かったな」

 吾輩がそう言うと感動のせいか、一瞬呆けたような顔をしたが、慌てて表情を引き締め直した。

「は………っ、おっしゃる通り!
 陛下は人の上に立つべくして立たれたお方にございます!」

 気に食わない男からであっても褒められて悪い気はしない。

 見計ったように奴の後ろに控えていた深紅のドレス姿の若い娘がスカートの裾を掴んで挨拶をする。

「偉大なる国王陛下。
 お目にかかれて光栄にございます。
 ゴルディア伯爵家が娘、スカーレットにございます」

 若々しく跳ねるような栗毛は生気にあふれている印象を受ける。
 二の腕やくるぶし、胸元など布で覆われていない部分を思わず目で追ってしまう。
 瑞々しく滑らかな艶肌。
 あどけなさの残る顔立ちも背徳感を掻き立たせてくれるので悪くない。

「スカーレットか。近う寄れ。
 我が膝の上に座る事を許そう」

 と、吾輩の世話をさせてやることにしたのだが、何をトチ狂ったのか伯爵が騒ぎ立てる。

「陛下!? お戯れを!
 この娘は私の実の娘でございますよ!?」
「だからどうした?」
「娼婦の真似事をさせないでください!
 夜伽の相手が欲しいのであれば相応の格の娘に————ギャアッ!?」

 奴の反論を遮るため、護衛騎士に殴らせた。
 唇から血を噴かせ床に尻餅を突いた。
 その様子を見下ろして吾輩は怒鳴りつける。

「自惚れるなぁっ! たかが伯爵風情が国王に意見するのか!
 貴様の娘も、娼婦も、余にとっては等しく下賤の者だぞ!
 お情けをくれてやるというのだから有り難く思え!」
「クッ………………」

 反抗的な目をしていた伯爵だったが仮面を被るように表情を殺して、吾輩に頭を下げる。

「どうか……お許しください……
 この子には婚約者もいるのです。
 齢16を数えるまで窮屈な想いをさせながらも手塩にかけて育てた自慢の乙女なのです。
 無垢な身体のまま嫁入りさせてやってください」

 ろくに挨拶も来なかった不義理な男が虫のようにみっともなく頭をぺこぺこ下げて同情を買おうとしている。
 これが力というものだ。

 奴を嘲笑い、構わず娘を口説いた。
 娘は表情こそ強張っていたが黙って大人しく我が膝に腰を下ろした。
 宴が終わった後、目論み通り娘を部屋に連れ込み、抱いてやった。
 初めてのことだったせいか、ことが終わると塞ぎ込むようにして寝てしまったのはつまらないが、まあ良い。

 思えば、吾輩ほどの立場の人間が愛妾を囲うことが許されなかったことはどう考えてもおかしい。
 アルゴスター家には婿入りという形で入った上に妻は嫉妬深く陰湿な女だったので浮気は許されなんだ。
 そのせいで男児に恵まれず、ジルベールにフランを嫁がせて王室に血を戻すような姑息な手しか取れなかった。

 だが今は違う。

 吾輩は今、世継ぎを残さねばならん。
 40を過ぎて落ち着きがないように思われるかも知れんがこれは王としての責務だ。
 故に毎夜、舞踏会を開いてはそこに集う娘たちに情けをかけてやる。
 これは臣下に対する踏み絵ともなる。
 最愛なる妻や娘を笑って差し出すことができる者でなければ信用などできん。
 最後まで文句を垂れていたゴルディア伯爵には制裁を加えてやらねばなるまい。
 もし、男児を授かったのならば勘弁してやらんでもないがな。

 泣き腫らした顔で眠る奴の娘を見てほくそ笑んだ。



 その日、吾輩の元に報せがあった。
 フランの監視をさせている侍女によるものだ。
 その内容を聞いて慌てて奴の寝室に向かった。

 ノックもせず、ドアを開けるとフランは驚いた顔をした後、がっかりしたような顔を見せた。

「なぁんだ。お父様か」
「フラン! 国王に対してなんだその態度は!」

 国王になって、誰もが吾輩への態度を改める中でフランだけが変わらず、気怠げな態度を崩そうとしない。
 むしろ、以前より煙たがられているようにすら思える。

「この後、人と会わなければならない用事があるの。
 お引き取りくださいません?」
「お前…………また悪い遊びをしているのか!?
 いくらジルベールとの婚姻が解消されたとはいえ、王女なのだぞ!
 もっと慎みを持て!!
 余に恥をかかせるな!!」
「娘より若い女を手篭めにして喜んでいる陛下の言葉は重みが違うわね。
 女の情報網は新聞なんかよりずっと迅速よ。
 とっくに恥晒しになっていることにも気づかず、無邪気なこと」
「貴様っ!?」

 頬を打とうと手を挙げたが、ぐっと堪えて下ろした。
 親子喧嘩するために来たわけではない。

「フラン。貴様、医者を呼んだらしいな。
 いったいなんの————」
「まだるっこしいやり取りはナシにしましょう。
 そうよ。子どもができたわ」

 こともなげに言い放ち、薄い腹をなぞるように撫でる。
 その表情は喜んでるとも苦しんでるとも取れない微妙な顔つきだった。

「誰の子だ? その男にはもう伝えたのか?」
「一番可能性が高い男を今呼びつけているところよ」

 フランはそう言うと黙りこくった。
 まもなく、ドアがノックされ件の男が部屋に入ってきた。
 金色の髪をした長身の美丈夫だ。
 年の頃は20そこそこくらいだろうが、身なりからしてそれなりに裕福で上品な家の男だと分かる。
 国王である吾輩がいることに気づいても動揺せず、恭しく礼をするあたり胆力もありそうだ。
 オーギュスト・フォン・グレミオ、と男は名乗った。
 グレミオ子爵家とかいう王都に屋敷を構えるの嫡男だとか。
 初対面のはずだが、その自信に溢れたような顔つきは誰かに似ているように思えた。

「オーグ、久しぶりね。
 会いたかったわ」

 フランが小鳥のように軽やかな声を男にかける。
 男はいたわるような優しげな目で見つめ返す。

「ええ。姫様に飽きられてしまったかと思い、気が気でなりませんでしたよ」

 鬱陶しいほどに甘い空気だ、はしたない。
 さっきの紹介ではこやつは子爵家の嫡男ということだったが、もう少し格のある相手を選ばなかったものか。

「おい、フラン。
 この男が子どもの父親なのか?」
「っ!? お父様!!」

 フランが顔を真っ赤にして怒りの目をこちらに向けている。
 先ほどはまだるっこしい話を嫌ったくせに勝手なものだ。

「子ども……まさか、姫様ご懐妊でございますか?」

 真っ直ぐフランを見つめて尋ねるオーギュスト。
 フランは恥ずかしそうに目を背けて「そうよ」と短く答えた。

 しばしの沈黙の後、オーギュストは真剣な顔になり、再びフランに尋ねる。

「陛下と私以外に打ち明けていない……そう受け取ってよろしいのですね?」
「ええ。あなた以外に打ち明けられる人はいないわ」
「なるほど、この子は私の子でありますか」

 奴は満面の笑みで、無遠慮にフランの腹を撫でた。
 無性に不愉快な気分になり、思わず声を荒げる。

「おい貴様!! 子爵風情が王妃を誘惑するとは! 不敬であるぞ!!」
「私がフランチェスカ様と関係を持った時には前王は収監されていましたよ。
 傷心の姫様をお慰めさせできれば、と身を尽くしただけです」
「抜け抜けと! 吾輩はこのような者の種を王室に入れるなど許さんぞ!」

 女の方は貴族であれば構わん。
 だが男はそういうわけにはいかない。
 瓜の種からメロンは成らないのだ。
 もし、吾輩が子を成せなければフランの子が王位につく可能性がある。
 子爵程度の種からまともな王が生まれるわけがない。

「フラン! 子を堕ろせ!
 今ならまだ間に合う!
 ジルベールがいなくなって三月(みつき)と経っていないのにこやつに孕まされたなどと知れ渡れば不貞の烙印を押されてしまうぞ!」

 怒鳴りつけるとフランは汚いものを見るかのような目で吾輩を睨みつけてきたが何も言葉を返そうとしなかった。
 代わりにオーギュストが口を開く。

「ご心配なく。
 わざわざ父親などと名乗り出ませんよ。
 そんなことをすれば我が身はもちろん、子の命まで脅かされる。
 考えただけで涙が溢れそうだ」
「なんだと!? 王女を孕ませておいて責任逃れのようなことが許されるか!」
「どっちにしても許されないんじゃないですか。
 だったら、みんながまるく収まるような方法を選びましょうよ」

 生意気にも吾輩を宥めるような口調で語りかけてきた。
 やはり、誰かに似ている。
 この自信満々で人を食ったような感じは……

「私は名乗り出ない。
 フランチェスカ様はお腹の子を産む。
 そうすると誰もが同じことを考える。
『この子どもはジルベールの忘れ形見だ』と」

 オーギュストの言葉にハッとなった。
 そうだ。フランが不貞を働いていたと知っているからこそ、誰の子だ、という発想に至る。
 だが、常識的に考えれば王妃が国王以外に抱かれることなどあるだろうか?

 オーギュストは舞台俳優かのように高らかに声を上げて語り始めた。

「誰もが愚王と揶揄するジルベール王!
 怒りの捌け口として妻であるフランチェスカを夜毎抱いていた!
 夫に、しかも国王に求められては拒絶することなどできるわけもない!
 その後、国を追放されたジルベールだったが、フランチェスカには新たな命が宿っていた。
 愚王の最後の執着。
 悲劇の王妃フランチェスカ様にかけられたジルベールの呪いだ……
 しかし、親が大悪党だろうと、子まで悪となるとは限らない!
 オルタンシア宗家の血を継ぐ子どもを立派な王に育て上げる決意をしたフランチェスカ!
 悲劇の連鎖は私が食い止めてみせる…………泣かせるじゃないですか。
 巷で流行っているジルベールの呪いに真っ向から挑もうとするフランチェスカ様の生き様は国民から絶賛され、それを認めるダールトン陛下は寛大で潔く男らしい王と崇められることでしょう!」

 こやつめ……調子のいいことを並び立てているが悪くはない筋書きだ。
 フランも満更では無さそうな表情だ。

「本当に、名乗り出ないのだろうな」

 吾輩が念を押すとオーギュストはクスリと笑い、

「私と子の安全が約束していただけるなら」

 とのたまった。

 悪くない話だ。
 あの様子ではフランチェスカは子を流しはしない。
 たとえ奔放ではねっかえるところがあったとしても一人娘。
 可愛いのだ。苦しめたくないのだ。
 子を望むなら産ませてやりたいというのも親心だ。
 それに、どこかの馬の骨にくれてやるくらいなら一生王宮に置いておきたい。
 吾輩は意を決した。

「よかろう。聖オルタンシア国王ダールトン・グラン・オルタンシアの名においてそなたと子の安全を保証しよう」
「ありがとうございます!
 これで私も父に怒られずに済みます!」

 父に怒られるなどと大の男が情けない。
 だが、こやつの父ということは当代の子爵か。
 一応調べておこう————と思った瞬間、ドアが開けられた。

「良いですね。家族勢揃いだ。
 記念に一枚」

 パシャリ、と機械の音が部屋の中に響いた。
 ドアを開けて入ってきたのはキャメラを構えたジャスティンだった。
 その後ろには護衛と思われる男が立っている。
 この男もどこかで見たような……

「おおっ! キングスレイヤー!
 本当に叔父上の部下になさったのですね!」

 オーギュストが嬉しそうに声をあげる。
 ああ、キングスレイヤーか。
 ジルベールを捕らえた憲兵だったか…………は?

「おい、貴様。
 いま、ジャスティンの事を何と呼んだ?」
「ん? 叔父上ですが……ああ、まだ話しておりませんでしたか。
 亡き母ジェシカは新聞王ジャスティン・ウォールマンの実の姉だったと言う事です。
 故に私どもは叔父と甥の関係なのでございます」

 サッ、と血の気が引くのを感じた。
 この小僧がジャスティンの血族だと?!
 そうか、奴に感じていた既視感は奴の面影だったと言うことか。
 たしかに、言われてみれば血の繋がりがない方が不思議なくらい顔立ちや体格が似ている。
 いやいやいや! そ、そんなことどうでもいい!!

「バカなっ! ならば貴様は平民の血が流れているということか!」
「ええ。元々、母はグレミオ家の女給をしていましてね。
 そこで当主のお手つきとなり私を産んだのです。
 幸か不幸か、男児は私以外は夭折しておりましてね。
 平民の血が流れていようと、跡取りに認めていただけたわけです」
「木っ端貴族の跡取り事情などどうでも良い!
 これだから誇りなき子爵家程度の家では血が保てんのだ!」

 吾輩の罵りを受けるとオーギュストとジャスティンまでもが笑い出す。

「アハハハハハハハ! 我が家が誇りなき家だと。
 これは見事ですね、叔父上!」
「クククク……いやいや、陛下の目は節穴ですが、逆に見えるものもあるのかもしれませんな」
「フシアナ!? ジャスティン!
 貴様、吾輩を愚弄するのか!?」
「いえいえ、ご慧眼に感激しているのです。
 陛下のおっしゃり通り、グレミオ家は誇りなき貴族家ですよ。
 端金欲しさに平民の子に家を売り渡したのですから」

 平民の子? オーギュストのことか?
 だが、畑は平民であろうと種はそのグレミオとかいう子爵家の…………

 色々と考えが交錯して訳がわからなくなってきおった。
 ふと、その時。
 並んで立っているジャスティンとオーギュストの姿がうっすらと重なって見えた。
 姉の子……というには、似過ぎては————
 ハッ!?

「ジ、ジャスティン? ま、まさかオーギュストは…………」

 頭の中に口に出すのも憚られるほどにおぞましいことが浮かんでいた。
 こちらの考えを気取ったのか、ジャスティンは感心したように首を縦に振る。
 そして、オーギュストの肩を掴んで寄せる。
 まるで同じ房で育った果実のように、同じ顔つきをした二人。
 答え合わせが行われる。

「はい。オーギュストは私の最愛の姉ジェシカの子。
 そして、私の実の子なんですよ。
 グレミオ家の当主は自分の血を残すことよりも裕福な余生を求めて私に言われるがまま、オーギュストを自分の子だと認知したのです」

 衝撃、というよりも生理的な嫌悪感が先に立った。
 考えを頭に留めおく事などできず浮かんだ言葉が次々と口から溢れ出る。

「気色悪い!! 実の姉弟で交わって生まれた子だと!?
 そんなもの畜生以下の外道ではないか!!
 外道の血を貴族階級に紛れ込ませただけでも重罪なのに、あまつさえそれを我が娘に注ぐとは!!
 死罪ですら生ぬるいぞ!!」
「……外道の血、か。
 近親婚などというのはむしろ王族のお家芸のようなものでしょう。
 あなたの妻だって従姉妹だったはず。
 その間に生まれたフランチェスカ様を甥であるジルベールに嫁がせておいてよく言う」
「希少な王族の血と掃いて捨てるほどいる平民の血が同じ扱われ方をするわけなかろう!
 オーギュスト! 貴様は八つ裂きにして豚小屋に撒いてやる!
 ジャスティン! 親として貴様の監督責任を取ってもらうぞ!
 フラン! 聞いた通りだ!
 腹の中にいるのは外道の化け物だ!!
 堕ろせ! 銀を飲んででも堕ろせ!!」

 怒りに目の裏が熱くなる。
 大切な一人娘がこんな常軌を逸した異常者の家系に孕まされたなんて耐えられない。
 もし、この事を知らずにいたらと考えればゾッとする。
 だが大丈夫だ。
 オーギュストと子どもを殺してしまえば何もかも片付く。
 オーギュストがハア、と大きなため息を吐いた。

「やっぱりダメだね、叔父上。
 コイツ、先ほど自分の名にかけて誓った事を忘れちゃってるよ」
「その程度の男だ。
 ただ防衛本能というべきかな。
 大事な血統が脅かされるとなると我々の繋がりを看破した。
 腐り濁り切っていても、オルタンシア王家の血は軽んじられない。
 だからこそフランチェスカ様が産む王子が楽しみだよ。
 私の濃い血が何百年と続いた王侯貴族の拠り所とも言える血統を侵していくことを思うとね」

 オーギュストの軽薄な笑みも、ジャスティンの邪悪な笑みも恐ろしくてならなかった。

「誰かある! この逆賊どもを殺せ!!
 今すぐ殺せええええええっ!!」

 できる限り大きな声で叫んだ。
 だが、ドアの外にいる吾輩やフランの護衛騎士は一切反応しない。

「王と親交があるとはいえ、ただの平民がすんなりと王女の寝室に入れるわけないでしょう。
 護衛騎士には寝ていただいていますよ」

 ジャスティンがそう言うと背後に控えていたキングスレイヤーが微かに表情を歪めた。

「ここまでのやり取りはご息女の懐妊という事件に取り乱した親心という事で大目に見てあげましょう。
 ですが、今からは容赦しません。
 私たちを害そうとするならば、キングスレイヤーは二度めの王殺しを行うことになる。
 あと、侮辱も厳禁です。
 あなたが国王としてこの国を玩具に好き勝手遊ぶのは許してあげます。
 ですが、私の機嫌を損ねない範囲までだ。
 マスコミを敵に回した王がどのような末路を辿ったか、あなたはよくご存知でしょう」
「き……貴様!? 王を、この吾輩を支配するのか!?
 王族の長たる吾輩を!!」
「ジルベールは支配できない。
 だから追放された。
 あなたは支配できる。
 だから玉座に座っていられるんです。
 良かったですね、無能に生まれ育って」

 バカにしおって! バカにしおって!
 絶対にこやつらを生きては返さん!
 キングスレイヤーといえどたったひとりでは————

「お父様。この子をジルベールの子として産みましょう」
「フランチェスカ!?」
「私達が生き残るにはそれしかない。
 彼らに従っていれば、今の暮らしを捨てなくて良いという事でしょう。
 考えるまでもないわ」

 フランは悟ったように言った。
 たしかに……ジルベールを追いやった時のジャスティンの執拗さは凄まじいものだった。
 討ち取れなければアレ以上に苛烈な批判報道が集まるとなれば我が身が危ない。
 フランは冷静だ。

「ねえ、オーギュスト。
 私に近づいたのはこうなる事を狙って?」
「ええ。ダールトンが即位するのならば手綱を作っておかなければならない、と叔父上はお考えだったので。
 ああ、勿論あなたのカラダは最高でした。
 任務も忘れて愉しんでしまいましたよ。
 お子を産まれたらまた是非お相手仕りたい」

 笑いかけるオーギュストにフランは冷めたように首をプイと横にやった。

「オーギュスト。あなたは平民の生まれのくせに綺麗な金髪ね。
 私もそうだから……きっと美しい金色の髪の子が生まれるわよ」

 淡々と口にするフラン。
 先程の甘い空気は消え失せていたのに、口元には意地悪そうな笑みを浮かべていた。



 面倒なことになってしまった。

 ジャスティンにとんでもない弱みを握られてしまった。
 フランの腹にいる子が平民の種、しかも姉弟で交わってできた外道など民草や他国に知られたら王家の権威は失墜する。
 だとすれば多少のことでは揺るがないほど、権威を強化するしかあるまい。

 吾輩は、秘書官のアントニオに策を出すよう命令した。
 ジルベールの秘書官の中で唯一引き続き登用してやった男だが、かなりのキレ者だ。
 ところどころ常識のないところはあるが、仕事自体は早い。

「ならば、教皇猊下にお会いされてはどうでしょう」
「教皇だと?」
「ご即位されてから一度もお会いしていないでしょう。
 本来、国王の戴冠式の前に出向いて神事を行うのが通例ですが」
「何故、国王たる余が出向かねばならん。
 向こうから王宮に来れば良いではないか」
「教皇猊下は超常の高齢で有らせられるので。
 教皇庁の外にお出しすることはできないのです。
 それに元来国王の権威とは神によって————」
「フン! まあいい!
 宴にも飽きてきたところだ。
 旅がてら教皇庁に立ち寄ってやる。
 旅支度をせよ。
 王都にいる軍人を全て連れて行くのだ。
 あと、娘たちも何人か用意しておけ」
「え……先代は最低限の護衛と御者だけを連れて参られていましたが」
「ジルベールと一緒にするな!
 余は王の中の王だと何度言えば分かる!
 抜かりなくやれよ。
 旅の途中、快適さが損なわれることがあればお前の命はないと思え!」
「……かしこまりました」



 一週間後、吾輩は教皇庁に向けて出立した。
 アントニオは有能で王宮から愛用のベッドや食器は勿論、絵画や調度品、絨毯や壁紙まで持ち出していた。
 さらには旅路の途中に急拵えであるが寝所用の小屋まで建てている始末。
 これだからジルベールのお下がりでも切り捨てる気にはなれないのだ。

 三日間の旅を終えて、教皇庁にたどり着いた。
 2000の兵で周囲を取り囲み、精鋭の500人を連れて吾輩は教皇への対面を求めた。
 しかし、ここで問題が起きた。
 教皇の謁見場には一人で来いというのだ。
 吾輩が冗談ではない! と怒鳴り散らすもアントニオから堪えるように言われて不承不承と一人、帯剣もせずに広間に入っていった。

 だが、そこで待っていたのは教皇だけではなかった。
 国教会の幹部らしき年寄り達が教皇に付き従うように背後に広がって並んでいる。

「おい! 教皇! これはどういうことだ!?
 余は誰も連れず剣をも持たず来たというのにそなたは偉そうにも部下を侍らせたまま座り込んでいるなど————」
「控えよ! 俗物が!!
 教皇猊下の御前で声を荒げるなど不敬にも程があるぞ!!」

 教皇の側近と思われる大男が放った圧のある大声に思わずのけぞってしまう。
 教皇はこちらを頬杖を突きながら睨み、口を開いた。

「傲慢。卑小。無能。
 よくもオルタンシアの家にこのようなうつけが産まれたものだ」
「うつけだと……貴様っ! 国王に向かってなんという口を」
「国王? どこにおる?
 まさか目の前におる気狂いのことではあるまい。
 いったい誰が貴様を王と認めた?」

 皺まみれの顔でとぼけたことを抜かしおる。
 こちらも我慢の限界だ。

「ボケているのか? このジジイは。
 もういい。まともに会話ができる者を教皇に任ぜよう。
 国王に合わせて教皇も代変わりだ!」

 そう言うと、教皇や周りの者たちは大きなため息を吐き、代わる代わる言葉を発し始める。

「ここまで無知とは……」
「幼子の方がまだマシか」
「異教徒でももう少し敬意を払うものだ」
「国王を贅沢ができる都合の良い職業程度に考えているのだろう」
「然り。もはや対話の必要なし」

 ブツブツと何を言っているのか分からんが吾輩を馬鹿にしているのだけは分かる。
 いっそ軍勢をけしかけて此奴ら全員吊るし首にしてやろうか。

 と、企んでいると教皇が他の者を制して語り始める。

「国王とは神よりこの国を統治するようお役目を授かった者。
 故に人でありながら人の上に立つ事が許される。
 そして、神から王権を授かるに値するかどうかを判断するのは我々国教会だ。
 貴様の兄リヒャルトもその子のジルベールも即位の前に、教皇庁を訪れ王権神授の儀を受けている」
「ならば急ぎ、その儀式とやらを執り行え————」
「教皇猊下の言葉を遮るなっっ!!
 次に不敬を働けば神罰を下す!!」

 側近が青筋を立てて怒り出す。
 いったいなんだと言うのだ。
 吾輩はこの国で一番偉いのに、なぜ聖職者如きに畏まらねばならん。

「お前はおそらく自分の都合の良いようにしか話を聞かない性分なのだろう。
 王室の教育係が神の教えについて学ばせなかったわけがあるまい。
 王としての責務や縛りを一切聞き入れず、お伽話に出てくるような絶対権力だけを享受できるものと憧れを抱いていたのだろう。
 余がこの地位についてからの二百年あまり、暴君や愚王と名を残す王であろうと、最低限の弁えがあった。
 しかし、貴様にはそれすらない。
 故に王を僭称する貴様は、国教会から破門とし王権を授ける事を認めぬ」

 破門、破門だと!?

「じょ、冗談ではない! 権威を強化するためにわざわざ出向いてやったのに、どうして破門されなくてはならん!」
「余にその権利があるからだ。
 いい加減悟れ。
 貴様は偉くもないし、力もない。
 ただ立派な家に生まれただけの暗愚だという事を」

 ここまでコケにされて黙っていられる訳がない。
 怒りに震えながら部屋を出た吾輩は部下に指示を出した。

「今すぐ謁見の間にいる生臭坊主どもを皆殺しにせよ!
 首を切り落とし、晒し者にしてやれ!」
「落ち着いてください! 何があったのです!?」

 呑気に問うてきたのはアントニオ。
 元はと言えばコイツが国教会と関わろうなどと言わなければ!

 思いっきり、頬を殴りつけて倒れたところを鞭で打ってやった。
 額を床に擦り付けて謝ってきたところで怒りも冷めてきたので、教皇から破門された事を告げた。
 すると、アントニオだけでなく周りの騎士たちもざわめき出す。

「なあ! 許せんだろう!
 プレアデス教を国教として認めているのは我がオルタンシア王国!
 その王の意に反き、挙句破門などと言ってきた奴らに目にもの見せてくれようぞ!」

 当然、皆が賛同してくれると思ったのだが、アントニオが刺すように口を挟んできた。

「教皇猊下を害せば、我が国は半年保たずに滅びます」
「なんだと?」

 国が滅ぶ?
 こやつ、よくもそんな不吉な事を!

 ムチでその額を叩いてやった。
 目の上の皮が剥がれ血が滴り落ちたがこちらを真っ直ぐ懇願するように見つめている。

「プレアデス教を国教としている国や信仰している王は世界中におります。
 特にヴィルシュタインやノアドレイクといった先進大国では我が国以上に信仰心が強いのです。
 プレアデス教における象徴である教皇猊下を討つようなことがあれば、その事を大義名分に他国からの一斉侵略が始まります。
 今まで中立の立場をとっていた国も我が国を敵と見做し、世界中から人類共通の敵として刃を向けられます。
 そうなればひとたまりもありません!
 よしんばそれらを退け、万が一にも世界中の国々を支配下に置くことに成功しようとも、プレアデス教徒は陛下を許しはしません。
 無数の暗殺者が御身を付け狙います。
 市井にも、軍にも、王宮内、下手をすれば身内であっても。
 息を吐くことも許されない暮らしを送ったとしても向けられる無数の刃を掻い潜るにはあたわず、殺された後に史上最悪の王として……いえ、狂人として名を残す事になります!
 国教会を敵に回すとはそういうことなのです!」

 今までになく必死なアントニオの嘆願に流石の吾輩も心が揺れた。

「そ、そうか? やめておいた方が良いか?」
「やめなければ地獄に落ちます。
 それどころか、引き連れてきた騎士や兵士にだって熱心な教徒はいるのです。
 その者達は命令に従うふりをして御身を狙います。
 短慮を起こされますな。
 破門を解かれた前例はございます。
 今日のところは引き下がりましょう」

 従うしかなかった。

 王とは斯様に弱気ものだったのか?
 マスコミに国教会に周辺国に、臣下にさえも怯えなくてはならないなんて……

 ジルベールの言葉をふと思い出した。

『貴様が欲しがった国王の椅子は無数の刃が生えた拷問器具のようなものだ。
 一度座れば肉を貫かれ、血が滴り落ちる。
 傷を治そうにも刺さった刃が邪魔で塞がらない。
 そして、椅子から降りることができない。
 石を投げられ、火を放たれようが座り続けるしかできないんだ。
 私は楽しみでならんよ。
 無能で愚鈍な貴様がこの地獄に堕ちた時にどれほどの後悔と絶望を味わうのか!!』

 邪悪に満ちたあやつの笑みは今この状況を予期してのことだったのか…………いや、もしかするとさらに恐ろしい事が待っているのか?

 今思えば、あの時すでに吾輩は、ジルベールの呪いにかかっていたのかもしれない。
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