流刑王ジルベールは新聞を焼いた 〜マスコミの偏向報道に耐え続けた王。加熱する報道が越えてはならない一線を越えた日、史上最悪の弾圧が始まる〜

五月雨きょうすけ

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第九話 ジルベールの付け火

ジルベールの付け火①

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 出来上がった作品に背を向ける。
 もう振り返らない。

 そばに跪いているサリナスに声を掛けた。

「此奴らが解放される前に逃亡しろ。
 東のシュバルツハイム領が良い。
 事情を話せばあそこの領主なら保護してくれるだろう」

 誉れある護衛騎士に卑劣な悪事の片棒を背負わせてしまったせめてもの詫びだった。
 しかし、サリナスは首を横に振った。

「一人逃げ延びたところでレイナード家はよくて取り潰し、下手すれば族滅です。
 ならば最後までお供させてください」
「お供?」
「貴方様が怒りをぶつけたい相手は他にいる。
 今、行われたのは前哨戦のようなものでしょう」

 慧眼……というより、私が逸る殺気を抑えきれていないだけか。
 たしかに、私の怒りの矛先はヤツラではない。
 どうせ最後なら、と私怨をぶち撒けたようなものだ。

「本来なら私は王妃様を諌め、それで不興を買って殺されるのが正しき務めだったのです。
 そうすれば家に迷惑をかけることはなかった。
 にも関わらず、我が身可愛さで黙りこくり、言いなりになって悪事の片棒を担いだ結果……貴方様の御心を傷つけ、お手を煩わせることとなってしまった。
 残りわずかの命ならば少しでも贖いたいのです。
 貴方様のために最後まで剣を振るわせてくださいませ……」

 生真面目な男だ。
 だが、忠義を立てられるのは悪い気分ではない。
 もし、もっと違う形でこの忠義を受けられたのであれば私は感動して涙すら流したのかもしれない。

「忠道、大儀である…………だが、これから行うことに供は連れていけぬ」

 何故、と聞き返そうする前にサリナスの首先にシルバスタンを突きつけた。
 まっすぐ目を見てくる彼に私は語る。

「私一人が大暴れして結果、死傷者が出たとしてもそれは王の乱心で片付く問題だ。
 だが徒党を連れてであれば、それは個人の問題ではなくなる。
 武力集団を以って敵対勢力を襲撃すれば、私に不満を持っている連中は脅威を覚えるだろう。
 私に対抗するために反国王派を作り、武力衝突。
 王都内の争いがやがて地方にも波及し、王国は内乱状態になる」

 いくら怒っていてもそこまで無茶な真似はしない。
 それに……

「ヤツらが狙っているのはその状況かも知れないしな」
「えっ? どういうことですか?
 内乱を望んでいる奴らって……」
「かもしれない、というだけだ。
 さて、そういうことだからそなたは逃げよ。
 あんな者どものために死ぬのは馬鹿馬鹿し過ぎる。
 今からならば幾人かの親戚を連れて行くこともできるだろう」

 そう言い残して歩き出した。


 門の周辺には守衛達がおり、隊長が私に尋ねる。

「陛下……どちらに向かわれるのですか?」

 言うべきか言わざるべきか、少し悩んで私は答える。

「ウォールマン新聞社に話し合いに行く。
 最近の報道のやり方はいくらなんでも度が過ぎているからな」

 私の言葉に、守衛たちはざわついた。
 隊長は困惑した顔で再び尋ねてきた。

「新聞社への圧力は禁じられている……陛下は十分にご存知でしょう」
「無論だ。だが、歴史の中で禁止されていなかった反乱やクーデターは存在するのか?
 誤った統治を行い権力者が暴走した国家が滅ぼされるのは人間社会の摂理だ。
 そして……奴らはもはや国家に匹敵する権力を手にした大権力者だ」

 心当たりがある、といった顔をしている者が多い。
 それもそのはず、王宮の門番である守衛たちはマスコミ被害にこれまで何度もあってきた。

 たとえば、王宮内に侵入しようとする不届き者を取り押さえようとした際、刃物で反撃され、鎮圧のために殺害した、という事件があった。
 当然、法的に正当な行為である。
 だが、マスコミ連中は「何の罪もない民に一方的な暴力を振るって殺害した」と報道した。
 結果、犯人を殺した兵士は殺人犯扱いをされ、彼自身はもちろん、その家族や親戚に至るまで世間から責め立てられた。
 私もその兵士を擁護し、不当な責めを与えないように民に声明を出したが「国王は我が身可愛さに守衛を擁護し、民の命を軽んじる」と被せるように報道されて無意味に終わった。
 結果、その兵士は王宮勤めを辞めて王都を去ったという。

 そんな事件がここ三年の間で何度あったことだろう。

「……遅すぎたと思っている。
 自分の身に降りかかってきてようやく重い腰を上げた王を、恨んでも構わん。
 だが、今はここを通してくれ」

 守衛たちは困惑している。
 当然だろう。
 先程中庭で私が行った行為は彼らの耳にも届いているはずだ。
 正気を失った王が剣を下げて市井に出ようとしている。
 本来なら止めるべきだ。
 しかし、

「承知いたしました。
 どうか……お気をつけて」

 隊長が私に敬礼をした。
 すると他の兵士も倣うように敬礼し、道を開けた。


 街に出ると民の様子はいつもと変わらなかった。
 私の険しい顔を見て変な顔をする者もいるが、大騒ぎにはならない。
 おそらく国王ジルベールとは気づいていないのだろう。
 私の顔を間近で見たことがある人間はそういないからだ。

 目指すのはウォールマン新聞社。
 ここから徒歩で30分とかからぬ距離にある。

 守衛隊の手前、ああいう言い方をしたが私は話し合いで解決しようと思っていない。
 そんなことで何とかなる問題ならここまで奴らは増長していない。
 私がやらなくてはいけないことは、権力の濫用は必ず報いを受けるということを知らしめることだ。
 できる限り盛大に。
 新聞を必要としなくてもその報いの凄まじさが伝わるように。


 新聞社を焼かねばならぬ。

 我慢に我慢を重ねてきたが、もうダメだ。
 すべてを失い、悪に堕ちてでもこの粛清をやり遂げねばならない。
 それが王として最後の責務である。


 往来を行き交う人々の群れ。
 以前は彼らが恐ろしかった。
 溌剌とした顔で日常を送っている彼らの顔が豹変し、私を憎み、恨み、怒り、蔑む光景が頭によぎり、震え上がっていた。

 だから、私は少しでも私から遠い存在となって彼らの目を欺きたかった。
 女装などという行為をしたのもそのためだ。
 あどけなく威厳のない女顔を自分では気に入っていない。
 しかし、化粧を施し、髪を女性のように結うと亡き母の面影が現れる。
 父はもちろん、臣下や使用人、民からも愛されていた母の顔が。
 この姿ならば私と気づかれず、負の感情をぶつけられることもないだろう、だなんて。

 レプラが非難めいた口ぶりで私の女装について口出ししていたのも、こんな心の弱さに気づいていたからだろうな。


「そこの旦那! 食っていかないかい!
 今、ちょうど焼き上がったところだよ!」

 威勢のいい声にハッとすると同時に肉の焼ける香ばしいにおいが鼻腔に流れ込んできた。

 ここは店舗を持たず、移動できる屋台を引いて路上で料理を販売している者たちが集う地区————屋台通りと呼ばれる地域だ。
 声の主は屋台の店主の一人。
 焼いた鶏肉を売っているようだ。
 屋根には羽をむしられ、皮を剥がれた鳥がぶら下がっており、店主の手元に置かれた網の上では部位ごとに切り分けられた鳥たちが焼かれている。
 滴った脂が蒸発する音と立ち上る煙が食欲を誘い、空っぽの胃を鳴らし、口の中に唾が溢れた。

 金は……靴の中に仕込ませて置いた非常用の金がある。
 これからのことを考えると腹は満たしておくべきだろう。

「もらおうか。細かいのがなくてすまないが」

 そう言って金を渡すと、店主は驚き、大声を上げた。

「き、金貨じゃないか!?
 こんな店で使うようなもんじゃないだろう!」
「ああ……悪いが他に持ち合わせがないんだ。
 釣りがないならもらっておいてくれ」

 どうせ、この後金を使う予定はない。
 普段のお忍びの時だって私が街で金を使うことはなかった。
 必要なときはレプラが支払ってくれていたし、このような露店での買い食いなど許してくれなかった。
 子供じみた感傷だが少しワクワクしてしまう。

「釣りって……そういうなら、もらっておくが————」
「おいっ!! なに独り占めしようとしてんだあ!!
 そんな鳥の焼死体で金貨せしめようとするんじゃねえ!!」
「旦那ぁっ! そんなんよりウチの食ってくれ!」
「いやいやウチじゃあ!
 金貨もらえるなら店のもの全部食い尽くしてもらっても構わんぞい!」
「そんならウチだって!」

 しまった……いくらなんでもどんぶり勘定が過ぎたか。
 私にとっては討ち入り前の腹ごしらえであっても彼らは何の変哲もない日常を送っているんだった。

「じゃあ、各々自慢の品を出してくれ。
 お代は金貨それを分けあえば足りるだろう」

 私がそう言うと歓声が上がり、店主たちは大張り切りで自分の店に戻った。
 最初に声をかけてくれた鶏肉を焼いている店主は惜しそうな顔をしていたが。

「ちぇっ。まぁ大金持ち歩いて夜道襲われるのもくだらんしな。
 ほれ、焼きたての腿肉だ!
 好きなだけ食ってくれ」

 渡された肉の骨の部分を手に取り、路上に置かれた椅子に座り込んだ。
 目の前には小さなテーブルをいくつも繋げて大量の料理を運び込む準備は万端。

 最後の食卓かもしれない。
 目一杯味わうことにしよう。

 大きく口を開けて腿肉に齧り付いた。


 …………味がしない。

 空腹は最高の調味料、と言うが腹が減ったら身体が栄養摂取を求めると言うだけで美味いものは美味いが不味いものは不味い。
 腿肉、とは思えないほどボソボソしている。

「いい食いっぷりだねぇ!
 ウチのパイも食べてくれ!」

 と出してきたパイは生地はパサパサしていて、中の魚も味がついていない。
 別の店主に出された玉ねぎスープは塩の味しかしなかった。
 ソースのかかっていないゆがいただけの麺。
 牛のステーキも乳臭く、肉の繊維が毛糸のように太くて噛みちぎりにくい。
 果物の実は小さく、味も酸っぱかった。

 端的に言って、どれもこれもおいしくない…………

 よく考えてみれば王宮の食事には塩以外にも香辛料が使われている。
 国内産は貴重で平民の食事で使用するのは困難だ。
 肉だって王室の御用達である牧場で丁寧に育てられた肥った食用の鶏や牛を使っている。
 野菜や果実も同様。
 そして料理する者たちは幼い頃から料理人になるべく親たちに仕込まれたエリートばかり。
 御伽噺の魔法使いが秘薬を作るかのように複雑な工程を経て料理を完成させる。
 それに引き換えここの店主たちは焼くとか、煮るとか、一つの工程で済むような料理ばかりを提供している。

 以前、自分の口に入らないことを悔やみ羨ましく思っていた湯気の立つ暖かな料理は実際に口に入れてみればつまらないものだった。

「よくその細っこい身体で食うなあ!
 気に入ったぞ」
「いい食いっぷりだ!
 こっちのも食ってくれ!」

 だけど食べる。
 感情が昂った時に身体がついてこないのでは話にならない。

 マナーも見た目も気にせずにガツガツムシャムシャ……音を立てて目の前にある食べ物を貪る。
 味の薄い食べ物でも大量に胃に詰め込めば食欲が満たされていく。
 腹の中に溜まっていくエネルギーのかたまり。
 これが空っぽになるまで、私は自分自身を酷使する。
 すでに戦いを始めているつもりで食事に臨み、食い尽くして、席を立った。

「お……思ったより食ったなあ!?」
「一人で十人前はいったんじゃないか?」
「鳥がまるまる一羽なくなっちまったよ……」
「それより金貨だ!
 ここ人数で分け合っても10000オルタ以上だもんな?」
「……ん、この金貨、なんか違くないか?
 滅多に見ないから自信ないけど」
「ええっ? いや、金貨だろ。
 でも言われてみれば、少し大きいし細工が細かい気が……」


 店主たちの反応にほくそ笑む。

 上流貴族階級の金銭感覚は平民とは桁が違う。
 しかしゼロの数が増えると思わぬアクシデントが生じる恐れがあるので、オルタの上の通貨単位が存在する。
 それがスペリオルタ。
 1スペリオルタは1万オルタに相当する。

 市井に出回っている金貨は10万オルタ相当だが、私の渡したアレは100スペリオルタ————つまり100万オルタ相当。
 王都に小さな店が構えられる程度の価値だ。


 金持ちの悪趣味のようなことをやってしまった。
 だが存外悪い気分ではない。
 野生的に食事を摂って、素寒貧になって、剣一本だけを携えて憎い敵の元に向かって歩いていく。

 私はずっと、こんな状況を待ち続けていたのかもしれない。
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