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第十話 報いを受ける
報いを受ける④
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遅れてやってきた馬車に乗り込み、王国西部の港町に向かった。
道中の町には寄らず、野宿を繰り返しまっすぐ目的地に向かう。
その間、私とイーサンはほとんど言葉を交わさなかった。
監禁されていた頃は話し相手が欲しくて仕方なかったのだが、今はもうあらゆるものがバカバカしすぎて他人に関わりたくないのだ。
「民のために、身を捧ぐことが王族の使命であると言い聞かされていたし、それに殉じた父を誇りに思っていた。
つまり、私が民を想ってやったことは善性から出たものではないのだ。
自分の理想国家を実現したかっただけ。
にも関わらず、自分では良いことをしていると想っていた。
民は私に感謝すべきであり、マスコミに転がされて非難するなんておこがましいと。
善行というのはタチが悪い。
自分を満たすもののはずなのに、他人のために施しているものと勘違いしてしまう」
「…………」
独り言だ。
喋らなければ声を出せなくなることを思い知ったからな。
独り言だからイーサンも反応しない。
俯いて目も合わそうともしない。
もしかすると憐んでいるのかもしれない。
王位を奪われるだけでなく、民に追い出されるようにして島に流される王が喚き散らす様を。
「もし……再び王として生を受けるならば、今度は好き勝手に生きたい。
自分を縛るような生き方をしたくない。
欲しいものを欲しがり、暴れたい時に暴れ、好きな女は全員抱く。
王とは元来、そういうものであろう。
頂点に立つならば理想の体現者でなくてはならない。
ならば人間の中で最も欲望に忠実で感情を解放したものであるべきだ。
暴君の類を嫌悪していたが、実際のところアレが王として正しい在り方なのかもしれないな。
民に何を言われようが羽虫の言うことと気にも止めない。
堂々としていて、暗い感情に囚われることもなくて、そちらの方がよっぽど善王だ」
口から妄想が垂れ流されるのを止める気にはならなかった。
馬車は走り続け、七つ夜を越えた後に港へと辿り着いた。
城のように大きな帆船が海に浮かんでいた。
大量の物資の積み込みは夜を徹しての作業となり、私たちは町の宿に正体を隠して宿泊した。
部屋の中ではイーサンが片時も眠らず私を監視し、他の憲兵達も忙しそうに宿を出入りしていた。
王ひとりを孤島に送り込むのに大袈裟なことだと思った。
翌朝、出航準備が整った船に乗ろうとした瞬間、イーサンが声をかけてきた。
「ジルベール様。私の役目はここまでです」
「そうか。ご苦労」
随分とやつれた顔をしていた。
無理もないか。
昼夜問わず私に付きっきりで繰り返し語られる愚痴を聞き続けていたのだから。
無論、ざまあみろ、という気持ちがないわけではない。
コイツがいなければ、今はもう少しマシな気分だった。
「……貴方様は後悔をされているようですが、貴方様のお陰で救われた者がいます。
過去を否定しても、その者たちを否定することはできません」
「知ったことか。
もう何もかも忘れてしまいたいのだ」
王として苦しんだ日々も。
民に嫌われ尽くしたことも。
跡を継ぐのがダールトンだということも。
ジャスティンを仕留め損なったことも。
フランチェスカに種を奪われたことも。
…………バルトやレプラのことも。
イーサンは跪き、まっすぐ私の目を見て言う。
「お疲れ様でした、陛下。
どうかご自愛くださいませ」
と。
船が出港するとたちまち陸から遠ざかり、すぐに水平線しか見えなくなった。
甲板の上に置かれたベンチに腰をかけて、ぼんやりと空を眺めていた。
枷の類はつけられておらず、優雅な船旅のような気分だった。
お供にいるのが憲兵隊でなければ。
再び思うが、人一人を島流しにするのに大層なことだ。
憲兵と船員を合わせれば50人近い人間がこの船に乗っている。
もっとも、本来は200人以上乗れる船なのだろうから、運行に必要な最低人数かも知れないが…………ん?
いや、待て。
なんでこんな大きな船を使っているんだ?
絶海の孤島に向かうための食糧備蓄は必要だろうが、それならば貨物船にでもすれば良い。
流刑者をわざわざ客船でもてなす必要はないのだから。
違和感はどんどん強まっていく。
船員たちは私を見ようとはしない。
むしろ目を逸らしたがっている。
島流しにされる王など格好の見せ物ではないか。
日がどんどん傾いていく。
肌に触れる風が冷たくなってきたが、船室に戻る気にはなれなかった。
夜の訪れとともに、酒瓶とグラスを持った憲兵が声を掛けてきた。
「陛下。どうですか、一杯」
流刑者に酒を振る舞うか。
二人きりならともかく、他の憲兵たちも少し離れたところから見ているのに。
船員たちから漂う不自然さや船内の見ていないところから臭う危険な気配。
何かの策略でないと考える方がおかしい。
「毒見係はそなたが務めるんだろうな」
そう言って睨みつけると、憲兵はフッと笑った。
人を見下した嫌な笑みだった。
「毒など入れていませんよ。
ただ酔っ払って、身投げされるを止めはしませんけどね」
冗談、ではないな。
「ダールトン、いや……あの愚物にしては気の長いやり方か。
奴ならば牢屋に火をつけている」
「……やっぱり陛下は愚王ではないようですね。
マスコミの言うことはウソばかりだ」
憲兵たちは私を取り囲んだ。
「すべてを奪われて独りでは脱出不可能な絶海の孤島に送り込む王をわざわざ殺すか。
放っておいた方が苦しんで死ぬぞ」
「舞台から降りた役者を観客席に置く理由はない、だそうです」
相変わらずキザったらしい言い回しだ。
ジャスティン・ウォールマン……
涼しげな顔をして内心命を狙われた事に肝を冷やしていたのか。
それともハラワタが煮えくり返っていたのか。
偉そうに神視点で世の中を俯瞰しているような物言いをしていたくせに、感情的な真似をする。
さて、どうしたものか。
10人の憲兵に対して丸腰で抵抗……無理だな。
そもそも無意味だ。
抵抗して最期の時まで苦しみ抜く必要がどこにある。
私はあきらめて、グラスを手に取った。
なみなみと注がれていく酒を無心で見つめる。
グラスを持ち上げて、虚空に向かって乾杯をし、唇を縁につけた…………
————シャラン。
「え?」
特徴的な風切り音が聴こえた。
瞬間、グラスに斜めの線が走り、中身をぶち撒けながら両断された。
続けて、ゴトリと重いものが落ちる音がすぐそばでして、噴水のような赤い血の雨が降った。
「っ!! 散開っ!!」
機敏な動作で憲兵たちが私から飛び退いた。
足元を見ると切断された憲兵の生首がゴロリ、と転がっていて思わず身体が強張る。
鮮やかな手際、歪みない切断面、そして高速で放たれた刃が起こす楽器の音色のような特徴的な風切り音…………
「ディナ……リス?」
躊躇いがちにその名前を口にすると、彼女は応えた。
「ハハッ、顔や声を出さずとも剣の一振りで思い出してもらえるなんて。
痛く惚れ込んでいただけたものだ」
懐かしい声に胸が高鳴った次の瞬間————
パァンッ!!
頭上で爆発音がして白い光の球が発生した。
空に打ち上がる花火を見たことはあるがそれとはまた異質で、光球は消えることなく燃え続け、頭上に浮かび続けている。
船の篝火などよりも遥かに強い光は広い甲板を残さず照らし出す。
私のそばに立っていたディナリスも夜風に亜麻色の髪をたなびかせて、仁王立ちして空を見上げていた。
剣を持っていない方の手には筒のようなものが握られており、彼女はしげしげとそれを見つめている。
「すごいな……シウネの作る物には驚かされてばかりだ」
ディナリスの口からまた懐かしい名前が聞こえてきた。
一方、私から遠ざかっていた憲兵たちは慌てふためきながらも抜剣し、彼女に向けて構えた。
扇のように展開した陣形。
一斉に襲い掛かられてはディナリスといえど————
「でやああああああああああっっっ!!!」
咆哮のような男の声がし、憲兵の一人が背中から刃で貫かれ、突き上げられた。
さらにその身体は投げ飛ばされ隣にいた憲兵に叩きつけられる。
「御無事ですかっ!? ジルベール陛下!!」
ああ……彼も覚えている。
フランチェスカに利用された挙句、私の暴虐に付き合わされてしまった哀れな騎士————
「サリナス・ラング・レイナード……」
正確無比且つ軽量鎧を貫通する突きはまさに一撃必殺。
武門の名家、レイナード家の誇る絶技が次々と憲兵たちに見舞われていく。
突然の事に情報の整理が追いつかない。
一方、私のそばに護衛のように立っているディナリスは落ち着いたものだ。
「お、おい! ディナリス!
サリナス一人に任せるつもりか!?」
私が大慌てで尋ねると彼女は苦笑する。
「そこまで奴に美味しい思いはさせないさ」
「美味しい?」
「あなたに良いところを見せたい忠義者は、たくさんいるってことだ」
ディナリスは笑みを浮かべた。
そして、その言葉はすぐに現実となる。
闇からまた一人現れた。
小柄ながら全身鎧で身軽に飛び回る女騎士が二刀流のショートソードで憲兵の首を切り裂き、名乗りを上げる。
「元第一近衛騎士団副団長!!
サーシャ・リット・ライメル見参!!
陛下に刃を向ける逆賊は、一人たりとも生かしておくなっ!!」
先刻から感じていたこの船の中から滲む殺気が堰を切ったかのように溢れ出し、船内から掛け声を上げて武装した兵士たちが現れる。
彼らは一人の憲兵に対し、複数人の連携された技で圧倒し無力化していく。
「王宮警備兵長リオン・ハラウ!!
並びにその部下10名!!
我々が護るのは国家そのものである!!
ジルベール陛下の盾となれ!!」
「「「「「オオオオオオオオオッ!!!!!」」」」」
そして…………やぶれかぶれで私に向かって突撃してくる憲兵の頭上に降り注ぐように落ちてきた影。
憲兵の肩に跨るように乗り、脚を使って首を捩じ切るように曲げて気絶させた。
彼女の————その健在なその姿を見て、私は……涙が溢れ出した。
「レ……レプラぁっ!!?」
黒ずくめの装束を身に纏ったレプラは務めて表情を変えないようにしているようだが、みるみるうちに瞳が潤んできている。
心が繋がったような気分がして、胸が熱くなった。
「陛下……たくさん、たくさん申し上げねばならないことがございます。
ですが、今は……この一言だけ」
レプラは私を強く抱き寄せて、耳元で囁く。
「もう二度と、あなたのおそばから離れません」
彼女の体温が、脈打つ心臓が、私の中で眠りかけていた生への執着を呼び起こした。
彼女の髪に鼻を埋め、強く想う。
いつまでも生きたい————と。
「さて、どこからお話しましょうか?」
「時間なら、たっぷりある。
そなたがねえ様だった頃からでも構わないぞ」
「今さら、そんな呼び方をしなければならない関係でもないでしょう」
海が鳴く音が私たちの言葉以外の音を遮断してくれる。
船に乗っていた憲兵達は捕縛されるか、その場で斬殺された。
すると、何の説明もないままレプラは私を専用船室に連れ込み、着替えさせて行水をさせた。
王都で受けた傷に対しても薬を塗り込み、包帯を巻いて治療をしてくれた。
出された温かいスープを身体に染み渡らせるように飲み干す。
口の中に拡がるのは旨味と程よい辛味。
多種多様の食材が交響楽団の楽器の音色のように調和して美味という感情を呼び起こす。
王都の屋台とは比べものにならない、見事な仕事だ。
腹を満たし、気が抜けるとレプラはベッドの真ん中に座り、太腿を枕に私を寝かせてくれた。
彼女は私が欲しくても手に入れられなかったものを、なんでも与えてくれる。
父に言ってほしかったお褒めの言葉を。
母にかけてもらいたかった甘やかしを。
妻に注いでほしかった情愛を。
どれも仮初で本物には劣るのだというけれど、偽物ではなく、私はその甘美さの虜だったと今更思い知った。
自分の命すらどうでも良いと思えていたのに急に引き戻されたのもその為だ。
どれだけ打ちのめされ、すべてを投げ出したくなっても、もう一度、レプラと過ごす時間を諦めたくなかった。
「行かなかったんだな」
「どこに?」
「バルトの嫁にだ。
目覚めた時にディナリスから聞かされなかったか?」
私の問いにレプラは少し言葉を詰まらせる。
ふっ、と小さく息をついて私の髪を撫でて語りかける。
「たしかに悪くない縁談でしたね。
長らく会っていないとはいえあのお方なら気心は知れていますし、王都のしがらみからは解放される。
打算で考えても東の守護者と王室と教会を結びつける強力な政略結婚にもなりますし」
「そうだよ……だから、嫌だったけど……
バルトに任せようって————」
レプラが私の唇に指先を当てた。
ドキリとして言葉を呑み込んでしまう。
「もし、陛下にまともな妻や親戚がいて支えてくれているならばお受けしたかもしれません。
いえ、そもそも私は陛下が嫌がることは絶対に致しません」
「そなたが王宮を去るのは心から嫌だったぞ」
「アレは私の力ではどうにもならないことでしたもの」
私の皮肉を笑って跳ね飛ばした。
「この船の上に王都のようなしがらみはありませんからね。
ですから『今夜の陛下は私のもの』と宣言して油断ならないメス猫たちを黙らせても問題ないのです」
メス猫…………私が知らないうちに本当に色々あったようだ。
ああ、じゃあそこから聞こうか。
「ディナリスをはじめ、どうしてあんな大人数がこの船に乗っているんだ?」
この疑問に「待っていました」と言わんばかりのご機嫌ぶりのレプラ。
私の顔を覗き込むようにして、ここに至るまでの経緯を語り始めた。
道中の町には寄らず、野宿を繰り返しまっすぐ目的地に向かう。
その間、私とイーサンはほとんど言葉を交わさなかった。
監禁されていた頃は話し相手が欲しくて仕方なかったのだが、今はもうあらゆるものがバカバカしすぎて他人に関わりたくないのだ。
「民のために、身を捧ぐことが王族の使命であると言い聞かされていたし、それに殉じた父を誇りに思っていた。
つまり、私が民を想ってやったことは善性から出たものではないのだ。
自分の理想国家を実現したかっただけ。
にも関わらず、自分では良いことをしていると想っていた。
民は私に感謝すべきであり、マスコミに転がされて非難するなんておこがましいと。
善行というのはタチが悪い。
自分を満たすもののはずなのに、他人のために施しているものと勘違いしてしまう」
「…………」
独り言だ。
喋らなければ声を出せなくなることを思い知ったからな。
独り言だからイーサンも反応しない。
俯いて目も合わそうともしない。
もしかすると憐んでいるのかもしれない。
王位を奪われるだけでなく、民に追い出されるようにして島に流される王が喚き散らす様を。
「もし……再び王として生を受けるならば、今度は好き勝手に生きたい。
自分を縛るような生き方をしたくない。
欲しいものを欲しがり、暴れたい時に暴れ、好きな女は全員抱く。
王とは元来、そういうものであろう。
頂点に立つならば理想の体現者でなくてはならない。
ならば人間の中で最も欲望に忠実で感情を解放したものであるべきだ。
暴君の類を嫌悪していたが、実際のところアレが王として正しい在り方なのかもしれないな。
民に何を言われようが羽虫の言うことと気にも止めない。
堂々としていて、暗い感情に囚われることもなくて、そちらの方がよっぽど善王だ」
口から妄想が垂れ流されるのを止める気にはならなかった。
馬車は走り続け、七つ夜を越えた後に港へと辿り着いた。
城のように大きな帆船が海に浮かんでいた。
大量の物資の積み込みは夜を徹しての作業となり、私たちは町の宿に正体を隠して宿泊した。
部屋の中ではイーサンが片時も眠らず私を監視し、他の憲兵達も忙しそうに宿を出入りしていた。
王ひとりを孤島に送り込むのに大袈裟なことだと思った。
翌朝、出航準備が整った船に乗ろうとした瞬間、イーサンが声をかけてきた。
「ジルベール様。私の役目はここまでです」
「そうか。ご苦労」
随分とやつれた顔をしていた。
無理もないか。
昼夜問わず私に付きっきりで繰り返し語られる愚痴を聞き続けていたのだから。
無論、ざまあみろ、という気持ちがないわけではない。
コイツがいなければ、今はもう少しマシな気分だった。
「……貴方様は後悔をされているようですが、貴方様のお陰で救われた者がいます。
過去を否定しても、その者たちを否定することはできません」
「知ったことか。
もう何もかも忘れてしまいたいのだ」
王として苦しんだ日々も。
民に嫌われ尽くしたことも。
跡を継ぐのがダールトンだということも。
ジャスティンを仕留め損なったことも。
フランチェスカに種を奪われたことも。
…………バルトやレプラのことも。
イーサンは跪き、まっすぐ私の目を見て言う。
「お疲れ様でした、陛下。
どうかご自愛くださいませ」
と。
船が出港するとたちまち陸から遠ざかり、すぐに水平線しか見えなくなった。
甲板の上に置かれたベンチに腰をかけて、ぼんやりと空を眺めていた。
枷の類はつけられておらず、優雅な船旅のような気分だった。
お供にいるのが憲兵隊でなければ。
再び思うが、人一人を島流しにするのに大層なことだ。
憲兵と船員を合わせれば50人近い人間がこの船に乗っている。
もっとも、本来は200人以上乗れる船なのだろうから、運行に必要な最低人数かも知れないが…………ん?
いや、待て。
なんでこんな大きな船を使っているんだ?
絶海の孤島に向かうための食糧備蓄は必要だろうが、それならば貨物船にでもすれば良い。
流刑者をわざわざ客船でもてなす必要はないのだから。
違和感はどんどん強まっていく。
船員たちは私を見ようとはしない。
むしろ目を逸らしたがっている。
島流しにされる王など格好の見せ物ではないか。
日がどんどん傾いていく。
肌に触れる風が冷たくなってきたが、船室に戻る気にはなれなかった。
夜の訪れとともに、酒瓶とグラスを持った憲兵が声を掛けてきた。
「陛下。どうですか、一杯」
流刑者に酒を振る舞うか。
二人きりならともかく、他の憲兵たちも少し離れたところから見ているのに。
船員たちから漂う不自然さや船内の見ていないところから臭う危険な気配。
何かの策略でないと考える方がおかしい。
「毒見係はそなたが務めるんだろうな」
そう言って睨みつけると、憲兵はフッと笑った。
人を見下した嫌な笑みだった。
「毒など入れていませんよ。
ただ酔っ払って、身投げされるを止めはしませんけどね」
冗談、ではないな。
「ダールトン、いや……あの愚物にしては気の長いやり方か。
奴ならば牢屋に火をつけている」
「……やっぱり陛下は愚王ではないようですね。
マスコミの言うことはウソばかりだ」
憲兵たちは私を取り囲んだ。
「すべてを奪われて独りでは脱出不可能な絶海の孤島に送り込む王をわざわざ殺すか。
放っておいた方が苦しんで死ぬぞ」
「舞台から降りた役者を観客席に置く理由はない、だそうです」
相変わらずキザったらしい言い回しだ。
ジャスティン・ウォールマン……
涼しげな顔をして内心命を狙われた事に肝を冷やしていたのか。
それともハラワタが煮えくり返っていたのか。
偉そうに神視点で世の中を俯瞰しているような物言いをしていたくせに、感情的な真似をする。
さて、どうしたものか。
10人の憲兵に対して丸腰で抵抗……無理だな。
そもそも無意味だ。
抵抗して最期の時まで苦しみ抜く必要がどこにある。
私はあきらめて、グラスを手に取った。
なみなみと注がれていく酒を無心で見つめる。
グラスを持ち上げて、虚空に向かって乾杯をし、唇を縁につけた…………
————シャラン。
「え?」
特徴的な風切り音が聴こえた。
瞬間、グラスに斜めの線が走り、中身をぶち撒けながら両断された。
続けて、ゴトリと重いものが落ちる音がすぐそばでして、噴水のような赤い血の雨が降った。
「っ!! 散開っ!!」
機敏な動作で憲兵たちが私から飛び退いた。
足元を見ると切断された憲兵の生首がゴロリ、と転がっていて思わず身体が強張る。
鮮やかな手際、歪みない切断面、そして高速で放たれた刃が起こす楽器の音色のような特徴的な風切り音…………
「ディナ……リス?」
躊躇いがちにその名前を口にすると、彼女は応えた。
「ハハッ、顔や声を出さずとも剣の一振りで思い出してもらえるなんて。
痛く惚れ込んでいただけたものだ」
懐かしい声に胸が高鳴った次の瞬間————
パァンッ!!
頭上で爆発音がして白い光の球が発生した。
空に打ち上がる花火を見たことはあるがそれとはまた異質で、光球は消えることなく燃え続け、頭上に浮かび続けている。
船の篝火などよりも遥かに強い光は広い甲板を残さず照らし出す。
私のそばに立っていたディナリスも夜風に亜麻色の髪をたなびかせて、仁王立ちして空を見上げていた。
剣を持っていない方の手には筒のようなものが握られており、彼女はしげしげとそれを見つめている。
「すごいな……シウネの作る物には驚かされてばかりだ」
ディナリスの口からまた懐かしい名前が聞こえてきた。
一方、私から遠ざかっていた憲兵たちは慌てふためきながらも抜剣し、彼女に向けて構えた。
扇のように展開した陣形。
一斉に襲い掛かられてはディナリスといえど————
「でやああああああああああっっっ!!!」
咆哮のような男の声がし、憲兵の一人が背中から刃で貫かれ、突き上げられた。
さらにその身体は投げ飛ばされ隣にいた憲兵に叩きつけられる。
「御無事ですかっ!? ジルベール陛下!!」
ああ……彼も覚えている。
フランチェスカに利用された挙句、私の暴虐に付き合わされてしまった哀れな騎士————
「サリナス・ラング・レイナード……」
正確無比且つ軽量鎧を貫通する突きはまさに一撃必殺。
武門の名家、レイナード家の誇る絶技が次々と憲兵たちに見舞われていく。
突然の事に情報の整理が追いつかない。
一方、私のそばに護衛のように立っているディナリスは落ち着いたものだ。
「お、おい! ディナリス!
サリナス一人に任せるつもりか!?」
私が大慌てで尋ねると彼女は苦笑する。
「そこまで奴に美味しい思いはさせないさ」
「美味しい?」
「あなたに良いところを見せたい忠義者は、たくさんいるってことだ」
ディナリスは笑みを浮かべた。
そして、その言葉はすぐに現実となる。
闇からまた一人現れた。
小柄ながら全身鎧で身軽に飛び回る女騎士が二刀流のショートソードで憲兵の首を切り裂き、名乗りを上げる。
「元第一近衛騎士団副団長!!
サーシャ・リット・ライメル見参!!
陛下に刃を向ける逆賊は、一人たりとも生かしておくなっ!!」
先刻から感じていたこの船の中から滲む殺気が堰を切ったかのように溢れ出し、船内から掛け声を上げて武装した兵士たちが現れる。
彼らは一人の憲兵に対し、複数人の連携された技で圧倒し無力化していく。
「王宮警備兵長リオン・ハラウ!!
並びにその部下10名!!
我々が護るのは国家そのものである!!
ジルベール陛下の盾となれ!!」
「「「「「オオオオオオオオオッ!!!!!」」」」」
そして…………やぶれかぶれで私に向かって突撃してくる憲兵の頭上に降り注ぐように落ちてきた影。
憲兵の肩に跨るように乗り、脚を使って首を捩じ切るように曲げて気絶させた。
彼女の————その健在なその姿を見て、私は……涙が溢れ出した。
「レ……レプラぁっ!!?」
黒ずくめの装束を身に纏ったレプラは務めて表情を変えないようにしているようだが、みるみるうちに瞳が潤んできている。
心が繋がったような気分がして、胸が熱くなった。
「陛下……たくさん、たくさん申し上げねばならないことがございます。
ですが、今は……この一言だけ」
レプラは私を強く抱き寄せて、耳元で囁く。
「もう二度と、あなたのおそばから離れません」
彼女の体温が、脈打つ心臓が、私の中で眠りかけていた生への執着を呼び起こした。
彼女の髪に鼻を埋め、強く想う。
いつまでも生きたい————と。
「さて、どこからお話しましょうか?」
「時間なら、たっぷりある。
そなたがねえ様だった頃からでも構わないぞ」
「今さら、そんな呼び方をしなければならない関係でもないでしょう」
海が鳴く音が私たちの言葉以外の音を遮断してくれる。
船に乗っていた憲兵達は捕縛されるか、その場で斬殺された。
すると、何の説明もないままレプラは私を専用船室に連れ込み、着替えさせて行水をさせた。
王都で受けた傷に対しても薬を塗り込み、包帯を巻いて治療をしてくれた。
出された温かいスープを身体に染み渡らせるように飲み干す。
口の中に拡がるのは旨味と程よい辛味。
多種多様の食材が交響楽団の楽器の音色のように調和して美味という感情を呼び起こす。
王都の屋台とは比べものにならない、見事な仕事だ。
腹を満たし、気が抜けるとレプラはベッドの真ん中に座り、太腿を枕に私を寝かせてくれた。
彼女は私が欲しくても手に入れられなかったものを、なんでも与えてくれる。
父に言ってほしかったお褒めの言葉を。
母にかけてもらいたかった甘やかしを。
妻に注いでほしかった情愛を。
どれも仮初で本物には劣るのだというけれど、偽物ではなく、私はその甘美さの虜だったと今更思い知った。
自分の命すらどうでも良いと思えていたのに急に引き戻されたのもその為だ。
どれだけ打ちのめされ、すべてを投げ出したくなっても、もう一度、レプラと過ごす時間を諦めたくなかった。
「行かなかったんだな」
「どこに?」
「バルトの嫁にだ。
目覚めた時にディナリスから聞かされなかったか?」
私の問いにレプラは少し言葉を詰まらせる。
ふっ、と小さく息をついて私の髪を撫でて語りかける。
「たしかに悪くない縁談でしたね。
長らく会っていないとはいえあのお方なら気心は知れていますし、王都のしがらみからは解放される。
打算で考えても東の守護者と王室と教会を結びつける強力な政略結婚にもなりますし」
「そうだよ……だから、嫌だったけど……
バルトに任せようって————」
レプラが私の唇に指先を当てた。
ドキリとして言葉を呑み込んでしまう。
「もし、陛下にまともな妻や親戚がいて支えてくれているならばお受けしたかもしれません。
いえ、そもそも私は陛下が嫌がることは絶対に致しません」
「そなたが王宮を去るのは心から嫌だったぞ」
「アレは私の力ではどうにもならないことでしたもの」
私の皮肉を笑って跳ね飛ばした。
「この船の上に王都のようなしがらみはありませんからね。
ですから『今夜の陛下は私のもの』と宣言して油断ならないメス猫たちを黙らせても問題ないのです」
メス猫…………私が知らないうちに本当に色々あったようだ。
ああ、じゃあそこから聞こうか。
「ディナリスをはじめ、どうしてあんな大人数がこの船に乗っているんだ?」
この疑問に「待っていました」と言わんばかりのご機嫌ぶりのレプラ。
私の顔を覗き込むようにして、ここに至るまでの経緯を語り始めた。
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雑用係の回復術士、【魔力無限】なのに専属ギルドから戦力外通告を受けて追放される〜ケモ耳少女とエルフでダンジョン攻略始めたら『伝説』になった〜
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フールは回復術士でありながら自己主張の低さ、そして『単体回復魔法しか使えない』と言う能力上の理由からギルドメンバーからは舐められ、S級ギルドパーティのリーダーであるダレンからも馬鹿にされる存在だった。
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途方に暮れている道中で見つけたダンジョン。そこで傷ついた”ケモ耳銀髪美少女”セシリアを助けたことによって彼女はフールの能力を知ることになる。
フールに助けてもらったセシリアはフールの事を気に入り、パーティの前衛として共に冒険することを決めるのであった。
フールとセシリアは共にダンジョン攻略をしながら自由に生きていくことを始めた一方で、フールのダンジョン攻略の噂を聞いたギルドをはじめ、ダレンはフールを引き戻そうとするが、フールの意思が変わることはなかった……
これは雑用係に成り下がった【最強】回復術士フールと"ケモ耳美少女"達が『伝説』のパーティだと語られるまでを描いた冒険の物語である!
(160話で完結予定)
元タイトル
「雑用係の回復術士、【魔力無限】なのに専属ギルドから戦力外通告を受けて追放される〜でも、ケモ耳少女とエルフでダンジョン攻略始めたら『伝説』になった。噂を聞いたギルドが戻ってこいと言ってるがお断りします〜」
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こうご期待。
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