流刑王ジルベールは新聞を焼いた 〜マスコミの偏向報道に耐え続けた王。加熱する報道が越えてはならない一線を越えた日、史上最悪の弾圧が始まる〜

五月雨きょうすけ

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第十二話 ジルベールの呪い

イーサン編

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 陛下の追放に同行した後、半月ぶりに戻ってきた王都は戦場と錯覚してしまうほどに死の匂いが立ち込めていた。
 幾万の民が行きかう往来に人は少なく、建物の扉や窓は固く閉ざされている。
 何か恐ろしいものから身を隠そうとしているかのように。

「イーサン! 無事だったか!?」

 声の方を向くと同僚の憲兵がいた。
 あまり話したことはないが顔と名前は知っている程度の間柄だ。
 いったい何が起こっているのか、と聞くより先に俺の肩を叩いて無事を喜んでくれた。

「お前が一番酷い目に遭うんじゃないかってみんな心配してたんだぜ!
 ハハッ! ピンピンしてるじゃねえか!
 さすがは!」

 悪気はないのだろうが、その二つ名を聞くたびに罪悪感に苛まれる。
 いや、そんなことはどうでもいい。

「どういうことだ?
 俺が酷い目に遭うって」
「ああ、そうか。
 外に出てたなら新聞読んでないもんな」

 彼が懐から突き出してきたのはウォールマン新聞。
 日付は五日程前のものだ。
 その中に書かれている社説の見出しを見て「はあ?」と上ずった声をあげてしまった。

————————————————

『ジルベール前王の呪いで王都で死者多数!
 追放されてなお国民を苦しめる悪王の執念と立ち向かうダールトン陛下の献身!』


「ジルベールがいなくなったことで安寧を取り戻すことができる」と誰もが思っていたことだろう。
 しかし、蓋を開けてみればご覧の有り様である。
 国民の意思と団結がジルベールに勝利したあの日以降、王都では謎の奇病が流行り始めた。
 身体を倦怠感が襲ったかと思うと、まもなく嘔吐と排便を繰り返すようになり、数日と保たずミイラのように干からびて死に絶える恐ろしい病である。
 王都の医科系大学に勤めるコールズ教授いわく、
「このような病は今まで見たことがない。
 まるで人を苦しめるために生まれてきたような……そう、これは呪いだと思われる。
 それも王国のすべてを憎むようなおぞましい者による————」
 と言われたところで、筆者はハッとした。
「人を苦しめるために生まれたなんて、まるでジルベールみたいだ!」と。
 病だけではない。
 王都は現在、食料が非常に不足している。
 一般国民だけでなく、貴族階級の方々も飢えに苦しみながら公務に勤しんでいる。
 新国王ダールトン陛下までもが一日に一度しか食事を摂らずに激務に勤しんでいる。
 いくらなんでも国王に満足な食事を取らせられないほど王宮が困窮しているわけがないだろう、と思い王宮の内情に詳しい関係者に問いただしてみた。
 すると浮かび上がってきたのは想像もしていなかったダールトン陛下の献身だった。
「国王の座についたのは贅沢するためにあらず。
 ジルベールの悪政により傷ついたこの国を救うためである。
 そのために必要なことは王が国民と同じ目線で政を行うことだ。
 故に、国民が飢えに苦しんでいるのなら我輩も共に飢えに苦しもうぞ!」
 と、周囲の人間に宣言し実行しているのだという。
 襟を正される思いだった。
 国王がそのような思いで働かれているのに、筆者のような凡人が「腹が空いた」など口が裂けても言えはしない。
 代わりに言葉を吐くならこうだ。
「ジルベールよ! たとえ貴様が呪いをばら撒こうとも、我々もダールトン陛下も負けはしない!」


————————————




 酷い文章だと思った。
 医科系の大学? 医学大学となぜ言わない。
 謎の奇病? こんな症状は感染症ではよくあるものだ。
 呪いのくだりは論評するのもバカバカしい。
 ジルベール王のことを悪し様に言わなければ死んでしまう病に罹っているような奴が書き立てた妄言だ。
 いくらなんでもこんなのを信じるなんて————

「しかし、やっぱ腐っても王族だよなあ。
 王都の人間すべてを呪うだなんて、もはや怪物だ」
「は?」

 同僚の発言に俺は耳を疑った。

「一番恨まれているのはイーサンお前だと思っていたんだがな。
 何せ、お前はジルベールを叩きのめして逮捕したんだから。
 いや、案外ビビって手出ししてこれなかったのかもしれないな」

 あっはっは、と声をあげて笑う同僚を見て寒気がした。
 こんな荒唐無稽で論理も何もない記事……いや、ただの妄想話を信じているのか?
 新聞に書かれていると言うだけで?

「な、なあ! お前、ダールトン新国王についてどう思う?」

 俺は確かめるように聞いた。

「あぁーー、昔は嫌いだったよ。
 権力振りかざして憲兵にもしょっちゅう圧力かけて来てたし。
 だけどさ、最近は割と許せちゃってるよ。
 ジルベールを捕らえたお前を高らかに評価してくれたおかげで、俺たちも鼻が高いってもんだし。
 それにさ、えらいじゃん。国王なのに下々の民と同じように貧しい食事で頑張ってるなんて。
 ジルベールの時代に我が国は随分衰えたらしいが、ダールトン陛下なら立て直してくれるんじゃないか」

 耳が同僚の言葉を受け付けたがらない。
 戻ってきたこの場所が本当に俺が住んでいた王都なのかと疑ってしまう。
 新聞のくだらない妄想話を真実と受け取り、法を権力で曲げるという行為をしてきた男を褒め称えている。
 法の番人たる憲兵がだ。
 これが新聞の力か…………

 俺は絶望にも似た気持ちを抱いてその場を立ち去り、憲兵団本部で任務の完了を報告した。



 寮に帰る前に腹ごしらえをしようと屋台通りに向かった。
 いつもは通りを埋めるように屋台が立ち並び、さまざまな料理の匂いが漂う場所なのだが、今日は一つも店が開いてなかった。
 それだけ食糧不足が深刻だということか。
 あきらめて家に帰る道すがら、また不思議な光景を見かけた。
 貴族の住む地区の門の周りに大勢の民衆が集まっている。

「おい! お前達いったい何をやっている!」

 非番の時間だが、物々しい雰囲気を感じた俺は彼らを止めに入った。

「あっ! キングスレイヤーだ!」
「本当だ! 新聞で見たとおり、美男子ね!」
「いいところに来た! 今度はお貴族さまを切り捨ててくれよぅ!」

 満面の笑みで語りかけてくる民がとても醜悪で気持ちの悪いもの見えたが堪えて話を聞く。
 すると、彼らの口からとんでもないことが語られた。

「ジルベールの呪いが拡がり始めたあたりでお貴族さまが下人に命じて市場の食糧を買い漁りに来たんだ。
 普段は連中が見向きもしないような干からびた野菜や、老いた鳥の肉まで。
 おかしいとは思っていたけれど金払いがいいもんだから市場の連中も後先考えず売っ払っちまったんだ。
 おかげで俺たちに回る飯がなんにもねえ!」
「そうだそうだ! 恵んでくれって言っても何の反応もねえ!
 憲兵さん、何とかしてくれよぉ!」

 貴族連中が物資の買い占め?
 そうか、伝染病が蔓延しているのを察知して引きこもる為に。
 だが、そんなことをすれば当然、今のようなことになるのは分かっていた筈だ。
 新聞では食を削って働いていると…………ああ、やぶれかぶれの印象操作か。
 上手くはいかなかったみたいだが。

 思考に浸っていると、民衆の一人が小突いてきた。

「何の真似だ?」
「キングスレイヤーなら仕事しろよ!
 俺らみたいな弱者のために偉い連中に罰を与えるのが仕事だろう!」

 まるで正しいことを説いているような、自信満々の顔で馬鹿げた事を言い出す男。
 その背後にいる者たちもそうだそうだ、と声を揃える。

「俺は憲兵だ! 法に則って犯罪者を裁くのが仕事だ!」
「勝手な事言うなよ! 新聞には弱者の味方って書いてあったのに!」
「どちらが勝手だ! だいたいなあ、目先の金に目が眩んで後先考えず売っ払ったのが問題だろう!
 暴徒の片棒を担がされてたまるか!
 この場で全員しょっ引かれたくなければ解散しろ!」

 と脅すと民衆はすごすごとこの場を離れて行った。
 信じられないものを見た気分になった。
 だが、それよりも信じられないものを翌朝、俺は突きつけられることになる。


【英雄イーサン、抵抗できない非力な民衆を脅迫!? キングスレイヤーは貴族の狗なのか!?】

「どうですか? よく書けているでしょ」

 童顔の新聞社員、ステファンは嬉しそうに印刷前の記事を憲兵団の本部にいる俺に突きつけてきた。
 憲兵団の上層部も同席している。
 彼らは記事の内容を見て怒りと焦りで顔を真っ赤にしていた。

 俺は呆れた気持ちでステファンに言う。

「デタラメも良いところだ。
 俺は法に則って、暴動寸前の集団に解散を命じただけだ」
「でしょうね。ですが、それはそれ。これはこれ。
 こういう記事が出回ったらどうなるか、想像がつきますよね」
「ああ、これこそ脅迫だな。
 憲兵団の本部で……ふざけた奴だ」

 逮捕しようと立ち上がったところを上層部の一喝で阻まれた。
 ステファンはご機嫌そうに笑う。

「そうそう。これはあなたの名誉だけの問題じゃない。
 ジルベールの呪いの広がったこの状況で貴族と平民の対立は避けたいでしょう」
「呪い? あの病はただの伝染病だろう!
 賢い民衆はすでに王都を去っている」
「ですねえ。残っているのは揃いも揃ってバカばっかだ。
 ちなみにあの病の原因はジルベールが逃げ回ったあの日、奴めがけて民衆が投げつけた汚物のせいらしいですよ。
 わざわざ下水道から汲み上げて来たものだから毒素も濃縮されていたんでしょうよ。
 民衆同士で投げつけあって、しかもそれを放置してしまったらしいですからね。
 ハエやネズミがそれにたかり一気に感染拡大です。
 もう平民の住む区画は怖くて寝泊まりできなくてね。
 私も貴族街に居候させてもらっています」
「そこまで分かっているなら!
 なぜ貴様らは事実を報道せずに呪いなどと!」
「んなもん意味ねえからに決まってんだろうがぁっ!」

 突如熱湯が沸いたようにステファンは爆発するように怒鳴った。

「伝染病の原因は皆さんでした、なんて言われて納得するほどまともな人間じゃねえだろ、愚民どもは。
 クソ投げつけた連中を迫害してその辺で私刑が横行するだけ。
 それよりもいなくなった王様を呪っている方がみんなで気持ちよくなれるじゃんか」
「気持ちよく? 怒らせることが?」
「ンフフ……報道の仕事の面白さってなんだと思います?
 ウチの社長はさぞかし意識高い事を仰るんだろうけど俺はもっと短絡的でね。
 報道の仕事とはどうにかして愚民を満足させるサービス業だと思ってるんですよ。
 もっと言えば娼館かな。
 うだつの上がらねえ亭主が娼館で女抱く時だけ強気になったりするでしょ。
 あれと一緒さぁ。
 愚民は華々しい活躍もできず、暴力で他者を牛耳ることもできない。
 そんな弱者に唯一残された娯楽が、怒ることなのです。
 今、手出しのできない俺に対して怒っていると気持ちいいだろ?」

 にやけヅラのステファンを前にして俺は拳を握りしめていた。
 陛下の怒りが、ようやく本当のところで理解できた。
 ただ、自分が嫌な思いをするだけではない。
 生きている限り、これから先の未来も犠牲者が出ると分かりきっている程の悪意を持っている悪党を処罰できず見過ごすしかできない悔しさ。
 こんなものにあの方は振り回されていたのか、と今更ながら慮る。

「時間を戻せるのなら、陛下を逮捕するのはお前らを殺した後にする」

 考えていることがそのまま口に出てしまった。
 上司達は声を上げて俺を叱責する。
 俺は悔しさに顔を歪めているのだろう。
 ステファンはニコニコと子供のような笑みを浮かべた。

「気持ち良くなってもらえたみたいで結構。
 さて、そろそろ本題に入りましょうか。
 まー、ぶっちゃけこんな記事ボツで良いんですよ。
 手ぶらで交渉ってわけにはいかないから用意立てただけでね」
「交渉だと? 憲兵団相手に?
 調子に乗るのも大概にしろよ。
 まさか受刑者の釈放みたいなテロリストじみたことを言うんじゃないだろうな」
「真面目な市民相手に酷いですね。
 流石に法を曲げろなんて言いませんよ。
 あなたの裁量でどうにでもなるハナシです」
「俺の?」
「ええ、あなたを我がウォールマン新聞社に招き入れたいのです。
 これから設立する私兵団の団長として、ね」
「私兵団、だと?」

 予想外の話に面食らった。
 たしかに商会や貴族で私兵を持つと言う話は聞かないわけではない。
 憲兵から高待遇で引き抜かれるという話も耳にしたことがある。

「新聞社ごときがなぜ私兵を、と思われたかもしれませんがあんな事件があったんです。
 警戒するのは当然でしょう。
 それに元々、報道取材は命がけのところがありますからね。
 犯罪者の逮捕と取材が一気にできれば効率的じゃないですか」
「憲兵の職を辞さぬまま、貴様らの狗になれと?
 バカめ。憲兵の兼職は法で禁じられて」
「原則としては、でしょう。
 行政府から特例として認められたケースはいくらかある。
 ウチの社長はダールトン陛下と仲がいいですからなんとでもなりますとも」

 冗談じゃない。

 コイツらの悪事に加担するくらいなら死んだほうがマシだ————

「まさか、舞台から降りるんじゃないだろうなぁ?
 ジルベールを国王の座から引き摺り下ろした張本人たるキングスレイヤーが!」
「!?」

 挑発だ。分かっている。
 だが、奴の言葉は俺の胸の最奥にまで突き刺さっている。

「この国の在り方は変わります。
 良くも悪くもジルベールとダールトン陛下では思想も気質も器量もまるで違う。
 私たちウォールマン新聞社はその動向を追い続けますよ。
 それが役割だと考えていますから。
 キングスレイヤー、あなたは無責任に自分に与えられた役を投げ出しますか?」

 ……分かりきっている。
 コイツらは俺を利用して今まで以上の悪を為そうとしている。
 しかし断れば、陛下に対して行った事を俺や憲兵団組織に対して行うだろう。
 憲兵の権威を失墜させられれば市井の暮らしは守れなくなる。

 それに……俺は、奴の言う通り、この国の現状を生み出した人間の一人。
 ジルベール陛下の逮捕は俺にキングスレイヤーという悪名と消せない罪を俺に背負わせた。
 それから逃れるために死んだり世捨て人になってしまえば、俺は再び、あのお方を裏切ることとなる。


 ステファンの提案を呑んだ。
 すると上司達は胸を撫で下ろすかのような表情を浮かべた。
 保身だとは思わない。
 憲兵団を守らねば国が傾くのだから。
 俯く俺の肩を叩いたステファンは耳元で囁く。

「ようこそ、同僚。
 ま、仲良くしよーぜ」

 ジルベールの呪い、などというものがあるとすれば、それはきっと、俺に今降りかかっているものだろう。
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